元阪急のマイナーな選手を懐かしむスレ その4
江本が言ってた
投球にせよ打撃にせよ、他人から強制的にフォーム改造されて
成功した試しはない
壁にぶつかってにっちもさっちもいかなくなって
選手自らが変えたいという意思にならない限り
モノにならない >>98
だって山田さん自身が言ってたもん
「真似されるようなフォームなんか意味が無い(使ってもらえない)」
改造を指導したコーチは相当の○ホじゃないの 太田って入団時からアンダースローだったハズだけど、山田みたいな、
投げる直前で一旦浮き上がるようなフォームに改造したの?
ただ単に、アンダースロー=山田って素人同然の考えなだけじゃないの?
アンダースロー、一口に言っても足立みたいなのから他球団で言えば高橋直樹、仁科、金城と居るわけだし アンダーにも2種類あるからね
真性アンダーとサイドぽいアンダーがね
サイドぽいアンダーは身体を沈み込ませるけど腕の出どころがほぼサイド
高橋直樹、仁科、小林繁、三沢はサイドぽいアンダー 中日にトレード後、星野の下で選手、コーチの傍ら乱闘要員として大活躍し
その後地元の町長にまで上り詰めた岩本
阪急時代もそこそこメジャーな選手って感じでいいのかな?このスレには合致しない? 昭和55年頃西宮北口の寿司屋で見掛けた白石
四角い輪郭とメガネが今井雄太郎とよく似ていた 過去ログにもカキコあったが
西宮北口周辺の居酒屋鉄板焼屋寿司屋等々で
土日の夕方にブレーブス選手に会うことは良くあったようだね
デーゲームの後だから? 白石さんといえば「肩にボルトが何本も入ってる」が十八番ネタ
ちゃんとオチまで付いている 近所の阪急ファンの子がしきりに「さいぐさのマネ」をしていたが
実物を見たことはない 西武の松沼兄は真正アンダーかな
高橋直樹はサイドだと思っていた 白石は南海戦によく使われていた
スポーツ新聞の先発投手予想欄「老練な白石、鷹狩りの腕前を見せよ」のコメントは今でも覚えている
たぶんサンスポと思う >>114
なにしろ主力が左ばっかりで他チームにも左をぶつけられていた
メイはメジャーの実績もある好打者だったが
それはそれとしてなんで右をとらなかったのだろうかと 松本幸が先発してスイスイと100球足らずで抑えたこともあった
右の代打も全く問題にしなかった
ゲームセットでもニコリともせずに捕手と軽く握手、
バックには目礼しただけでさっさとベンチに引っ込むのがお決まり
本当にクールな選手 サンスポは阪急選手を良く書いてくれた
フジサンケイグループの関西テレビが阪急東宝グループにも入ってるから カンテレ社員
フジテレビが視聴率トップの時代「わが社はフジサンケイグループです」
フジテレビが凋落した現在「わが社は阪急東宝グループです」 幸行をゆきつらとは読めない
インパクトの強さゆえに最初に覚えた投手 むかしダウンタウン松本が
野球興味なかったけど「ゆきつら」という選手だけなぜか好きで
それで中日の帽子をかぶっていた という話をしていた
客席の大半は若い女の子で こいつら1人も知らんやろなと思いながら見てたな
まあ苗字が同じで変わった名前ということで松本少年の目に止まったのかもしれんね >>120
どこがマイナーやねん
中日の左のエースやぞ 日大からドラ1で来た石井
引退後大型トラックのドライバーに転身したという記事を読んだ記憶 >>127
当時の阪急は高卒ドラフト1位が全く育たず
大卒の石井には期待して見てたんだけど
結局通算で二勝しかしていない・・・
今は北海道に帰って女子野球の指導をやってるそうだが 新人の年1986年、今井山沖が絶不調で代わりにローテーションに入れようとしたが結果出せずに白井や古溝に持って行かれてしまった
二軍落ちした時に「まだまだこれから」みたいなコメントしてたが悠長なこと言ってられないのにと思ってたら案の定次の年以降も椅子取りゲームに勝ち残れず。
過酷な生存競争だね。 石井は血行障害だったかで支配下外れたりした。3年で整理されたということはもう無理だと思われたんだろう。
日大OBの田宮氏の伝手か何かで阪神に引き取られたが1年で解雇。 引退後の転職先というと飲食が王道なのにトラックの運ちゃんとはシブい所突いたな >>32
有ったよ
77年に指名していたら入っていたらしい
江川が言ってる 太田は足立二世とサンスポ裏1面に書かれていた
産経新聞購読すれば、土日?日曜のみ無料でスポーツ紙宅配してくれた そうだったね
宅配版は駅売り版と違って教育的配慮からエロページが割愛されていたっけ クラウンの江川でも、阪急の江川でも、ダメだったろうね
阪神の江川なら、どうかな 最近mineoのCMを見るたびに福原のことを思い出しちゃう 最近江川がYouTubeを始めて、また田尾や槙原のYouTubeにもゲスト出演しているが
空白の一日のことは喋るようになったが阪急指名のことは一言もなし
誰も興味ないのかな 言いたくても言えないこともある
というか、おっさん世代はともかく若い世代に
空白の一日や阪急ブレーブスを語っても
刺さらないだろうなあ センバツ今日の第2試合に登場した北陸高校のユニホームが1980年代の阪急ブレーブスにパッと見似ていました。 ルーキーイヤーだけ活躍した小嶋
東芝からドラフト外で入団
この時期東芝からは毎年コンスタントにプロ入団者が続いていたが
長続きしたのは日ハム高代ぐらい 1981年だな
この年はエース山田が前期不調で苦しい投手事情のなか間合いで試しに先発させたみたら好投してローテーションに収まったという感じ
掘り出し物と評判になった 佐藤滋が岩本とスナックにでかけ反社会の男と喧嘩になりグラスをぶつけられ、それが原因で引退してた。
今のホークスのリチャードみたいな立ち位置の選手だった。 >>152
例のマンガでも先発するところが描かれてたがリアルの5年後ぐらいに読んだので「小島?そんなやつおったのか」だったな
ヒーローインタビューをアイドルが務めるってんで阪急・南海の選手が目の色を変えてヒーローを目指すが最後はあの男がもっていく
というまあ安定の水島ワールドであえなくKO
失意の表情で松本にマウンドを譲るという役をやらされていた >>154
岩本ってその頃おった?
長池がその場に居たとかは聞いたことある マイナーではないけど矢野清はどうなんや
切通とか当銀とかは 永本はサイドに変えた82年が飛ばない球の年で技巧派に有利だったのが大きいと思う
82年は同タイプのハム工藤も突如大活躍したしな 他チームに研究されて翌83年は打たれまくったが
それでも永本は7勝、工藤は8勝できたからそれなりに頑張ったんだろう