70年代ロッテはシーズン中に東京滞在で
高速交通網が全国展開していなかったから、プロ野球選手の長距離移動は過酷であったと思う。
ジプシーロッテが多くの場面で叫ばれていたけれど、福岡時代のライオンズも過酷な日程であったことには変わりは無かった。

やっぱり寝台車は東京駅朝10時11時着の寝台で
泥のように寝て来てそろそろ終点に近いなーとうつらうつらしつつ駅通過の気配で
まだ横浜まだ川崎まだ品川そろそろヤバいでももう一眠り
おっと新橋も眠いおお有楽町これマジヤバいでようやく降りる支度を
初めて東京駅に到着して直ぐに出発するなよな2;3分猶予してくれって思って
さっさと着替えて荷物まとめて降り立つのがよろしいんじゃないでしょうか?

今から30年くらい前
東京駅行き最終の博多駅発が17時13分
現在は18時59分
ずいぶんと遅くなったね
その分福岡県の滞在時間が長くなった
でも今の博多駅行き最終の新幹線って新大阪駅から出る最終を博多駅まで引き延ばした形

1997年、JR西日本でも、500系新幹線車両の運用開始当時は
500系のぞみ号は新大阪駅発車出発から岡山駅、北九州市の小倉駅停車だけでも、新神戸と広島は通過する速達列車が構想されていた。
この、途中駅が岡山駅と北九州市の小倉駅だけの停車だと、新大阪から博多まで2時間10分程度での到着を目標にしていた。
また、東京駅から博多まで最速で4時間40分前後の到着を見込んでいたそうである。

また、新大阪、新神戸を発車したら北九州市の小倉駅まで通過する速達の500系のぞみ号が構想されていた。
この最速達の500系だと、新大阪駅から博多まで1時間55分前後、東京駅から博多駅まで4時間30分前後を見込んでいた構想があった。

特に、大阪府内から福岡県内は山陽新幹線と航空路線が競争関係にあったから理解可能である。

1997年、JR西日本でも、500系新幹線車両の運用開始当時は
山陽新幹線でも、500系のぞみ号を運用するに当たって、航空路線の乗客獲得競争の観点から鑑みて
岡山、広島、新山口駅の3駅は名古屋駅と東京駅方面に主眼が置かれていた。

東海道山陽九州新幹線は
東京、横浜、静岡、浜松、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、広島、北九州、福岡、熊本の13政令指定都市を結ぶが
北海道東北新幹線は東京、さいたま、仙台、札幌の4政令指定都市のみ

地方は国鉄時代の方が確実に良かったろうな
国鉄時代はある種の悪平等的なところがあり、
都市部の利用者からは不満あったろうが田舎者にとっては使いやすかったといえる