1985年日本シリーズ 阪神vs西武 Part2
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1985年の日本シリーズ 阪神vs西武について語ろう。
阪神の日本一に隠れがちだが、西武黄金時代の選手が育った年でもある。
前スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1589291142/ 掛布はリーグが違うから普段の公式戦の秋山を見ていないから仕方ないんじゃないかな。 高いレベルでしのぎを削っているトッププロの選手だから余計
その目は研ぎ澄まされているかと。
少しの異変も見逃さずそこをすぐナインに伝えて対策を練るとか。
掛布の発言にそういったものが含まれているように思えなかっただけで
杞憂なら良いですが。
吉田監督が危惧していた驕りに繋がるものに繋がっていなければ良いのですが。 掛布はこの時点では現役バリバリ
他リーグとはいえ、出てくる芽は片っ端から摘んでみせるのがプロの矜持だったのだろう その秋山にシリーズの不甲斐なさを指摘して
指骨折を一蹴し言い訳だ。とプロ根性を更に叩き込んだ衣笠と器の違いを感じる しかし広岡はなぜ秋山を外野にコンバートしなかったのだろうか?
花形野手はサードという固定観念があったのかな 森になっても秋山をセンターにコンバートしなかっただろ。
むしろ森1年目よりも85年の方が秋山のセンターは多かったんだぞ。 何故秋山が後年センターにコンバートになったかを先にお考えになった方が良いかと思います。
言えるのは大型内野手として球団上げて当初育成しようとしていた。
まぁ花形選手は三塁手というのは間違いなくあったと思う。
西武の生え抜きでなら尚更。 単に石毛の怪我とヘッポコ外野陣の所為で秋山を外野手に回さざるを得なかったから そうそう。それ!!
で、清原を三塁に。という構想が森にはあったんだけど。
何故か実現至らず。
外野は守備では他チームと引けを取らないが打力に問題あり。と。
秋山コンバート、平野トレードでうまくピースをはめた。 >>292
森は当初田尾を一塁に回すつもりだった
田尾にその構想を告げると「動かしすぎですよ。清原は一塁でいいじゃないですか。やらせて駄目なら三塁に回すか検討すればいいんです」とズケズケ言い放った
結局田尾の言う通りになったが森との溝は深まり、オフに放出されることとなる 田尾の言い方が悪かった。
森も逡巡して意見を田尾に求めたのにあの性格。
森もああいう性格だからカチンときた。
監督も色々チームと清原を思っての案で素晴らしいお考えと思います
私はこうも思うのですがどうでしょう?
みたいに言えばよかったのかな???? 森たぬきは田尾一塁構想を田尾に持ち掛けて、もし田尾が難色を示したらトレード要員と最初から
想定していたと思うよ。
というか、田尾が拒否してくるの事自体が想定内だったと思う。 >>273-274
廣岡留任で清原を獲れていたら…
清原は王超えは無理でも700本はいっていたかな?
森監督に比べてビッグベースボールが嫌いでは無さそうなので、大久保博元も西武で少しは活躍できたかも。
(逆に巨人ブランドが無くて、デーブでは無く大久保のままで芸能仕事や監督が出来ず、生涯収入は少なくなっている?) 清原起用法でオーナー、根本と激しくやりあうだろう。
どっちみち途中解任大かも。
大きな力が働いて広岡解任一軍合流掌返しでチヤホヤ。
阪神岡田ブレイザー騒動みたいになったかも >>296
結局ね
田尾が中日時代のように成績を残していたら、干されることは無かったな 打つしか能の無い左投げの選手が平野未満の成績で終わったらそりゃあねって感じ >>298
廣岡留任無いわ。
全権奪いたい廣岡とそこまで信置いてない根本。 堤義明並びにプリンスホテル監督(つうか事実上のプリンスホテル野球部創設者)の石山健一
といった早大閥繋がりで法大OBの根本を追い出す青写真もあるいは描いていたかも知れん
が、その手の根回しや工作はあまり上手くなさそうな御方だしな・・・・・・・・。
そんなのが出来るならそもそも巨人から追放されなかったろうしw 最初大島狙っていたのに諸事情で流れて
急展開で田尾を獲得できることになり広岡もびっくりと喜びが湧いた当時とシリーズが
終わった時の落差に愕然としただろう。
トレード当初は西武が大得という報道ばかりだったが翌年は大損という真逆の報道
まぁ杉本大石も中日では継ぎ足し戦力のような感じだったし。
田尾って不思議な選手だよな。
うまくピースに当てはめないと実力発揮できない。
85年のシリーズでは意外と2番あたりが適所だったかも。
でも3番いないか。。。。
センター秋山サードスティーブなら一塁に片平持ってこれるけど。。。
やっぱこの年は打線弱っちいな。 もともと84年は阪急ロッテに打ち負けて大負けしたところに
田淵山崎引退ジェリー大洋へで、打線で計算が立つのがスティーブ石毛だけだからな
84年このオフの時点で
片平大田はもう計算外の扱い
でスティーブをなんとか4番に据えるとして
石毛が1番3番どっちかにしてもどっちかが足りない
大島でも広岡が求めた外国人大砲でも結局あと一枚打線に加えたかったのは
同じだろうね
だから石毛と対になってどっちかを打てる「顔」としては、まあ田尾はよかったと思うよ
田尾も5月までは3割打って、この時点でペナントの趨勢を決めてしまったわけだし
万一この年阪急に行かれてたら85-88位までは西近急がもっと均衡してたと思う。 85年シリーズは郭泰源離脱、秋山骨折の時点で勝ち目無かったよな 85年シーズンとシリーズはその時に足りなかった打順に仕方なく田尾を
当てはめた。と。
秋山の覚醒があったからペナント取れた。あと郭の前半の活躍も。
片平は84年シーズン中の練習でよみがえったと広岡が語ってた。
大田は腰のケガが尾を引いてフォームを変えたのが裏目に出た。
シリーズはその影響が出て竹之内指示の配球にしてやられたし打球の速度も83年に比べると落ちていた。3-5戦は捕えてはいたが腰が癒えてなかったのだろう
そこで決定的な一打になるような打球でなく正面に行ったりフェンス前で失速したりした。
86年にフォームを元に戻して少し復活。シリーズでもそこそこ活躍した。
でも広岡が言っていたがシーズン通しての活躍が難しい選手と。
もっとムラッ気が無くてケガが無かったらもっと活躍できたと守備も意外と
評価していた。
とにかく普段通りの実力を打線は特に発揮できなかった。
石毛、秋山のケガが無ければというところ。
投手では先発と抑えのピースが一人足りなかった。
そこら辺を補う前に阪神にやられたという印象 片平も前半戦はすごかったね
5月末で3割8分
6月末でも3割5分
自分が見に行った4/25郭泰源の登板試合で片平の打率が4割超になってて
なんじゃこりゃってびっくりした 冷静にシリーズを見ると
結構西武の投手は5戦に入る迄2割以下に阪神打線を抑えている。
でも
走者を貯めた時の配球に問題が。
一発を痛いところで食らった。
あとはエラーから失点も。
あとはバース。
そこだけが広岡の最大の誤算だったと思う。
あそこまでクレバーとは今までの対戦した外人と全く違う次元にショックが
大きすぎたのではないか???欠点を突く配球、変速フォームのピッチャー
全てに改善・対応してきたから。
掛布・岡田はある程度抑えていた。だからバースにやられた。
バースの幻影に脅え、抑えた後の隙を突かれた。
それが長崎・平田 痛い追加点を与えている。
ホームラン(シリーズ27点中22点!!)以外の得点タイムリー2本犠牲フライ3本
だから猛虎打線と言いながら一発中心の打線
ある程度の事前データは有効に働いた。
でも勝負どころの配球でミスを重ねた。
打線もそう。投手不利のカウントやランナーがいても自滅ばかり。
2戦の辻バントも構えが早すぎて読まれてしまっていた。
若いというのか?淡白なのか?
やはり勝負どころの厭らしさと是が非でも点を取りに行く。点をやらない。
相手にダメージや残像を植え付けさせる策がもう一つ足りなかったのがこのシリーズの広岡。森がいればというのがここではなかったかと思う。
それは広岡も痛感したに違いない。 語りたいのはわかるけど
もうちょっと話のポイント絞ろうよ
と広岡に付いていたサンスポのデスクならダメ出しをする 広岡は変化球投手などでシリーズに臨んだが
本当はパワーピッチャーで2戦くらい臨みたかったはず
それが郭と渡辺かと。
両方故障などで登板不可や不調などで登板ままならなかった。
東尾も故障明け、森も故障復帰後抑え未知数、松沼弟も故障を押して登板
その中で余計欲しかったはず。
ピッチャーの兵糧(阪神先発要員)攻めの時期を広岡は見誤った。
それはバースが原因でもあったが是が非でも取りに行くゲームがあったはず。
その執念がこのシリーズでは見えなかった。
そこを出せば7戦まで行って83年のようなシナリオに近い展開も望めたのでは
ないか?そうなっても最後にバースにやられそうな気もするが
それはそれで西武側でも納得しての負けにもなって阪神の日本一も更に神格化できたのではないか? MLB見てると巧打の4番は意外と珍しくないんだが
その場合は2番3番に強打者を置いているケースが多いんだよね
85年の西武は4番にスティーブを置くなら3番は27HRの石毛にすべきだったな
アヘ単低打率の田尾が3番では打線が繋がらないのは当然といえよう まとめると
広岡西武はシリーズで投打共にコマが一つずつ足りなかった。
何とかやりくりとか対策打つがバースが木端微塵に。やる気を余計削がれた
阪神とはその差だけだった。 結局秋山はまだ未熟、未完成、粗削りという見方をシリーズでされていたという事は逆に骨折をそれなりに隠し通せたという事にもなる。
指の靭帯が切れていながらヒットを打てたというのはある意味凄いのでは?
掛布や岡田が同じ状態なら果たして???
結構舐めた配球を散々阪神バッテリーもしていて万全なら2,3本スタンドに叩き込まれていた可能性も。 西武の過去のシリーズを振り返ると
これだけ野戦病院みたいにケガ人や脱落者を多く抱えたまま臨んだというのは無かったのではないか?
惨敗のシリーズでも02年の松坂くらい?(無理してシリーズに調整)
そうやって見ると2勝したというのは結構凄いことかもしれない。
(広岡のやる気次第ではあと1勝くらい出来たかも)
阪神は山本くらい。
ケガなどを隠してハンディが無い様にしてシリーズに臨んだ。
少し広岡を評価しても良い点では? 逆に言えば西武側の危機管理が怠っていただけではないのか
阪神だってシーズン中けが人はいっぱい出てたからな
ちゃんとシリーズに合わせて調整してきた差だろ 西武の若手は、シーズン中でも休み無しで毎日練習していた
しかも移動日ほ移動してから練習
広岡は目先の優勝じゃなくて、一流の野球選手を作りあげるのを目指していたからな
そもそも、広岡自身85年はリーグ優勝は目指さず、育成の年と考えていたそうだ
この意識の差が、その後の西武黄金期の選手に育っていった もし広岡が阪神の監督に就任していたら
伊藤、工藤あたりが覚醒しただろうか?
ドラフトで無能な選手取ることなかっただろうしな 秋山は長池コーチとつきっきりでバッティング練習してたからな
そもそも阪神じゃ外様長池をコーチで呼ぶなんて出来ないから 阪神に必要だったのは根本陸夫だ
フロントから現場まで根本さんにしかできない地ならしを経ていれば、優勝も突発的なものではなくなっていたはず むしろ広岡がGMで、負広監督という、早大コンビ体制がやっぱよかったんだろうな。 >>324
無理。
タニマチとか訳分からん輩排除出来ても電鉄が一枚岩じゃないからフロントの後押しはまず得られん。
スカウトも弱いし何しろ和より個のチームで当時は江本・小林・田淵・・・、誰が纏めんねん。 >>326
どの時期で就任するかはともかく、
足を引っ張るような選手と見なされたら当然放出するだろうね 西武でも広岡解任ニュースが流れた時選手たちがバスの中で万歳してた。
阪神だったらどんなリアクションだろう???
広岡が就任したら早々平田、岡田、掛布に強烈なダメ出しをするだろう。
付いてこれるか。。。。
というかあの当時の西武の練習を課したら阪神の選手1月もしないでつぶれるのでは?森の陰険な指導に木戸とかガチ切れしないか?
川藤はどうだろう?
ピッチャーは上手く使いそう。
予想では掛布と平田は生き返りそう。岡田は放出されそう。
川藤強制引退。真弓は重宝されそう。和田や吉竹を抜擢。北村は守備要員
長崎は代打のみ。木戸は森の操り人形。
バースは広岡の方がひれ伏す。 阪神のピッチャーで良い仕事したのって
ゲイルと福間だけかな。。。。
池田は5戦でKOされたし
中西は楽勝パターンでの顔見せ登板
結構阪神も綱渡り。
西武の拙攻に助けられたという事か。。。。 >>329
二戦の中西はかなり緊迫状態での登板だがな
敵地一点リード、9回登板は結構プレッシャーだぞ でもあのゲーム時のライオンズの下位打線
伊東でランナー出たが広岡は代打大田出さなかったぞ。
他でも良いけど
打者は岡村。
あんなに客席からコールあったのに。
ラッキーなヒットでの出塁とはいえそんなに重圧ある場面ではなかったと。 >>331
楽ではないよ
1点取られたら同点で敵地だからほぼ負けに等しくなる
プレッシャーの強い場面なのはたしか
本人のインタビューではそんな厳しい場面は無かったと振り返ってたが あとあの時期の中西は右打者は打てないよ
ほぼ無双したからな
秋山もそうだったがみんなあのカーブに腰引いてた
やはり左が攻略の鍵 なるほどですね。
広岡がやる気と執念見せて中西を2戦で攻略したら阪神はマジでヤバかったと。
そうではなかったから中西が光ったと。
5戦は完全に顔見せ。最後のバッター片平が笑って打席に入るくらい緩かった。
あと貢献したのは審判かと。 ある意味4戦に中西を出さなかったことが後につながったと思うよ
何かあっても中西がいるという安心感が投手陣や打者陣に与えたと 1,2戦はバースだけにやられたが、それでも敵地甲子園で2勝2敗の五分に戻したからな。
掛布はブレーキだったし、西武もようやくエンジンがかかって来た時に、小野で捨てゲームだもんな。
西武ナインは白け、逆に阪神の方は救われただろう。
阪神は甲子園でのプレッシャーで3連敗する可能性があったのに、
広岡の采配ミスで流れを阪神に渡してしまったのが敗因。 阪神も西武も投手起用は綱渡り。
抑えに安心出来る中西
抑え連投に不安がある東尾
この差だけだな。見た目のの戦力は。
大きな差は両チームの気持ち。5戦途中から完全に萎え6戦の一回で潰えた。 捨てゲームという考えは必要だけど、味方選手達に今日の試合は監督は捨てゲームのつもりらしと
悟られてはいけないんだよ。
予め計算された捨て試合でも、選手達には「絶対に勝たねばならない試合」という空気を植え付けていかねばならないんだよ。 そうなんですよね。83年と比べると。
5戦で王手をかけられて、でも捨てゲームではなかった。
選手集めて広岡は冗談言ってリラックスさせて絶対勝てると
念押しをした。そこで6戦の布石となった。
85年は5戦を捨てゲームにしてしまった。余裕が無いようにしてしまった。
それでも83年の様に選手を集めるなり説明などの行動あれば士気は高まったと思う
それをしなかった。
その差がこのシリーズへの広岡の熱の差であった。
中日は初の日本一、巨人は長年の宿敵、阪神は。。。。。何?いざござでモチベーションも下がってるし
という風になったのではないか? 広岡監督は
第四戦伊藤先発ほ見て
「阪神は捨てゲームのつもりか」と馬鹿にしてたんだがな まあ4人目の先発を伊藤にするか仲田にするかは迷ったところだろう 伊藤はあの時代の阪神先発投手陣の中で潜在能力では一番だったんだけどな 馬鹿は広岡のほう
あの並びで誰を出したら捨てゲームじゃなくなるのか?池田に147をやらせろとでも? 何度も打たれている
4戦広岡の捨てゲームのつもりか?の発言は阪神は捨てゲームのつもり全くなし。
広岡が言いたかったのは従来のシリーズのエースが1,4,7戦先発すべきだろという
事であって池田はエースではないのか?4戦はどういうことだ?と。
事実このシリーズからエースが1,5戦先発の流れにもなって言ったが。そういう分岐点での
発言でありある意味【捨てゲーム】という言葉が独り歩きしたように思える。
広岡は勝つ順番3つまでを間違えた。そこが敗因。甲子園で3連勝すべきだった。
そうしたら7戦まで持っていけた。阪神は投げるピッチャー選定に苦しむ。
西武の選手が万全であるという要素も含めてだが 7戦目まで行ったら
先発もクソもないだろ
工藤か伊藤先発にさせて
あとはどんどん使っていくだけだが
どのみち阪神に勝ち目はなかっただろ
6戦で終わらせて正解 むしろ第三戦の中田良が捨て試合
あれは日本シリーズなんて大舞台で先発させるべき投手ではない 本人も投げられる状態じゃなかったと
じゃあ投げるなよ! 1,2戦勝てたことが大きかった阪神。
5戦途中から6戦は西武の方から瓦解した。
ピッチャーがいなかったからある意味幸運も味方につけた阪神
西武は自ら手放してしまった。
そういう意味でこのシリーズはバースありきだった。 >>351
シーズンでも4連投で先発完投させるぐらいやから
それもあるかな
5戦も70球ぐらいで降板させてるし中二日あるしな 7戦の池田通用するかどうかはまた別
池田また打たれて早めに切り上げて
福間、工藤、野村リレーで耐えきって
中西で3イング最後頼む
というところでしょうか?
西武は松沼兄、東尾を最初と最後に
間に工藤と松沼弟、森、渡辺挟んで
92年の7戦みたいになりそう。両チームの伏兵かバースで決まりそう。 あ、池田より伊藤がいるか!!
伊藤で6イニング持てば十分勝ちのチャンスはありますね。
あとは野村、福間で持たせて
中西2イニング お勤めご苦労様ですっで胴上げかも。。。
緊迫した展開でゲーム進行
一方西武は松沼兄、東尾の間の工藤か渡辺で「やらかしそう」
で、それを取り戻すことができず終戦。かも。
松沼兄、東尾の好投を見殺しに。 5戦の池田はアンラッキーな場面多かったからな
ボテボテとか高くはねたりとか安打が多かった
逆に言えば1戦は良い当たりが正面飛んだり、ラッキー過ぎたとも言えるが 5戦はナベ久で行っても結果変わらんかったと思うよ
阪神打線は選球眼が素晴らしい打者が揃ってたから
ノーコン投手では通用してないし
その証拠が3戦の工藤だ
四球四球ガツンだろ
それがあの年の阪神打線の怖さ >>293
ほんとタオは笑
監督としてもダメだったし。 池田は当時マウンドの高低調整可能な西武球場でペースを狂わされる。
5戦はやる気がない田尾が助けただけ。
あの時の西武にほぼ読まれていた。
江夏があのピッチャのどこええのか全くわからんという位だから過剰な期待は
出来ないと。
それなら伊藤の方がまだ計算が立つ。 あのシリーズの渡辺登板
1戦はバースの3ラン後、5戦は長崎の2ラン後、6戦はほぼ勝負が決したとき
そんな時のものとゲームの初っ端任されるのではモチベーションが違う。
3戦工藤も一回り目はバース以外抑えていた。
点数もらって守りに入ってバースにまた付け込まれた。
86年がそうだったようにお前ら開き直っていけるとこまでいけ!!と送り出したら
結果はだいぶ違っていたと思うし5戦は渡辺と西武ナインも思ってたから田尾なんか
余計に。前のゲームでの盛り上がりもあり多少点取られても返すだけのものはあったかも
そういうのは渡辺では期待出来た。
小野は広岡の思いが強く出た。あぁそうなのね。と様子見。
いきなり掛布に3ラン。何なん!!と違和感増大
で勝負どころの4回で西岡代打でまたコケた。すべりまくりやん。と上塗り
追い打ちで5回の疑惑の2塁アウト判定で抗議にも行かず。
あ、そうなのね。このゲーム取る気ないのね。とナインが悟り。。。
で、え?石井続投???長崎2ランで皆戦意喪失。
その後の追加点なんか西武の広橋のミスからだし士気が影響してる。
流れを汲み取るなら渡辺先発が良かったはず。 >>359
広岡さんは後で
あの5戦、ナベ使わなかったのは調子が落ちてたと明言してたんだがな 88のシリーズのNHKの後解説の時も
85の5戦は駒がおらんかったと言ってたからな
広岡監督の頭の中にはナベ久は信用できなかった 広岡は渡辺をルーキーから一軍先発に使うくらい期待してこの年も先発と抑えに起用。
確かに終盤肘か肩を痛めてフォームがバラバラだったとはシリーズ後語ってた。
でも3戦投げさせてたから信用はあっただろ
小野よりは力もあると。
策が裏目に出て星野と同列に見られたくないから
当時広岡はそういう言い訳したかと。
要は阪神の読み間違いと指揮系統の不備
変化球投手の小野にあの掛布のカウントで直球棒球投げさせてしまった
その言い訳。
勝ちたいのが強かったらあの場面徹底して掛布を最後まで眠らせたはず。 >>363
しかしシーズン3割40本打ってる
しかもそれまで3度のHR王取ってる主砲だぞ
ずっと眠り続けさせられると思ってるのか? はい。
あの5戰も一打席以外打って無い。
ずっと眠ったままは充分可能性あった。 4戦目までの掛布
13打数3安打3四球
HR無いだけで全然ダメなわけではないんだよな
繋ぐ四番としては十分機能している
むしろあかんのは後ろの岡田や佐野の方だったわけでな
佐野から長崎に変えたのはよっさんの英断
つか11-0じゃ誰でも変えるわw 広岡は高橋直に阪急足立を重ねて託したのかもしれない。
初めてのシリーズで敗れた方のチームの戦法を敢えて取ったのか?
因果応報で自分に降り掛かってきたのか?
あの時の阪急も山口がいなく負けた。
76年の足立は上田監督が皆を集めて憂さを晴らさせ翌日に臨んだ。
それがあの時の足立。
西武にその一体感がなかった。 6戦の初回2死からバース掛布が出て岡田の所
それまでチャンスに凡打ばっかり打ってた岡田が初めてチームバッティングしてきた
その執念が次の長崎の満塁HRにつながったと言える 6戦9回掛布の打席
ナベ久が二塁ベースでなくショートの定位置に牽制球でボーク
大試合でこんな凡ミスするような投手が阪神打線抑えられるわけがありません 6戰岡田の打球は高橋がグラブ出さなきゃ
2塁ゴロで終わってた。
高橋直のミス
最終回の渡辺ボークも気持ちが入ってなかったから。テンパってたからまぁ未熟を露呈してしまったかと。経験積ませる為に敢えて広岡があの場面に送ったと解釈。
で良いのでは?
掛布岡田もこれだけファンが良い解釈して温かく応援してる。
西武側もそういう観点で。 >>369
俺が野球覚えた82年に図書館で読んだ本では
二塁ベースにセカンドが入ってる時に定位置のショートに牽制してもボークにならないって書いてあった
たぶんその数年の間にルール改正されたんだろう
まあ5点差だし二死二塁が二死三塁になっても大勢に影響しないがw >>371
審判が牽制球と認めなければそれはボークなんですよ
だから真弓が一度審判にアピールしたでしょ
それを審判が認めたからあれはボークなんですよ
そもそもタッチできる範囲に投げてなかったしね >319
阪神も、センターの壁にぶつかって頭蓋骨陥没骨折した佐野とか、巨人戦で中膝を痛めた掛布らが万全ではなかった。
おあいこ、とも言えるのでは? 渡辺の当時の精神状態がテンパっていたという事の証拠ですね。
落ち着かないから一旦プレートから外したけど投げる動作っぽいからいきなり
身体回して二塁にボール投げた。
辻も鳩が豆鉄砲を食ったような顔してたし。
逆に真弓は審判にアピールするくらい余裕があった。
それがあのゲームの両チームの精神の象徴的な場面。
普通でない状態で高めの棒球を掛布が捕らえて日本一の2ランに。
86年のシリーズ金石と同じケース。 それまでずっと努力してきて4番の座を勝ち取り
ミスタータイガースの称号に恥じない実績を積み重ねてきた掛布に
最後野球の神様が報いてくれた。
そんな感じのあの9回のホームランだった。
あまりにも阪神ファンから見たら出来過ぎた
カッコ良すぎる日本一を決めた本塁打。
85年が語り継がれるわけだな。
流してみれば
池田、ゲイル、福間、中西が好投
バースが流れを作り打ちまくり、真弓も好調、長崎が王手と日本一を引き寄せ
最後に掛布が目覚め最後の二戦打ちまくり。とどめの1発。
役者がほぼ活躍と見えるな。 この年の阪神のバックスクリーン3連発と、89年近鉄のブライアントの4打数連続本塁打って
優勝の象徴として全くの同じものに語られるけど、似て非なるところはあるのかな。 全く違う。
ブライアントはあの4連発で西武の優勝打ち砕きチームに栄冠を直接引き寄せた。
リアルタイムに起きた出来事。
バックスクリーン3連発は優勝した後のマスコミの後付けエピソードとストーリー。
いつの間にか刷り込まれた。
現実か創作されたものかの違い ブライアントは偶々。
石橋を叩いても渡らない森が敬遠指示しなかったか不思議。 >>379
郭の時は「押し出しでも良い」と指示したのにスコーンと打たれた
渡辺は「ブライアントは怖くない。リベラの方が嫌だ。」というほどブライアントをカモにしていたので勝負した 逆に西武側から見たらちょっとの隙、データの生かし方、経験の差が
積み重なっての敗戦。
経験の差はいかんともしがたいし石毛、秋山、郭のケガも仕方なかった。
でも細かいミスやデータでの攻略、選手への徹底、選手一体感の欠如などは
広岡に帰するものが大きいと思う。
要はその後にこの敗戦を敗戦として自分の血肉にしていったかどうか?
そういう捉え方にしたかどうかの差が両球団のその後になったと思う。 ブライアントに敬遠指示なら森は渡辺出さない。
あれは超越した打撃。
渡辺を責められない。
youtubeにその辺のドキュメント2つくらいあるはず。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています