通算100勝未満の名投手
山内和宏
南海ファンには「カズ」といえばこっちなんだよ ドラさん… 100勝未満の澤村賞投手
摂津 斉藤和己 井川 川崎 今中 石井丈 荘勝雄
ロッテ打線がまともで先発1本の起用だったら100勝してたと思う
実際落合のいた2年間は21勝15敗と勝ち越していた訳だし リリーフを除く100勝未満での第一級投手
川崎憲次郎
安田猛
藤井秀悟
前田健太
権藤博
野口茂樹
井川慶
藪恵壹
菊池雄星
斉藤和巳
宅和本司
ダルビッシュ
木田勇
金村暁
伊良部秀輝
野茂英雄
則本昂大
福士敬章とか。
>>585
MLB経験者は日米通算に…
>MLB経験者は日米通算に
それじゃバニスターも入れますか。 ああ、バニスターはメジャーだけで百以上勝ってるのか・・ 福士は無い。
>>585
には、小川健太郎と阿波野を追加する。 阿波野って、横浜時代はリリーフが主戦場じゃなかった? 阿波野は西武の「あの投げ方はボークだ」でフォームを崩したんだっけか 中山・大矢根・柿本・杉本などの中日勢と同様、その二人も一流ではないね。
柴田保光
井本隆
神部年男
あたりも該当。
逆に100勝してても一流に見えないのは
中田賢一
三沢淳
山下律夫
あたり。 阿波野は日本シリーズで既に潰れてた
肘は下がって球のキレは全くなかった
ボーク事件はその翌シーズン初めにたまたま重なっただけ
ダブルヘッダーでリーグ優勝決めた試合が阿波野最後の見せ場だった
しかし阿波野のデビュー戦を藤井寺で見た時こんなピッチャー打てる訳がないと思った
それまでのエース小野も速いと思ったが比べものにならなかった
当時球界でもトップクラスだったと思う
この時代の最もエースらしいエースだった
しかし野茂を見た時これまた、阿波野と比べ物にならなかった
ただエースとして背負ってるものは阿波野の方があったような気がする 今だからこそ思う
もし、阿波野が五体満足な身体で89年の日本シリーズを臨んでいたなら、
一体どうなっていただろうと 倉田誠
山口高志
渡辺智男
伊藤智仁
中村稔
宮田征典 阿波野と西崎がチームを変えて98年の日本シリーズで対決したのは興味深かった 阿波野と野茂の使い方はえぐかった
新人で20完投って 近鉄は特定の投手を酷使させすぎなんだよなぁ
鈴木啓示と柳田を散々酷使した後は石本を酷使、で阿波野、野茂、赤堀だろ >>605-606
今考えるとよく野茂は潰されなかったね
米田哲也レベルの頑強な肉体の持ち主なんだろうか
米田は「今の選手は投げ込みが足りない。」
「キャンプで300球投げたから、試合で150球投げられる。
おれはキャンプで計2500球から3000球は投げた。」と言っていた
どういう肩だw >>607
米田の時代と比較されてもなあ。
球種なんか3,4種類あれば抑えられた時代だし。下位打線には手を抜いて打たれないし。 >>609
村田兆治だって昭和40年代に肘壊してたらそのまま引退だっただろう。 小林誠ニ、鈴木平もエグかった
小林誠ニなんか3回くらいから登板して9回までなげて翌日また登板とか そんなこと言ったら権藤、権藤、雨、権藤とか言われそうだけれど 昔の2イニングは今の1イニング投げる労力と同じくらいと考えればいい >>614
逆じゃ無いの?今の方が打高投低で投手の負荷が高い。 ヤクルトのエース格は松岡、尾花以外はみんな勝ち星が少ないな
梶間、荒木、高野、伊東、ギャオス、西村 梶間健一は腰を故障しなければ100勝できたと思うけどな 80年代のエース
巨人 江川
広島 北別府
中日 小松
横浜 遠藤
ヤクルト 尾花
阪神 小林繁 今は優秀、昔バカみたいん風潮は良くないな
今良いことばかりじゃないんだし >>616
当時のヤクルトは、年間通して誰かしらシーズン絶望クラスの
ケガに見舞われていたイメージ スレタイを救援投手に当てはめるとどうなるんだろう
100S未満の名クローザーとか100H未満の名セットアッパーって誰がいるんだ 角の場合セーブポイントは余裕で100超えてるからなぁ。 >>94
湯上谷がレギュラー定着したのに鴻野取ろうとしたんだ。
森脇小川坂口中尾とビミョーな内野どんぐりーずだったな。
齊藤は87年は一軍では出ると打たれの大不振だったからな >>611
昔はロングリリーフ多かったな
同じ広島の川端なんかもそういう登板が多かったな 90年代前半は巨人3本柱 今中山本昌 伊藤智の印象が強いし
無事これ名馬だな 高橋里志は一発屋
広島時代の福士は巨人時代の加藤初みたいなんもんだ
あとはジョニーとか都裕次郎とか >>646
金石は金田兄弟の口利きのコネ入団だったが
そのわりには安くて良い買い物だったな 金石、白武は広島では谷間投手だったが
当時の阪神ならばエース格 当時のカープには3本柱(北別府・大野・川口)や長冨がいたからね >>649
当時は杉本足立川島紀藤といった、「投弱チームなら十分一軍戦力」といわれた二軍Pがゴロゴロいたな
紀藤以外は伸びなかったが 佐賀の三大ひろし
権藤博
新谷博
あとは……しょうがないので
源五郎丸洋 スレ違いだがNPBのみで200勝はもう出ないかもね
NPBで100勝前後でFAやポスティングでメジャー行く時代
年俸1000万ドル(約13億4000万円)の5〜6年契約狙えるしな >>642
もし、ケガが無ければ、どれぐらい勝っていたんだろう 佐藤道郎はリリーフの方が多かったかも知れないけど、防御率10傑の常連だったりタイトルも結構獲ってるから超一流でも良いのではと思う >>28
川崎今中と前田の格違い感が‥しかし前田はよく一位で行けたもんだ >>608
球種そんなに必要だったのか?球威さえあればショボ変化球一つでもやっていけた時代のような気も 先日亡くなられた元西武-日本ハムの柴田保光。
現役時代の柴田と言えば、その制球力の高さからくる失点の少なさ。
しかし日本ハム時代、点は取られないけど、味方も点を取ってくれない試合が多かったのをよく覚えている。
通算84勝97敗13セーブ、防御率3・49。負け越してるのに防御率は3.49!!!
当時は投手を評価するQS(クオリティスタート)という指標はなかったが、おそらく凄い数字を出していたんじゃないか。
記憶に残る素晴らしい大投手だった。ご冥福をお祈りします。 柴田も含めて、あの時代の日本ハムはちょっとした投手王国だったような気がする。 当時の東京ドームは12球団の本拠地では一番広くHRも出難く投手有利だと言われていた
だからハム打線も点が取れずに投手を見ゴロしにする事が多かった
何せクリーンナップにロートルの大島康徳が入る打線、ロッテと伍するリーグ最低の得点力だったしな
今の中日みたいなものだった 藪恵壹 通算84勝106敗 防3.58
PF考えると実質防御率は3.75くらいか
向こう行ってた05-09年、日本にいたらチームも強く20勝14敗
通算104勝120敗ってとこか。阪神以外ならどこでも112勝112敗以上は出来た 川崎(ヤクルト)と若田部(福岡ダイエー)は成績的にはほぼ同格だが
川崎は大投手の扱いを受ける(中日FA時日本中が大騒ぎ)こともあったが若田部はいっさい
なかった不思議。川崎は野村(横浜)よりも格上感あるな。