A西鉄が永久欠番にしていた稲尾、中西の背番号を強奪した西武が復活させて
つまらない選手につけた!

太平洋クラブとなった1973年に菊川昭二郎が6を着ける。
この時、中西氏の背番号を着けるなど畏れ多いと尻込みする菊川に対し
「もう新球団になったんだからいいじゃないか」と稲尾監督が説得したことを受けて
関東の西鉄原理主義・過激派が「ライオンズの歴史は西鉄で終わり」
「太平洋、クラウン、西武は偽ライオンズ」みたいな独善チラシをあちこちで書き殴ってたな。

古賀は1976年、阪神の前年ドラフト1位指名を蹴って貧乏球団の太平洋に入団。
189p(当時の表記)から、地元メディアが「ジャンボ古賀」と触れ回ったが定着しなかった。
76年のキャンプ時には前年までの青、赤がメインのユニフォームだったが、シーズンに入ると
例のアメフト式・前番号のピンク・ユニに。古賀の前番号24の写真はネットで検索しても見当たらない。
いずれ白黒写真だが、当時のスポーツ新聞の福岡ライオンズ24番ユニの古賀の姿は上げよう。