ドラフト1位だったけど一軍で活躍できるようになるまで時間がかかった選手
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ドラ1といえど即戦力というより将来性込みで獲得されるケースも多いと思いますが…
それでもモノになるまで時間がかかったなという選手は 第二期(89〜92)で斎藤を大エースにし
川相、緒方、村田がレギュラーになり、
石毛を抑えに定着させてるんだから
最悪ということはないだろう。
ドラフトが吉田(川崎のはずれ)→大森→元木→谷口(若田部のはずれ)
というのは別に藤田の責任じゃないし。
谷口は素材はよかったと思うんでケガが惜しいけど。 たしかに90年代前半の巨人は打線は貧打だし投手も三本柱はいいもののリリーフは不安定だった
近年の中日を見るとドラフトで失敗すると世代にぽっかり穴が開き弱くなる
当時の巨人は補強に頼らざるを得なかったと言った方が正しいか
ドラフトでも小久保とか本当に欲しかった選手は西武とダイエーに取られたとナベツネは言ってたな 結局巨人のドラフトの当たり年は松井まで待つことになったね
あれだけで、前後の不毛はだいぶカヴァーされるけど >>80
野茂はともかく
潮崎 佐々岡 佐々木 西村 葛西 酒井 与田 小宮山
誰指名してもあたりだもんな 20世紀末に井口、高橋由、福留と大物野手が立て続けに入団したけど井口、福留は期待通りの成績を残すまで時間がかかった 井口も低打率だけど2年目に規定到達して20本
福留も1年目から規定到達だからちょっと違うんじゃないの
そこまでいったらじゃあ松井は何年目に期待通りの成績になったのということになってしまう >>91
この年の巨人のドラフト失敗は痛かった。
セ他球団が、広島(後のエースと主軸打者)、中日(新人王)、ヤクルト(球史に
残る大捕手)、大洋(球史に残る大魔人)、阪神(渋い中継ぎ男と強打強肩の
人気者)と確実に戦力アップしたのに、巨人は件の大森に、毎年キャンプオープン戦
止まりの川邊(人的補償第1号だけが話題)、トレード後に開花された吉岡、
西の清原に対し東の…と並び称されたが、肘の故障で他球団が敬遠した佐久間、
コネ採用の鈴木…だもの >>84
佐々岡は家庭事情でカープ入りを熱望していたから、巨人が来ても拒否だろうな 歴史上巨人の1位指名を拒否した選手は小林秀一1人だけだった >>74
そうだったんだ、知らなかった
それがなかったら、複数球団入札とかあったのかな ヤ 高野○
ロ 川端×→比嘉
中 藤王
南 小野×→加藤伸
神 中西
近 小野○
洋 高野×→銚子
日 小野×→白井一
広 川端○
急 高野×→野中
巨 水野
西 高野×→渡辺久 一番人気は超大学級投手高野光
事実入団したヤクルトでは(弱投手陣とはいえ)新人にして開幕投手に抜擢される
高卒で即戦力でない右投手を取っても余裕があったのは現実通り巨人くらいかなあ
人気込みで南海、近鉄、ハムはあり得たかもしれないが、小野が左投手なのは大きい
南海なんかまともな左投手が一軍に一人もいなかったんじゃなかったっけ >>98
この年はまれにみる当たり年だったな。
結果論ではなくドラフト時点でも六大学の三冠王の小早川が2位指名に驚いたし
野中や藤王が期待通りにならなかったけど
下位の星野、山本昌で埋め合わせはできてる。 当時を知らないが一位銚子で2位小早川の意味がわからない
ショートとファーストだからか 小早川 .297 16本塁打 98試合
銚子 .305 4本塁打 49試合
大学時代の数字見てもやっぱり意味不明
大洋がアホだっただけか 1983年
2位指名 池山 ヤクルト 巨人 近鉄で競合 >>72
ドラ1じゃないが巨人以外なら寺を継ぐと言ってた藤岡も
後に日ハムに行ったが
仲田幸司も11球団に巨人以外お断りの手紙を出したが阪神に強行指名され
父に「これが人生だよ」と説得された >>100
このスレのお題とは逆だが1983年ドラフトの高卒は出てくるのが異様に早かった
ドラ1の小野、水野、加藤伸、渡辺久は3年目までに戦力になってた
2位以下だが佐々木、村上、池山、星野伸、仲田は同世代の大卒が入団してくる5年目までに規定クリア
というか1965世代自体が豊作世代
後にも大卒と社会人で武田、古田、与田、小宮山らが入団 小早川2位は上にもある様に一塁手がネックだったんだと思う
一塁は埋まっている球団が多いからね
当時の大洋の一塁はレオン・リーだからな >>37
公務員かよ笑
正反対の世界なんだからこんなの入れるなよ まあしかし、大森は坂本でだいぶもとが取れたんじゃないか
「大森+坂本」で考えれば野茂や佐々木、佐々岡とはいかずとも与田あたりとは
いい勝負じゃないか 80年代中期のプロ野球は投手が過渡期だった
特にパ・リーグ >>105
初の規定到達が6年目
初勝利が5年目のドラフト5位の山本昌が唯一200勝を達成してしまうんだから
全くわからんものだ >>84
そもそも守備も走塁も平均以下のファースト兼外野手(センターはできない)を
ドラフト1位指名するのはおかしい。
1位指名権をどぶに捨てるようなものだし、そんなことをする余裕があるほど
当時の戦力が充実していたとも思えない。 ダイエーの中内さんは貧困時代から野球少年で「いつかプロ野球を・・」という思いが
強かったのは良いのだが小久保の獲得に30億、井口には50億、YYには計40億も使ったらしく、それで肝心の
本業が倒産しては本末転倒もいいとこだった。 >>114
本体の負債額に比べたらほんのわずかな額でしかないし
本末転倒と言うほどでもないでしょ 2番サードで本塁打0で規定打席に到達した銚子をみてなんでこんなのレギュラーで使ってるんだと子供時代思ってた
貧相な体型でバット短く持っててたし >>108
慶大閥の巨人だからなあ
正反対の世界とは言えないのが現実 >>117
谷沢は本人の第一希望は巨人だったが中日の1位指名で笑顔だったって話だね
(セ・リーグだったからだろうけど)
巨人には王がいたから中日に行って正解だった
巨人に行っていたら淡口や山本巧児みたいになっていたかもしれん デニー友利が印象深い
子供の時に見た横浜時代の選手名鑑で
・ユイという女みたいな名前
・外国人みたいな髭面
・沖縄出身
・ドラフト1位なのに一軍未勝利
ととにかく印象に残った
西武に移籍してからやっと戦力になったけどドラ1とはいえよくあそこまで待ったものだ 銚子を固定した古葉
清水を固定した須藤
石井を固定した近藤
近藤が一番マトモだったな >>120
しかし同ポジションに王という勝負すらさせてもらえないような相手がいるの
に、どうして巨人を第1希望にしたかね?
王があと2,3年で衰えてそのあとは自分が…とか思っていたのかな? そりゃ単純だろ
当時なんて特に巨人とその他なんだから >>123
当時の巨人のライトならワンチャンあったからでは? >>72
原辰徳も早くから「巨人以外には行くつもりはない」と言っていた。
親父の原貢も「辰徳を巨人以外には入団させない」と宣言していた。 >>127
江川問題がまだ生々しかった時代だからそんな事明言してなかったよ。
内心そうだというのは誰でもわかってたけど、
そんなこと言えば批判にさらされるのは必至だから。
巨人か大洋がいいくらいのことは言ってた気がするが。 逆指名して酷い事になった選手
1位:荒川尭
2位:江川
3位:小池秀郎 大森ってたいしたことない商品を高く買わせるの上手そう。
通販の番組出たらどうかな? 巨人も大森が慶應じゃなかったらそんなに気を使ってないし1位でも指名してない >>25
ベイ時代に一度、支配下選手から練習生に落とされてるはず あの頃の慶応は志村 鈴木哲など1位評価なのにプロ入り蹴るのがいたからその影響もありそうだな
まあ上田程度が1位なんだから 慶応は1位じゃないと入れないとかありそうだけど 大森はドラフト直前、報知新聞記者から「今は西武とかヤクルトも人気あるのになんで、そんなに巨人にこだわるんだ?」と言われたらしい。 当時はヤクルトがアマ選手に人気だった
首都圏のチームで若い選手が多くノビノビやれそうな雰囲気が当時のアマ選手に人気だった >>110
あの年のドラフトは若い内野手が必要ということで、田中マースルーして堂上指名したから
大森がスカウトじゃなくても、堂上外した時点でその次に評価高かった坂本指名は変わらない
んじゃないの? 高橋由伸も本人はヤクルトに入りたかったようだが
最終的に巨人が逆転獲得した
ヤクルトの人は「うちは成田離婚されたようなもんだな」と言っていた >>37
これに関してはどこの球団でも正しいからな。扱いが後々まで響いてくる。 大森に1位指名を確約した当時のバカなフロントって誰だろうね? 定岡かな
あの球威でよく活躍できたよな
まぁ活躍期間は3年1/3だったけど なぜか広島キラーだったから貴重だったんよな 定岡
あの頃の広島は常に優勝争ってたから デーブ大久保は西武の時は森に干されてたけど8年目に巨人にトレードされてブレイク
一躍、時の人になった 定岡は1983年5月末から出る度に滅多打ちされる様になったけど何が原因なんだろうね 大森は「元巨人軍」で突っ込みどころ満載の言い訳ばかりで、
あの本に出てた中で唯一移籍先で活躍できなかったのも納得だわ。 近鉄に移籍しても巨人魂を忘れないようにします、とか言ったとか >>143
1984年の日本シリーズで佐藤義則がメタメタだったときに解説者が
「広島はこういう真っ向勝負の投手は得意なんですよ。
以前、定岡が広島キラーと言われてたでしょ。ああいう手元でタマが変化する投手が苦手なんです。」
と言ってたな。
定岡は方向性を間違えた向上心で球速を上げたところ手元の微妙な変化が失われたらしい。 >>112
プロ入り5年目で一軍初勝利から名球会入りしたのは山本昌のみか
200勝はおろかNPBの現役最年長記録複数保持者になるとは正にレジェンドだわ
余談だが中日では大島康徳が2000安打達成時に最年長&到達試合数
一軍デビュー3年目 八重樫が「今だから言える」みたいに言っていたが
ヤクルトはハンカチが大学一年の時に「一位指名します」と約束していたそうだ
四年の時は全然球が走ってなくてハンカチの評価はガタ落ちだったが
約束だったので指名せざるおえなかったと ヤクルトがハンカチ?
って思ったら、4球団競合だったのか
強豪だったことすら忘れてたw
まぁ外れて良かったってパターンよね そうなのか
荒木を外して斎藤取られた(?)
のを取り返した(?)みたいなパターンかw
ハムはハンカチ以外はドラフトで当てたものが、よく当たって主力になってるな でも日ハムはハンカチで注目を浴びれて、いまだにハンカチと言えば通じる。こんな知名度のある選手はいないかも知れない。 それだけでマスコミに取り上げられるのはハンカチだけ 東の愛甲猛
西の金義明
どっちも1位の期待にしては微妙な成績 >>153
大学進学直後に希望入団枠制度が廃止されてしまったが廃止されてなかったら
あの4球団の中からは在京志向やメジャー志向が強いからまずヤクルトを選んで逆指名してたろうな
在京セでポスティングでのメジャー挑戦も容認してくれるしおまけに六大学で投げ慣れた神宮がホーム 菅野はハムに入っていれば今頃のメジャーでバリバリ投げていて年俸も20億円だったのにね >>152
クジが外れたときは内心嬉しかっただろうね。 >>161
でも大洋が交渉権を得たとしたら、断固入団拒否したと思う 。 定岡
1980 9
1981 11
1982 15
1983 7(6月まで。20勝ペース)
ここで腰を痛め事実上終わり。 >>166
いや行ったでしょ
で大洋なら王の後釜の4番みたいにされないから、
自由にのびのびやれてトリプル3とか達成して2000本打てたかもしれん
本来中距離打者なのに巨人ではホームランを求められたから 巨人からダイエーにトレードされた本原も癖球で短期間通用したよね
トレードの翌年は前半戦8-2でオールスターにも選ばれたのに
癖球が慣れられたせいか後半戦は打ち込まれ7連敗で結局8-9でその後浮上する事は無かった
定岡の83年6月以降の凋落とよく似てるなと思ったものだ 藤田巨人は1,2軍の入れ替えのない奇妙なチームだったからな
二軍で左腕が2桁かっても盗塁王とっても一軍登録すらされない >>127
原はドラフト前から巨人か大洋志望と言ってたやろ
江川みたいな巨人一択思考じゃない 原は松井が登場するまでの間、東京D本拠地チームで唯一30HR打った日本人選手
東京Dが出来た当初はもう巨人やハムの選手がHR王取るのは無理とまで言われてたからね 戎って入団当時は豪腕という触れ込みだったのに
一軍定着した時には担ぎ投げでシュートシンカーを多投する今井雄太郎みたいな技巧派になっていたね 原貢は広島でもよいと考えてたらしいが
教え子が広島のスカウトやってたから
結局希望した巨人 広島 大洋 +日本ハムの4球団が 原自身は「(もし他球団に引き当てられたら)いろいろ考えたろうが、
結局は入団していたかも知れない」と1年目のオフにインタビューで言ってた。
もっとも親父の意向がどうなっていたか分からないが 巨人じゃなくてもヤクルト、大洋あたりなら入るってアマの選手は多かったね
東京近郊のセの球団ってのは大きかった
岡田は第一希望は阪神だけど関西の球団ならどこでも入ったし
東京でも巨人、西武なら入団したと言っていた ヤクルト黄金時代は在京セ・リーグならいいやのそのなんとなく入ってくれた大物選手によってもたらされたものだからな
大洋はその恩恵さえ活かせず間抜けなドラフトを繰り返したが >>182
ヤクルトには名スカウトの片岡さんがいたのは大きかったね ロッテもスカウト陣自体は優秀だったが如何せんハード面でハンディキャップを抱えすぎていた >>172
福岡ダイエーで活躍してた本原を「これが本原か」と思われるのは本人に気の毒。
本来の本原の高校時代の速球を全国の人々に見せたかったわ。
福岡ダイエー時の本原なんて高校時代より20キロは球速落ちてた。 本原と金本が広陵で1個違いってのも信じられないほど活躍時期がずれている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています