球速は速かったが成績は微妙だった投手
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そういう投手は過去いくらでもいたと思うけど
特に印象に残ってる速いだけの残念投手は? 山口
ストレートしか投げられなかったんじゃないの? >>141
先発時の伊藤智より速いと思うよ。
川崎は94年までは最速で150近く出た。 球が重い感じがして伊藤智と真逆 球速が速い上に球質自体もズドンと重い感じでそんな球威のあるストレートを持ちながらも伸び悩んだ投手もいるんだろうな 92年はセの先発で中込の球威が
一番と評されていた。 >>111
親、日本国籍じゃないと国体出れない時代に国体出てなかったっけ? >>144
高いレベルで、スレタイの選手を答えるなら槙原
ストレートに加えてスライダーも一級品で、
毎年軽く15勝しそうな気がするのだが 目が悪いせいでピッチャーからサイン出しててそれがバレバレだったことを考えればむしろあれだけよく勝てたなと コンタクト使っても矯正しきれないほど悪かったんだって
しかもレーシックに失敗したエピソードも 槙原か、少し前の年代でスパイ問題無かったらイヤホンレシーバーと隠語でサイン交換出来たかな。
パチンコの裏技で聞く体感器ならもっとステルスに行けるか 西武にいた前田はなんか阿呆だったな。
ガンばっかみてるし投球練習でも抜け球じゃなく
なぜかワンバンばっかw 【ロサンゼルス共同】米大リーグ、エンゼルスは3日、前日の登板後に右腕に違和感を訴えた大谷翔平が右肘付近の屈筋回内筋痛と診断されたと発表した。一般的に投球練習再開まで4?6週間かかり、今季中の投手復帰は厳しい見通しとなった
2020/8/4 09:25 (JST)8/4 09:37 (JST)updated 共同通信
https://this.kiji.is/663176472812815457 既出だがロッテ時代の伊良部
158キロ出した93年も良いけど
8勝(18位タイ)3.01(6位))160奪三振(4位)
と球速ほど別格ではない 速いのにボコボコ打たれるという意味で衝撃的だったのは西山 宮下昌己だな
数値だけ速くてもタイミングをあわせやすいと打たれるのね 鵜沢達雄(大洋)
好調時は成東高の2年後輩・鈴木孝政に匹敵する速球を投げていたが、このスレに挙げられた投手同様に制球難を克服できなかったな。 戸郷と広島山根のフォーム似てる
広島佐伯って150キロ近く出てて他とか聞いたけど嘘だったのか >>168
高校時代で比べると佐伯≒有原かな
佐伯は立ち上がりがイマイチのことが多く「大きな船はエンジンがかかるまでに時間がかかりますね」
とよく解説されていた
ただ、150Km/h近くは出てなかったと思う。せいぜい140Km/hそこそこだったのでは 日ハム木田も全然速くなかった
142,3kmくらい 元中日でサウスポーの竹田
同チームでリリーフエースの鈴木孝政より
速いと言われてたけど、敗戦処理 竹田は変化球がしょぼい上にストライクがなかなか取れない。 中日の金井という投手が、当時ナゴヤ球場に新設されたスピードガン表示で150キロ台を連発して驚かせた。
敗戦処理での登板だったが、この後勝ちパターンでの救援に起用されたがメッタ打ちを食らって再び敗戦処理に。
150キロ出せる好調時がシーズンで数回しかない投手だったんだろうね。 監督が中さんで、ダントツの最下位に終わった年によく金井は投げていたな。
パームの藤沢が開幕投手務めるも1勝15敗に終わった年。 ハムの田中幸雄は長身から豪快なフォームで150超の速球投げてたのに
唯一の完封(ノーノー)を除いて結構打ち込まれたけど何が悪かったんや? 据え置きプロスピ2020のTSスカウトで福浦、今岡、永川が登場
ひょっとしてこいつらが明日登場するのか >>180
社会人時代とプロ1年目は速球投手だよ。
プロ1年目は140後半をバンバン出してた。
三振奪取率も1年目だけはよかった、
連続イニング三振の当時の記録も作ったはず。
江夏とタイ記録だったかな >>172
木田勇はそこまで出ていないような。
実際はもっと遅く見える。 >>186
オールスターではそれぐらい出てたよ
オールスターはいつもより速球速くなるのがあの当時のデフォルト
南海の西川だってオールスターでは140キロ台出てた 太平洋の浜浦
いつもグラサン姿でヤッチャンみたいだったけど
球はムチャクチャ速かったな 伊藤っておっさん臭い顔してて
球は結構速かったのが不思議 石井丈裕はだれ
正力松太郎賞を受賞しているが、どんな野球選手の人物なんだ
普通、正力松太郎賞を授与される野球選手・球団監督は功績を遺した大人物に送られる日本球界最高の名誉である。
ソフトバンクの工藤監督、王貞治会長、イチロー、巨人の原辰徳監督ならば理解可能であるが、
巨人であれほど大活躍した松井秀喜でさえ1回しか正力松太郎賞を授与されていないのに、
西武黄金期に居ただけで正力松太郎賞を受賞した石井丈裕は、どうして授与されたのであろうか。
まあ、野茂に国民栄誉賞と言うが、トラブルが再び出てきた以上、松井秀喜で正解だった。
メジャーリーグに行った開拓者として、野茂英雄は評価は高いが、金銭関係と人間関係を野茂自身が正さないと、
野茂英雄本人は悪くなくても、被害者としてトラブル発生でマスコミを賑わしてしまう。
トラブル被害者としての野茂英雄の立場が続けば、メジャーリーグの開拓者としての評価も下がることになりかねない。 伊良部は当時最高球速156kmの球投げた
瞬間、清原に簡単に弾き返されて二塁打
にされた記憶がある
清原が凄いと言えばそれまでだが
結局のところ伊良部はこれが全てを
物語ってるんだと思う そりゃ投げると分かってて打ってるんだから当たり前だろw
ガチンコでやった時はイチローだって打てなかった投手だろうが伊良部は 今の基準でいうと質の悪い剛速球だったのかも。
あと投球メカニズムに拘り過ぎ。
その割に体型とか崩れまくってたし、変な人だった。 質悪とは思わないけど球威がやや足りなかったかも
ヤンキース時代でもクレメンスと比べると速球の伸びは一段下だったな 巨人にいた木田も150キロ連発してたけど、
微妙という表現になるなぁ
いわゆる「伸びる」と表現されるタイプの
投手の方が成績は残す印象ある >>73
> >>29
接待ゴルフでケガしたんだよ
接待ゴルフしなければ、阪急が楽勝
ヤクルトの日本一は無かった
山口高志が居なくてフルセットだよ
もし居たら阪急が楽勝 >>129
も挙げてるが、
鈴木孝政はセ・リーグで一番速かった 村田のが遅いよ
心臓が左に有るから左のが平均的に遅いよ
昭和50年度
パ・リーグ
山口>>鈴木(セ)>>>兆治、三井は成績伴わないからサンプルが少ない>>鈴木啓示(左)
セ・リーグ
鈴木孝政>>新浦(左)>松岡>
>>160
同様尾崎行雄、山口高志は奪三振率奪三振数が意外と低い
特に尾崎行雄は全盛期も奪三振率が低い
>>160未完の大器と呼ばれ村田兆治の次のエースと期待されてた
注目度話題は高かった >>176
スピードガンが導入される5年前昭和49年度の長島引退試合に登板してる
映像がG+に残ってる
つまり金井は五歳若い筈
5歳若いときの映像みたら、150も出てないよ
同じ試合に登板した中日左の藤沢の方が速かった→藤沢の方が鈴木孝政より更に速いことになる
1979年度の金井は小松よりも速いことになる
これらをまとめると
中日左の藤沢>>金井150連発>>小松は150は時々出してた孝政
よくわからんが勘違いじゃないの…
>>176
> 中日の金井という投手が当時ナゴヤ球場に新設されたスピードガン表示で150キロ台を連発して驚かせた。
> 敗戦処理での登板だったが、この後勝ちパターンでの救援に起用されたがメッタ打ちを食らって再び敗戦処理に。
> 150キロ出せる好調時がシーズンで数回しかない投手だったんだろうね。 仲田幸司が入団した頃は速かった。
速いのは大抵抜け球だったが。
92年確変した時は140q前後だったが
制球も思い切りもコンビネーションもよかった。
92年の阪神は湯舟中込もMAX144qくらい出てたが
すぐにパフォーマンスが低下していった。 ここまで福原忍なし。
入った頃は暗黒終盤で本人の完成度も低かった。
優勝の03年は故障、よく打った04.05年も不思議とがなかった。
誰もが納得の成績は06年くらい。翌年大コケしたし…
その後巻き返し息長くやってくれた。 ガンの数値は普通だけど
明確に球筋違ったのは井川・藤川よなあ。 こういうタイプは頭が悪いだとか工夫がないとかよく言われるけど難しいよね、才能あるって言っても結構な人数がやってる中でのトップ層だから些細な事で落ちて戻れなくなったりが多いんだろう 成績上も起用法も明確に敗戦処理投手だったけど阪神時代の松田遼馬 >>217
湯船ってまともなチームにいたら毎年20近く勝手そうな気がする そ、そうかなぁ・・・
毎年10勝10敗みたいなイメージなんだけど、
ただし結構長持ちしてヤクルトの石川みたいな存在になってそう >>48
スワローズにいたデラクルーズも同じようなタイプ >>138
雄平は最初の二年くらいは戸田で走り込みとフォーム固めを徹底させるべきだったね。
ま、昔から人寄せパンダ大好きのフロントがいるチームだったのが >>123
東大卒でそういう投手いましたが
ベイスターズ→ファイターズ >>176
https://www.youtube.com/watch?v=aQNYedpAi68
今の岸がだいたい130キロ台から140キロ台前半のストレートで抑えてるけど
これみる限り、初期のガンでも名古屋あたりは今のトラックマン?と変わらないんじゃない 広岡達朗が最速投手に挙げた大石清
小川史が最速投手に挙げた三宅宗源
和田豊が最速投手に挙げた小林幹英 >>142
山口高志は
新幹線カーブ(縦に落ちる)
シュート、
フォークも投げていた
しかし真上から叩きつけるからカーブは曲がらなかった
日本の場合は球速と成績にはメジャーリーグ程相関関係は浅い
もしそうなら、尾崎行雄、山口高志伊良部山口和男小松郭泰源は300勝してる筈だ
鈴木孝政、新浦、高橋一三松岡、江夏等も250勝してる筈だ
山口高志、伊良部、鈴木孝政、小松など極端に速いと、若い最盛期は救援に酷使されて短命に終わる
最速期を過ぎ→スピードがやや落ちてきて、テクニック、コントロールと安定感が増す→勝てるようになる
速いと奪三振率が高くなるから、結局締めくくりで使いたくなるよな…
監督としては…
山田と山口どちらかを、締めくくりにしなければなら山口1択でしょ… 楽天モリーヨ
大震災を理由に退団したがあのまま残っても大した成績は残せなかっただろうな 山口高志は柔道の一本背負いと同じ
アーム投げでは無い
酷使されたが肩や肘は大きな故障はしていない
あの投法は理にかなっている 1990年にオリックスの二軍の試合見てたら高橋功一(能代高)の快速球に驚いた。目測148キロ。
が数年後、一軍に出て活躍してる高橋を見たら一軍で勝てるようにはなってたが別人のように
球が遅くなってた。肩を痛めたようだ。同様な投手に本原(広陵高〜巨人軍〜ダイエー)宮出(宇和島東高〜ヤクルト) >>236
理にかなってないよ。
身長が低いから大きなステップで投げると角度がつかない、
角度をつけるために踏み出した左足を曲げず、
ほとんど棒立ちのまま投げ下ろしてたから、
足腰の負担が大きかった。
案の定4年目のシリーズ前に腰痛で実質終了。 初代ファミスタではフーズフーズの「しばた」が146km/h投げるらしいが
その頃の柴田保光って130km/h台がせいぜいじゃなかったっけ
若い頃は速かったみたいだけど、フォームを変えて成績が向上したのと引き替えに球は遅くなったらしいね 柴田はハムでサイドスローにしてからは138km前後くらいだったな
その代わりコントロールが劇的に向上したんだよ
西武時代の同僚で元ハムのエースだった高橋直樹みたいな感じになった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています