横浜ベイスターズ 森祇晶監督はなぜ大失敗したのか
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初年度3位だったし戦力も揃っていた
なぜあんなことになったの? 単に木庭スカウト時代の選手が優れていただけでそれらの選手が抜けて本来の姿に戻っただけだから 西武みたいに戦力が揃ってなかったのに森が西武時代の同じような野球をした
黒江、森繁、辻のコーチ起用、2番のバントなど バントするのを逆手にとって
エンドラン多用してた気がする 古葉が連れてきた一派が優秀すぎた
佐々木を腰痛理由でプロ拒否させた上で獲得
広島と相思相愛の谷繁にあいつは頭悪すぎと怪情報流して単独で獲得
東洋大進学予定の野村を3位で獲得
プロ拒否東洋大進学予定の石井琢朗をドラフト外で獲得
こういう裏ワザで集めてた有能な選手で勝ってただけ
このノウハウは古葉派閥一掃ですぐに消えて元に戻ってろくな選手を取れなくなった >>9
87年
PL学園・野村弘樹投手(3位)
高岡商・進藤達哉内野手(ドラ外)
88年
江の川・谷繁元信捕手(1位)
足利工・石井琢朗内野手(ドラ外)
89年
東北福祉大・佐々木主浩投手(1位)
凄い当たり率 田辺学なんかもプロ入り拒否していたのに
大洋が最後の最後に指名して
1年遅れでシラーっと入団していたもんな
まあ、前評判のわりにはクソPだったけどw 選手とのコミュニケーションが取れてないとかで
叩かれまくってなかった? そもそも権藤のやり方が間違ってたんじゃないの?
森と谷繁は森と言うよりも谷繁の性格の方が問題 西武時代は根本が取ってきて、広岡が育てた選手の力が大きかった >>13
谷繁は現役時代の監督で合わなかったのは森だけ
ヤクルトコーチ時代からミーティングで選手を名指しで批判しいつも「広岡監督はこう言ってだが」と言い、伊勢が広岡が監督辞めるとき聞いたら「私が選手に対して言うときは直接言う」と >>15
最低だと言っていた近藤とは合っていたのかね? 森繁と二回喧嘩してるのもスゴい
考えてみたら中日が中村を出さないと言えば実現しない移籍になり、落合が来ないで二回目の邂逅は無かったことになるわけか >>13
森は伊東勤にも嫌われてる
谷繁は大矢権藤と寵愛され一流捕手と呼ばれたところに、森が一から鍛え直す、と毎日しごかれ険悪になった >>19
落合(監督選手としては最高)、あと山田久志
捕手は監督に嫌われたらすぐ干されるポジションだから、最多出場の谷繁はそれなりの関係は築いてる ローズって過大評価されがちだけど、「4番」としてはいかにも物足りなくなかった?
1999年こそ驚異的成績だったが、他の年は20本塁打前後。
二塁手としては守備範囲もあまり広くなかったが、何が良かったんだ? 2001年は勝ち越してAクラスだから決して悪くなかった
本塁打こそ3桁に届かなかったけど、打率が.267もあった
防御率も3.749で十分健闘してる
チーム力は十分安定してた
2002年に暗黒化したのは、谷繁離脱と金城が嘘のように打てなくなったことだった 古葉・森・野村・落合・原は共通してる。 就任当時に前政権が育てた大砲がいて
それに守備的野手と投手強化して優勝。 野手たちが衰えて焼野原にしてチームを去る
古葉大洋 森横浜 野村阪神楽天と大砲いないチームの監督になったら全然ダメ
育成ができない。
もしかしたら筒香そだった15年あたりに森監督してたら勝てたかも >>23
野村阪神は大砲(新庄)育成したら覚醒してアメリカ行っちゃった
楽天では使い物にならないと思われてた古い大砲(山崎)を使える様に整備し直したぞ >>22
森は一年だけの話だからいいけど
暗黒化は山下がまだ選手が残っていた時点で立て直せなかったことと
TBSのやる気なさというか間違ったやる気がずっと尾を引いたことだな
森に全責任負わせてるよりもその次の体制がその後の10年を決めた決定打じゃないの?
2003年とか谷繁はいないかも知れんが90敗もするチームの戦力ではなかった
せむて牛島が後3年やってればなぁ
あれも辞める理由がTBSの消極的な態度に嫌気がさしたんだろ? とんねるずなんか入閣させてる場合かと
しかも巨人ファン なぜこのチームは6チームしかないリーグで
こんなにも優勝できないんだろうね
1回目は事故のようなもんだし
その後38年間も優勝できず
さらにその後21年間も優勝できてない
森云々よりももっと根本的な問題だろ
あまりにも安易な他球団の優勝監督持ってれば良いという低レベルな監督選び含めて
近藤昭仁は否定されがちな権藤がおいしいところ全部持っていった形になってるのもね 戦後の清新な新しいチームというわりに利権やお家騒動に関しては古参の巨中阪並みに酷い >>21
得点圏打率(カッコ内はその年のシーズン打率)
'93 .372 (.325)
'94 .323 (.296)
'95 .339 (.315)
'96 .367 (.304)
'97 .349 (.328)
'98 .337 (.325)
'99 .394 (.369)
'00 .354 (.332)
とにかくチャンスで打ってて、回せばなんとかしてくれる・駄目なら仕方ないと思わせる打者だった
二塁手というのも大きいかもしれん 落合(監督)と谷繁も最初は仲良くなかったよ
配球が気に入らなくて落合が捕手を替えようとしたのを
森繁がなんとか留めた 野村監督のときの阪神もそうだけど、低迷しているチームと言うのは弱いくせに選手個々のプライドが高いんだよな。
困ったことにプライドが高いから新しく就任した外様監督の指示なんて本気で言う事聞かないのよ。 >>32
別にヤクルトの選手のプライドが低かったとは言わないけど
野村監督就任時のスワローズは若くて素直な選手が多くて幸いだったな。
ベテランも尾花、八重樫、角、杉浦と言った、弱いくせにプライドだけは高い
と言うタイプの選手はいなかった事もよかった。 >>33
ヤクルトは適度にノムさんの文句を流せる選手も多かったね
森横山とは野村阪神は選手たちが真に受けて逆ギレしてしまうという
悪循環になった。阪神に至ってはメイブロワーズ大豊が舌禍事件起こしてたし 低迷しているチームの中には弱いくせに選手個々のプライドが高いチームがある。
と言った方が正確かな。 ヤクルトと言うチームは伝統的に弱くても素直な選手が揃ってるんだろうね。
癖のある広岡のときにも日本一になってるし、チームとしては外様でも監督として能力のある人には大筋では素直に従うという。 >>18
伊東は「森さんの愛弟子と言われるのは嫌でした」と
>>22
2001年だけ勝利数で順位3位だが、勝率は4位
>>25
その一年が酷かった、貧打、守備崩壊、投壊で独走の最下位 ・斎藤隆のリリーフ転向
・金城の外野コンバート
・トレードで種田を獲得、二遊間をかためる
・谷繁の後釜に相川を育てる
・なんとか多村を育てようとした。本人が故障していると言っても
強制的に出場させたこともあった。
失敗と言われながらも、名将だと言われるだけあって
光るものが所々にあったのも事実
最終形は、牛島がやったときみたいなチームにしたかったのではなかろうか 森祇晶監督の野球は意外に正攻法なんだよね
マシンガン打線の野球は邪道と言うと言葉が悪いけど
突然変異みたいな野球だった
野球でヒットが続けて何本も出るなんてそうそうあるケースじゃないんでね
あの時はたまたま上手くいった野球であって、ずっとは続けられない 2001年谷繁元信
.262 20本 70打点 4盗塁 出塁率.367 ops.815
盗塁阻止率.543 守備率.997 捕逸3
チーム本塁打王の正捕手が抜ければ、弱くなるわ 2002年中村武志
.201 5本 19打点 0盗塁 出塁率.243 ops.526
盗塁阻止率.256 守備率.993 捕逸5 まあ、しかし
よく中日は善意で中村を譲渡してくれたな 山下は不協和音を収束させるのが精いっぱいという感じだったな。 森が谷繁のリードを気に入らなかったんだよな
森の不満や愚痴を人づてに聞いた谷繁は嫌気がさして横浜を出ていった
谷繁がずっといたらどうだったか 谷繁が後述しているところによれば
森監督は、本当は相川を使いたくて、自分を追い出そうとしているのではないかと感じた
と言っているけどな >>41
次の年に弱くのるのは仕方ないにしても
ずっと弱いままなのはなぜ? 谷繁は確かにいなくなったけど
相川や中村武がいたんだから
大幅な戦力ダウンにはならなかったはず
守備にしても打撃にしても >>39
金城を潰した森
名将というか戦力がないと勝てない人 打線は何と言ってもローズの抜けた穴が大きすぎ
投手だと大魔神の穴は意外と斎藤隆が埋めてる
1年目はバワーズと谷口がひどい
2年目は福盛と斎藤隆以外のリリーフ崩壊、先発が無援護で負けすぎ
2001年(セ平防3.78)、2002年(セ平防3.58)
https://imgur.com/Ts5nOcC.jpg
https://imgur.com/kZkB08q.jpg エースに三浦を指名したのも森だし
進む方向性としては間違っていなかったよ 佐々木は移籍したの1999年オフで、森が投手コーチで森繁和呼んだら投壊した 権藤博監督時代
1998年(優勝)防御率3.49(2位)打率.277(1位)本塁打100本(同数3位)
1999年(3位)防御率4.44(5位)打率.294(1位)本塁打140本(4位)
2000年(3位)防御率3.92(4位)打率.277(1位)本塁打103本(6位)
森祇晶監督時代
2001年(3位)防御率3.747(3位)打率.267(4位)本塁打94本(5位)
2002年(6位)防御率4.09(5位)打率.240(6位)本塁打97本(6位)
こうして見ると、ベイスターズはやっぱり打つチームですな
優勝したシーズン以外は防御率はそう良くはない
本塁打は100本前後で安定してるが、問題は打率の極端な低下だった 権藤時代のバントでアウトを献上しないやり方は時代の先を行ってたな
当時は統計とか全然知らなかったからあまり好きじゃなかったけど 結局権藤の野球は長続きしないよな
権藤自身もこりゃダメだと3年で契約更新しないとクビだし
どこからもオファーがないわけだし >>54
あと辻も引っ張ってきて
大洋時代から定評のあった
内野守備も崩壊させましたw
辻は西武監督で優勝したが
前政権からの戦力とドラフトで源田ら当たりに恵まれてるだけな感
弱小チームではヤクルト宮本の二の舞になりそうw >>56
巨人も98年清水2番においてそれやった。 横浜は知らんが巨人は投手力当時3本柱
が全盛過ぎたからそれやった全盛期の時は川相2番でバントした
権藤は高め速球信者だねWBCのアメリカ戦で菅野が好投したが実は速球が高めに
浮いたらしい。 それに対し権藤は高目だから抑えてるそのまま続けろと指示した
低めの速球なら外人だと逆に餌食になるといってる 権藤は新しい物好きなのかな。 ツーナッシングから外す阿部と小林のリードを
ぼろくそいう >>60
でもツーナッシングからギリギリのストライクだとボールを取られるがちだよね。
試合のスピードアップって、こういう悪習を改善すべきだよね。
申告敬遠とかワンポイント廃止とかじゃなくて。 ノムさんは
「マシンガン打線は打ち出したら止めようがない。データ云々が全然通用しない」
とよくボヤいてた 石井と波留は勝手にサイン出してエンドランしてたらしい
つまりコーチのサインだけ監視してても分からなかったってことになる なるほどねー
野村お得意のスパイ野球には天敵だなw 西武森は良くも悪くも編成にあんま力入れなくて良かった
堤西武王国とか根本とかが凄すぎたから
ある意味メジャーみたいな分業制の現場監督だった ドラフト後のインタビューで森がブチ切れてたことがあったな >>57
権藤は、自分の経験もあって
仰木監督に対して阿波野を使いつぶすな!!
ってケンカしたぐらいだから、監督としての結果より
選手のことが大事な人だったんでしょ。
悪い言い方だが、そんな人じゃ優勝はできないよね。
仰木さんや、星野仙一みたいなオノレの結果のためには
選手も使いつぶす!って人じゃないと優勝はできないでしょ。
よっぽど選手層が厚いチームじゃないかぎり 優勝したからもういいやってチームの方が多くて連覇にこだわるチームは少ないんだよね ・優勝する事によって選手が増長・怠惰する
・親会社が会社のアピールを果たしたと満足してしまう
・親会社が優勝しても旨味が無いと気が付く
大体こんな感じか。 結果論だが森の野球はあの後どこでやってもダメだったろうね
あくまで今から見ての話しだが あの頃なら地上波で中継してたから巨人戦に勝てばいいやぐらいだったはず 前任監督を腐すタイプの人はどこの組織でも失敗するな
阪神星野仙一なんかはしっかりノムを持ち上げるスピーチをしてたし 当時の横浜には
監督はどんなに結果を残しても、3年で自動退任
という不可解な原則があった tbs派閥
大洋派閥
フジサンケイ派閥で揉めてたからな
ちょっとでもほころび出るとすぐに足元をすくわれた
フジサンケイが大矢権藤
tbsが近藤昭仁山下
で大洋が大堀がか突き出した森 谷繁がいた2001年までは、
暗黒阪神に勝ち越して帳尻で3位を確保出来ただけ
ベイスターズは元々そんなに地力のあるチームじゃなかった
優勝翌年から防御率が良くないから、暗黒化するのは時間の問題だった
打率が.260を切った途端に阪神にも勝てなくなって一気に来たという感じだね 98年ころ盛んに横浜黄金時代はとうぶん続くとメディアで盛んに言われててたが二軍のメンツのヒドさとドラフトの外れ続きで俺は否定的だった
ここまで落ちるとは思わなかったが 就任中に、オーナーが変わって
新オーナーがいきなり「森監督の野球は暗い」だもんな
そりゃ、やってられんよ 98年の後数年内にもう一回くらい優勝してほしかったが金が続かんかったかな 西武黄金時代は堤+根本+広岡+森の合作なんだよな
おそらく一人でも欠けると成立しなかった 本当は状況ごと分けないといけないけど無理なんで単純なバントの数
選手の能力にもよるけど権藤は圧倒的に少ない
・バント数/リーグ全体
・リーグ内占有率
・バント数のリーグ内順位
の順
大矢
96年 133/644 20.7% 1位 130試合
97年 132/641 20.6% 1位 135試合
権藤
98年 _68/615 11.1% 6位 136試合
99年 _57/623 _9.1% 6位 135試合
00年 _61/620 _9.8% 6位 136試合
森
01年 151/811 18.6% 2位 140試合
02年 110/684 16.1% 5位 140試合 180度方針の変わった首脳陣、主力のトレード、TBS譲渡は選手に凄く不安与えただろうな >>76
なんか野村がいなくなったあとの南海みたい… >>73
TBSの経営になってから砂原幸雄オーナーと会談した際、
権藤を批判した事に砂原が激怒したという話が週刊誌(何だったかは忘れたが)に出ていたな。 >>73
仰木も土井に投手を育ててくれたと賛辞を送っていた 当のノムさんも阪神監督に就任した時は前任者に敬意を払ったとは
とても言い難かった
結果3年連続最下位で暗黒指揮官の難しさをひしと感じたことだろう >>87
内川とか吉村とか多村とか若手は育ってたけどな
キャッチャーだって中村武がいるし
それこそ相川や鶴岡なんかいたわけ
ピッチャーもクアトロ4とか先発もそこまでひどい訳ではなかった >>89
いろいろ時代がむちゃくちゃで森時代じゃない話が混じってる 広岡・森の御両人は能力あったのに運がなかったね。
この2人に80年代の巨人を任せればよかった。
藤田監督はまだ良かったにしても王時代は明らかに時間のムダだった。
2人ともヤクルトで能力を見せたのに本家に呼ばれず西武で結果出したものの
そのあとの行き場が見つけづらくてロッテや横浜になってしまって球界の損になった。 とにかく暗かったな
暗くても変に切れたりはしなかったけど
あとここで皆言っている通り権藤野球を否定しすぎていた
JスポのCMですらバカにされるほどバント厨だったし
バントの多かった大矢と違って主軸にもバントさせていたからな
1年目で開幕数試合後の試合(大阪ドームでの阪神戦)で意味もなく鈴木尚典にバントさせたのは引いた
外人のドスターにもバントさせていたからな
それと先発投手を早く降ろし過ぎたこと
1年目の序盤は小宮山と野村の防御率が数試合だけだが4桁だったし
権藤は先発を最低でも4回くらいまでは投げさせのに、森は3回未満で変えることが何度かあった
オープナーかな?と言いたくなるほど2番手をロングで使っていた >>89
森の最後ダメだったけど
選手自体は揃ってて次の山下がもうちょっとマトモだったら
持ち直してたんじゃ無いの?
牛島だって一年目は3位だし >>93
山下は権藤の後任だったら谷繁の出奔は阻止できたと思う
でもローズは流石に難しいか? 極端なんだよ
セオリー無視の権藤野球で伸び伸びやってたのに
セオリー通りの森だと
選手もうんざりするだろ
でも2000年に権藤の野球に不満を持ったのも選手たちだったんだよな
だから球団は解任したわけ
結果出してうちはいいけど出さなきゃきついだろ >>76
そもそも運の良さなんだよな黄金期
もともと暗黒阪神がいたから5位にはなれたが5位どまりのチームなのが
97は中日がナゴドショックと巨人の崩壊
98は広島が暗黒仲間に入り4位以上が軽くなった
99はヤクルトが監督が代わり、00は巨人が強すぎて流れが下位いじめになって01は中日崩壊とルールに救われた
本来こんなとこはシリーズで化けの皮が剥がれるが、よりにもよってあの年の西武は最弱で >>89
多村は山下の時でしょうどう考えても
クアトロ4は牛島
内川は大矢の時
>>91
長嶋解任の時、新監督の藤田が森にコーチに誘ったけど森が断った かりに2001年以降権藤が続投し、ローズが残留していたらBクラス落ちはなかったんじゃないか? 中日近鉄ダイエー横浜
高木二期目の中日と権藤がやめたあとはどこも投手力が底まで落ちる傾向にある
権藤がたいしたことない投手力の球団をうまくごまかしてたのか権藤が育成下手なのかわからないが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています