ホームランの少なかった四番打者
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1番が29本
6番が39本
7番が38本
打ってる中14本で四番を務めた96年パウエル やっぱり97年のハムの落合だろ
不動の4番で規定打席にも到達したのに、
たったの3本
ハムファンからすれば、4番落合はトラウマよ 桧山と大松が全く同じ様なタイプだった
今ロッテの4番は大松角中じゃなくて打ついい4番らしい
新庄はもっと4番を打たせていい打者だった
1番と3番と言う向いてない打順を打たされた
ヤクルトの4番が誰だったか知らないが、広沢も少なかった 遠井吾郎、スティーヴも少なかった
石毛 辻 伊東が根幹で頭脳だったから
後は誰が入ってこようが同じだった
末っ子の秋山がしんがり的に前期黄金期最後の年の85年に
40本打って見せたが、それはあってもなくてもチームにとってはどっちでも良かった
前期黄金期と後期黄金期では案外力の差がない >>6
コールズ山崎大豊か
パウエルは1番打ってたこともあるし4番タイプではなかったが3年連続首位打者
山崎大豊は穴が大きくコールズは1年でクビ
中軸じゃなく厳しい攻めをされなかったからってのも大きかったからな
確実性・完成度の高いパウエルを4番にしたかったんだろうな
広島もホームラン王の江藤がいても4番を前田にした時期があったし少し前のソフトバンクも内川4番とか確実性重視の4番にしたかったんだろな 92年ロッテ
ディアズ 11本
モトリー 5本
堀 8本
大順 1本
島田 3本
チーム最多本塁打13本のマックスは主に3番 >>19-20
1992年のプロ野球を反映した野球ゲーム
ファミスタ93ではモトリー、スーパーファミスタでは島田がロッテの4番だった 優勝したから繋ぎの四番と持て囃されるがこれが最下位チームなら間違いなく戦犯筆頭になる >>25
最下位こそ免れたが
肝心な場面で打たずチャンスで併殺打マシーンの中日パウエルとビシエドが思い浮かんだw 阪神
92年オマリー.325 15本
03年桧山 .278 16本など 南海の鶴岡監督は本塁打4本で打点王(95打点)になっているね
よっぽど勝負強くて、ランナーがいる場面ではタイムリーを打ったんだろう 団体競技では最も重要だわな、そういう選手
(逆がパウエルみたいなやつ) パウエル嫌いがおるな
まぁ打率の割にはたしかにクソだったけど パウエルは1番ショボイ3年連続首位打者を決めるスレがあったら真っ先に名前が出る選手 >>32
他はON張本落合イチローだし
>1番ショボイ3年連続首位打者 >>29
一桁HRで打点の多い御仁は萌えるw
昔だと上にあった鶴岡や
ドン川上の4HR80打点越え
近年だと立浪の5HR70打点
銀次の4HR70打点とか >29
桧山や鈴木健みたいな感じじゃない
本塁打は少ないけど長打力は隠し持ってる見たいな
実際二塁打は結構多い 新人の年の長嶋は153安打、29本塁打、34二塁打、8三塁打で、打点王(92打点)
一方、鶴岡は122安打、4本塁打、23二塁打、8三塁打で打点王(95打点)
これはものすごく効率的に打点を挙げたということだね 足の速い選手がチームに多かったんだっけ
4番じゃないけどスーパーカートリオの屋鋪もおおかった気がする 2011〜2014のロッテ
四番が10本前後しか打ってない 巨人落合だろ
たしか巨人に在籍した3シーズンのいずれも3番松井より本塁打は少なかった 昭和末から平成初頭の広島は小早川・長内・西田で回してた
大洋/横浜はポンセがしばらく安定してたから居なくなった91年はアベレージ型のパチョレック、レイノルズを据えることになり、以後は駒田やローズとか >>44
ヤクルト黄金時代の広沢もな
3番の古田や5番のハウエルよりも少ない チームのホームラン王じゃないことが多かったがホームランが少なくもない広沢
それをいったら清原もデストラや秋山よりホームランが少ない年が多かったし 2010年に小谷野がホームラン20本いかずに
100打点いったのは凄い
ただ同年に鳥谷と井口が達成してるけど 長嶋茂雄の1960年の16本
この年は王が17本でチーム最多 7年目清原は36本塁打でリーグ2位か3位だろ
10年目は25本塁打だがリーグ3位タイ
11年目は31本塁打でリーグ2位
12年目は32本塁打で確かリーグ4位 2001年の鈴木尚
打率を3割に戻すがたったの6本塁打 ロッテ古川慎一 最高年間16本 通算52本
弱いチームだから4番に成れた レイノルズ、パチョレックの
コンビは、高打率なのに怖さがなかった?? >>59
だって他の日本人打者がゴミ揃いだからその2人が単打を打っても得点には繋がらないしな。 >>54
その年のセ・リーグは
本塁打王打点王が
阪神の藤本勝己で22本76打点
2位が中日の森徹で21本72打点
王が17本71打点
長嶋が16本64打点首位打者
優勝した大洋の桑田が
16本67打点 76年 当時41歳のノムさん10本
もっともチーム最多が3番門田の22本で
チーム総本塁打も100本に届かない有様 あれは仰木のすきな予告先発に合わせて対戦打率のいい打者を四番に入れる
日替わり打線のたまもの 仰木の「日替わり打線」って、デメリットとか問題点はどういう点があるんだろうか。 そもそも全盛期の門田・ブーマー・石嶺・藤井が健在だったら日替わり打線なんて不要だった >>66
それだけじゃあない
味方の先発の時にこいつは打つからスタメン、
っていうのも重視してた
野村とかよりも余程考えて野球やってたよ イチローも本塁打が少なかったなあ
10本きらいだったか .380で 1981年の掛布
ホームラン23本で打率.341
フル出場したシーズンでは最小本塁打数 掛布は本来の姿はこういう打者だったんじゃないのかな。
田淵が放出されなければホームランを狙わず打率に集中できて。 >>19
当時、マリンスタジアムなんて
甲子園なみに本塁打出にくい球場
だったからね 相対的に >>73
掛布自身、引退後に「この年が一番自分らしかったかも」と言ってるらしいしね。
ラッキーゾーンがあってボールの反発係数高い時代にそれが
「自分らしい」
んじゃ中軸に起用する方が悪いわな 81年は飛ぶボールの禁止後だから掛布や大杉もアベレージ狙いだったな 川相の時代って3番が吉村とか4割打ちそうなクロマティだから
そりゃバントする価値あるわな
(4番があれだったけど)
近鉄新井もブラが3番だったし同じ 日替わり打線オリックス・第三次吉田政権・白にゃんこ打線でクリーンアップを任された平塚克洋 >>80
ガイジ珍カスは死ねよ
ガイジ珍カスは死ねよ >>80
ガイジ珍カスは死ねよ
ガイジ珍カスは死ねよ >>80
ガイジ珍カスは死ねよ
ガイジ珍カスは死ねよ なんJから来たガキだろ
もしそうじゃなかったらいい歳したただのアホ >85-88
内川は打点少ないよ知らないのかい
100打点の年以外は
4番で70打点なんて少ない
4番でフルチンポシーズンで60打点なんて奴は多分今までにいない
屋舗ですらクリーンアップに入れば70打点取れるんだから
小玉と徳武も多分打点は4番らしいと思う
意地悪しないで、また遊んでおくれよ〜。 >>91
関係ないけど、屋鋪は最後までホームラン打ちたくて気持ちはいつも4番打者。
盗塁よりも打点やホームランが大好物。
大きいのを狙わずに小さいのを狙えばもっと盗塁できて、もっと有名になれたのにジャイアンツに来てからも最後はホームラン打ってから満足して引退した。 >>83
スレの主旨的には小谷野や小早川みたいな、全盛期でも本塁打少ないタイプのことじゃないの?
岡田も85年だけで、4番張ってからはそれほどな
中田翔は統一球で20本以上打ったのに廃止になった後も大して変わらないってどういうことなんだろ コンタクト力が酷く低いからまともに勝負されるようになるとダメダメ >>80
発達障害珍カス
http://hissi.org/read.php/meikyu/20200309/VlRMNGJUNGc.html?name=all&thread=all
板:野球殿堂(仮)
日付:2020/03/09
ID:VTL4bT4g
名前の数:1
スレッド数:4
合計レス数:6 >>62
一本足以前の王ってクビ寸前のダメ選手みたいに描写されがちだけど、
本塁打はタイトルまであと5本、打点もタイトルまであと5点でどちらも主砲の長嶋を抑えてチーム首位。
この時、高卒2年目って考えると凄い成績だよね。 クビ寸前は言いすぎだが同期に張本がいるから物足りなく感じるわな >>99
子供の頃に読んだ王貞治物語的なマンガ(世界記録更新の頃)だと
1本足改造前は三振ばかりで罵声を浴びるダメ選手みたく描写されてたよ。 川上の後釜って考えると若手当時のマスコミからのバッシングは原とは比較にならない程凄かっただろうな。 もし阪急米田とのトレードが成立してたら野球の歴史そのものが変わるところだったな
西本監督にしごかれる王なんてものすごい事になりそうだが >>100
三冠王王貞治物語だな。
江藤慎一の打撃音がグアッシャーーーン見たいに書いてあった記憶有る。
しかも悪役顔での登場。 >>103
大島やすいちが描いていたのか
まだ駆け出しの頃だけど絵は迫力あるね 76年から87年までの甲子園は
ラッキーゾーンをさらに手前に設置して
酷かったからなぁ
なんで、あんなことしたんだろ
85年頃のセンバツの映像見てても
柵が異様に近いのがわかる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています