天才打者又は才能は12球団で1番と言われながら結果の出なかった選手
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12球団で1番早い球放ると言われた1970年台〜1980年台の阪急永本裕章投手
12球団で一番身体能力高いと言われた赤田将吾
中日〜広島〜中日で守備も打撃も天才と言われた音重鎮 中村が入団して来た時に、自分よりずっと上の素質だと思った
と金村本人も言ってるしね >>47
んでもって中村は
金村の見込み通り名球会入り
とはいってもロサリオを絶賛するコメントを
見てみると金村の見込みも結構あてずっぽうな
所もあるが… >>42
あのトレード変だったよな
往 柳田、笠間⇔永本
復 永本⇔柳田
往と復で1人足りない。
前々年に史上最強の5番打者といわれるほどの活躍をした柳田と永本で釣り合わない
と思う上、なぜ笠間までつける?
まあ結果的に柳田はトレード時点で終わっていたが >>37
確かに単純な肩と足はイチローすら上回ってたかもしれないけど走塁技術は比べ物にならないし、打撃に関しては松井以上の部分はないと思うわ
ちゃんとやってたら打撃タイトル争いするレベルにはなってたかもしれない >>49
あのトレードは世間には公表されてないけどレンタルと言うのか
お互いの柳田と永本の才能の割にくすぶってるのを環境変えることでどうにかならないか?と、
両球団通しで1年限りで戻すこと前提だったんでは?笠間もそのつもりだったのが
1980年ついに打率246本塁打17本で当時の巨人捕手陣、打の笠間に守の福島、間とって山倉と言われたのが
打撃で笠間越えだから要らなくなったとか? >>46
大村の獲得を進言したのも鈴木啓示だし
野手の才能を見抜く目があったと言われているな >>51
永本に関しては新任の青田ヘッドが特に強く押していたようだ。
元々阪急にも伝手のある青田が前年の後半リリーフである程度結果を出した
永本を見て実績では釣り合わない柳田を交換相手にしてまで獲ろうとしたのかも。
でも青田は舌禍事件で開幕前に辞任、永本は後ろ盾も無く鳴かず飛ばずで1年で
元のさやに収まったという感じじゃないのかな。 永本、1年だけ開花したよな。
あの年、巨人にいたら優勝できたろう。 巨人時代観たけどそんな速い感じではなかったな
鴨志田とな小野仁も球だけは速い速いって言われてたけど
いざ一軍で登板するとスピードガン表示142ぐらいなんだよな >>52
高校の後輩である大村をミーティングで褒めたら、「たかが高校生を見習えというのか」と選手たちが拗ねたという逸話があるな
まあ人望のない鈴木と子供の集団の近鉄の選手たちらしいエピソードだ >>46
守備範囲も球際の強さもノリの方が優れている。
金村は動きが鈍くさくてね、それで走力や打撃が特に優れているわけでもないから
ポジション奪われるのもしょうがない。 金村は酒におぼれたよね。
野球談議では必ず、二日酔いで練習に出たと朝帰りでノックの球が3つも4つにも見えたとか、
それでもそこそこの成績は収めるんだからセンスはあったんでしょう
当時のドラフト寸表では投手でなく野手にコンバートしてたら走攻守揃った3塁手に。と。
この人がちゃんと練習してたら後の中村ノリも石井浩郎も獲らずに済んだのに。
年もこの3人そんなに変わらないはず 永本は今で言う沢村みたいな投手。
MAX147くらいだったけど(巨人時代) >>59
金村 63年生まれ
石井 64年生まれ
海苔 73年生まれ 大森剛
桑田が中学時代の大森をみて清原と同等と評価
六大学三冠王をはじめベストナイン3回
学生ながらオリンピック日本代表に選出 >>62
高松商業でも1年時から四番を打っていた。
プロ入りまでは実に輝かしい存在だった。 巨人は将来の名スカウトをスカウトしたわけだ
時間かかり過ぎだがw 高松商の野球部は大森以外は全員商業科で大森のみが進学クラスと、頭も良い 大森はそこそこ才能はあったのだから、もっと早くパリーグの弱い球団に移籍していれば
クリーンナップを打てたと思う
年間フル出場すれば、2割4分、本塁打8本くらいは打てる打者だ >>67
う〜ん。ファースト専門で外野守備も出来る程度の守備力。
この分野でこの成績(2割4分、本塁打8本くらいは打てる打者だ)
たぶん12球団どの時代でも何処でもレギュラーは無理だと思う 移籍してすぐに近鉄でスタメンに抜擢してもらったのにダメだった。
やはり選手としては頭打ちだったって事かね。同期入団の吉岡とは好対照。 別スレでも書いたけど
当時の他球団のスカウトが「大森は1位指名レベルじゃない
巨人は1位 元木 2位 大森で両方獲得が可能だった」と言っていた
元木も前評判の割にはたいしたことは無かった
伸びしろが無かったんだな >>70
大森は高校生より下の評価されたら巨人にはいかないと言ったんだろ プライドの高さと能力が見合わなかった大森。
96年のリーグ優勝で泣いていた姿が誠に情けない。
志が高ければ易々と涙は出さないだろうに。 長嶋監督はハッスルプレイヤーが好きだから、もっと喜怒哀楽出していけ
とコーチに忠告されたが、プレーだけで実力だけで見せる と、
プライドの高い大森はより一層無表情になったと本人が言っていた 元木氏は脚力だけ見ればありえないだろう…
西武が獲得動かなかったよね…
まあ、見ればわかるだろうし。守備力とか飛距離とか でも、あれだな。
イースタンではホームラン王2回とってるんだな。 二軍の帝王の斉藤浩行ってのがいたね
二軍でHR王を2回、打点王を3回なのに一軍では通じなかった >>77
なんかの番組で元木と新庄が一緒になってこの二人同年齢で
新庄が元木に「なんで?プロ入ってから大きいの狙わなくなったの?もったいない」と
元木は巨人入団当初、落合2世と言われ順調に育てば、
ああいう感じの右にも大きいの打てる打者に成長させるつもりだったのが
巨人のFAの弊害とも次から次へとFAで長距離砲を獲得するとともに元木自身が
だんだん自分の役割は川相的な「小技を磨くこと」となってしまった
もしもFAが無ければ元木が豪快な強打者、長距離砲で覚醒したかは判らないが
少なくとも当時観た、くせ者元木は無かったと思う 1971年生まれは異常者変人が他の生まれより明らかに多いな
新庄 元木 前田 種田 仁志 石井貴 カブレラ 岩本勉 >>67
大森は、外国人助っ人とか衰えたベテランとポジションで常に競合していたからね。
300打席くらいチャンスをもらえればそれなりに結果をだしたのかもしれないけど、
そのために外国人やベテランの出場機会を減らすことはまずないわけで。
数年後の清宮もこうなるかもね。 二軍の帝王ってのはファームレベルのボールの速さ、球の切れに自分の打撃が
特化してしまっているからな。
これを踏み台にすぐに上がらん限り、何年もこの座に燻ってる奴は1軍では使えん。 逆に清原みたいにルーキーイヤーから1軍しか経験していないと晩年2軍落ちした時に対応できないんだよな。 広澤が解説で「一軍で通用しない選手は変化球に対応できていない」と言っていた パリーグの人気のないチームでレギュラーになるより、巨人の二軍で四番を打つほうが
名誉という考え方もあるからね
引退後も「巨人の元四番打者」というブランドがあると、再就職しやすいらしい 30年くらい前までなら、パリーグのレギュラー<<巨人の2軍の4番、
という考えも通用したかもね。
パリーグの一部の試合はガラガラの試合が珍しくなかったらしいし。 >>82
元木は当時からチームのバランスを意識して自分の立ち位置をいろいろ考えていたんだろうな。
元木の嫁が言うには、家でもよくパワプロをやっているほど野球が好きで、ゲームぐらい自分を4番にしてもいいと思うのに、2番か6番か7番で使うんだと。
それにしても
元木大介
という画数は少なくていいな。 三木仁 11画
巽一 13画
高井一 15画
元木大介 15画
漢字四文字では日本で一番画数が少ないプロ野球選手か >>71
エース四番が高校生の下だと名門大野球部の面子に関わるからな
小宮山も高校生の下なら入団するなとOBから圧力かかったと言ってた いや、でも当時はドラフト前からプロ入りまたは○○以外は行きませんって選手多かったけど
いざ、かなりゴリ押しで指名してもドラフト会議から数日後または
年明けには入団までこじつけるパターンも多かった
どうだろうか?
そのまま拒否して入団しなかったパターンより心折れて入団したパターンの方が多い気がする
確率的に7対3ぐらいで選手側が譲渡して入団する気がする ↑
そう考えると、大森が当初「高校生より下ならプロ行かない」と言ってても
なんか巨人のスカウト又はいろんなツテで言いくるまれて2位指名でも入団してたと思う プロは試合に出てナンボだから
出られるチームに行かないと駄目になる
大森剛がもし1塁手の空いてるチームに行ってたら
もう少し伸びたかもしれない(愛甲猛くらい?)
とは言え、近鉄で吉岡に負けてるようじゃ1塁手のレギュラーはかなり厳しい
1塁手はどのチームも強打者や外国人選手の枠よ 山崎武
(36) 4本
(37) 25本
(38) 19本
(39) 43本
(40) 26本
(41) 39本
(42) 28本
40歳で40発打てる規格外の才能なのに若いころや全盛期になにをやってたんだ 通算打率.149
シーズン最高打率96年の.189←ちなみにこの年の数字で大森株は急騰し翌年清原使うなら大森使えって世論だった
この打率みると実は才能自体なかったろ大森
ただ闇雲に振り回してた印象しかないし >>98
若い頃は技術がなかったわ。
レギュラー獲る前から飛ばす飛ばす。
試合前のフリーでは特大連発だったから将来の4番も夢ではないなー、とかみんな呟いてたさ。
30半ばは体力のわずかな衰えを技術で補うことができなかったのだろう。
楽天行って、田尾に打撃技術を、野村に球の読み方を教わった。
これで息を吹き返した。
オリックス戦力外、自由契約の時点で引退だと思ってたからなー。 山口なにかをやりそうだ
種田なんでもやりそうだ
山崎いつかは主砲だぞ
矢野も酒井も神山も >>100
山崎本人が、若い頃の自分が野村と出会っていたとしても
アドバイスを聞く耳を持っていなかったて言ってたね。
まあ、まだ力が残されていた時に会えてよかった。 身に付けた技術を結果に繋げられるだけのセンスやパワーはあったのだろうが、
良いタイミングで良い指導者と出会えたのは本当に幸運だな
中日時代後期やオリックス時代の話を聞けば結果も出せてないのに性格に難があって扱いづらいロクでもない奴にしか見えないし 野村いわく「江本、江夏、門田の面倒くささに比べたら
山崎武司なんて全然たいしたことがなかった」そうだ >大森剛
吉田義男監督時代の阪神から獲得の打診があった
当時の阪神の外国人がライバルなら、もう少し試合に出られたかもしれない
結局大森獲得はならず大豊がトレードで阪神入りした えっと慶應ってエリートなのか?
大森は四国の商業高校だし高校時代引っかからずに保険で慶應いったのかぐらいしか
PL出身即プロのがエリート感半端ないんだが 松家(東大)のことを知っておいた方が。
いろんな選択肢があるから。それが大卒になるとさらに増えると。慶應ならさらに。
当時の世相を反映したものだったろうから。大森氏にとっては六大学でおkならさらに活躍するだろうと。
不愉快なんだろうけれど。鼻持ちならねえだろうけれど。「あいつ等は人事上そういうふうにできている」
松家氏は高校時では(一説によると)一位指名の感も御座いました。
自力で東大に受かって(夢のようだ)東大から「6位指名」で横浜に指名されましたよね。
「なおかつ普通以上の脳味噌持ち合わせている」というのが売り物でしょう。野球に振り向けられるとは
限りませんが。そういう可能性を持ち合わせていました。 谷澤は早稲田の二部一般合格
二浪で小宮山も
他は古田も立命館一般
中田賢は公立大出身
やたら中日関係者が多いな
東大出身の球団代表とかいたし
名古屋大から指名したり根尾も頭良いし
福谷も入学は推薦だが慶應理工だな キャリア最終の落合
1992(39) 116試合.292(384-112) 22本 *71打点 出塁率.425 OPS.948
1993(40) 119試合.285(396-113) 17本 *65打点 出塁率.423 OPS.885
1994(41) 129試合.280(447-125) 15本 *68打点 出塁率.393 OPS.815
1995(42) 117試合.311(399-124) 17本 *65打点 出塁率.414 OPS.895
1996(43) 106試合.301(376-113) 21本 *86打点 出塁率.408 OPS.924
飛ばす才能は晩年の山崎の方が圧倒的にあるんだろうが
技術込みで落合の方が上だろう
完全に筋力や視力が衰えても打ってるからな
バッティング技術、センスがあまりに違い過ぎる 大森は打つときにグリップを下げる動きが無駄だった。
あれをすると変化球や遅いストレートには対応できるだろうけど、
ツーシームのような動く速い球には対応できない。 草野球では不動のクリーンナップだ
中学時代、郡大会でベスト4まで勝ち進んだことがあるドヤァ 大森は巨人の不動の四番打者で、イースタンではトップクラスだったんだから、
すごいと思うよ。どんな分野でもトップを取ることが大切だ。
大企業の平社員より、零細企業の部長になれ、という格言もあるからね。
いくら一軍でも、ずっと控えでは、劣等感だけの人生になる。 昔の2軍は今よりもっとレベルが低いと当時のイースタンを知る岩本がよくいってるから大森も2軍では打てたんだろうな
1軍と2軍投手とかかなり差があっただろうし 2軍は意識低くろくに練習しないやつの吹き溜まり 清原が二軍に落とされたときに
僕は二軍はプロ野球だとは思ってないとかいってたけど
そういう高い意識じゃないとぬるま湯に浸かってしまうんだろう 二軍の投手の球は打てるが一軍ではからっきしという例は多いし、
ベテランになるにつれて二軍の球を打つ事に慣れていったように見える選手もしばしばいるな
二軍で3割以上の打率を残しているベテランが戦力外になるという事は珍しくない >>123
清原はそういう意味で言ったのではないと思う
金村が言ってたが、巨人でくすぶってる清原を生前の仰木さんが最後の花道にオリックスへ!と清原にラブコールを送ってたのだが、対する清原のコメントが
「今更パリーグか。高倉健がVシネマ出るか?」である 二軍の球を打つツボというか、二軍レベルだけに特化したものをもっていても
一軍では… 本当に目の肥えた野球ファンはイースタンの試合を見に来るからな
そういう通の客に見てもらうために、二軍に特化した打者になる道もある どこのチームでも二軍の帝王みたいな選手がいて新人教育をしている
そういう選手は一軍に上がろうなんて気持ちはすでになく
それに生き甲斐を感じている >>131
東京メッツの武藤兵吉だな
広島にトレードされたけど 二軍の主力選手は何年くらい現役を続けられるんだろうね。
現役20年、イースタンで2000本安打達成、とかいるんだろうか? 結果が出なかったわけではないが広瀬叔功のWikipediaを見ると、
複数の有名選手が広瀬は自分とはレベルが違うと称賛していた
3m80cmのリードも凄いのかどうかよく分からん >>112
元中日球団代表井手峻は
東大出身最多試合出場者だったな
来年から東大野球部監督だが
もっと早ければ元慶大監督江藤省三との中日OB対決が見れたかもなのに残念w
谷沢は小宮山にも先を越されて
アマでも存在感薄れてきたな
早稲田OBではヤクルト青木と共に
最高実績の打者だったのに 谷沢と同学年だった小田のほうが早稲田らしい顔つきをしていた。
小宮山は小田のような感じが漂っている。 二軍の帝王といえば中田翔
一軍では厳しいだの梨田が台無しにしただの色々言われてたよな >>135
ふくもっさんによると盗塁するには
リードの歩幅は身長プラス2歩ぐらい必要で
だいたい3m、人工芝の切れ目あたりだからな 二軍で3割5分、25本くらいを続けていけば40歳くらいでも残してもらえるん
だろうか? 2軍で3割以上打っていてキャッチャーかショートをプロレベルで勤められれば
35歳とかでも雇ってもらえるかもしれないけど、それ以外だと
1軍で通用しない限り30歳前後で終わりじゃないか? >>81
斉藤は目に難点があってナイトゲームの照明を苦手にしていた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています