好成績なのに叩かれたり不本意なシーズン扱いになってる成績
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1992年 野茂
3年連続最多勝と自己ベストの防御率も
前半の不振と西武戦の重要な試合で打たれたことで印象の悪いシーズンだった 4番タイプでもないのに4番を打たされたのが妙な力みにつながった
ゴメスが同時期にいたらまた違ったのかも
ステアーズが4番うてれたらな
大豊や山崎は長打力あったけどまだ山崎はのむさん覚醒前で4番タイプではなかったから
大豊も パウエルって飛ばす力はあった
たまに150m級のホームランを打ったと思えばライト前にポテンヒット打ったりとつかみどころのない打者 96年はパウエルとコールズの打順を入れ替えれば良かったのに
1番パウエルと4番コールズで >>183
横槍すまんが、97年の広沢は息を吹き返した年。
落合抜けて気合い入ってたらしい。
清原よりも松井よりも頼りになったぞ。 来日一年目のバースがクビも検討されてたってマジ?
後から成績だけ見ると長打率リーグ1位に、本塁打は
本塁打王に1本差の3位。 シーズン終了後の解雇じゃなくてシーズン最初の調子が上がってこない時期
バース、アレン、ストローターの野手3人登録のところ
投壊現象をなんとかすべくどうしても投手のオルセンを登録したくて
バース、ストローターの選択でストローターを解雇。
オルセンが一軍登録されるときもバース、アレンの選択でアレンが二軍落ち。
後半戦のバースはものすごい追い込みぶりでこの年終了時点での解雇は検討されず。
翌年のオフに、父親死去で一時帰国したのを扱いにくい選手扱いされたり
安藤構想では脚に怪我を負ってる岡田の二塁はもう無理と判断されて、
そうなるとポジションが被るバースが過剰になるねって感じで戦力外も検討された。
その後の安藤辞任、吉田再任で首がつながったあとの活躍は言わずもがな 安藤は自分が希望しながらバースには理不尽だったからね
本職のファーストではなく外野を守らせ打順もたらい回し
安藤はストローターを買っていた
しかしストローターが不振で最初は三振ばかりだったけど徐々に順応してきたことで後半は3番固定に
フロントにバースを評価していた職員がいたかららしい
で翌年は野手の外国人獲得はなく5番に固定
しかし父親の葬式で一時帰国を安藤は思わしくなく解雇を検討した矢先に解任
吉田監督は裏からバースの打撃を評価し残留を要請したことが神様への1歩につながった >>118
あと年俸と監督やフロントの好み
もとい好き嫌いも
>>4のレオンは大洋では近藤貞雄
ヤクルトは関根が監督だったが
二人とも好き嫌いが結構強い
関根も大洋監督時代にある外人選手を
野球選手の顔じゃないと貶してぞんざいに扱って腐らせ退団
ソースは当時の渉外担当牛込氏の著書 同じリー兄弟でもレロンリーはロッテ一筋だったがレオンリーは移籍ばかり
成績悪く移籍ばかりではないからやはり人間性なのか
しかし80年代初頭のロッテ打線はスゴすぎる
渇の張本にリー兄弟に白任天に有藤
そして落合
これでも近鉄や西武の打線に負ける訳だから
スゴすぎる >>200
その顔触れがそろってロッテに在籍していたのは1980年のみ
リー 127試合.358(首位打者)33本塁打90打点
レオン 128試合.340 41本塁打116打点 この2人は凄いが
有藤 107試合.309 22本塁打64打点
張本 102試合.261 12本塁打39打点
落合 57試合.283 15本塁打32打点
白 76試合.216 5本塁打21打点 ロッテって伝統的に長距離砲でもアベレージ先行型が多い印象。打率.250で40本塁打の選手を輩出しないイメージ。 高橋由伸のニックネーム「ウルフ」って
定着しなかった失敗扱いだけど、
当時の野球ファンなら誰でも知ってる程度には
知られてたよな >>202
ロッテ(前身球団含む)でシーズン40本塁打を記録したのは別当・レオン・落合(2度)だけ。
いずれも当該シーズンに.330以上の打率を記録し、リーグ2位以上にランクしている。 >>203
え?千代の富士じゃん?
でも、まあいいのかなー、って思ってるうちに長嶋監督自身が使わなくなったのよ。 >>203
これじゃない感は凄かったけど、当時の長嶋監督に対する注目度は半端じゃなかったから、まあみんな知っていたよね 長嶋監督はウルフの引退特番に出たほどウルフとの関係が深いから
あえて二代目「ウルフヨシノブ」を襲名させたと思う。。 週ベの高橋由伸のニックネームのアンケートの得票一位はモスラだったか >>203
日テレだけが繰り返し言ってたから野球ファンは「知っていた」だけでそんなのなんの意味もないだろ 2000年代くらいのネットだと
長嶋茂雄って、監督としては馬鹿扱い、
選手としても「世間では過大評価」とされてたよな 長嶋は元の成績だけでも超一流だが
近年は傑出度やセイバー系指標の浸透で
更に評価されるようになった感じ 長嶋は1969年、不本意なシーズンだったと新聞の手記で述べてるね
打率.311 32 115打点で打点王、日本シリーズ、MVPだけど、
風邪で4月何試合も欠場で出遅れて、4月終わりで打率.118、シーズン初本塁打は5月 84落合
3割30本打ってるが三冠王としては物足りないと言われてた 俺なんか学内模試なら学年でずっと5位以内を続けていて、ようやく1位をとった直後の生徒会役員選挙で僅差で落選して「○○の時代は終わった」とか言われて卒業までの一年間はむちゃくちゃ不本意だったわ。 92年の佐々岡
200イニング近く投げて12勝もMVPの次の年だから物足りなく見えた。
新人の年からの成績で下回ってる同期の西村にもこの時点での推定年俸で逆転された(西村7000万、佐々岡5500万) ユニフォームデザイン一新後の掛布
中日時代の落合
アキレス腱断裂後の前田 >>200
亀だけど、弟は日本になじもうとしたり後年オリックスの監督代行務めたりしたのに対し
兄は陰気と聞いたけど当時のチーム内の評価は違ったのかね 松中は晩節を汚したり三冠にケチついたり秋の風物詩だったりするので通算成績自体が軽んじられてる気がする 1984年の山本浩二は最終的な成績はまずまずだが、前半はスランプで今年で引退とか言われてたんだろ。
当時はかなり叩かれてたのかな? >>225
こういうことがあるくせに入る時に球団選ぶなとか言う人がいるのが信じられんよ >>235
スレ違いだけどこのころのヤクルトは羽振りがよかったな 去年の岡本和真
前年より成績ダウンだけど年齢を考えたらかなり成績残してる方 岡本は打てない期間はとことん打てなかったから妥当じゃないかな 2019阪神大山
76打点
三塁守備指標1位なのに
カスみたいな扱い、ファンの態度もひどい。 >>234
前年夏場以降失速の戦犯だったし
2年不振が続いたら引退ムードにはなるわな 86年頃の原
自己ベストと言って良いシーズンに限って、
シーズン終盤に怪我した上にV逸。
優勝した上で40本ならMVP行けたかなぁ
バースの三冠王には流石に阻まれるか 当時の読売グループ最高指導者務台に結婚披露宴のスピーチか何かで
1986年は原のせいでV逸したみたいなこと言われたんだっけ 86年の原は得点圏で.230しか打てなかった。
この年の印象で原はずっとチャンスに打てないと言われ続けることになる。 巨人ファンやマスコミに3年連続V免は許されないというムードがあった上で
この年のチャンスの弱さや故障(しかも欠場後に8連勝するなど)が重なって原の選手イメージが決定付けられてしまった 既出だろうけど、2001年の松井。
首位打者は獲ったけどホームランが減って、コレジャナイ感が強かった。
36本という数字だけを見ると、
そんなに悪いと感じないかもしれないが、
実際には終盤に帳尻会わせでギリギリ30本に乗せた感が強くて、20本位しか打ってない印象の物足りないシーズンだった。 >>248
途中まではこりゃ30本いかないぞ、ヤバいぞって感じだったしな >>248
8月末で25本塁打
チーム内でも清原江藤の後塵を拝していたのね メジャーデビュー年の城島
1年目の成績だけなら松井秀喜の上をいく
なぜか、「松井大活躍城島いま一つ」の扱い
メディアが悪いんだけどな >>251
捕手でメジャー1年目に規定打席到達して打率291で本塁打18本は上出来もいいとこだわな
今NPBのレギュラー級捕手でメジャー行ってこれと同じ成績出せる奴はいないだろう 今だと内野手で1年目の松井稼レベルの成績ならまずまずの評価、井口レベルなら神レベルの評価をされると思う(日本人の評価)
現実的には日本人内野手でメジャー契約勝ち取ることすら困難になってきてるから挑戦する内野手すらいなくなってる。 中島とか西岡とか明らかにメジャーレベルじゃないだろって奴らが行かなくなったのはいいことだな >>255
西岡は同意だが中島は行くにふさわしい状態だったのでは?
(向こうでケガしたらしいし) 落合の中日1、2年目
ロッテ時から大きく成績を落としたので不本意扱いだった
この時期はスロースターターで調子の波が激しく四番を外れたこともあった 3年目の1989年も同じようなペースだったけど消化試合で数字を爆上げした。 1年目はオールスターまではホームランのペースはよかったがその後打率は良いがホームランだけ出なくなって30本に届かず
2年目は前半不調で6月からは4番を外され終盤に4番復帰したが3割を割った 80年代後半のセは全体的に低調で、西武近鉄阪急あたりが引き上げたパとのレベル差がある「セカンドリーグ期」だったからなんでレベルが下がったのに成績が悪いの?とも >>257
87、88はバースも大きく成績下げてんのに
落合だけセリーグ来たから成績下がったか言われてんのが
なんか不思議
二人とも毎年.350 50本打つような選手じゃなかったってだけの話だろ 単に87からボールが飛ばなくなっただけだろうな
バースも88年最後までいたらかなりしょぼい成績だったろ
4月2本だし 88前半の落合は酷かったよ
後半はチャンスに強くて調子取り戻してたけど >>265
中日のシーズンの成績と連動してたんだろうね >>62
あれはGGを未経験のレフトで使った星野のせい。 87、88は悪い悪いと言われながらもOPSリーグ1位 小笠原くらいの迎え入れ度なら3割30本で「よくやったあ」だけど、
3割6分50本のお化けのような好成績からすると、「なんで?」となる >>264
球が飛ばないなら飛ばないなりに
いい成績残したと思うけどな、バース。 81〜84年基準で考えたら中日時代は年齢の割には十分活躍した方。 2005年の小笠原は自己ベストの37本塁打も3割切ったことで不本意な年扱い。
今思うと札幌ドーム本拠地で37本は凄いと思う。
札幌本拠地で30本打ったのって日本人では中田が1回あるだけでしょ。 小笠原は札幌移転後も東京ドーム興行で本塁打を荒稼ぎしていたのは流石だ 3割当たり前のアベレージヒッターが3割切るとホームランをそれなりに打ってても不本意な年扱いになる印象。
30本40盗塁で最多四球ながら、打率.280だった年の張本とかそんな感じだったんだろうな。 >>277
その年の張本は、1961年(初首位打者)から1974年(最後の首位打者)までの
14年間のうちで、打率出塁率は最低、OPSは下から2番目なので、
まあ打撃面では「不本意」の部類かもしれない。 >>16
近藤貞雄がレオンが中日に移籍したら厄介だが(この年のオフ、モッカの退団に伴って)、ヤクルトだったら別に影響ないと著者で書いてた。 昭和35年稲尾和久
20勝7敗 243回 2.59
稲尾にしては物足りなさが半端ない 1997年 高津
抑え失格で中継ぎに回ったがリリーフ投手としては自己ベストの防御率だった >>279
バースやブーマーが西武にいたら
どんな成績残したろうな・・・って想像しちゃうけど
南海に行ったらって想像してもあんまりワクワクしないわな >>256
え?中島の場合、いつ行っても実力が全然足りなかったのに? 97年の清原は帳尻合わせただけ
巨人のV逸がほぼ決まったオールスター前の数字みて オールスターまでの清原の成績
1986(西) .252 11本
1987(西) .254 14本
1988(西) .279 16本
1989(西) .254 17本
1990(西) .308 20本
1991(西) .236 13本
1992(西) .240 18本
1993(西) .290 14本
1994(西) .320 14本
1995(西) .237 15本
1996(西) .262 17本
1997(巨) .218 15本
打率は過去ワースだがそこまで酷いわけじゃないな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています