珍しい記録 Part47
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>>551
(>>548さんの「県」が都道府県を意味するならば)1981年の他に1970年も該当します。 >>545
そういう花柳街に行ったかは兎も角、、
焼肉は喰らったろうな。 >>550
同じ都府県の球団すらあまりないのに、長年2球団あった西宮市すげえ。 一軍と二軍で違うチームだけどその年の優勝チームが同じ県ってあるのかな
例 一軍 西武 二軍 ロッテ >>542
やや変則だが
塩谷和彦
阪神・オリックスで7年連続最下位(1998〜2004)
その後韓国SKでプレイ(2006)して途中退団→引退しているが
SKはその年最下位 >>558
1980はパの一軍優勝が近鉄、ウの優勝が南海(大阪)
1998はパの一軍優勝が西武、イの優勝がヤクルト(埼玉) スレ違いかもしれないが
NPB シーズン打率.360以上、同長打率.700以上が
丁度20人余り居るので打数の分布を調べてみた
尚、戦前のシーズンが春秋に分かれていたり、試合数が
少なかったシーズンは除外。
まず打率
順位 選手 (所属) 打率 年度 打数 安打
1 バース (阪 神) .3885 1986 453 176
2 イチロー (オリックス) .3873 2000 395 153
3 イチロー (オリックス) .3846 1994 546 210
4 張本 勲 (東 映) .3834 1970 459 176
5 大下 弘 (東 急) .3832 1951 321 123
6 クロマティ (巨 人) .3781 1989 439 166
7 内川 聖一 (横 浜) .3780 2008 500 189
8 川上 哲治 (巨 人) .3770 1951 374 141
10 ブルーム (近 鉄) .3741 1962 401 150
11 谷沢 健一 (中 日) .3694 1980 425 157
13 ローズ (横 浜) .3685 1999 521 192
14 落合 博満 (ロッテ) .3674 1985 460 169
15 広瀬 叔功 (南 海) .3662 1964 456 167
16 新井 宏昌 (近 鉄) .3658 1987 503 184
17 加藤 英司 (阪 急) .3638 1979 448 163
18 クロマティ (巨 人) .3631 1986 471 171
19 柳田 悠岐 (ソフトバンク) .3625 2015 502 182
20 藤村 富美男 (阪 神) .3624 1950 527 191
22 小鶴 誠 (大 映) .3613 1949 501 181
23 与那嶺 要 (巨 人) .3606 1954 477 172
24 落合 博満 (ロッテ) .3597 1986 417 150
25 小笠原 道大 (日本ハム) .3596 2003 445 160
550打数以上 0
500〜549打数 7
450〜499打数 6
400〜449打数 6
350〜399打数 2
300〜349打数 1 長打率
順位 選手 (所属) 長打率 年度 試合 打数 塁打
1 バレンティン (ヤクルト) .779 2013 130 439 342
2 バース (阪 神) .777 1986 126 453 352
3 落合 博満 (ロッテ) .763 1985 130 460 351
4 王 貞治 (巨 人) .761 1974 130 385 293
5 カブレラ (西 武) .756 2002 128 447 338
6 王 貞治 (巨 人) .755 1973 130 428 323
7 落合 博満 (ロッテ) .746 1986 123 417 311
8 小鶴 誠 (松 竹) .729 1950 130 516 376
9 王 貞治 (巨 人) .725 1976 122 400 290
10 王 貞治 (巨 人) .723 1967 133 426 308
11 王 貞治 (巨 人) .722 1968 131 442 319
12 王 貞治 (巨 人) .720 1964 140 472 340
13 バース (阪 神) .718 1985 126 497 357
14 松中 信彦 (ダイエー) .7155 2004 130 478 342
15 王 貞治 (巨 人) .7146 1966 129 396 283
16 山本 浩二 (広 島) .714 1980 130 440 314
17 王 貞治 (巨 人) .713 1970 129 425 303
18 マニエル (近 鉄) .712 1979 97 333 237
19 王 貞治 (巨 人) .706 1977 130 432 305
20 カブレラ (西 武) .705 2003 124 457 322
21 大下 弘 (東 急) .704 1951 89 321 226
550打数以上 0
500〜549打数 1
450〜499打数 6
400〜449打数 10
350〜399打数 2
300〜349打数 2 >>555
ごめん、ロッテが仙台や川崎の時代のイメージを引きずってしまった
>>557
同じ市区町村が本拠地だったのは、後楽園→ビッグエッグ同居時代の巨ハム他、川崎同居時代の大洋高橋など(他にも同居例はあるかも?)以外では唯一の例になるかな?
日生と大阪は同じ市内ではあるが区が違っていたのでグレーゾーンとして >>561-562
同時期に両リーグで無双したバースと落合の異常さはわりと語られているが、2シーズン連続でそれぞれ別々の部門にランクインしている小鶴(1950年だけに注目されがち)もエグいな
しかも達成したのも別々の球団(よりによってライバル会社へ移籍w)っていう >>565
小鶴選手が首位打者になった1949年は藤村選手が本塁打王、打点王、打率2位、最高長打率
藤村選手が首位打者になった1950年は小鶴選手が本塁打王、打点王、打率2位、最高長打率
というのも面白いです。 塩谷楽天だったら9年連続最下位だったのに。逆に10年以上連続優勝した選手はいるのかな。 >>566
MVPも含めておくとよろしいな
なお、小鶴は首位打者本塁打王打点王1度ずつ獲得で
リーと並び「最も効率的な三冠制覇」 >>566
小鶴さんの話だと自分が首位打者を取った年に、それまで自分と同型の中距離打者と思っていた藤村が長距離打者に変貌し本塁打王&打点王&MVPをとった
のをみて、「なら俺にも出来る筈」と翌シーズンは明確に本塁打王&打点王のタイトル奪取を意識したそうで。
1950年シーズンの終盤に重い腰痛に罹り、以降引退までこの2年間の打棒を発揮出来なくなったのが残念ですね。 >>555 >>564
両リーグのMVPが同じ都道府県のチームだったのは
1970と1981ともう1例は? 連続30HR
王 18年
ボンズ 13年
ソーサ 10年
ルース 8年
アーロン 7年
マグアイア 4年 >>572
王「」
A-Rod「」
フォックス「」 >>566
全盛期のONクラスですね
あの二人が同じチームにいたのは反則w >>570
1974年のロッテは一応仙台が本拠地でしたが、実質ジプシー生活で後楽園とも取れますね
するとセ・パ共に同じ本拠地(東京都)ということになります
>>567
その1974年に一年だけロッテで現役カムバックした城之内は、1972〜1973年も巨人で活躍していたら10年連続優勝でしたね(ただし1974年の優勝決定時には引退してましたが) >>559
塩谷がいた年のSKは8球団中6位ではなかったか? >>575
1974年ロッテ主催試合数
仙台宮城27 静岡草薙14 後楽園11 川崎9 神宮4
東京都本拠地説は無理だな >>577
確かにそうだわ(大汗)
塩谷=最下位というイメージが・・orz >>580
そうね
だから>>573に名が出てくるんだろう 巨人山口の最多勝は
他球団から巨人に移籍した選手としては外人以外で2リーグ分裂後3人目
ちなみに3人とも事件として有名 アルバート・プホルス、あと5打数0安打で通算打率が.29947となり19年間キープしていた3割から脱落 >>578
今では考えられないジプシーぶりだが
これがザコ球団ではなく日本一なんだからすごい
昭和30年以降、日本一の監督が
水原、三原、鶴岡、川上と超大物が続いてのカネヤンだったなあ >>578
身体が休まらないねw
ロッテの選手は、金田式食事もあって、タフだったんだろうな。 カネやんがロッテ球団での合同食事にバイキング式を取り入れる前の例
某フライヤーズの場合
ご飯+味噌汁+焼き魚+漬物
ご飯は食い放題だがおかずの追加が欲しければ選手が自腹で購入 >>588
半世紀近く前のことだからな。こんなもんよ。 奇しくもロッテ日本一と同年にオーナー企業が精肉系へ移り食に関しては大改善
今しばしひもじかったのが獅子
数年後からひもじくなってくのが鷹(除ドカベン) 2010年代は3ディケード振りに完全試合達成無し(継投含)で終わったな >>588
末期南海の食費500円よりはマシじゃね? オリックスも合併直前のどん底だった頃は
昼食がコンビニ弁当だったらしい(ジャーマン談) 初期広島とかどうなんだろ?
市民から募金してたらしいが >>592
500円じゃ焼き魚定食も食べられないな。
>>593
合併後の2010年代になってもそらは改善されなかった。
あと試合後の軽食が菓子パン。伊藤光がそれに異議を唱えてた。 黎明期の広島も地元ファンの生鮮食材差し入れが逐一美談化するほどに粗食ネタ多目。
他に、ビジター側の食費(たぶん遠征費丸ごと)も当時は便宜で巨人持ちだったらしい
夏の北海道シリーズの対戦が組まれるのも定番朗報だった感じ 近鉄の合宿所にはパサパサになったのり巻きがラップに包まれて山積みになっていた
ナイフとフォークで押してもびくともしないステーキが出た
金村の著書より 高橋ユニオンズは食事が貧しすぎて差し入れの鯨肉塊に選手が群がったら食中毒になって試合が1つ飛んだらしいな 正しくは外食に出た選手以外、
全員が馬肉のステーキで集団食中毒になって
それでも翌日無理して飯食って下痢止めを飲みながら試合に出た 昔はプロ野球って少年に夢を与えるとか言われてたのにひでえなw 気になったから調べてみた
ユニオンズ最終年の大阪球場の南海戦で先頭の佐々木信也が捕手の松井に
「松井さん、助けて下さい。馬肉に当たって全員下痢なんです」
と泣き落として直球を投げてもらっても全然打てなかった
みたいなエピソードだったが
1956年の南海−高橋戦で松井がスタメンだったのは
4/19高橋10−5南海
6/10高橋2−3南海、高橋5−4南海
の3試合だけで少なくとも全然打てなかった訳でもなかった。 ルーキーで個人タイトル獲得したのに新人王逃したのって過去に誰がいたのかな? 「新人王有資格者で個人タイトル取って新人王は逃した」なら
藤村大介とか山口哲治とかも 巨人の山口がプロ14年目で初のベストナイン
かなり遅い方だとは思うが、上には上の選手が誰かいるんだろうな >>604
沢村賞とってだっけ?当時だと30本塁打に釣り合うのは
25勝ぐらいだと思われていたのだろうか? 村山はよく1970年の二リーグ制唯一の防御率0点台が言われるけど
イニング喰った上での防御率が良かったルーキーシーズンや1962年
の方が価値があると思う。 >>607
お〜!八重樫がいたか、サンクス
あと、プロ15年目で初の規定打席到達ってのも相当遅いな 規定打席到達なら中沢伸二が18年目で初到達、但しこの年のみ
ベストナインはその4年前にも取っている
八重樫と共通するのはどちらも捕手であること 内外野手に限れば、宮地克彦の16年目の初到達がNPB最遅記録かな
なお宮地は翌年早くも戦力外通告を受け、天国から地獄に・・・ 昭和と令和にはあるけど平成には無かった事
遊撃手の40本塁打
30本塁打以上の新人王
パ捕手の首位打者 >>612
規定打席3割は衣笠の20年目が最遅かな? 年俸は昭和の物価変動やパリーグの存続危機にドラフト導入からバブル前までの抑制相場とか比較しにくいファクターが色々あるから 昭和60年代とかだと、大卒初任給で15万円くらいか
食料品や日用品は当時と今とでは大して価格は変わってないと思う
ただ外食は今よりずっと安かった
一般的な食堂で大体ラーメン400円、各定食500〜600円くらい
だから>>592はありえない話ではない、関西は全体的に関東より物価安いし 食費「額」の話ではありませんが・・・
元ロッテの高沢秀昭氏によれば、
遠征先の球場内の食堂で食事を利用する際は、
知り合いの相手チームの選手のツケにする事があったそうですね。
南海の選手が(知り合いである)高沢選手のツケで川崎球場内の食堂を利用したりとか。
球場内の選手用食堂は割安だったりするのかなあ・・・ >>614
セ高卒入団者の新人王も(パは90年代に多かった)
前健、藤浪あたりは対抗馬に2桁勝利や規定打席がいなければ受賞出来たかな >>614
これに(単独)パーフェクトゲームと打撃三冠が加わることになるかどうか?
若い人たちはどうぞ見届けてください 93年の松井は何本打てば新人王取れたのか検証が難しいな
伊藤智の成績が前半圧倒的で後半故障と特殊だった
年齢考えたら15本で2割後半あれば値すると考えられるが >>622
セリーグの高卒入団者の新人王が平成でゼロというのは驚いた
パリーグは平井・金子・小関・松坂・正田・田中と6人もいるのに(ここ12年出てないけど) 1992年の新庄剛志はあと何打席立てば久慈と新人王が入れ替わっただろうか 立浪も他に有力対象者なかったからだろうけど
盗塁数がまあまあてトコで
あの打率だと70年代以前なら該当者なしにされたかもしれんから、
最古の高卒新人王は槙原てことになってたかも… 立浪選手の新人王は規定打席到達が決め手となったのかな、と。
2リーグ制以降の高卒1年目での規定打席到達、
1950-1960年代のパ・リーグで割りと多いのですが、
セ・リーグは立浪選手だけのようですね。
1986年の清原選手も1962年の土井正博選手以来のようで。 高卒1年目の規定打席到達者
パ 山下(1950)中西(1952)豊田(1953)小玉(1954)榎本(1955)張本(1959)土井(1962)清原(1986)
セ 立浪(1988)
これだけしか達成者がいない大記録だね。
200打席に到達したのもセでは1999年の東出が最後。
今年小園が197打席なので惜しかったけど。
>>636
厳密には、土井は高卒ではなかった気がする 高卒1年目の打席数ランキング(1989〜2019)
@東出 輝裕(1999広島) 267
A大谷 翔平(2013ハム) 204
B松井 秀喜(1993巨人) 203
C小園 海斗(2019広島) 197
D清宮幸太郎(2018ハム)180
E谷繁 元信(1989大洋) 171
F炭谷銀仁朗(2006西武)146
G淺間 大基 (2015ハム)140
Hオコエ瑠偉(2016楽天) 130
I高城 俊人 (2012DeNA)122
意外と2010年代が多い 小玉、土井は年齢は高卒一年目相当だけど
高校中退でプロ入りじゃなかったっけ? >>637
土井は高校中退してプロ入りだね
正確には「高卒1年目相当」 まあ、あまり「厳密」を振り回すと
「厳密には大卒ではない」選手もたくさん出てきちゃうかもしれないな
土井・小玉は「プロ2年目」になるのね、いちおう 今年のヤ村上みたいな高卒で入って
新人王資格を持ったシーズンで規定到達した選手だと
もう少し増えるんだろうか
立花義家とか前田智徳とか >>637,639
あ、ご指摘ありがとうございます。
10代での規定打席到達者を挙げて、そこから早生まれで19歳での達成者を除外して対象を出してみたのですが・・・
無知を思い知らされたといいますか、これから「高卒ルーキー」絡みで調べる際に気をつけたいと思います。
ありがとうございました。 大学出身選手は中退してプロ入りしてる人多いんだっけ?
ホントに2年で辞めたとかじゃなく四年在籍して指名されたから中退w 卒業には単位が足りなかったってケースなら、社会人野球に行ったのも含め普通に居るよ。 高3でも大4でも卒業式以外は公休にならない?
大学行ったことないから
卒論とかいつ書くか分からんけど 仮に3月中までに提出だと
キャンプ前の1月にまとめて書くなか…
高橋直樹とか昭和時代の社会人は
プロで食えるか迷って翌年の都市対抗まで入団伸ばしたりしたけど >>648
「〇〇大学卒業」といわずに「〇〇大学出身」と称する、という話ね うちの教授は某プロ野球選手の卒論を代筆したと言ってたな。
院生とか助手が頼まれてやるのが珍しくない時代だったそうな。
さすがに実名は出してくれなかったからまぁ話半分で聞いてくれ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています