珍しい記録 Part47
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今なら暇なオフの珍カスが憂さ晴らしで観に行きそうなのに 84年は第4戦が雨天順延で
本来第5戦の日に第4戦
本来広島への移動日に第5戦
だった 89年の近鉄リーグ胴上げは
阪神オタが雪崩れ込んだ報告。
日本シリーズ7、8戦はまた
在阪巨人オタに乗り変わったいう その球団名として唯一出場した球団同士による日本シリーズは1950年と1960年の二回だけ
そしてこの二回はそれぞれ同じ系譜にある球団同士 元楽天の嶋と美馬がヤクルト入り濃厚
バッテリーで異リーグ・同チーム移籍は珍しいかも そもそも、NPBでは選手の移籍自体がメジャーほど盛んではないから何かを組み合わせたら珍しくなるのは当たり前 複数トレードだから同時に移籍は当然だけど
チャーリー・マニエルと永尾泰憲
1978年にヤクルトで日本シリーズに出場、オフに近鉄にトレード
翌1979年には近鉄でも揃って日本シリーズ出場
チームを変えての2年連続日シリ出場は他にも例があるけど
二人同時は他にない ちなみに永尾は阪神移籍後の1985年にも優勝&日シリを経験
ヤクルト近鉄の初優勝、阪神21年ぶりの優勝に居合わせるという強運(?) >>470
これは凄いな
西本監督の大毎(前身の毎日以来で大毎としては初のリーグ優勝)・阪急(創立32年目初のリーグ優勝)・近鉄(創立30年目初のリーグ優勝)もなかなかだが それ系だと斎藤隆も欠かせない
横浜と楽天、しかもその間15年 若生智男も1960西本大毎の初優勝と1975広島初優勝の経験があるな
途中の阪神でも優勝しているから大分格下にはなるが >>474
阪神での優勝(1964年)は逆パターン(その後)で遠ざかってるので、それはそれで稀少? シーズン二桁敗戦を経験していない投手のシーズン二桁勝利回数ランキング(4回以上)
杉内9
金子7
松沼雅5
長谷川滋5
摂津5
水谷孝4
斉藤和4
グライシンガー4
帆足4
1980年代の松沼と1970年代の水谷以外は全て近年の投手
長谷川は日米通算
以下現役(引退までにシーズン二桁敗戦を記録しなければランキング入り)
吉見5
大瀬良4
ジョンソン4
千賀4 >>471
西本はオリオンズ初優勝には選手として参加しているし >>478
おお、そういえばそうだ
現役としては珍しい左利き二塁手を記録していたな しかし選手として第一回の日本一に輝いた時には、まさかその後の野球人生で日本一に見放されるなんて思っていなかっただろうな
ここまで運を使い果たしたケースも珍しい 雑談になって申し訳ないけど西本さんは緒方みたいにシーズンと選手起用全く変えないタイプでシリーズ敗退を繰り返したの? 実は西本さんに限らず、「1950年毎日の第一回日本一メンバーにおいて、その後の野球人生(監督、コーチを含む)で再度日本一に輝いた人物は3人だけで、レギュラークラスもしくは一軍首脳陣として日本一に貢献したと言える該当者は誰一人としていない」という驚愕の事実が判明 >>481
それもあるけど、二度に渡るスクイズ失敗のようなここ一番での戦術ミスや、岡村捕手のトラブル、山田投手のサヨナラ被弾などの「試合に勝ちそうなのに勝負に負けた」的な印象が強い >>482
実質は松竹の内紛(つうか片ヤオとしか思えない様な)のお陰で転がり込んだ日本一という幸運なのが・・・・・・・・。
第6戦、三塁ゴロ悪送球に依るサヨナラ勝ちで日本一決定となったが、その内実は、三塁守備についたエース真田(彼が内紛の主役となっていた)からの送球
を二塁・金山がそっぽを向いて知らん振りした事に依るものらしい・・・・・・・。 シーズン終了直後のMVPボーナス騒動やシリーズに入ってからの肩痛に依る登板拒否騒動ですっかりチーム内から浮いてしまったエース真田を、小西監督も
何とかしようと、彼の器用さを生かして代打で起用したり守備固めで起用したりしていたものの、その度に「真田ばっかり特別扱いしやがって!!」との反発が。 >>484-485
そのエピソードは初めて聞きましたが腹を抱えて笑わせてもらいました
松竹はいろいろな意味で伝説的なチームだったのですね
真田がその実績のわりに評価が低く感じるのは大昔の選手であるからだと思っていましたが、そういった経緯も影響しているのかもしれませんね 微妙か…
https://megalodon.jp/ref/2019-1108-2011-27/https://auctions.c.yimg.jp:443/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0404/users/b51277bf4d6daa58356a8a3c96f7bedfab54a59e/i-img1200x900-1523366495gybl7v111766.jpg オリ佐野
来季6年目で5つ目の背番号
12 (15-16)
64 (17)
121 (18-18途)
93 (18途-19)
41 (20-) 昔はセからパに移動した球団(厳密には合併消滅)があったんだな
今のところ一例のみなので究極の珍しい記録ではあるが、交流戦も定着した現在、年度毎のリーグ移動制も面白いのではないか? >>489
田村オーナーにとっては「他所者」の小鶴選手よりも子飼いの真田投手が最高殊勲選手賞を獲れるよう
新聞記者達に真田投手への投票をお願いして回ったそうですが、結果は大差だったようで。
その経緯からオーナーと真田投手の落胆ぶりは相当なものだったかと。
また、真田投手がシリーズ途中で肩痛を言い出した理由を他の選手達は分かっていたたようです。
余談ですが・・・
松竹の小西監督は、日本シリーズの対戦相手が毎日に決まったことで
「湯浅が相手じゃ、やりにくいなあ」と言っていたそうです。
小西監督の長男が新聞記者への就職を希望した際に、
就職の面倒を見たのが当時毎日新聞社運動部長の湯浅氏だったため、
湯浅監督には借りがあると考えていたのでしょう。
さらに余談ですが、
その就職の話は、小西氏の長男がその後胸部を患い療養を余儀なくされたために流れてしまい、
小西氏は当時は闇でしか入手できなかったストレプトマイシンを手に入れるために奔走していたと。
治療費は高額になりこれを工面する目的もあり「もう二度とするまい」と誓ったはずの監督を引き受けたようです。
(この辺の話は複数の説があると思いますが)
スレ違い且つ長文で、申し訳ございません。 >>482
その3人が気になって調べてみた。
1950年シーズン途中に西鉄にトレード移籍し、初の日本一に輝いた1956年まで在籍した今久留主淳
長らくオリオンズでコーチ・スカウト・スコアラーを歴任し、2度目の日本一に輝いた1974年には確かスカウトだった三宅宅三
近鉄を経て現役最後の年となる1959年のみ南海に在籍し、僅か1試合登板ながら(但し勝利投手になっている)南海日本一のメンバーに加わった榎原好 >>498
記録の裏側に人間模様が浮かんでくる、みたいな流れは個人的に大好きです
確かにここではスレチの面はありますがね
>>499
三宅のフロント時代は盲点でした
ちなみにもう一人は長島進(移籍先の巨人で自身は計3試合のみの出場ながら1951〜1952年に連続日本一)です
彼はこの年限りで引退してますので、日本シリーズ開始以降に限れば現役としてNPBに在籍した3シーズン全てにおいて日本一に輝いたことになります
さすが「長島」、といったところでしょうか(笑) 古葉監督のベンチユラユラどころではない激しい浮き沈み野球人生(数列はシーズン順位の変遷)
1958〜1969年(広島)
554556454636
自身としても球団としても初のAクラスを果たした1968年以外は「暗黒ヘル(地獄)カープ」
1970〜1973年(南海、1972年よりコーチ)
2431(前期1後期3)
一転Aクラスのオンパレード。最終年には兼任監督野村ホークスのリーグ優勝に貢献
1974〜1985年(広島、1975年途中より監督)
613531124212
初年度にまたもや最下位。しかし翌年、赤ヘル旋風からの監督初年度に球団創立以来初のリーグ優勝という快挙
以後は日本一三度、2年連続でBクラスが無いという黄金時代を実現
1987〜1989年(横浜)
546
球団伝統(?)の名監督クラッシャーにハマり一度もAクラス無し >>498
小西さんが監督を引き受けたのは、元々、親友で野球好きだった六代目尾上菊五郎のたっての要請で、プロ球団を欲しがっていた松竹(大映に対する対抗策だったらしい)
と資金難に悩んでいた大陽ロビンス(大東京軍時代に監督を務めた)との橋渡しをした経緯があり、資金に余裕が出来たロビンスが赤嶺一派を大映スターズから
引き抜いたのはいいものの、実力者集団ながら名うてのトラブルメーカーとしても知れ渡っていた赤嶺一派を抱えるチームを引き受ける監督なんて中々居らず、困った
チームの主砲・岩本義行が明大の先輩にあたる小西に「こんなチームをまとめられるのは小西さんしか居ない。」と懇願し、小西が当初推薦しようとしていた浜崎真二氏が
阪急の監督に就いてしまった為、それまでの球団との行きがかり上から断り切れなくなった側面もある様です。
前身の大東京軍で監督を務めた際に、あまりの弱さと選手のやる気の無さに加えて、本拠としていた洲崎を仕切っていた親分がチームが負ける度に「これで鋭気を
養ってくれよ!」と飲ませ食わせと只飯只酒等と奢る反面、チームが勝っちゃうと選手にエエカッコ出来ない(?)となーんにもしないという実に困った親分(w)だった
ので、せめて勝った時にそうしてくれと何度も土下座して頼んだ末にようやく勝って呑めるとなった件とか、すっかりウンザリして「孫子の代まで監督までやるもんじゃない」
とまで思い至った過去の経緯より、長男さんの件があっても出来れば大東京後身のロビンスの監督なんて引き受ける気には中々なれなかったみたいですね。 要約すると
内紛なけりゃ
ロビンス
勝ってた
だね 1試合で二盗、三盗、本盗を全て失敗
1979年5月3日 加藤俊夫(日本ハム) >>508
スレチだが無免許運転その他でアトムズを追放された加藤がなぜたった1年でNPBに復帰できたのだろうか >>505
ということは毎日の日本一もないから、ロッテ系の日本一は1974年まで待たなきゃいけないことになり、西本さんは生涯日本一に縁がなく終わっていたことになる
まあでも、もしかしたら逆に日本一になれなかった悔しさで、監督になって一度ぐらいは日本一になったかもしれないが
それはともかく、ロッテ系は現役時代に在籍した監督で一度も日本一になっていないが、現存球団の中では意外に多く4球団が該当し、セリーグでは横浜に本拠地を持つ某球団だけ >>511のロッテ系の件だけど、毎日の湯浅監督は選手としても出場していたが、元々選手として在籍していたわけではないから特殊例と見なすことにした 東映〜ハム(水原、ヒルマン、栗山)、
阪急〜オリ(上田、仰木)、
楽天(星野)か >>511
>ロッテ系は現役時代に在籍した監督で一度も日本一になっていないが、
ロッテに選手として在籍してロッテで日本一になった監督がいないってことでいいのかな?
西村監督は? >>496
そういえば球界再編騒動のとき
巨人はパに移るとかオーナーが言っていなかったっけ >>507
なるほど、順位だけを見ているとなかなか気が付きにくい部分ですね
球団創設から5割到達までの年度別勝率(小数点省略)を並べてみると、
299
333
(316)
414
448
453
(358)
419
446
481
504
二度の前年比での落ち込み(カッコ閉じの年度)以外は堅実に上昇しているのがなかなか凄い
落ち込みもそれぞれ単年に留めており、丹念にチーム作りを行っていったことがよくわかるデータだと思います
>>514
重大なミスを犯してしまいました
バレンタイン監督は即座に思い浮かんだのですが、西村監督は日本一になっていないという勝手な思い込みが・・・
したがって該当球団は4球団ではなく3球団となります
どうも失礼しました >>516
貴方の言う横浜プラス>>513の3球団で計4球団じゃね? 北海道出身に自身の浮気が原因で
離婚したプロ野球選手はいない。
記録とは関係ないですが。 >>518
重ね重ね失礼しました
合計4球団ということは把握していましたが、何らかの勘違いで内訳を間違えていましたm(__)m >>519
トリビアスレでやれ
向こう寂れてるから ttp://archive.is/Mn3Om 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322) >>486
レアード…は薄いんじゃないな。
ないんだよな。 最近亡くなった元ハムのボビーミッチェルの珍記録
・雨天中止で2本のHRが幻になりHR王を逃す
・NPB在籍中全ての年でリーグ最多三振
・NPB通算安打を上回る通算三振数
・シーズン三振の元日本記録ホルダー
・在籍球団の試合数を上回る通算三振数 ttps://archive.is/UihI2/32fb023adb2b603804129876570ed95587c37ca3.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322) 高城出戻り決定
こんな短期間にトレード相手と同チームになるとは 何気なく2689のサイトを見たら64年の消化試合に阪神・国鉄・中日の変則ダブルが甲子園球場で開催されて
甲子園で国鉄vs中日なんてあったんだな。
楽天以外の球団で甲子園でホームゲームがあったんだな。
変則ダブルはいつが最後なんだろ それ当時の新聞の縮刷版見たことあるけど
東京五輪開幕までに日シリまで終わらせたいのに
セリーグの優勝争いがもつれて、しかも雨天中止も相次いだので急遽決まったらしい
その年は一時大洋優勝で決まりかけてたけど
阪神が直接対決を全勝とかして最後に大逆転優勝
ソフトバンクが最後に西武を追い抜いた2010年みたいな展開 工藤、正力松太郎を獲得(4度目)
王球団会長と並び最多 >>528
大昔には日米野球を優先してあろうことか公式戦を打ち切ったシーズンもあったらしいですよ サブローはオーナーが放出に激怒したから速やかに買い戻された 永本(阪急)と柳田(巨人)の一年出戻りトレードというのは記憶にある 1年どころか入来智(近鉄)⇔吉本亮(広島)という半シーズンで共に出戻りというがあったな。 >>528
スワローズは二度の東京オリンピックの年に、いずれも
その影響で他球団の本拠地で主催ゲームやることになるのか NPBのジャイアンツでプレーした選手が
MLBのジャイアンツの監督に就任するらしい 選手として3球団で最下位
成瀬善久
11年 ロッテ
17年 ヤクルト
19年 オリックス 2010年代のソフトバンクみたいに、同一年代でセもしくはパの全球団を日本シリーズで倒すって記録は当分出なさそう
6回日本シリーズに出るよりも相手リーグの強豪から弱小チームまで満遍なく当たる方が相当難易度高い >>540
05楽天に参集した最弱戦士が様々な経路で達成してると思う
例えば酒井忠晴
92中日
9798ロッテ
05楽天 >>538
多分ね。
たまにはガラガラの球場で、そういう試合をのーんびり見るのも悪くないかな、て気もする。
しかし、タイトルや規定投球回・規定打席がかかった選手以外は、何をモチベーションに試合したのだろう。 平野恵一はプロ入り以降8年連続で監督が代わった
オリックス
02 石毛
03 レオン
04 伊原
05 仰木
06 中村
07 コリンズ
阪神
08 岡田
09 真弓 >>543
堀之内
難波
藤井寺
あとはわかるな? >>538
>>543
何気に久保が2つ勝ち星を挙げてるのが草
代走専門の藤瀬がHR打ってるのも良いな
てか、藤瀬ってこのシーズン3本もホームラン打ってたのか >>540
>>542
監督として記録したのは別当と根本だけかな?
別当
1962,1964近鉄
1973広島
1977大洋
根本
1969,1972広島
1979西武
1993ダイエー
根本は西武時代が一年後だったら4ディケードで記録するところだった MLBでは両リーグのMVPが同じ州のチームっていう例は今年含めても過去に10例以上あるけど
日本で両リーグのMVPが同じ県のチームだったのは2例のみ 同じ都道府県の球団がどれだけあるんだ?って話では? あと、2例ではなくて1例のみ(1981年)=奇しくも苗字の頭文字が「江」の投手 各リーグ6球団制になってから、県(都道府ではない)に2チーム以上あったケースって
阪急/オリックスと阪神(兵庫県)、大洋/横浜と川崎ロッテ(神奈川県)だけ? >>551
(>>548さんの「県」が都道府県を意味するならば)1981年の他に1970年も該当します。 >>545
そういう花柳街に行ったかは兎も角、、
焼肉は喰らったろうな。 >>550
同じ都府県の球団すらあまりないのに、長年2球団あった西宮市すげえ。 一軍と二軍で違うチームだけどその年の優勝チームが同じ県ってあるのかな
例 一軍 西武 二軍 ロッテ >>542
やや変則だが
塩谷和彦
阪神・オリックスで7年連続最下位(1998〜2004)
その後韓国SKでプレイ(2006)して途中退団→引退しているが
SKはその年最下位 >>558
1980はパの一軍優勝が近鉄、ウの優勝が南海(大阪)
1998はパの一軍優勝が西武、イの優勝がヤクルト(埼玉) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています