1987年のプロ野球を語ろう Part.3
王巨人の初優勝
近藤ノーノー星野中日
決め手を失ってきた阿南広島
巨人の犬?関根ヤクルト
古葉でも暗黒大洋
約20年に及ぶ暗黒の幕開け阪神
※前スレ
1987年のプロ野球を語ろう Part.2
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1405265462/ >>304
1986年のオールスター前後の時点で既に先発投手陣は崩壊していたんだけど、それを石本が時に6回から登板し最後まで投げ切ったりと一人で支えていた。
が、9月に入りその石本までも疲労の色は隠せずで調子を崩し打ち込まれる事が多くなったんよね。 >>305
石本は、そこから引退まで調子が戻らなかったね。
近鉄は阿波野を獲得出来たのはナイスだった。
本人は指名の瞬間、唇の下を噛んで悔しがっていたけど。。。 >>306
プレ「えーーーーっ!?」だったんだよね あの時
亜大の一般学生ごときが笑わせる
お前らなんかお呼びじゃないよとしか言いようがない 今から考えると近鉄のほうがプロ野球界にお呼びじゃなかったけどな
金村の自虐話聞いてると、くじで巨人でなく近鉄に行かされた阿波野が悲惨すぎる・・・ 阿波野ってっ巨人に当たってたら
江川 桑田 西本 槙原 阿波野のとんでもないローテだったな >>308
多少の不備や吝嗇はあったにせよ半世紀以上球団を運営した日本最大の私鉄が
ドラフトの対象ですらない見物人でロクな取り柄もなさそうな亜大の学生より
お呼びでないと? 近鉄で優勝したし、トレンディで取り上げられるし、野茂とかとチームメイトになるし結局巨人も行くし十分だろ 他を圧倒する高年俸に同額かそれ以上とも言われるサイン会やCM等の副収入
引退後の処遇を考えても巨人と近鉄では阿波野の生涯収入は10倍どころじゃないだろうな
ほんまに悲惨や・・・ >>311
野茂の存在は阿波野にとっては微妙。
プラスとは言い切れない。 当時、めぼしい左の先発がいなかったから、ある程度重宝されたとは思う。
左腕はリリーフ陣で角とか木下がいたくらいか。 球が速くて体がデカいだけの高校生投手なら入った球団の環境差は大きいだろうけど
阿波野のような完成品の大学生左腕はどこでも同じようにやれそう。
阿波野が王巨人にいたら王監督の余命も少し伸びていたかな
代わりに斎藤雅樹あたりが覚醒することなくパ・リーグに飛ばされる。 この年の首位打者正田。
本塁打0本もさることながら打点26は先頭打者でも少なすぎる。 でも阿波野も最後は地元の横浜に戻って、38年ぶりの優勝にも貢献出来たんだから、
良かったのでは? 問題です
高校・近藤、大学・阿波野とともに86年ドラフトの「ビッグ3」と称された
社会人の投手とは誰でしょう? タイトル争いの数字を見る限り、この年のセくらいが投打のバランスが取れていて
丁度いいな。
ホームラン40本前後、打率3割3分台、防御率2点台前半、最多勝20勝に足りない程度 近藤はノーノ―の次の広島戦も1安打完封だったのは地味に凄い。 当時2試合連続ノーノーの壁は結構厚いと思ったものだが
まさか今年同じ感想をパワーアップして味わうとは思わなかった >>323-324
8/9 巨人戦 ノーノー
8/16 広島戦 6回2/3自責点2
8/23 阪神戦 1安打完封
記憶は美化されやすいがこうな
ここまで順調なプロデビューも、最終的には4勝5敗防4.45まで落ち込んだのも
味わい深い >>325
ご指摘有難う。
完全に記憶違いでした(-_-;) >>325
阪神戦の1安打(岡田)はセンター前のポテンヒットだったような。 >>329
むしろ出たことあったのか 全然覚えてねえ 黄金期西武はナベQ、工藤、伊東、石毛、辻、清原、秋山、デストラーデのイメージが強いから
横田、清家、広橋、羽生田、山野あたりは影が薄い 黄金期の西武のレフト
吉竹
笘篠
羽生田
安部
森
山野
こんな序列のイメージ 安部と森は打撃特化型だろ
笘篠は対左と野茂殺しなどの特殊能力と内野もできるユーティリティ
吉竹はトータルなバランスかなあ
黄金期に控えとは言え一軍に居続けるのはなんらかに特化した売りがないと >>337
移籍してから一二年は守備固めでちょっと疲れていた。
左殺し西岡、広橋。
代打屋立花
駒崎、青山 目に映るもの全部アベとかにこじつけるぱよちんってほんま気持ち悪いな
何がどこぞの国だよアホか >>334
日シリになると、安部の順列が上がり、笘篠の順列が凄まじく下がる。 安部が活躍したのは87年の対巨人だけだな。
その年のインパクトが強過ぎる。 >>338
守備固めで疲れる?
ああそうか、「使われていた」の間違いね 公式戦で本塁打の無い清家の日本シリーズ初本塁打。
後年オープン戦でも同じ水野から本塁打。 >>342
1990年も。
レギュラーシーズンではモブ扱いだったのに、第3戦で指名打者起用され、得意の桑田からタイムリー2本、第4戦でも代打でタイムリー。 >>342
1988年の中日との日本シリーズの1,2戦では清原サードで、安部がファーストだったよね。 この年に生まれた自分は不運過ぎた
それに比べれば00年代生まれは恵まれてる この年から黒バットが解禁された。
巨人の主力打者の大半が採用した。 この年あたりから、レガースをつける打者が増えた印象がある。
西武の秋山とか巨人の松本はその前から使用していたが。 今思えば松本は歴代巨人の選手の中では俊足外野手として最優秀の部類の選手だな 盗塁王取ったときの盗塁数が半端じゃないぞ松本。
マスクもいいし今だったら大スター扱いされそう。 >>357
週刊ベースボールのやくみつる漫画でも揶揄されてた。 >>357
週刊ベースボールのやくみつる漫画でも揶揄されてた。 >>362
作風全然違うからね
有名どころや自分のお気に入りだけをどんどんアレンジするいしい
いしいが見向きもしないようなマイナーネタをあつかってオタクに取り入ったやく やくみつるの自信満々のネタがまるで面白くなかった。
王の「ピッチャー鹿取」とかいしいひさいちの二番煎じネタだった。
もっともつまらないのがどうでもいい大洋ネタ。 長嶋一茂が1位指名されたときは
この成績で1位とかありえんわと思ったが
今年の西武1位の蛭間とあんまり変わらんね
一茂 101試合 86安打 11本塁打 54打点 .225
蛭間 66試合 59安打 13本塁打 38打点 .267 長嶋の息子
スター性抜群
パワー スピードも高い
ガタイもいい
顔もいい この年の西武、何故か日本ハムに相性が悪く、公式戦では後楽園で1勝しか出来なかったけど、
日本シリーズでは後楽園で2勝したね。 対戦相手が違ったから、そうした相性の悪さもチャラになったんじゃない? >>370
そんな時代も確かにあったな
今じゃ、コメンテーターとして出演した番組での自身の発言が
度々炎上するぐらいには有名になったw ホーム13試合のうち5試合が地方試合だけどな
ミスリードさせる書き方 1987年の日本人打者で
相手投手からして嫌な存在だったと思う打者BEST5は? セ・リーグだと将来の期待値込みで、
落合→前年までパ・リーグで2年連続3冠王&50本塁打の名実共に現役日本一の大打者。
吉村→実力では既に巨人の4番で後は実績のみと観られてて、吉村を一向に4番に起用しない王監督に非難の声まで。
小早川→東京六大学三冠王の実力がプロでもいよいよ開花と観られていた。
パ・リーグだと
清原→まだ未完成ながら、何処まで王の記録に迫るかと観られる将来のミスタープロ野球候補。
新井→近鉄移籍で安打製造のみならず長打力までアップし、「嫌らしい」という面ではこの上ない打者に。
辺りかな?
他に迷ったのは
門田→前年の不振より衰えたと思われたが、すっかり本塁打王を獲得した頃の打棒を取り戻し、再び
相手投手から嫌がられる打者になった事は、リーグトップの24敬遠が証明。 それはないw
チャンスにポップフライがお約束だったからw ベストシーズンと言ってもよい成績で、
それを言われるのが原さんクオリティ
何だろうね
点差がついた終盤でスリーランHRとかそういう感じだったんだろうか ブーマーは?
打順は3番が多かったけど、ほぼ全ての面で4番の石嶺を上回る成績 >>381
>>376は日本人打者限定で聞いているからね。
外国人まで入れたら、セ・リーグならホーナー、バース、クロマティ、ポンセ、パ・リーグならブーマー、ブリューワ、オグリビー辺りまで
考慮に入れなきゃいかんだろうね。
両リーグホームラン王のランスと秋山がどうにも評価し辛いのが残念だけど。
秋山は明らかな穴があって打率こそあんまり良くないけど、あの俊足を兼ね備えている(38盗塁)つう
別の脅威があったが、ランスはね・・・・。 そもそもランスはなぜタイトルまで行けたのか
他のバッターそんなひどかったりまだセのレベルが低かったようにも見えないし >>34
近藤は9月30日にもナゴヤ球場で完封したが、巨人戦勝利はこの2勝だけ。 >>41
9月1日の3回裏だったが、この桑田のホームランこそがチームとして2試合超しでの近藤からの初ヒット。
この後4回に吉村タイムリー、山倉3ランで5ー0とリードしたが、5回表に中尾のピッチャー返しを股間に当てて桑田は無念の降板。2番手広田でも抑えられず、5ー3で1死満塁で3番手水野を送り込み、3番ゲーリー4番落合を連続三振!少し離れてた首位攻防戦だったが巨人勝利。
桑田はオールスター前最終戦の新潟鳥屋野球場で中日を完封後、オールスター後は勝ち星に恵まれず、ウイルス性の風邪にかかったりして、9月15日まで勝てなかった。 >>38
フリーザの記憶力なんて、そんなもんよ
後年「篠塚と岩瀬は何度も対戦した」なんてことを中継で言ってのけたしw >>386
週刊ベースボール付録の選手名鑑で、獲得タイトルor思い出のシーンの項目というのがあり、
水野雄仁投手の当該項目がその連続三振でしたね。
当時中日贔屓でしたが、桑田の急所直撃降板は覚えていたものの、
その試合の結果や展開は覚えていなかった。 >>386
近藤もこの試合を境に打ち込まれるようになり、ここから4連敗
月末の巨人戦で完封勝利飾るも、消化試合の阪神戦では再び序盤で捕まり黒星
結局4勝5敗に終わった 1987年と言えば巨人と日ハムの本拠地だった後楽園球場最後の年。
巨人は4年ぶりのリーグ優勝、日ハムも4年ぶりのAクラスだった。
役目を終える後楽園球場にとって最高の花むけだった。
欲を言えば巨人に日本一に成って欲しかったが・・・・・・。 王が4勝1敗で後楽園にて日本一を決めたいとか
江川の最後も後楽園でとか
無理で強引な投手起用のせいで
3敗までできると普段のシリーズの戦いをした西武に敗退
江川は2回登板させたければ少なくとも第1戦か2戦
(よって後楽園では登板出来ない)
あとは勝ち星順で槙原第3戦、西本第4戦だったろうな >>391
「江川の最後」が引退を意味しているのだとしたら、
電撃引退表明はシリーズ終了後だったと思うんだよね
仮にそうだとしても内々に伝えていたかも知れんけど
個人的には江川1戦、槙原2戦だったら、
或いはもしかしたら?くらいな事にはなっていたかも?
まぁ思い返して、やはり西武には勝てなかったかな(´・ω・`) 結局はどう転んだって、この年の讀賣は西武には敵わなかったわけで 清原が2年目のジンクスに嵌ったみたいなみたいな言われ方してたけど、打率をやや落としただけなんだよな
この年の西武のチーム打率が酷かったのもあってむしろ貢献度は前年より上がってんじゃないのかと今となっては思う >>394
.304→.259は「やや」ではないな
フォアボールが49→80に増えてこれなので数字の見た目以上に印象は悪くなる 西武は軒並み打率ダウン。ダウン具合で見ると清原はまだマシな部類と受け止めた。 この年は森監督も貧打を嘆いてた
ホームランはそこそこ出ていたがチーム打率はリーグ最下位だったから
いくら優勝したと言ってもさすがにこれを嫌味というのは酷か その分、投手陣(特に先発)が頑張っていたから優勝できた >>397
リーグ全体ならともかく球団単位での話かよ
贔屓の引き倒しもいいところだな >>400
リーグ全体でも、南海以外は程度の差こそあれ
前年度よりもチーム打率は下がっている
特に西武は3分以上下落(.280→.249) 後出しジャンケンはもういいよ
.304が.259になったのを「やや落とした」って一生言っていればいい >>390でも書いた通りこの1987年は後楽園球場最後の年。
惜別の書籍も出ていたな。 >>379
原はチャンスでポップフライとか大勢決した場面のホームランの印象が強いんだろうけど
他球団ファンからすればウチの4番より打ってるしチャンスにも弱くないじゃんといつも思ってた
原は比較対象がONだからどうしても厳しく見られがち
とは言え後楽園やドームを本拠地にして382本塁打はやはり物足りないか?