1987年のプロ野球を語ろう Part.3
王巨人の初優勝
近藤ノーノー星野中日
決め手を失ってきた阿南広島
巨人の犬?関根ヤクルト
古葉でも暗黒大洋
約20年に及ぶ暗黒の幕開け阪神
※前スレ
1987年のプロ野球を語ろう Part.2
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1405265462/ >>218
この年、前半は松沼弟が抑えをやっていたけど、いつの間にか姿を消していたしね・・ 森西武は鹿取が来るまで抑えが迷走していた
広岡の時は森繁がいたが 西武の抑え投手、あえて言えば
1986年 郭
1987年 松沼弟、渡辺久
1988年 森、山根
1989年 山根
のような感じだったっけ? 1989年は新人の石井丈も抑えをやっていたかな?
山根、西武に移籍してきて何とか最後の花を咲かせたよね 森西武の前半期と2期藤田が球界最期の先発完投主義だったな… 森はサンフレッチェ時代があるから
単に頼りになるリリーフがいなかっただけだろ >>225
森西武の前半期は分業制の確立よりも、先発を表三本柱&裏三本柱の6枚揃える事を優先したからかと。
覇道にも「私はエース格を中4日以下で詰めて使うよりも、中5日空けてベストコンディションで投げさせる方を優先した。」
という内容の記述が見受けられた。
当時は阪急上田監督に代表されるように、勝負どころで好調な投手を中3日以下で使うなんて監督もまだ多かったし。
89年の失敗を受けて、リリーフ陣の充実に振り向ける様になった。 前半まで西武はヨレヨレだった。
例の伝説プレー。羽生田ポロリバックホームが象徴していた。
清原より秋山・吉竹が目立っていた。 5月頭の後楽園で日本ハムに3連敗して最下位になった事もあったよね。
羽生田のエラーもこの時だったね…
打つ方はみんな低調で、金森が3番を打ったりしていた
そんな中で工藤だけが孤軍奮闘していた 秋山、清原は時々HRが出るものの打率は低調、ブコビッチは前年に輪をかけて不振
伊東が5番を打っていた事もあったね… 1986年西武は.281 1988年は.270 チーム全体謎の低打率の年だね 田尾や片平、大田もいなくなって若返ったが打者の層が薄くなってしまった 1988年の西武のチーム打率.270は、一応リーグトップなんだよね。
この年はチーム防御率はリーグ3位だったけど、秋山・清原・バークレオらの打力で勝った感じ
1987年はチーム打率.249でリーグ最下位。
でも防御率2点台の投手陣の力投で接戦をものにして勝ちを拾っていったよね。
2-0とか2-1とか3-1といった試合が多かった印象 貧打線と言われた向きもあるが、
日シリで対戦した読売からしたら、
普通に強力打線やんけ思った記憶(´・ω・`) それは讀賣がだらしないだけ
ましてや、クロマティが守備で何度もやらかしたからねw 確かにこの年の日本シリーズ、西武が打線が繋がって3点取った第1戦の1回や第5戦の1回も、
エラーがからんでいたしね… そんな打った訳じゃないよ 日本シリーズ6試合で西武 .221 6本塁打 確かに、1,5戦も桑田から3点取っただけだったし、第3戦はソロホームラン2本、第4戦は完封負け、
第6戦も清家のまぐれっぽいホームランとクロマティのまずい守備による2点だけだったし…
それでも勝ちを拾えたのは投手力と守備力のおかげだったね。 >>234
大田は引退だったけど、片平あたりはDHや代打要員として残しておいても良かったかもね。
でもそうすると、安部の台頭が無かったかも… 新陳代謝ということを考えたなら、これで良かったのかもね そして、東尾は晴れて1億円プレーヤーということだったんだけど、
その後に不祥事をやらかしてしまった… 1億自体は86年オフに到達している
87はMVPを受けての更改で球団提示額が1億1千万
(球団曰くベースが高いからアップは少ないとのこと)
これを保留してさて次回、というところで麻雀事件勃発
もはやアップどころではなく7500まで減俸&謹慎で更改0 今年の阪神の体たらく
この年の阪神と何かと比較されるよね >>246
そして、翌年に現役引退だったね
あの事件が無かったら、あと数年はできていたと思う >>248
そうしたら1989年も優勝していたかな? >>251-259
ちょっと何言ってるか分からない この年の貧打線からしたら数年後あんな強力打線になるとは思わなかった。 前年監督新任で優勝した阿南。その手腕を讃えらえたが87年の采配は微妙だった。
津田を過信。不調の北別府を引っ張り過ぎ。好調の川端の登板過多(中継ぎのみで
規定投球回数到達)。
長冨が2年目のジンクスで5勝。金石の故障で投手力は前年ほどではなかった。
チーム打率の高さほど得点出来ている印象が無かった。
当初から3年で工事にバトンタッチするのが既定路線だった阿南。
チーム育成に着手すれば「長期政権狙いか」と穿った目で見られることを
懸念したのだろうか。 >>266
んな訳ないやろ。確かに津田は翌年も打たれる事が多かったし衣笠の扱いも難儀したな。
この年はヤクルトの伊東も中継ぎだけで規定回越えたんだっけ。 >>267
いや、この年の登板は全先発
有名なのは翌年 川端使い過ぎだと思っていたら工事が紀藤を負け試合も勝ち試合も関係無くこの年の川端以上に
使って笑ったw >>266
あれで阿南さん的には燃え尽きてしまったんだろうかね 87年阿南は衣笠の連続試合出場にかなり気を遣ったことだろう。
そして元上司の古葉が敵に回り自軍のスタッフを大量引き抜き。
こう書くとなかなか逆境の中指揮していたと思えてきた。 ランスというホームランか三振かという使いづらい選手もいたしね… 当たれば確かにでかいけど、せいぜい10回に1回だからね コスパ考えたらランスは当たり。
代わりに長内を使っても2割3分10本ぐらい。 打点王争いに近い位の数字だったからねぇ
やっぱり怖い存在だったよ その代わり、規定打席到達者では打率最下位だったよね 他に4番を打てるような選手もいなかったかな?
強いて言えば小早川くらい? スタメンデータベースを見ると、開幕から5月末まではランス4番だったけど、
それ以降はほとんど小早川4番だねm(__)m というか小早川ってこの年が一番成績良くなかったっけ? >>281
290の24本塁打93打点ぐらいで勝利打点王(この年新設)。
結局キャリアハイの年だった。
翌年も実は開幕当初不調だったけど、240→290ぐらいまで引き上げた。
他は正田以外が240ぐらいの体たらくだったのでマークされて可哀相な面も
有った。 主砲!という程の厚みのある成績は残さないが、
3番打者辺りならけっこうコンスタントに有能な成績って感じだったのね >>284
勝利打点賞の新設はS56で初代は阪神・佐野。 ひそかに、この年の広島は大洋戦に
1敗→11連勝→9連敗→2連勝→3連敗で13勝13敗のタイ。
前半は爆勝ちしていたのが、後半一気に反動がきた。こんなケースはまずないよね。 1987年のセリーグ前年度比較
1位巨人 鹿取をはじめとしたリリーフ陣が順調 ↑
2位中日 星野監督による暴力政治が奏功 ↑
3位広島 北別府不振、津田今一つ試合巧者広島に陰り ↓
4位ヤクルト ホーナー効果野手若手の台頭伊東奮闘 ↑
5位大洋 古葉監督効果見えず ↓
6位阪神 掛布を筆頭に打撃陣の衰え顕著 ↓ >>292
1987年のパ・リーグ前年度比較
1位西武 打線低調も先発投手陣の踏ん張りでV ↑
2位阪急 最後に息切れも山沖最多勝、ブーマーや石嶺が打ちまくる ↑
3位日本ハム 新人西崎ら投手陣の踏ん張りで久々のAクラス ↑
4位南海 門田が息を吹き返し、投手陣も頑張って一時は優勝争いに ↑
5位ロッテ 落合の穴は埋められず… ↓
6位近鉄 新人阿波野は奮闘するも投手陣崩壊… ↓ 当時5chがあったら狭い川崎球場をものともしないロッテ打線ってスレが建っただろうな >>294
落合の穴はなんだかんだ今でも埋まってないな マリンになってからは球団側も半ば大砲育成をあきらめた節もあるからね 諦めてはいないんだ
初芝とか大松とか井上とか、20本は超えてもあとひと伸びが足らない
山口航輝は久々に期待できるかな >>236
西武は多くないチャンスや相手のエラーを確実に点に結びつけ、効果的なホームランも随所に出ていた。
かたや巨人は、塁は賑わすが安打効率が悪かった。 >>236,299
打率はリーグ最下位ながら、ホームランはリーグトップ且つ盗塁数もリーグ2位で、一定以上の得点力は備わっていたからね。
「頼りになるのは長嶋君だけ(by川上監督)」から王も一本立ちし、柴田も1番に定着したって頃のV9前夜の川上巨人もそんなチームで、
後は彼らを支える脇役の貧弱さを年々解消していく事で、極めて高い得点力を誇る真の強力打線(=黄金期)となった。
それがV9巨人なら、土井、高田、末次&柳田辺りで、既に辻が居た森西武なら平野、バークレオ→デストラーデ辺りね。 近鉄は阿波野が入ったのに、大きく勝ち数減った。
逆にいえば、1986年は石本がバリバリだったとはいえ、この先発陣でよく2位になれたもんだ。 >>304
1986年のオールスター前後の時点で既に先発投手陣は崩壊していたんだけど、それを石本が時に6回から登板し最後まで投げ切ったりと一人で支えていた。
が、9月に入りその石本までも疲労の色は隠せずで調子を崩し打ち込まれる事が多くなったんよね。 >>305
石本は、そこから引退まで調子が戻らなかったね。
近鉄は阿波野を獲得出来たのはナイスだった。
本人は指名の瞬間、唇の下を噛んで悔しがっていたけど。。。 >>306
プレ「えーーーーっ!?」だったんだよね あの時
亜大の一般学生ごときが笑わせる
お前らなんかお呼びじゃないよとしか言いようがない 今から考えると近鉄のほうがプロ野球界にお呼びじゃなかったけどな
金村の自虐話聞いてると、くじで巨人でなく近鉄に行かされた阿波野が悲惨すぎる・・・ 阿波野ってっ巨人に当たってたら
江川 桑田 西本 槙原 阿波野のとんでもないローテだったな >>308
多少の不備や吝嗇はあったにせよ半世紀以上球団を運営した日本最大の私鉄が
ドラフトの対象ですらない見物人でロクな取り柄もなさそうな亜大の学生より
お呼びでないと? 近鉄で優勝したし、トレンディで取り上げられるし、野茂とかとチームメイトになるし結局巨人も行くし十分だろ 他を圧倒する高年俸に同額かそれ以上とも言われるサイン会やCM等の副収入
引退後の処遇を考えても巨人と近鉄では阿波野の生涯収入は10倍どころじゃないだろうな
ほんまに悲惨や・・・ >>311
野茂の存在は阿波野にとっては微妙。
プラスとは言い切れない。 当時、めぼしい左の先発がいなかったから、ある程度重宝されたとは思う。
左腕はリリーフ陣で角とか木下がいたくらいか。 球が速くて体がデカいだけの高校生投手なら入った球団の環境差は大きいだろうけど
阿波野のような完成品の大学生左腕はどこでも同じようにやれそう。
阿波野が王巨人にいたら王監督の余命も少し伸びていたかな
代わりに斎藤雅樹あたりが覚醒することなくパ・リーグに飛ばされる。 この年の首位打者正田。
本塁打0本もさることながら打点26は先頭打者でも少なすぎる。 でも阿波野も最後は地元の横浜に戻って、38年ぶりの優勝にも貢献出来たんだから、
良かったのでは? 問題です
高校・近藤、大学・阿波野とともに86年ドラフトの「ビッグ3」と称された
社会人の投手とは誰でしょう?