1987年のプロ野球を語ろう Part.3
王巨人の初優勝
近藤ノーノー星野中日
決め手を失ってきた阿南広島
巨人の犬?関根ヤクルト
古葉でも暗黒大洋
約20年に及ぶ暗黒の幕開け阪神
※前スレ
1987年のプロ野球を語ろう Part.2
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1405265462/ 1987年巨人
5月31日 2位(0.0差)41試合
6月30日 首位(2.0差)62試合
7月23日 首位折り返し(4.0差)74試合
7月31日 首位(3.5差)75試合
8月31日 首位(4.0差)99試合
10月10日広島●で優勝決定 9月16日 原32号(110試合) ランス34本
最終 原34本 ランス39本
9月19日 中畑.345で112試合消化で規定打席到達 打撃成績首位
中畑優勝決定時まで打撃成績首位キープも、そこから5試合ノーヒット
最終 篠塚/正田.333 中畑.321
10月9日 原92打点(125試合)、ポンセ93打点
最終 ポンセ98打点 原95打点 9月16日 原32号(110試合) ランス34本
最終 原34本 ランス39本
9月19日 中畑.345で112試合消化で規定打席到達 打撃成績首位
中畑優勝決定時まで打撃成績首位キープも、そこから5試合ノーヒット
最終 篠塚/正田.333 中畑.321
10月9日 原92打点(125試合)、ポンセ93打点
最終 ポンセ98打点 原95打点 >>2-4
その讀賣をあっさりと一蹴するような形で西武が日本シリーズ連覇 80年代後半のセ・リーグは
広島の開幕ダッシュが定番化してた。
しかし序盤の貯金効果で優勝出来たのは86年だけ… 鯉のぼりの季節になると失速するとは、
よく言われてたね なぜ原はMVPにならなかったのか?
やはり東海大学より早稲田と言う偏差値か? 4年前に似たような成績でMVPをとった時は打点王だったのが大きかったからなあ この年から阪神ファンになった俺にはこの先の暗黒時代よりも、87年が1番の衝撃だった。
今おもえばそれなりにホームラン数は出てたが、ノーコン130km前後の軟投派のオンパレード
オールスターで落合に勝率が衣笠の打率以下とバカにされ
テレビ中継の後楽園巨人の試合がうらやましかったな 巨人と広島の優勝争いだったけど最終結果は巨中広で広島3位 大洋25回戦の満塁で打った犠牲フライがホームランになり、ヤクルト25回戦で打った大飛球がホームランなら原が打点王でMVPだった。 30年以上前のことを未だにネチネチ言っているのかよw よく覚えてんなぁ…
そんなラッキーがあったらその分ポンセもどこがで打点あげて結局追いつけないんじゃない? >>15
多分、それを書いた主は讀賣のことばっかり気に取られて、
そのことをすっかり忘れていたんじゃないのかw なんでアンチ巨人は「読売」と言うのだろう?
そんなにナベツネが好きなのか? >>17
それ自体が蔑称だから
ベイスや飛び降りックスみたいなのと同じ DeNAを未だに横浜と呼ぶ輩もアンチDeNAなのか それはソフトバンクと同じ
口でさらっと言いにくいから
ファンですらでぃーえぬえーとは殆ど言わない 開幕戦は6番スタートの門田。2000安打が花道と思われたが、打率はキャリアハイで、3年振りに30本をクリア。それでも6200万やった。 南海は結局4位だったが9月には首位に4ゲーム差まで迫って観客動員も増えた
おかげでオフの年俸更改で保留が相次いだ 巨人から来た加藤英司とDH併用という構想だったが出番が減るという事で加藤がDHで出場する時はレフトを守った
シーズン後半は立場が逆転して加藤はファーストに ところで、この年は何で近藤真一がセリーグ新人王に選ばれなかったんだ? >>27
初登板が8/9で2ヶ月しか出てない投手だぞ
一年きちんと出て3割打った荒井とじゃ勝負にもならない
その荒井も1年目にケガしてなければ中途半端な出場数で長冨に持ってかれてただろうけど >>27
「初登板ノーヒットノーラン」のインパクトの前には、
たとえ通年である程度の成績を残したどんな選手も及ばないのでは?
86年清原、90年野茂、99年上原でかろうじて勝負になるレベル。 新人王ってのはそういう趣旨のタイトルでしたっけねえ? ノーヒットノーラン含めて3完封してる割に10先発で4勝5敗防4.45と平凡な成績なんだよな
完投完封を繰りかえして9勝1敗防1.25、勢いを得た中日は巨人を逆転して優勝
こんくらいやってれば新人王だったんじゃないですか 最初に大記録だと後々の失敗を想像してしまうw
長嶋は4打席連続三振だし 事実、近藤の場合は初登板でノーヒットノーランという快挙を成し遂げたけど、
プロ通算12勝に終わったからね >>31
阿波野と西崎の新人王争い
意外と票差があったんだな
西崎自身は自分は記者受けが悪いwと自嘲してたが 極端な言い方すると
ノーヒットノーランやったけど1シーズンで5勝の投手と
開幕からローテを守って10勝の投手、どっちが頼りになるかと言ったら
後者だわなあ。
その後、近藤が中日のエース…とは言わずとも数年くらいローテを守って
活躍した投手ならともかく、結局早いうちに消えたし 風の如く現れ風の如く消えていった
そして常人には忘れ去られマニアの記憶にしか残っていない
そんな印象。 桑田は近藤のこと覚えてないって言ってたな
当時の巨人の選手すら忘れているんだからその程度のことだ >>38
当日にベンチ入りしてなかったせいか、
初登板ノーヒットノーランという大記録があったことすら全く知らず、
引退後にそれを知って驚いたとまで言ってたなw >>39
それはさすがにどうなんだ。
自分の所属チームのことなのに関心なさすぎる。
そもそもミーティングで話題になったりするだろうに。 >>38
夏に直接対決した時は 桑田が近藤からホームラン打ったけどなw
ぼこぼこにしたほうは案外覚えていないもんだろうな でも未だに68年度生まれ組の中では近藤が最もヒエラルキーの高い選手なんだろ? >>39
それはどうかな?
輪島のオジサン(故貴ノ花と友人で家によく来てた)が横綱だと知らなかった花田虎
しかり、偏差値30→慶応のビリギャールしかり、話を盛り過ぎ >>35
これについては翌年のNumberにある記者が書いていたのだが
新人王の記者投票締切が全日程終了の前で
締切時点ではまだ西崎は14勝だったからだそうな >>39
ありえんだろ
近藤のノーノーは野球界を越えた出来事で
直後の24時間テレビに原が出演した時
野球音痴の和田アキ子が話題にしたほどだった そもそも、あの桑田に一般常識が通用すると思うか?
後年の野球中継で「篠塚と岩瀬は何度も対戦した」などと
堂々と言ってのけた御仁だぞw 本当に覚えていないのかの真偽は別にして、
桑田のおかしな記憶力は、桑田スレではかなり有名 89開幕はドームなのに神宮だと言い張るどころか
ドームの開幕戦で一度も投げた覚えはないという始末。
81札幌の江川vs星野(星野が決勝HR)のようにその場で
VTRで証拠映像送出すればいいのに桑田忖度でそれすらやらない >>42
68年生まれの出世頭の選手は、今はもちろん野茂なんだろうけど
高3の時点では近藤が全国ナンバーワンと言われてたのは確かだからね 川藤幸三の解説デビュー年。
YTVとMBS(ラジオのみ)なのにまるで自局の解説者のように
日テレがやたらと持ち上げてた。
「それは秘密です」などのバラエティー番組どころか
火サス(木曜GDか特番ドラマ?かも)に警察署長役(台詞棒読みw)で出演させたり、
後楽園の巨神戦3連戦に1回のペースで解説も任せ、
局側もそれなりに名を売ってアピールさせていたけど、
新聞やテレビ情報誌の視聴者投稿では「いつまで阪神選手気取りなんだ」などと不評。
翌年からは出番も激減し甲子園の神巨戦すら出番なしの日すらあった。 87〜89年の第一期は阪神戦以外の解説もやっていて近鉄戦の出番も割とあった。
阪神専科の現在よりも格段にマシだった気もする 最近のファンで川藤なんてプロ野球選手だと思ってる人いないだろうな 前年限りでユニフォームを脱いで、この年初めて解説者に就任した人たち。
山本浩二(NHK) 高橋直樹(日本テレビ ラジオ日本) 谷澤健一(フジテレビ ニッポン放送)
川藤幸三(読売テレビ MBSラジオ) 高橋里志(RCC) >>39
普通に考えて近藤がああいう快挙を成し遂げれば、ライバルチームの同世代の
若きエースに対して感想を求める記者が殺到すると思うが >>56
記憶力が極端に悪い場合だと、当時は知っていても経年劣化で忘れるケースは多々ある。
周りの友人の中には水戸黄門の助さんが里見浩太朗からあおい輝彦に代り、
その際に既婚から独身設定に変り、そのせいで妻役の山口いづみも降板させられたことを何日もグチグチ言ってたのが、
10年経ち再放送で里見助さんと志乃の結婚シーン見て「助さんってずっと独身じゃなかったっけ?」w
とまるで耄碌したかのようにすっかり忘れていたし、桑田もこんな感じで忘れてしまってたんじゃないの? >>56
桑田が若きエースってw
それ当時の江川、西本、そして槇原に対して失礼だろ 若きエース自体は間違っちゃないのでは
ノーノー時点で12勝挙げとるし 槙原は別として江川・西本はこの時点で30過ぎてる。 >>29
そこの頭に高卒ルーキーを加える。
現実離れした漫画でもそんな設定にしないぞ。
その後の展開が困ってしまうからな。 NHKがサンデースポーツや大相撲のゲストでコージを売り出してたから
対抗の意味合いで日テレは川藤押しをはじめたと思うが、
関西のおっさん色が強すぎて「顔」になりきれてなかった。
どうせなら川藤よりも解説”同期”のCTV三沢淳のほうを売り出した方が良かったかと。 西武リーグ優勝のビールかけで工藤がカメラに向かって
「原さん・・・お願いだから打たないで!」と叫んでいたが、
日本シリーズ 第6戦では勝負もほぼ決した場面、つまり工藤にとってはどうでもいい場面で
手を抜いてHRを打たせてたなw >>62
川藤を局の顔で売り出そうって それ無理があり過ぎだろw >>59
そして翌年、開幕投手に抜擢される
ただし、当の本人はそのことを頭の中からすっぽりと抜け落ちていたようでw >>58
失礼もなにもエースの座を奪われる、掴めない方が悪いだろ >>64
阪神監督復帰の噂が出ては消えの状態が続いていた村山実。
その村山がいつ現場復帰してもいいようにと、「ポスト村山」を見据えて起用したはずが、
本人の考えと局側が思い描いていたような青写真(村山と同じNNN全般)が合致せず、翌年以降は全国中継激減で事実上ローカルに降格。
川藤の教育を断念したNTV-YTVは、88年オフに引退直後の掛布雅之に白羽の矢を立て、ポスト村山として契約することに >>67
桑田は斎藤雅樹が定着するまでのいわば暫定しエース。
NNN全般解説のチャンスを逸した解説者・川藤と同レベル。 >>68
御当人は関西圏メインで阪神次いでに近鉄ぐらいに踏んでたのが
思いもよらない全国中継登場に戸惑ったんじゃないの?
はじめはローカル専のような言われ方していざ開幕したら
日本テレビ解説者の肩書を貰った前年の池谷みたいな例もあるけど。
川藤もそこは過度の期待を掛けられて迷惑だったんじゃない。 この年の広島の大洋戦
●〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●●●●●●●●●〇〇●●● 13勝13敗
なのだが、前半と後半でここまで星取りが真逆になった例もないのでは?
2008年の阪神−横浜戦
〇〇〇●〇〇●〇〇〇〇〇→●●●●●●〇〇△〇●●
2002年の近鉄ーロッテ戦(前年11連勝で閉幕)
〇〇●〇〇〇●●〇〇〇〇〇→●●●〇●●●●●●●〇●●●
というのもあるが。 87年は阪神の低迷がよく話題になるけど
86年からホームラン4本打って、全部ソロで10−4で負けるとか
かなりタンパクな打線になってた覚えあるな。
85年だけ以上にすごい打線で、もう次の年にはそんなすごい打線って感じじゃなかったと思う。
バース一人だけ異次元だったけど 結局本当に怖いのは、真弓、バース掛布岡田だけだしな
若手の控え層が小粒すぎるし、ベテランが多く層は薄いのは当時も言われてた
俺も続かないとは思ったね
今年優勝しないと永久に無理と感じてたし
それと投手陣がむごすぎる >>74
あれ、小粒とは言わない。
守備固めしか居ないレベル。 ドラフトの失敗と若手の伸び悩みとで暗黒時代が来る
というかここから長く失敗続きだったけどスカウトがダメだったの? 81年から
SEX、治郎丸、なかたこ、池田、中西、遠山、猪俣、野田・・・
ぼちぼち働いてる気もせんでもないけど
打者がダメなんだよな
清原入ってたら変わったかもしれんがな この時期獲得した野手の若手。
渡真利・服部・引間・山脇
捕手は岩切・月山・・あとは誰か居る?
先発起用されてた選手は除く。 野球を見始めた頃、
たまに投げる「谷間」っていう投手もいるのかと
思ってた >>73
86年、掛布がケガしたあとサードに入ったのが
山脇だぞ?そりゃ他チームから見れば
ラッキーチャンスだろw
柏原が当たりじゃなかったらもっとひどい事に
なってたんだろうな 八木が大卒でそく20本のレギュラー選手になってたら
状況は・・・あんま変わらなかったろな >>84
掛布離脱時の山脇は守備固めじゃないの?。たしか真弓とか柏原が入った記憶が有る。 スタメンデータベースで確認したところ、
1986年阪神の掛布選手離脱時の先発三塁手は
真弓 : 31 (4/23-5/15、6/4-6/20、9/10)
柏原 : 24 (8/28-9/7、9/18-10/10)
山脇 : 5 (5/30、9/11-9/16)
渡真利 : 3 (5/31-6/3)
北村 : 1 (5/28)
でした。 この年の今日、衣笠祥雄選手が連続試合出場の世界新記録を達成 むしろ掛布がいないのにAクラスは確保したんだから
次の年はまたいけるだろ。と大半の人が思ったはず。 それがフタ開けてみたら、この体たらくだったからね
こんなこと、誰が想像できただろう >>92
投手陣がおっさん投げのmax132キロくらいばっかだった印象 開幕前の予想では阪神優勝を挙げる人が多かったことは、もうほぼ忘れられてる 真弓 34
バース 34
掛布 32
佐野 36
岡田 29
これではな・・・ 掛布なんて柳田や坂本と同じ年齢なのに衰えるの速すぎ 吉田監督の著書だと就任時に土台作りとチーム若返りがテーマだったんだけど、いきなり
優勝して目算が狂ってしまった 温情で優勝時にベテランを切れなかった ゲイルも2年目は
通用しないと分かりながらフロントに進言しなかったこと 通訳が(スパイ)正しいことを
伝えず外国人選手と軋轢 のち通訳解雇 87年4月から連敗していて5月からという時に
ホーナー旋風 ヤクルトが巨人戦じゃなくて阪神戦からホーナー登場w
バース日記だと村山就任時の開幕2週間で選手がバースを含め決起集会で村山あいつは
クレイジー クソ監督 真弓岡田も賛同してくれたと書いてあったね
87年のスレとはちょっと違うかな。 >>38-39
この年の今日、その近藤の初登板ノーヒットノーランがあった 原34HR吉村30HRクロマティ28HR山倉22HR駒田15HR
篠塚(首位打者)原吉村中畑クロマティの3割打者が5人
桑田15勝&最優秀防御率、江川13勝、槙原10勝、水野10勝、西本8勝、加藤7勝、鹿取63試合登板7勝18セーブ、角57試合登板
王時代最強戦力だろこれ それなのに、日本シリーズでは西武に一蹴される
守備・走塁の差が顕著だったからね >>94
それがどうして、ああなってしまったんだろうね バース 掛布ダメになればしんどいわね
投手はもともと強くないし 星野(阪急)、パリーグ全球団を相手に完封勝利を挙げる 日本シリーズは辻の走塁以前に
工藤一人にやられた感じ
一戦目の良い感じを二戦目序盤に潰され
運まで逃して三戦目もその流れで負け
この時点で巨人に勝ち目はなかった 工藤が讀賣を完膚なきまでにやっつける
この2年間なんか、まさにその最たるものだな 実は第3戦の4併殺と第5戦の2併殺しかくらってないのだが
接戦のそれもいいところでくらったから多かった印象を持たれる 吉村がライナー取られて
悔し気にバット投げてた様な記憶 打線が機能しなかったかと言うと安打数はあったり
投手が通用しなかったかと言うと桑田と西本以外は割と抑えてた
でもバントは失敗るし送球はそれるし酷いチームだった 工藤にやられたシリーズだな
1戦目の勢いを止められ、6戦目にとどめを刺された 桑田
槙原
江川
水野
桑田
槙原
江川
こんなローテでどう?
工藤に槙原は2敗しかねないからもったいないけど 桑田は初の大舞台だったし、
後半の調子は(前半に比べれば)今一つだったから、
江川@槙原A桑田Bみたいな感じが良かったんじゃないかなぁ
槙原と工藤がぶつかるのば勿体ない感じもするけど 槙原1994年に完封と1失点完投
1990は4失点してるけど
1987年は完封
実は西武キラーなんだよねw
1994年の逆再来があったかもしれない
桑田はそうかあ
後半調子悪かったのもあるのか
それだと
江川、槙原 水野、桑田、西本 江川、槙原
江川に中6日用意して少しでも体制整えさせないと
でも打線がなんかダメなんだよなあ
4番アレだしw どう転んでも、讀賣は西武には勝てなかったんだから
今さらどうこう言ってもムダw 読売巨人が日本シリーズで勝つ絶対条件は
原辰徳が4番打者で試合に出る割合が
5割以内である事 >>114
俺は3戦と4戦を入れ替えればよいだけ
どのみち江川は1回しか投げられないしな
西武球場もあかんし 江川は小早川のアレと、シリーズ3戦のピッチングは
シーズンを通してベスト3くらいに入る内容だった印象 選手の打率や本塁打数だけ見ると西武の主力メンバーとか秋山以外は酷い数字
特に前年のМVP石毛とか超平凡だもんな
それがシリーズに入った途端にあれだけ打つんだからまさにシリーズ男 石毛のシーズン成績見ると意外だよね
シリーズではよく打ってる この年の巨人は、山内が打撃コーチをやっていたんだよなあ。 篠塚 クロマティ 吉村は打っていた
3人並べたほうが良かったかもしれないw 石毛はシーズンからコンスタントに打ってたからシリーズで際立って
って感じはしない
そういうのは大田とか安部 いや石毛宏典はシーズン280くらいなのに
日本シリーズだと平然と3割こえてくるし
クローザーからソロ打って同点にしたり際立ってるよ 巨人は左が打ってたのに打線の組み替えがなあ
原は打順下げるかベンチスタートにできなかったのかね 第何戦をベンチスタートにすべきなのか書いてないから判断に困るんだけど
シーズンで3割30本をクリアして6月から不動の四番
シリーズでも第2戦を除いて毎試合安打して2本塁打の打者を
どこでスタメンから外す必要があったのか? 原を控えに置いて、どこで出てくるか分からない作戦とか・・・(小声 とはいえ西武の左は
先発として読める工藤と不安定な小田だけだからなあ
(結果として小田は負けパターンで2試合出てゼロに抑えてるが)
この年の巨人は
駒田-岡崎(鴻野)-クロマティ-原-吉村-篠塚-中畑-山倉と
前半戦の松本、この10人だけでほぼ戦ってDHに入れる人を欠いたのが
いかんかったなあ 所詮、讀賣は猿山のボスに過ぎなかった
で、日本シリーズで西武に一蹴される 3番のクロマティもシリーズ3割だけど打点なし
この辺もちぐはぐだったね
巨人の攻撃が線になってたのは第1戦と4戦の初回くらいだったね
まあ西武もそんなに繋がってたわけではないんだが クロウさんが打点1なのは89年もだったかな
前の緒方、川相、篠塚とか抑えられて
篠塚、クロウさんが連打すると原が凡退 >>135
打線が「線」になっていなければ、勝てるわけねえよな チーム全体が緩かった
王、国松がまとめきれてなかったかもしれない
ショートの送球もいま見ると酷い 鴻野とかひでーよな
藤田になって完全に干されたけど >>138
そのような体たらくのチームが西武に勝てるはずもない
でもまあ、ここ2年の讀賣よりはずっとマシだがw >>139
勿論あれ送球ミスではあるんだけどね
それにしても1番打者かつ遊撃を任せるのはちょっとなあ
緒方か走れないけど篠塚使って
9番に遊撃で川相昌弘とか
あと原辰徳は7番に下げるか別の奴使った方がいい くだらない結果論だな
いい歳したおっさんが馬鹿丸出し しかも、讀賣ヲタの悔しさが満載なレスばっかりだからね
あいつら、ここまで粘着質だったのか 2016年の栗山が打線の組み替え早くて功を奏した
NTTみたいに官僚接待したり頭の悪い事してると
短期決戦には勝てない https://youtu.be/SVkeOT8YjxA
1989年のパリーグだけど
近代野球とそれ以前の野球との狭間だな >>128
逆に94年はシリーズで全然打てなくて
シリーズで負けた >>147
西武の攻撃の本質は石毛と辻なのかもしれない 何だかんだ言っても、カギを握っていたのはその2人だろうから >>111
駒田はヘルメット叩きつけてた。
第3戦は、巨人の選手の精神状態が明らかにおかしかった。 第6戦の試合時間がかなり短く、表彰式やペナント持ってグラウンド一周を終えても、まだ放送時間の尺が余りまくっていた。
多分雨傘番組なんだろうか、田淵や小林繁をゲストにした、その年流行ったSFFの特集みたいなものを放送していた。 >>153
工藤が讀賣打線を抑えて、あっさりと完投勝利だったからね この年の今日、近藤真一(中日)が讀賣相手に
プロ初登板でノーヒットノーランを達成 その時点で、通算12勝で終わるとは誰が想像しただろうか 息子の近藤弘基と親子共々球団職員やってるのをさっき知ったんだが
これも珍しいケースだな 近藤のノーヒットノーランの試合では
落合が守る方でも目の色を変えてハッスルプレーしてたな
三塁前のゆるい当たりにすごいダッシュをしたりして
普段の淡々とした落合と違ってて驚いた 虚カスノーノーと次の阪神戦1安打完封がピークだったな
でもそれが強烈な印象となって今でも球界に残っている
ゆとり野球もいいが、猛烈野球も選手にすればプラスになることも多いということだ 鈴木啓と江夏の関係のように
近藤がもっとすごかったら今中に行かなかったり
山本昌がクビになってた可能性が高いな
昌は近藤の初登板を球場そして帰宅後の合宿所で見て
実際首を覚悟したそうだ 鈴木啓示と江夏って同じチームでやったことあったっけ? 阪神が65年ドラフト1位で地元育英の鈴木啓に行くところを
急遽方針転換して無名高校生右腕投手に
鈴木啓は近鉄に2位で入団、一年目にいきなり10勝を挙げる
翌年のドラフトで大きな魚を逃した阪神は1位で江夏を指名
江夏は「前年、啓ちゃんが阪神に指名されてたら、ワシは阪神に指名されてないやろな」
要は同じタイプの戦力を二人も三人もかかえておかないってこと だから山本昌がアメリカから急遽呼び戻されずに翌年か翌々年あたりで整理対象
あるいは球団職員の大豊を掟破りの2位指名にしてまで今中を1位で行く
(当時球団職員でかかえた選手は1位で指名するのが慣例だった)
意外と歴史のifってのはそんな感じで辻褄が合ってうまくいかないもんだ 1987年の東尾以外に過去にMVP選手がベストナインに選出されない例はあるのですか?
おそらく、東尾にMVPを入れた記者が投手ベストナインでは秋山や石毛に票を入れたんだろう
で、MVP工藤派はベストナインも工藤に
https://puroyakyuu-kurouto-date.com/commendation-1987/ >>169
あ、優勝チームの野口がMVPで20勝の上原がベストナインでしたね
しかし、東尾と工藤は同じチームです >>168
投手ベストナインの投票先で投手ではない秋山や石毛の名前が上がるのが理解できないのだが…… この年の今日、衣笠祥雄が現役引退
2215試合連続出場は今もNPB記録 >>171
パリーグをろくに見ていない投票者がいたから >>162
その3人が同時に在籍していたのは89年〜94年だけど、
同時にローテ入りというのは無かったんじゃないかな 田辺とか球威があって、巨人の宮本よりも
上かと思ってたけど、コントロールが明後日過ぎたね >>35
この年の阿波野は完投が多く、投球イニングと奪三振でかなり西崎を上回ってる
妥当だよ >>179
一矢報いたというよりは、焼け石に水だろ
あんなもん >>179
原ファンの俺ですら忘れていたくらいの存在感 >>181
いや、その時点でスコア1-2だから、試合の行方を分からなくさせるくらいの効果はあったよ
何よりTBSでレフトスタンドの兎女子が2人泣き出したシーンが映し出された
それと工藤が明らかに顔色変えて少し動揺したんだよね
焼け石に水とは言えないと思う >>182
あれはもう、9割方クロマティの責任だからね この年の日本シリーズで西武が日本一を決めた後の各メディアの扱いだが、殆どが西武よりだったイメージ
もちろん読売新聞や日テレだけは違ったが
ちなみに、この当時は世間一般では「西武が正義で巨人が悪者」の雰囲気があった
巨人がヒールなのは今もそうだけど >>189
上から読んでも石井
下から読んでも石井 >>191
古くは別所引き抜き事件から
湯口事件、江川事件…… クロマティの緩慢守備は巨人のだらしなさもそうだが、シーズン中その穴を攻め切っていなかったセリーグ5球団もだらしがないと思った。 制作中のチームだった中日大洋ヤクルトにピーコ引退仕切り直しな広島に暗黒入り阪神
みんな固まってなかったからな
時たま巨人が優勝する年はこんなことがよくある しかし、翌年以降は鹿取はともかく、山倉が凋落の一途を辿ることになる 村田真一のスタメン定着まで
有田&中尾のトレード組に大カバーして貰った この年のヤクルト、もしホーナーが加入していなくても大洋や阪神より強かったかな?
もしそうだったら、レオンか杉浦が4番で、ブロハードも残っていたと思うけど… この年の元日に読売クラブ天皇杯優勝。3月にリーグ優勝。
10月に巨人リーグ優勝。シリーズは負けてダブル日本一ならなかったが。
翌年元日に天皇杯連覇。
巨人と読売クラブ(ヴェルディ)アベック優勝。
83巨人リーグ優勝 読売クラブリーグ優勝
87巨人リーグ優勝 86年度読売クラブ天皇杯優勝(87年元日決勝) 86-87リーグ優勝 87年度天皇杯優勝
90年巨人リーグ優勝 90-91読売クラブリーグ優勝
94年巨人日本一 ヴェルディ日本一
81年はくそ審判でなければアベック日本一だった。 まさか清原と工藤が相前後して後に巨人に来るとはこのときは思わなんだ
王と工藤が監督とエース、会長と監督の関係になるとは 後楽園球場最終ゲームの日本シリーズ第5戦で東尾はピンチ作っても、
のらりくらりと巨人打線を抑えていき、9回原を三振に取ったところで工藤と交代
マウンドでやたらニヤニヤ笑う東尾、翌年日本シリーズ中日戦落合と対戦した時もニヤニヤしてたわ
この前の年の山本浩二の時も確か・・・
やたらマウンドでニヤついていた東尾、広岡時代は、厳しくてそんなことはあまり見られないかったけど
森監督になってちょっと気が緩んでたのかもしれないね 1982年の中日との日本シリーズの最後の時もそういう感じだったような気がするけど… 西武 東尾 工藤 郭 渡辺久
巨人 江川 桑田 槙原 西本 この年だと、西武は松沼兄や小野、たまに横田あたりが先発 この年の渡辺久、最初は先発だったけど、途中で肩を痛めて、後半に復帰して抑えに廻ったよね 横田は夏場に出てきてローテーションに入って5勝を挙げたけど、夏の終わりに肩を痛めて
長期離脱
郭や松沼兄もケガで離脱した事があったし、年間を通してローテーションを守ったのは東尾と工藤の二人だったね… 後に先発としてちゃんと復活したからね
やはり先発より抑えの方が楽なんかな >>218
この年、前半は松沼弟が抑えをやっていたけど、いつの間にか姿を消していたしね・・ 森西武は鹿取が来るまで抑えが迷走していた
広岡の時は森繁がいたが 西武の抑え投手、あえて言えば
1986年 郭
1987年 松沼弟、渡辺久
1988年 森、山根
1989年 山根
のような感じだったっけ? 1989年は新人の石井丈も抑えをやっていたかな?
山根、西武に移籍してきて何とか最後の花を咲かせたよね 森西武の前半期と2期藤田が球界最期の先発完投主義だったな… 森はサンフレッチェ時代があるから
単に頼りになるリリーフがいなかっただけだろ >>225
森西武の前半期は分業制の確立よりも、先発を表三本柱&裏三本柱の6枚揃える事を優先したからかと。
覇道にも「私はエース格を中4日以下で詰めて使うよりも、中5日空けてベストコンディションで投げさせる方を優先した。」
という内容の記述が見受けられた。
当時は阪急上田監督に代表されるように、勝負どころで好調な投手を中3日以下で使うなんて監督もまだ多かったし。
89年の失敗を受けて、リリーフ陣の充実に振り向ける様になった。 前半まで西武はヨレヨレだった。
例の伝説プレー。羽生田ポロリバックホームが象徴していた。
清原より秋山・吉竹が目立っていた。 5月頭の後楽園で日本ハムに3連敗して最下位になった事もあったよね。
羽生田のエラーもこの時だったね…
打つ方はみんな低調で、金森が3番を打ったりしていた
そんな中で工藤だけが孤軍奮闘していた 秋山、清原は時々HRが出るものの打率は低調、ブコビッチは前年に輪をかけて不振
伊東が5番を打っていた事もあったね… 1986年西武は.281 1988年は.270 チーム全体謎の低打率の年だね 田尾や片平、大田もいなくなって若返ったが打者の層が薄くなってしまった 1988年の西武のチーム打率.270は、一応リーグトップなんだよね。
この年はチーム防御率はリーグ3位だったけど、秋山・清原・バークレオらの打力で勝った感じ
1987年はチーム打率.249でリーグ最下位。
でも防御率2点台の投手陣の力投で接戦をものにして勝ちを拾っていったよね。
2-0とか2-1とか3-1といった試合が多かった印象 貧打線と言われた向きもあるが、
日シリで対戦した読売からしたら、
普通に強力打線やんけ思った記憶(´・ω・`) それは讀賣がだらしないだけ
ましてや、クロマティが守備で何度もやらかしたからねw 確かにこの年の日本シリーズ、西武が打線が繋がって3点取った第1戦の1回や第5戦の1回も、
エラーがからんでいたしね… そんな打った訳じゃないよ 日本シリーズ6試合で西武 .221 6本塁打 確かに、1,5戦も桑田から3点取っただけだったし、第3戦はソロホームラン2本、第4戦は完封負け、
第6戦も清家のまぐれっぽいホームランとクロマティのまずい守備による2点だけだったし…
それでも勝ちを拾えたのは投手力と守備力のおかげだったね。 >>234
大田は引退だったけど、片平あたりはDHや代打要員として残しておいても良かったかもね。
でもそうすると、安部の台頭が無かったかも… 新陳代謝ということを考えたなら、これで良かったのかもね そして、東尾は晴れて1億円プレーヤーということだったんだけど、
その後に不祥事をやらかしてしまった… 1億自体は86年オフに到達している
87はMVPを受けての更改で球団提示額が1億1千万
(球団曰くベースが高いからアップは少ないとのこと)
これを保留してさて次回、というところで麻雀事件勃発
もはやアップどころではなく7500まで減俸&謹慎で更改0 今年の阪神の体たらく
この年の阪神と何かと比較されるよね >>246
そして、翌年に現役引退だったね
あの事件が無かったら、あと数年はできていたと思う >>248
そうしたら1989年も優勝していたかな? >>251-259
ちょっと何言ってるか分からない この年の貧打線からしたら数年後あんな強力打線になるとは思わなかった。 前年監督新任で優勝した阿南。その手腕を讃えらえたが87年の采配は微妙だった。
津田を過信。不調の北別府を引っ張り過ぎ。好調の川端の登板過多(中継ぎのみで
規定投球回数到達)。
長冨が2年目のジンクスで5勝。金石の故障で投手力は前年ほどではなかった。
チーム打率の高さほど得点出来ている印象が無かった。
当初から3年で工事にバトンタッチするのが既定路線だった阿南。
チーム育成に着手すれば「長期政権狙いか」と穿った目で見られることを
懸念したのだろうか。 >>266
んな訳ないやろ。確かに津田は翌年も打たれる事が多かったし衣笠の扱いも難儀したな。
この年はヤクルトの伊東も中継ぎだけで規定回越えたんだっけ。 >>267
いや、この年の登板は全先発
有名なのは翌年 川端使い過ぎだと思っていたら工事が紀藤を負け試合も勝ち試合も関係無くこの年の川端以上に
使って笑ったw >>266
あれで阿南さん的には燃え尽きてしまったんだろうかね 87年阿南は衣笠の連続試合出場にかなり気を遣ったことだろう。
そして元上司の古葉が敵に回り自軍のスタッフを大量引き抜き。
こう書くとなかなか逆境の中指揮していたと思えてきた。 ランスというホームランか三振かという使いづらい選手もいたしね… 当たれば確かにでかいけど、せいぜい10回に1回だからね コスパ考えたらランスは当たり。
代わりに長内を使っても2割3分10本ぐらい。 打点王争いに近い位の数字だったからねぇ
やっぱり怖い存在だったよ その代わり、規定打席到達者では打率最下位だったよね 他に4番を打てるような選手もいなかったかな?
強いて言えば小早川くらい? スタメンデータベースを見ると、開幕から5月末まではランス4番だったけど、
それ以降はほとんど小早川4番だねm(__)m というか小早川ってこの年が一番成績良くなかったっけ? >>281
290の24本塁打93打点ぐらいで勝利打点王(この年新設)。
結局キャリアハイの年だった。
翌年も実は開幕当初不調だったけど、240→290ぐらいまで引き上げた。
他は正田以外が240ぐらいの体たらくだったのでマークされて可哀相な面も
有った。 主砲!という程の厚みのある成績は残さないが、
3番打者辺りならけっこうコンスタントに有能な成績って感じだったのね >>284
勝利打点賞の新設はS56で初代は阪神・佐野。 ひそかに、この年の広島は大洋戦に
1敗→11連勝→9連敗→2連勝→3連敗で13勝13敗のタイ。
前半は爆勝ちしていたのが、後半一気に反動がきた。こんなケースはまずないよね。 1987年のセリーグ前年度比較
1位巨人 鹿取をはじめとしたリリーフ陣が順調 ↑
2位中日 星野監督による暴力政治が奏功 ↑
3位広島 北別府不振、津田今一つ試合巧者広島に陰り ↓
4位ヤクルト ホーナー効果野手若手の台頭伊東奮闘 ↑
5位大洋 古葉監督効果見えず ↓
6位阪神 掛布を筆頭に打撃陣の衰え顕著 ↓ >>292
1987年のパ・リーグ前年度比較
1位西武 打線低調も先発投手陣の踏ん張りでV ↑
2位阪急 最後に息切れも山沖最多勝、ブーマーや石嶺が打ちまくる ↑
3位日本ハム 新人西崎ら投手陣の踏ん張りで久々のAクラス ↑
4位南海 門田が息を吹き返し、投手陣も頑張って一時は優勝争いに ↑
5位ロッテ 落合の穴は埋められず… ↓
6位近鉄 新人阿波野は奮闘するも投手陣崩壊… ↓ 当時5chがあったら狭い川崎球場をものともしないロッテ打線ってスレが建っただろうな >>294
落合の穴はなんだかんだ今でも埋まってないな マリンになってからは球団側も半ば大砲育成をあきらめた節もあるからね 諦めてはいないんだ
初芝とか大松とか井上とか、20本は超えてもあとひと伸びが足らない
山口航輝は久々に期待できるかな >>236
西武は多くないチャンスや相手のエラーを確実に点に結びつけ、効果的なホームランも随所に出ていた。
かたや巨人は、塁は賑わすが安打効率が悪かった。 >>236,299
打率はリーグ最下位ながら、ホームランはリーグトップ且つ盗塁数もリーグ2位で、一定以上の得点力は備わっていたからね。
「頼りになるのは長嶋君だけ(by川上監督)」から王も一本立ちし、柴田も1番に定着したって頃のV9前夜の川上巨人もそんなチームで、
後は彼らを支える脇役の貧弱さを年々解消していく事で、極めて高い得点力を誇る真の強力打線(=黄金期)となった。
それがV9巨人なら、土井、高田、末次&柳田辺りで、既に辻が居た森西武なら平野、バークレオ→デストラーデ辺りね。 近鉄は阿波野が入ったのに、大きく勝ち数減った。
逆にいえば、1986年は石本がバリバリだったとはいえ、この先発陣でよく2位になれたもんだ。 >>304
1986年のオールスター前後の時点で既に先発投手陣は崩壊していたんだけど、それを石本が時に6回から登板し最後まで投げ切ったりと一人で支えていた。
が、9月に入りその石本までも疲労の色は隠せずで調子を崩し打ち込まれる事が多くなったんよね。 >>305
石本は、そこから引退まで調子が戻らなかったね。
近鉄は阿波野を獲得出来たのはナイスだった。
本人は指名の瞬間、唇の下を噛んで悔しがっていたけど。。。 >>306
プレ「えーーーーっ!?」だったんだよね あの時
亜大の一般学生ごときが笑わせる
お前らなんかお呼びじゃないよとしか言いようがない 今から考えると近鉄のほうがプロ野球界にお呼びじゃなかったけどな
金村の自虐話聞いてると、くじで巨人でなく近鉄に行かされた阿波野が悲惨すぎる・・・ 阿波野ってっ巨人に当たってたら
江川 桑田 西本 槙原 阿波野のとんでもないローテだったな >>308
多少の不備や吝嗇はあったにせよ半世紀以上球団を運営した日本最大の私鉄が
ドラフトの対象ですらない見物人でロクな取り柄もなさそうな亜大の学生より
お呼びでないと? 近鉄で優勝したし、トレンディで取り上げられるし、野茂とかとチームメイトになるし結局巨人も行くし十分だろ 他を圧倒する高年俸に同額かそれ以上とも言われるサイン会やCM等の副収入
引退後の処遇を考えても巨人と近鉄では阿波野の生涯収入は10倍どころじゃないだろうな
ほんまに悲惨や・・・ >>311
野茂の存在は阿波野にとっては微妙。
プラスとは言い切れない。 当時、めぼしい左の先発がいなかったから、ある程度重宝されたとは思う。
左腕はリリーフ陣で角とか木下がいたくらいか。 球が速くて体がデカいだけの高校生投手なら入った球団の環境差は大きいだろうけど
阿波野のような完成品の大学生左腕はどこでも同じようにやれそう。
阿波野が王巨人にいたら王監督の余命も少し伸びていたかな
代わりに斎藤雅樹あたりが覚醒することなくパ・リーグに飛ばされる。 この年の首位打者正田。
本塁打0本もさることながら打点26は先頭打者でも少なすぎる。 でも阿波野も最後は地元の横浜に戻って、38年ぶりの優勝にも貢献出来たんだから、
良かったのでは? 問題です
高校・近藤、大学・阿波野とともに86年ドラフトの「ビッグ3」と称された
社会人の投手とは誰でしょう? タイトル争いの数字を見る限り、この年のセくらいが投打のバランスが取れていて
丁度いいな。
ホームラン40本前後、打率3割3分台、防御率2点台前半、最多勝20勝に足りない程度 近藤はノーノ―の次の広島戦も1安打完封だったのは地味に凄い。 当時2試合連続ノーノーの壁は結構厚いと思ったものだが
まさか今年同じ感想をパワーアップして味わうとは思わなかった >>323-324
8/9 巨人戦 ノーノー
8/16 広島戦 6回2/3自責点2
8/23 阪神戦 1安打完封
記憶は美化されやすいがこうな
ここまで順調なプロデビューも、最終的には4勝5敗防4.45まで落ち込んだのも
味わい深い >>325
ご指摘有難う。
完全に記憶違いでした(-_-;) >>325
阪神戦の1安打(岡田)はセンター前のポテンヒットだったような。 >>329
むしろ出たことあったのか 全然覚えてねえ 黄金期西武はナベQ、工藤、伊東、石毛、辻、清原、秋山、デストラーデのイメージが強いから
横田、清家、広橋、羽生田、山野あたりは影が薄い 黄金期の西武のレフト
吉竹
笘篠
羽生田
安部
森
山野
こんな序列のイメージ 安部と森は打撃特化型だろ
笘篠は対左と野茂殺しなどの特殊能力と内野もできるユーティリティ
吉竹はトータルなバランスかなあ
黄金期に控えとは言え一軍に居続けるのはなんらかに特化した売りがないと >>337
移籍してから一二年は守備固めでちょっと疲れていた。
左殺し西岡、広橋。
代打屋立花
駒崎、青山 目に映るもの全部アベとかにこじつけるぱよちんってほんま気持ち悪いな
何がどこぞの国だよアホか >>334
日シリになると、安部の順列が上がり、笘篠の順列が凄まじく下がる。 安部が活躍したのは87年の対巨人だけだな。
その年のインパクトが強過ぎる。 >>338
守備固めで疲れる?
ああそうか、「使われていた」の間違いね 公式戦で本塁打の無い清家の日本シリーズ初本塁打。
後年オープン戦でも同じ水野から本塁打。 >>342
1990年も。
レギュラーシーズンではモブ扱いだったのに、第3戦で指名打者起用され、得意の桑田からタイムリー2本、第4戦でも代打でタイムリー。 >>342
1988年の中日との日本シリーズの1,2戦では清原サードで、安部がファーストだったよね。 この年に生まれた自分は不運過ぎた
それに比べれば00年代生まれは恵まれてる この年から黒バットが解禁された。
巨人の主力打者の大半が採用した。 この年あたりから、レガースをつける打者が増えた印象がある。
西武の秋山とか巨人の松本はその前から使用していたが。 今思えば松本は歴代巨人の選手の中では俊足外野手として最優秀の部類の選手だな 盗塁王取ったときの盗塁数が半端じゃないぞ松本。
マスクもいいし今だったら大スター扱いされそう。 >>357
週刊ベースボールのやくみつる漫画でも揶揄されてた。 >>357
週刊ベースボールのやくみつる漫画でも揶揄されてた。 >>362
作風全然違うからね
有名どころや自分のお気に入りだけをどんどんアレンジするいしい
いしいが見向きもしないようなマイナーネタをあつかってオタクに取り入ったやく やくみつるの自信満々のネタがまるで面白くなかった。
王の「ピッチャー鹿取」とかいしいひさいちの二番煎じネタだった。
もっともつまらないのがどうでもいい大洋ネタ。 長嶋一茂が1位指名されたときは
この成績で1位とかありえんわと思ったが
今年の西武1位の蛭間とあんまり変わらんね
一茂 101試合 86安打 11本塁打 54打点 .225
蛭間 66試合 59安打 13本塁打 38打点 .267 長嶋の息子
スター性抜群
パワー スピードも高い
ガタイもいい
顔もいい この年の西武、何故か日本ハムに相性が悪く、公式戦では後楽園で1勝しか出来なかったけど、
日本シリーズでは後楽園で2勝したね。 対戦相手が違ったから、そうした相性の悪さもチャラになったんじゃない? >>370
そんな時代も確かにあったな
今じゃ、コメンテーターとして出演した番組での自身の発言が
度々炎上するぐらいには有名になったw ホーム13試合のうち5試合が地方試合だけどな
ミスリードさせる書き方 1987年の日本人打者で
相手投手からして嫌な存在だったと思う打者BEST5は? セ・リーグだと将来の期待値込みで、
落合→前年までパ・リーグで2年連続3冠王&50本塁打の名実共に現役日本一の大打者。
吉村→実力では既に巨人の4番で後は実績のみと観られてて、吉村を一向に4番に起用しない王監督に非難の声まで。
小早川→東京六大学三冠王の実力がプロでもいよいよ開花と観られていた。
パ・リーグだと
清原→まだ未完成ながら、何処まで王の記録に迫るかと観られる将来のミスタープロ野球候補。
新井→近鉄移籍で安打製造のみならず長打力までアップし、「嫌らしい」という面ではこの上ない打者に。
辺りかな?
他に迷ったのは
門田→前年の不振より衰えたと思われたが、すっかり本塁打王を獲得した頃の打棒を取り戻し、再び
相手投手から嫌がられる打者になった事は、リーグトップの24敬遠が証明。 それはないw
チャンスにポップフライがお約束だったからw ベストシーズンと言ってもよい成績で、
それを言われるのが原さんクオリティ
何だろうね
点差がついた終盤でスリーランHRとかそういう感じだったんだろうか ブーマーは?
打順は3番が多かったけど、ほぼ全ての面で4番の石嶺を上回る成績 >>381
>>376は日本人打者限定で聞いているからね。
外国人まで入れたら、セ・リーグならホーナー、バース、クロマティ、ポンセ、パ・リーグならブーマー、ブリューワ、オグリビー辺りまで
考慮に入れなきゃいかんだろうね。
両リーグホームラン王のランスと秋山がどうにも評価し辛いのが残念だけど。
秋山は明らかな穴があって打率こそあんまり良くないけど、あの俊足を兼ね備えている(38盗塁)つう
別の脅威があったが、ランスはね・・・・。 そもそもランスはなぜタイトルまで行けたのか
他のバッターそんなひどかったりまだセのレベルが低かったようにも見えないし >>34
近藤は9月30日にもナゴヤ球場で完封したが、巨人戦勝利はこの2勝だけ。 >>41
9月1日の3回裏だったが、この桑田のホームランこそがチームとして2試合超しでの近藤からの初ヒット。
この後4回に吉村タイムリー、山倉3ランで5ー0とリードしたが、5回表に中尾のピッチャー返しを股間に当てて桑田は無念の降板。2番手広田でも抑えられず、5ー3で1死満塁で3番手水野を送り込み、3番ゲーリー4番落合を連続三振!少し離れてた首位攻防戦だったが巨人勝利。
桑田はオールスター前最終戦の新潟鳥屋野球場で中日を完封後、オールスター後は勝ち星に恵まれず、ウイルス性の風邪にかかったりして、9月15日まで勝てなかった。 >>38
フリーザの記憶力なんて、そんなもんよ
後年「篠塚と岩瀬は何度も対戦した」なんてことを中継で言ってのけたしw >>386
週刊ベースボール付録の選手名鑑で、獲得タイトルor思い出のシーンの項目というのがあり、
水野雄仁投手の当該項目がその連続三振でしたね。
当時中日贔屓でしたが、桑田の急所直撃降板は覚えていたものの、
その試合の結果や展開は覚えていなかった。 >>386
近藤もこの試合を境に打ち込まれるようになり、ここから4連敗
月末の巨人戦で完封勝利飾るも、消化試合の阪神戦では再び序盤で捕まり黒星
結局4勝5敗に終わった 1987年と言えば巨人と日ハムの本拠地だった後楽園球場最後の年。
巨人は4年ぶりのリーグ優勝、日ハムも4年ぶりのAクラスだった。
役目を終える後楽園球場にとって最高の花むけだった。
欲を言えば巨人に日本一に成って欲しかったが・・・・・・。 王が4勝1敗で後楽園にて日本一を決めたいとか
江川の最後も後楽園でとか
無理で強引な投手起用のせいで
3敗までできると普段のシリーズの戦いをした西武に敗退
江川は2回登板させたければ少なくとも第1戦か2戦
(よって後楽園では登板出来ない)
あとは勝ち星順で槙原第3戦、西本第4戦だったろうな >>391
「江川の最後」が引退を意味しているのだとしたら、
電撃引退表明はシリーズ終了後だったと思うんだよね
仮にそうだとしても内々に伝えていたかも知れんけど
個人的には江川1戦、槙原2戦だったら、
或いはもしかしたら?くらいな事にはなっていたかも?
まぁ思い返して、やはり西武には勝てなかったかな(´・ω・`) 結局はどう転んだって、この年の讀賣は西武には敵わなかったわけで 清原が2年目のジンクスに嵌ったみたいなみたいな言われ方してたけど、打率をやや落としただけなんだよな
この年の西武のチーム打率が酷かったのもあってむしろ貢献度は前年より上がってんじゃないのかと今となっては思う >>394
.304→.259は「やや」ではないな
フォアボールが49→80に増えてこれなので数字の見た目以上に印象は悪くなる 西武は軒並み打率ダウン。ダウン具合で見ると清原はまだマシな部類と受け止めた。 この年は森監督も貧打を嘆いてた
ホームランはそこそこ出ていたがチーム打率はリーグ最下位だったから
いくら優勝したと言ってもさすがにこれを嫌味というのは酷か その分、投手陣(特に先発)が頑張っていたから優勝できた >>397
リーグ全体ならともかく球団単位での話かよ
贔屓の引き倒しもいいところだな >>400
リーグ全体でも、南海以外は程度の差こそあれ
前年度よりもチーム打率は下がっている
特に西武は3分以上下落(.280→.249) 後出しジャンケンはもういいよ
.304が.259になったのを「やや落とした」って一生言っていればいい >>390でも書いた通りこの1987年は後楽園球場最後の年。
惜別の書籍も出ていたな。 >>379
原はチャンスでポップフライとか大勢決した場面のホームランの印象が強いんだろうけど
他球団ファンからすればウチの4番より打ってるしチャンスにも弱くないじゃんといつも思ってた
原は比較対象がONだからどうしても厳しく見られがち
とは言え後楽園やドームを本拠地にして382本塁打はやはり物足りないか? 大卒入団だったのと故障がちでフル出場できないことが多かったのが原因かと >>404
本数はともかく先達の川上、ON、後輩の松井辺りと比較されちゃあねえ(´・ω・`)
今では知られてない実質初代の中島治康にしても「プロ野球史上初の三冠王」つう金看板があるし。 88年のオフだと思ったけど、かっとばせキヨハラくんで、原と石毛の
成績を比べて、原の成績の方が上で「原さんって意外と打っているのね」
と驚くのが有った。
原とは対照的にこの頃の石毛はよく言われてばかりだったからなぁ。
黄金期西武の選手全般に言えることだけど。 チャンスでゲッツー、大勢決した場面で死体蹴りドヤ顔アーチの新井貴浩より遥かに格上だよな
掛布より通算本塁打多いのに印象弱いのは個人タイトル取ってないせいか 3年目に打点王取ってMVPになってる
この3年目の数字を(.302 32本 102打点)を大きく上回る成績の年が
なかったから伸び悩みの印象を持たれたか >>403
ジャイアンツの後楽園公式戦最終戦でツーストライクフォアボールが有ったな。打者吉村。
>>408
辛いさん。 >>409
1983~1984年に王監督に代わって
原がそのキャンプから苦手な外角打ちにとりくみだしたのが
スランプに陥った元凶だと江本が書いていた
あれでバッティング全体が崩れた
弱点がない打者なんて存在しないから苦手なら苦手で良かったのだと >>406
そういった面々が比較対象になってしまうという点だけは同情できる ビートたけしのオールナイトニッポンで
「原より成績が下で四番の柏原が批判されないのになんで原は批判されるのか?」とハガキが聞いて
たけしが「巨人と日本ハムじゃ立場がちがうよ」と言っていた >>410
その吉村は2−4からHRを打った。けど試合は広島に負けて
3年連続での広島戦負け越しが決まった。 >>416
おばけフォークに相当するのがニャンコボールw >>1にも書かれている様にこの1987年は阪神にとって悪夢の
始まりだった。2年前(1985年)の日本一から一転して9年ぶりの
最下位・・・・・・。若手の吉竹を西武に出して代わりにベテランの
田尾を獲得したのも原因では?その頃レオナルドいもってな珍ヲタの
漫画家が芳文社のまんがスポーツ(現在廃刊)に珍ヲタの立てこもり犯人が
「吉竹を阪神に返せ!」と要求したのに対し説得していた西武ファンの警官が
「いや、田尾はもういい!」とやり取りしている漫画を描いていたwww レオナルドいもの最高傑作
三振ばかりの宇野に星野が一言「三振ばかりしゃがって!Kを付けてやるぞ!」
宇野「やめてください」
Uno→Unko(ウンコ) >>421
何となくのイメージだけど、>>377に挙げられている面々
それとブーマー、ポンセあたりかな 古屋が出場試合数と打率、本塁打がしょぼい割に打点をまあまあ稼いでた記憶が
白にゃんこ打線の頃の鈴木健みたいなイメージ >>394
一年目にあれだけの活躍をしていればね、どうしたって研究や対策もされるでしょうよ パが投高打低ぎみで打者が成績を落とす中、ブーマーと秋山はあまり変わらず .262 43 98 38盗塁
.259 29 83 11盗塁 巨人はこの4年ぶりに優勝したんだけど、ちぐはぐだったイメージ
俺の記憶が確かなら、優勝がかかった終盤のヤクルト戦で16得点で大勝してマジック1にして広島の結果待ちだった
その広島が勝っておあずけじゃなかったかな
次のヤクルト戦は途中までリードしてたのが終盤ひっくり返されて3-5で負け
んで試合の無い日にマジック対象の広島が負けて宿舎?で胴上げ
まとまりに欠ける王巨人を象徴するシーズンだった
今思い返せば、王は巨人監督時代は選手の人望が無かったのかもしれない 87年の巨人打線は、クリーンナップを打てる打者がずらりと並んでいたイメージ
投手陣も先発は西武にも見劣りしなかったし
むしろ中継ぎ抑えは西武よりしっかりしていて巨人のほうが駒揃えは豊富だった印象だなあ
それでも日シリで勝てなかったのは守備と走塁の差もあるだろうが
シリーズの流れを掴めるか否かで王より森のほうが采配で一枚上手をいったと個人的には思う
王は巨大戦力をうまく生かしきれなかった 日シリは投打ともにわずかながらパワー負けもしていた印象がある
自慢の打線は工藤に力でねじ伏せられ
シーズンはイマイチな成績の石毛やブコビッチにそれぞれ2本ずつホームランだもんな パワーというか本塁打数だけなら中日が12球団ナンバー1で一番迫力があったな
落合とゲーリーはパワーダウンしてたが 一方の西武打線はシーズン中はホームランはそこそこ出てたけど
打率はリーグ最下位で森監督も散々打てないことを嘆いてたほどだから
得点力なら巨人の方が上というのが大方の見方だったな それが蓋を開けてみたら、讀賣に対して圧倒的な差を見せつけての快勝だったからね 槙原1試合しか使えなかったのもったいなかったな
7戦までもつれたら93年の川崎みたいになっていたかも この年の広島(3位)−大洋(5位)戦なのだが、
(広島から見て)●〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●●●●●●●●●〇〇●●●
ここまで前半爆勝ちした反動が後半に出た対戦カードも他にはないだろう。 >>434
ブコビッチは1本しか打ってないぞ
>>438
工藤が2勝1セーブ上げたのと対照的だな >>439
中日が浮上できた要因の一つかな?
>>440
あっ勘違いしてた
確かに一本しか打ってないわ この年は確かテレ朝のトゥナイトで日本シリーズを特集を組んでいて、出演していた解説の江夏が
「西武は槙原のような力でグイグイ押す投手が苦手なのに巨人は1試合に登板したのみで、
実にもったいなかった」と巨人の投手起用に疑問を投げかけていた 7戦までもつれてたら巨人は江川か槙原どっちを先発にしたのだろう この年の巨人は戦力だけなら12球団最強だったと思うわ
投打共にオールスター揃い
しかも生え抜きがこれだけ揃った年とかあまり記憶にない
それを日シリで横綱相撲で破るんだからな森西武は >>444
江川と西本は明らかにピークを過ぎてたけどね >>444
選手の名前だけなら1992年の広島もかなりのもん いまだになんで西本が2戦先発だったのかわからん
まさか1983年の夢よもう一度なんてわけないだろうし… シリーズ前の特番で青田昇と堀内が 初戦の先発に西本推していたw 87年は星野仙一初監督年だったな
平野謙との確執も深まってたのは有名な話だけど大島はどうだったのかね? 平野は西武 大島は日本ハム 中尾は巨人と
飼い殺しにはしないのは星野の良い点だと思う。 この年の中日はピッチャーはともかく打線はわりと巨人に引けをとらなかったよね
ゲーリー落合はパワーダウンも3割打ってるし宇野は30ホーマーをクリア
川又が予想外にホームランをよく打った 工藤が巨人のことを
「阪急から機動力と打線の粘りを引いたのが巨人」
といったのはこの歳だっけ? 87年の巨人は打線は強力だったけど走らない選手か多かったな 盗塁できそうなのは鴻野淳基くらいか
スタメンショートが岡崎だと全滅だな 日シリは桑田を軸にしたのが失敗だった、清原は桑田に相性が良いというのを懸念すべき、江川はカーブの
コントロールは抜群だったが往年のスピードはない、槇原のスピードボールでねじ伏せる力に託す
べきだった そういうことがわかる監督じゃなかったからね
自分の思い込みが全てだった >>457
そんなもん、後からだったらナンボでも言えるわな 衰えが明白だった西本を2戦に先発させたのと、シーズン後半に絶好調だった槇原を4戦まで温存したのは当時から叩かれてたな。 西本重用は助監督だった83年の好投が忘れられなかったとみる 一応西本は好投したんだけどな
工藤が良すぎただけで どの道完封負けだからだれが投げても負けてた 2戦目 >>459
後知恵じゃないのは縮刷版読んでくればわかるぞ バースがリアルタイムのインタビューで
「王は打者の使い方は上手いが、投手の使い方が下手」と言っていた
そもそも大打者出身だからしょうがないが 2戦目なんて工藤相手に誰が投げても勝てるわけないから、加茂川でも適当に
投げさせておけばよかったった 94年の第2戦のように、どんなに工藤が好投しても相手投手が同等かそれ以上なら当然試合も変わってくる
誰が投げても~とか言ってる人は野球やったことないのかな? 野球なんて東海大と違って世の中の役に立つわけでなし、亡くなってもよかろう。
やることに価値などない。 自分が会話に混ざれないとこうやって場を壊そうとする
馬鹿な上に人格まで卑しいとは救い難いな 90年の日本シリーズで岡崎が、野球感が変わったと言ったがもう87年の時に気付かないといけなかったな。 90年に木っ端みじんにやられたことで、過去を全否定されたからでしょ