全盛時代の落合ってどれだけ凄かったの?
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当時はラビット時代だから傑出度は数字ほど高くないんだよね
RCWINのシーズン記録だと歴代28位と31位
球場補正込だともう少し下がる 川崎球場は狭くて、ネットが高いから
ネットを越すように高く打ち上げればホームラン
飛距離は要らない キャンプから三冠王宣言、徹底したマイペース調整で、オープン戦初戦は
1球もボール振らず、開幕直後は不調も5月から測ったように調子を上げ、
気が付いたら三冠ペースに乗って、そのまま獲得した61年は見事だった >>6
打法変わるだろう。
右中間狙いの2塁打が多くなるのでは? 川崎球場はね
高く上にあげてライトフライを打つつもりでやれば
みんなスタンドインするんだよ さらば落合博満〜育成能力のない独裁者へ
人は監督時代の落合博満を称して「名将」と言います。
確かに8年間で優勝4回、すべてAクラスという成績だけを見ればそうかもしれません。
しかし、「名将」と言わしめる条件とは戦績だけなのでしょうか?
そこにはカリスマ性が求められるかもしれませんし、人柄を条件に入れる人もいるでしょう(人柄を言われたら落合はこの時点でハズレかも?)
私はそこに選手の育成、つまり「どれだけ選手を育てたか」という条件を付したいと思います。
それで改めて私は問いたいのです。落合博満は名将と言えるのかと。
とてもじゃないが私は肯定できません
落合博満が中日の監督に就任した時、彼は確かこんなことを言いました。
「右の四番バッターを育てたい」
自らの後継者を育てようという気概にファンは期待したものです。
その時の候補者の一人が、確か前年に入団したS選手。
しかし、結局落合は育てることができず、その後3年ほどでSは首になりました。
それなりの能力を見出したのならもう少し長い目で見てもよさそうなものなのに
落合政権下では入団後2,3年であっさり解雇される若者が異常に多かったように感じています。
はっきり言って、落合博満に選手を育てるという能力はないのです。
それどころか、野球選手としての素質を見極める能力すらほとんどないのです。
だから、監督として在籍した8年間、新たな戦力として台頭してきた選手はほとんど見当たらないのです。
あっさり選手を首にしてしまうのは、支配下に置いておけば「落合は育てられなかった」という悪評が立ってしまうので
それを防ぐためなのではないかと私は思います。
では、何故落合は好成績を残せたのか?それは「落合は選手を育てる能力はないが
一定水準にある選手という駒を使いこなすのがうまかったから」
そして「引き受けたタイミングが絶妙だったから」にすぎないのです。
監督のタイプを「人を育てるのがうまい」と「使いこなすのがうまい」という2つに分けるとすると
歴代の中日の監督で言えば、前者の代表は水原茂と星野仙一、後者は与那嶺要と落合博満と思います。
星野仙一の場合は、使いこなすのも巧みだったと言えるでしょう(その後のオリンピック等での醜態で評価は下がりましたが)
つまり、水原茂が育てた選手をうまく使いこなして与那嶺監督が昭和49年に20年ぶりの優勝を果たし
星野仙一が蒔いた種に山田久志が水をやって成長させた選手を落合がうまく使いこなして4回も優勝できたのです。
つまり、2000年代の中日黄金時代の基礎を築いたのは星野仙一であり、落合博満は天の時を得て
つまり星野仙一によって見出された選手たちが中堅、主力として円熟期を迎えるという絶妙のタイミングで監督になっただけなのです。
まさに「人の褌で相撲を取った」に過ぎないのです。
時機を見るのに巧みな落合博満は引き際も実に見事でした。
8年間の監督生活を経て、一応「解任」という形で監督を辞めたことになっていますが
真実はどうだったのでしょうか?実は落合本人も、名将の名に傷がつかないうちに辞めたいと思っていたのではないかと私は勘ぐっています。
つまり、主力選手がピークを迎え、新しい戦力も育っていないことを考えれば(前途ある浅尾投手もつぶしてしまった)
黄金時代もここまでという意識があり、このまま監督を続けていけば、2,3年後にはBクラスに転落することは予測できたと思います。
Aクラス監督でいたいという思惑があったところに球団からの肩たたき…落合にとってはまさに渡りに船だったでしょう。
GMとしてドラフトでの選手指名に権力を発揮しながら、戦力になったのはごく一部。
これなど、人を見る目のなさを露呈していますが、責任は谷繁監督に押し付けて知らん顔。
これでは誰からも信頼はされないでしょう。
落合に対しては「だったらおまえが監督をやってみよろ!」という声もあるようです。
しかし、如何に監督としての能力があろうと試合をするのは選手。計算高いこいつのこと。
必要な戦力も整っていない今のドラゴンズを引き受けようとは思わないでしょう。というより…
落合博満には二度と中日の監督をしてほしくない
中日ドラゴンズという組織にすらいてほしくない
とっとと出て行け!! 落合が最強だったのって
94年ナゴヤの10.8じゃん
途中で退場したけど鬼神集中力だったし
ロッテ時代は生放送ではHRよりも江川の8連続に参加したシーンの方が圧倒的に知名度あっただろ 落合は天才
左打者だったら、走力あったら、さらにとんでもない数字残してる 近藤のノーヒットノーランの試合終盤ボテボテのサードゴロを
落合が処理したけど内野安打なのに大甘審判がアウトにした
最後の篠塚へのカーブもボールだった 1986 落合
04/30 .228 HR04
05/31 .339 HR09
06/30 .348 HR17
07/17 .349 HR25 前半戦終了
07/30 .350 HR28
08/31 .341 HR35
09/30 .357 HR44
10/19 .360 HR50 復元力がヤバすぎるよな
手足をもぎ取られても再生するトカゲみたいだ なおチームは4月に4勝10敗1分と出遅れ、一度も首位戦線に浮上できなかった模様 日ハム移籍したらヤル気なくなっちゃったの?単なる衰え? 43歳(巨人最後の年)時点の成績は化け物だよな
3割21本だもの >>29
しかも怪我して106試合448打席でだからね
130試合単純換算だと
.301 25本 105打点 OPS.924
ぐらいになる >>30
いやあの年齢でほぼ全試合に出場させてたら打率3割は切ってたと思う 三冠王になってもチームメイトから祝福されなかった落合 91年の中日はチーム内で内紛が起きていた。選手達がやる気を失い目の前まで迫っていた優勝を
逃してしまった。
落合だけが一人気を吐いていたのが救いだった。普段は自分勝手と叩かれている落合もその時だけは
チームがどうであろうとプロとして真面目にプレーする落合のことを心から尊敬した。 結局40代になると近代的なウェイトトレで筋力は維持できても
動体視力が落ちちゃうんだよね
イチローなんかみててもそうだよね
トレーニングではどうしようもない部分だから
選手寿命も大して延びないってことだね 普通なら首位打者、本塁打王の成績だったのにミスター落合は更に上に行った
彼には敵わんよ ブーマーが川崎本拠地、落合が西宮ならどうなっていたろう? 落合が94年、阪神に入団していたら…
94 .269 本12
95 .287 本16
96 .291 本17
97 .258 本2
「甲子園の右翼にはラッキーゾーンが
必要です」「桧山君がかわいそうw」 落合打法をよくわかってないな、みんな。
スタンドインさせるためにガムシャラに振り込む必要はない。
要は球速とそれを打ち返す際の角度。
川崎球場なら川崎球場の、名古屋球場なら名古屋球場の、福岡ドームなら福岡ドームの打ち方がある。
パワーについては日本球界史の中でダントツ1位だと言われてる落合。
率も残すために最低限飛ばしてスタンドインさせていただけで、大きな球場になったらもっとボールの角度を上げる、とロッテ時代、何度も何度も言ってた。
フリーザの変身や、最終形態におけるMAXパワーとの関係にすごく似てる。
唯一、この考え方を無視してムキになってやってしまったのは、ランディージョンソンとオールスターでの野茂との対戦な。
これのせいで、ともにその直後から調子を崩した。 ロッテ時代
「もっと遠くまで飛ばせるけど、飛ばす意味がない。飛ばしてもホームラン数増えないでしょ。
場外狙うと打ち損じが外野フライになるもの。それならば、普通のホームラン狙っていけば、打ち損じがそのままヒットになる。チームを勝たせるならどっちなのか、それはみんなわかってることだと思うんだけどね。」 弘田 庄司 有藤 レオン リー 落合だったかな
彼が六番にいたころが印象深い
凄いやつが出てきた感じ
大阪球場でビール売りながら見ていた 82年の時はそこまで凄い選手だとは思わなかった。そこそこ上手い選手だなとは思ったけど。
結果として五冠になったけど迫力はあまり感じなかった。 クサが落合がインハイを張っているのを分かっていてインハイで真っ向勝負するので気持ちよかった。
落合のバットを叩き折ってピッチャーゴロに仕留めるのを見てクサ偉大さを感じさせた。 ロッテ落合は四天王+直樹+新一の誰が苦手だったのかね?
兆治はもちろんのぞいて >>44
落合特有の狭い川崎球場でホームラン量産する自身に対する権威付け理論ね >>50
アンタが正解!
なんか言い訳がつく大選手だったw 川崎は両翼78mのリトルリーグ球場だったがラビットボールを使ってなかったのでそれほど本塁打率は高くなかった
狭くて飛ぶボールの西宮とかのほうが打ってたような
落合のしょぼいスィングはラビットボールとの相性が抜群に良かった
日米野球の重いボールだと外野まで飛ばせなかったからな いくら球場が狭いやらなんやらボロカス言われても本人が黙して語らずしてたら
周りが勝手に庇って持ち上げてくれるのに本来周りが言うようなセリフを全部本人が言っちゃうからな 東京ドームや横浜や西武でもポカスカ打ってたよ。球場の広さはあんまり関係ないようにも。 なぜか大阪球場が苦手で、ロッテ時代の本塁打率が17.1と各球団の本拠地で一番悪かった >>52
川崎で飛ぶボールを使ったらHRだらけで投手がキレそうだな
ちなみに甲子園では飛ぶボールを使ってたとバースが言ってた 落合在籍ホーム球場のHRパークファクター
(ハム時代は割愛)
川崎球場 ーナゴヤ球場ー東京ドーム
0.63(1979)ー0.91(1987)ー1.08(1994)
0.54(1980)ー1.10(1988)ー0.68(1995)
1.11(1981)ー1.21(1989)ー0.94(1996)
0.93(1982)ー1.11(1990)
0.88(1983)ー1.10(1991)
0.90(1984)ー1.67(1992)
1.19(1985)ー1.09(1993)
0.95(1986)ー
80年代は打高だったけど川崎はサイズに反してHR結構出にくい
ナゴヤはわりと出やすい >>56
南海は79-80年のラビット以降は飛ばないボールだったようだな シーズン記録 球場補正込 RCWIN
1位 王貞治(巨/1973) 10.64
2位 王貞治(巨/1966) 9.78
3位 王貞治(巨/1965) 9.61
4位 王貞治(巨/1970) 9.36
5位 王貞治(巨/1964) 9.13
6位 バース(神/1986) 9.00
7位 王貞治(巨/1974) 8.96
8位 王貞治(巨/1967) 8.93
9位 王貞治(巨/1968) 8.86
10位 王貞治(巨/1969) 8.79
11位 カブレラ(西/2002) 8.64
12位 長嶋茂雄(巨/1961) 8.40
13位 王貞治(巨/1963) 8.20
14位 長嶋茂雄(巨/1963) 8.02
15位 松井秀喜(巨/2002) 7.99
16位 柳田悠岐(ソ/2015) 7.99
17位 バレンティン(ヤ/2013) 7.52
18位 張本勲(東/1970) 7.46
19位 山田哲人(ヤ/2015) 7.40
20位 福留孝介(中/2006) 7.36
21位 長嶋茂雄(巨/1959) 7.26
22位 小鶴誠(松/1950) 7.23
23位 山内一弘(毎/1956) 7.05
24位 藤村富美男(大/1950) 7.01
25位 王貞治(巨/1971) 7.01
26位 江藤慎一(中/1965) 6.99
27位 イチロー(オ/1995) 6.91
28位 中西太(西/1955) 6.75
29位 山内一弘(毎/1957) 6.73
30位 張本勲(東/1962) 6.72
31位 王貞治(巨/1972) 6.70
32位 落合博満(ロ/1986) 6.69
広い球場でも変わらず打てたとかもっと打てなくなってたはずとか意見はあるだろうが
PFの数値でそのまま補正を加えて客観的に貢献度を算出するとキャリアハイで歴代32位だな 85年のセリーグMVPは岡田が妥当だと
出野哲也の本にあった。
パは落合やったかな。 落合に清原の体格があれば
85年.385 本60 点160
てか東洋大普通に出てれば…
王に肉薄したかもしれんなあ。 >>63
逆に清原に落合のメンタルがあればとも思ってまう >>60
球場補正込みでこれかぁ。王が化け物すぎるわ 南海は捕手がコロコロ変わるから、落合にはやりにくかったと自書で 野村不在のあとって黒田や松井 伊藤勲 香川に吉田に岩木か 落合と江夏の組み合わせで必ず出てくる話で落合が麻雀の席でヒントを貰って、
それまで待ち球1球1球変えていたのを1つの球種に絞ることによって落合の打撃が
開花したって話
そのあと、1982年青森球場での試合で江夏の前に落合が1球も振らず三球三振
ヒントを貰ったってのは1981年オフか1982年シーズン途中ってことになるが、
1981年すでに首位打者獲っていたわけだし、あんまり関係ないような気もするな
打撃成績的には三冠獲った1982年より1981年のほうがやや良いよね 江夏とチームメートだった訳でもないのに何で同じ雀卓囲んでたんだろう 野球人気の衰退もあるけど80年代ならゴミみたいなチームなのに国民的な知名度がある選手だった
今ならイチマツ並でダル・マーよりは上の知名度、同年代のパ選手とか今なら柳田山田坂本なんかは論外なくらい データは正直だからね
年寄りの思い出補正とか妄想まで考慮してくれってのは無理だよ 東洋大学を中退して秋田に帰れずホームレスになってしまい、東芝府中に入社した落合。 落合 > 松井 みたいになってるのが歯がゆい
年齢的に 落合初の首位打者= 松井の最終年
松井が日本に残ってれば打高も相まって落合以上の成績残せた可能性は高い 松井はNPBでずっとやってたら650HR以上は打っただろうね >>72
落合は話術が上手かった。ちょっとユニークな発言や「ええ〜!?」的なことを
平気で言ったりする。でもその通り数字残すんだから説得力ありまくり。
同じ強打者でも王や山本はまじめな受けこたえに終始してしまうが、落合の
ぶっ飛んだトークは組織に反逆したい(でもできない)リーマン層に受けた。 >>78
上のデータ見ても02年の時点で落合のキャリアハイを超えてるからな
年齢考えれば通算も越えたでしょ
まあそもそも落合>松井と思ってるのは思い出補正の入ってる40代50代〜だけな気もするけど .334 50本 107打点 OPS1.153
.367 52本 146打点 OPS1.244 >>81
打率狙いに徹すれば 4割打てる や
HR狙いに徹すれば60本打てる
はそれぞれ1回ずつ実行してほしかった。 落合、松井のキャリアハイ2年をリーグ内傑出度から2018のセパに変換
落合
85年→18年パ
.367 52本 146点 1.244 → .343 39本 121点 1.140
86年→18年パ
.360 50本 116点 1.232 → .338 35本 110点 1.159
松井
00年→18セ
.316 42本 108点 1.091 → .312 39本 103点 1.097
02年→18セ
.334 50本 107点 1.153 → .336 49本 120点 1.191
落合が凄いのは間違いないけどキャリアハイは打高時代で打率、HRはかなり割増
年齢考えると 松井 > 落合 だと思う せっかく客観的ねデータ出してるのに最後に年齢という主観が出ていてわらた 狭い球場の本拠地で長年プレーしてたからかそんなに凄い印象がない。 落合の凄いのは同時代にブーマー、デービスという超ド級のライバルがいても、
三冠王獲ったこと。秋山もいたし。
王だって獲ったのは長嶋が衰え、江藤がいなくなったあとだし、バースにしても
浩二が衰えたあと。 >>86
最後の一行はただの自分個人の感想だから
時代によって数字が変動するのだけ分かってもらえればそれで まあ落合は生涯のキャリアの中でのキャリアハイで
松井はあくまで高卒10年目までのキャリアハイ
それを比較して>>60や>>85だからね >>60
こうやって見るとやっぱり長嶋さんは記録面もスゲェよな
ミスタープロ野球は伊達じゃないわ >>84
これらの発言はあくまで自分が獲得したり目標にしている数字やタイトルが
いかに難しく価値が高いかということを
引き立たせるための発言だから結局それを実行することはないんだよね
イチローの打率を捨てれば40本発言も同じ 残した数字は立派だが全盛期って話だと極端な打高環境でかつ打者有利の本拠地だからな
だからケチもつくし実際データでも言われるほどは傑出度も高くないという イチローの40本よりは、
落合の60本の方が、
まだ実現性がありそうだわw 落合はひとことでいうとアタマが良い選手だった
バッターとしてのプライドがいらなければ、それを簡単に捨てれる選手だった
ぎゃくに清原はバッターとしてのプライド(信念)を守りつづけた選手だった
どちらも人間くさくて面白い 落合が清原に「お前観客を喜ばそうとして野球やってるだろ」
「俺は女房子供を食わせるためにやってる観客なんてどうでもいいんだよ」
といったときの清原の茫然とした顔はまさにふたりの意識の違いを示していた
唯物論と観念論みたいなどちらが正しいの話ではないけどね 清原は若さと素質だけでもあれだけやれたから楽を覚え過ぎた
清原の素質が岡崎程度なら700本打てた 清原が節制してればっていう人が結構居るんだけど俺は逆だと思うんだよね
ちゃんとした遊び方教えてくれる人がいればと
金に物言わせたバブル典型の下品な遊び方ばっかだし
本業に差し支えないように息抜きできてればもっといい記録出せたんじゃないかと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています