【永易将之】黒い霧事件【田中勉】
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>>379
藤波⇔基の幻のトレードの時にファンも反対運動をしたのは
それまでの中日の素っ頓狂なトレード実績も要因だったみたいね
大洋での基を見ると成立したら得したのは中日だったと思うが >>383
川勝傳は生前に2度にわたって、来島どっくグループ総帥の坪内寿夫に球団売却を持ちかけた。ダイエーの中内㓛にも1984年頃に話を持ちかけていた
しかし晩年、難波再開発に絡み球団売却の話が出た時には「わしの目の黒い内は絶対に売らん!!」と頑なまでに球団を保有し続けた
南海ホークスは年間10億の赤字だった
川勝の死去後球団はダイエーに身売りされた >>371
貴重な資料をありがとう
まさか権藤博まで勧誘を受けてたなんてね
権藤は1964年まで投手をやって翌1965年から打者転向した後
投手に再転向した1968年に誘いを断ったわけか >>382
もしそれが本当ならどこの球場を本拠地にするつもりだったのか?
坊っちゃんスタジアムがある今と違ってその時代の地方球場は狭い観客席が少ないだけでなくナイター設備はないフェンスは低いグラウンドはガタガタというのが多かったけど 四国なんてまともな球場すら無いから80年代にキャンプすら逃げてった土地に
プロが移転するとかありえねーわw >>387
最初は西鉄だけかと思われてたがほぼ全球団に蔓延してた
南海とか阪急てのはあまり叩かれなかったが隠してババを押しつけた=移籍させたって面があるから
あまり好きにはなれないんです
持ちかけた方も巨人にはビビってたから接触しなかったんだと思う。なんせCIAやら政治家がバックですから >>388
南海四国移転は結局実現しなかったわけですからわかりませんけど
例えばライオンズの四国での主催試合グラウンド
* 高松市立中央球場(1952)
* 丸亀城内球場(1952、1953)
* 徳島西の丸球場(1953)
* 松山市営球場(1978) 堤は初めは球団買収の意思はなく、福岡の隣県・山口県を地盤とする安倍晋太郎と岸信介がクラウンを買収するよう説得したという説がある 四国は各県の県庁所在地がそれぞれ100キロぐらい離れてて
隣県とのつながりが薄いどころか仲悪いし
四国全体で盛り上げようなんて機運にはならないだろうな。
今でも交通アクセス悪いのに高速もない80年代だったらもっとシャレならん。 パ・リーグは昔から不安定でしたが近年の交流戦日本シリーズをみるとパ・リーグは安定期がついに来たかと思うと感無量
72年10月21日、巨人との日本シリーズに臨む阪急ナインに、宿舎で渓間秀典球団代表が力説。新聞で、パ・リーグの合併が伝えられているが、絶対ウチは他球団を合併することも合併されることもない。
諸君はそうしたウワサに惑わされず、ゲームに全力を出して欲しい!とたんに大拍手が沸き起こった。 1972年は
西鉄→ペプシコへの身売り失敗
東映→パイオニアへの身売り失敗
ロッテ→東京スタジアム閉鎖
この時期に池永の処分解除を提案したのも
「それで平和台に客が帰る」という計算があったのかもしれん 金田正一という救世主が現れなければ74年くらいにパリーグ解散が現実になっていただろな セリーグでは、広島がやくざの盛んな土地柄の割に、あまり影響を受けなかったな。 自己レススマン。
前の方に広島では野球賭博が盛んだったというのがあったが、
直接選手を巻き込まずに自分達だけでやってたのか。 >>387
権藤はプロデビューから2年目迄の活躍で年俸が当時推定600万迄昇給したが
その後の低迷で年俸ガタ減りだったろうからその辺りも狙われた一因だろうな >>396
それで1リーグになってたら阪急とかも残ってただろうな 比較的クリーンだった球団は阪急、南海、広島
やっぱり西本、鶴岡、根本が睨みをきかせていたのが大きかったんだろう 鶴岡一人の自伝には
ダークな選手を追い出すのに苦労したということが
いっぱい書いてあったな。
終戦直後は特に大変だったらしい。
あと自分は広島市民だった時期があるから言えるのだが
本拠地球場の雰囲気でいえば何としても勝ってくれという感じは
他の球場より強かったかもな。
そもそも市民の寄付で成り立っているようなチームの選手が
八百長に手を染めるなどということは人としてあってはならないわけで。
(黒い霧事件の頃には既にマツダが関係していたようだが)
某文献にカープの選手は個人的なタニマチ(恐らく中小企業の社長あたりだろうが)から
いっぱいお小遣いをもらっていたので八百長をする必要がなかったと書いてあったが
あれは本当の話だったのだろうか。
個人的な付き合いが非難の対象となった阪神辺りとは大違いだな。 広島という土地は選手が飲みに行くとやくざから球団にあの選手が飲んでたとこを
見た真面目にやれと怒りの電話が球団に来る土地柄 >>402
黒い霧が収束するのと同じ時期に松田恒次オーナーが急逝してるんだよな >さまざまな頼みごとをされるようになり、なかなか断れなくなる
そう言う事だね
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=093-20160425-01
僕は、ルーキーのときに当時西武の球団編成・管理部長だった根本陸夫さんから言われた言葉が今でも忘れられません。
それは「タニマチは作るな!」です。ファンの方などと仲良くなるのは構わないのですが、
ご飯を食べに行くときは「絶対に自分で支払いをしろ」と言われていました。理由は一度おごってもらうと
「大久保さん」から「君」に変わる。3度目くらいから「君」から「デーブ」に変わる。
そしていつしか「オイ!」と呼ばれ始め、さまざまな頼みごとをされるようになり、なかなか断れなくなる、ということ。
その言葉を守り、当時、ご飯を食べに行くのも先輩たちだけでしたね。今でもその言葉を守っていますよ(笑) 「森が清原を叱らないのがいけない」と、広岡が言っていた。
堤社長の公認で遊んでいたので、森監督も清原には何も言えなかったのだろう。 藤縄の本には
「巨人のMはKに配球を教えている。だからKは巨人戦でのHRが多い。」という
記述があったとか >>411
うろ覚えで自信がないですが、
そのMとKはともに捕手で当該チーム間の試合では互いに配球を教え合っていた
ではありませんでしたっけ。 川上や牧野やONの目を盗んで主力選手が敗退行為を働けるなんて妄想にも程があるわ。
怪しい行動を見かけたら金田や国松などのベテランも黙っていないだろう >>411
該当するのが葛城か木俣だが
まぁ葛城かな
プロ同期でもあるし
川上の目を盗んでやってたのか
森は
よくバレなかったもんだw 仲がいい選手にわざとヒットを打たせる
その選手もそれが分かってるのでわざと牽制死する
そうすれば打率は上がって投手は傷つかない
なんて手法も書いてあったね
今は一般人もスマホで撮れるからバレそうで出来ないな 土井正三が3割に到達しそうな年があって最終試合の前に広島だったかな。そこの知り合いのサードに
3割打てたら給料が上がるんだ。すまないがバントするから深く守ってくれないかて頼んで
そのサードは、OKって答えたんだけど試合始まると、急に嫌になって前進守備してきてヒットも打てずに土井の3割は実現しなかった
引退したあと「ああ、俺も土井みたいに金持ち球団に入ってたら、妬まずにあんな意地悪しなくてすんだかも」とか述懐してたらしい 大洋の選手はヒットを打つと相手側内野手と談笑してることが多くて
苦言を呈されていたね >>418
星野が
自分が打たれてイライラしてるのにファーストが打者走者に
「ナイスバッティングだったね^^」
なんて喋ってると本当に腹が立った
って言ってたのを思い出した
中日のファーストってあれしかいないけどw >>420
星野と谷沢は犬猿の仲だったからね
あと同一チームで犬猿の仲と言うと長嶋と森もそう この事件が黒い霧と相似形
目立たない二部の試合で仕掛けたとかね
ウクライナや中国から不自然な賭けがあってそれでバレたんだそうだ
リーガ八百長問題で選手が大量逮捕。主犯は元レアルDF、なぜ悪の道に。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190607-00839583-number-socc >>427
黒い霧事件と全く同じ構図だと思う
知らなかった、ギャラは受け取っていないとしらを切るところも
黒い霧事件と全く同じ
>>428
ショービジネス、スポーツビジネスの世界に黒い霧はどこも同じだね スレ違いになるが個人的には体操やフィギュアスケートなどの採点競技はあまり評価しない。
得点という明確な勝敗基準が無く、人間の審査という非常に不安定な要素で勝ち負けが決まるから。
(ある程度優劣がはっきりしているボクシングや柔道ですらたまに疑惑の判定が問題にされる)
審査員の買収とかが発生・発覚したら野球やサッカーの八百長以上に競技が崩壊しかねないし、またその可能性を完全には排除できていないのが現状 スレ違いって分かってるならチラシの裏かツイッターにでも書いてろよ 親に靴を磨かせてたとかを思うと黒い霧事件当時の年齢のときの西鉄選手はやはり好きになれない 普段はちょっと柄の悪そうなジャンボ尾崎が
こと池永の話になると普通のいい人になっちゃう不思議 ノムが
稲尾と梶本はプロ野球選手らしからぬ
仏の様な人間と誉め殺しする位だもんな 稲尾も梶本も相当遊んだらしいが、変なウワサが立たないのは汚い遊びでは無かったんだろう 稲尾も32歳で引退して監督とか環境酷しかっただろうと思う ひねくれ者のノムとか豊田とかに好かれ落合にも懐かれて
相当の好人物だったんだろうなw 稲尾は引退する気が無かったのに霧の影響で強制的に引退させられた。
70年の春期キャンプも本人が練習する気満々だったが(久々に肩の調子が良かったらしい)フロントの介入で監督専任となった。
西鉄が兼任監督の再来を嫌ったらしいが、大功労者に対して酷い仕打ちだ。
いっそ広島へのトレードが実現していた方が本人には幸せだったかもしれない。 >>414
馬鹿丸出し
木俣だよ。捕手同士だから教え合いするんだっての。 このスレとシンクロするかの様に永易の話題
ピンハネされて893に脅されて泣き寝入りって酷いな
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190613-00000007-baseballo-base
ただ、Aスカウトの場合、全額を渡さず、分割払いにした。
この人は副業として芸能関係の会社、スロットマシン販売会社などを設立しており、
その資金に回し、利益の中で返していこうということだったようだ。
だが、いずれも倒産。結果的に選手への契約金払いが滞った。
球団に在籍している選手は何となく我慢していたが、岩切はすでに退団しており、訴訟となった。
なお、球団が保管していた契約書は850万を400万台に改ざんされていたらしく、それが「公文書偽造」になった。
同じようにピンハネされたが、Aスカウトが自腹で返却し、解決したといわれていた永易将之は、
実家に暴力団風の人物がきて親を脅し、泣き寝入りしたとも言われる。
根は深い。悪意は人の心の隙間に知らぬ間に入り込み、伝染していくのだろうか。 永易も犠牲者よ
球団と黒い関係者に翻弄され続けた
https://ironna.jp/article/2265
>『君には気の毒だが、チームのためを思って、君ひとりでかぶってくれ。そのかわり一生の面倒はみる。
これも空約束に終わった >『君には気の毒だが、チームのためを思って、君ひとりでかぶってくれ。そのかわり一生の面倒はみる。
これも空約束に終わった
これは中学時代に図書館で借りた戦前から今日までのプロ野球の歴史みたいな本で読んだ記憶がある(ゴシップが売りものの週刊誌だけでなく、その手の本にも書かれてた)
つまり定説なんだな >>443
スカウトクソすぎ
雇う球団もクソ
球団がヤクザまがいの人間雇っているのだから、こんな事件が起こるのは必然だったんだね 相撲の板井が師匠に祝儀をピンハネされまくって
「あんな親方なんだから俺が星を売って小遣いを稼いでも誰が責められるのか」という
心境になったそうだが東映の選手も似たものがあったのかもね 「黒い霧事件」スレは、2003〜2005年ごろには立っていて、当時は池永に同情的な
コメントが多かった。
(一方、あれくらいの処分はやむなしという意見もあった)
現在では、池永の人間性の酷さ、言動の非常識さのエピソードに関するコメントが増えて、
同情的なコメントはほとんど見られなくなった。 榎本「稲尾は一度もブラッシュボールを投げてこなかった」
野村「池永はあからさまな故意死球を投げてきた」
だからな
普段の素行の評判の悪さも影響して永久追放になったんじゃないかと思う いや、永久追放かどうかの分かれ目はあくまで金銭の授受
素行は関係ない
池永は先輩に頼まれて金を預かっただけで八百長行為自体はしてないと主張したが
預かった行為も金銭の授受にあたると判断されて永久追放になった
https://i.imgur.com/akDoMWQ.jpg
ということは、実際には八百長行為をしていても金銭の授受がバレなかったので永久追放を免れた選手もいたんだろうな 稲尾も薄々八百長蔓延に気付いていながら黙認してたのか? まあ正直八百長だと騒ぎ立てるのも勇気がいるわな 証拠がないと おかしいなあと薄々思っても明確な証拠がないと反発されるだろうしね
永易の場合は年俸150万なのに身分不相応な金の使い方で遊んでいたのも
八百長がバレた理由だった 西鉄球団の八百長疑惑に最初に気づいたのは黒い霧の2年前の一軍投手コーチ
大阪のゲームに限り、おかしな投球を続ける投手たちに不審を感じて
迷った末八百長の疑いを抱いた数人の投手たちを内偵し
問い詰めたところ「やってます」と返答
八百長の疑いが確信となり、直ちに監督・コーチに報告したが 選手を疑ったことへの叱責をうけ失意のうちにそのコーチは2軍へ降格
西鉄は臭いものには蓋の論理で事実を握りつぶしてしまった
西本幸雄や稲尾、野村といった70年代にパの監督をやっていた人間は八百長に手を染めていた選手や情報漏洩の常習犯が誰かというのは全部お見通しだったという
三原水原稲尾等の三人とも実名は墓場まで持っていった >>453
気付いて、って打たれた投手に「八百長だろ」って言うのは不可能だしなぁ
そしたら誰もが八百長投手になっちゃうし >>430
フィギュアなんて5年前までみんな普通にヤオ見せられてたじゃん 69年秋に中日を追放された田中勉と藤縄は
西鉄に田中を復帰を要請した。しかし新監督に就任したばかりの稲尾は頑強に断った
藤縄の脅迫にも断固たる態度で臨んだ
ところが球団が永易に500万の逃亡資金を渡していた。それを知らされた稲尾は唖然としたという
三原・鶴岡・根本・西本、黒い霧事件後に監督に就任した稲尾・野村・大沢らは八百長
体質排除に積極的に動いたが、傍観しただけの大下はまだしも加担した中西は近鉄を追放
された小玉やロッテにヤオ体質を撒き散らした濃人と同じで西鉄にヤオウイルスを撒き
散らした黒い霧の影の首謀者といっても過言ではない 中西太ってまだ生きてるのか?
色々知ってそうなもんだが >>461
中西は存命だよ
基や村上も存命だが知っている事はあの世まで
持っていく気だろうな >>458
新人掛布の74年度年俸84万円よりは高いじゃん 中西はヤオをまるで知らなかったと永易が発言してる。
報告が上がっても選手を信用して受け付けなかった。
そんな中西は霧のピーク時の70年5月頃に責任を取って数ヶ月評論家活動を自粛している 当時を知る人がいきなり話し始めても、亡くなっている人も多いし裏が取れないから
全員墓場まで持っていっていい 68年入団の星野仙一が1年目8勝、2年目10勝でも
年俸は130万円から10万円ずつしか上がってないし
当時はそんなもんかな 1970年に近鉄の二番手エース佐々木宏一郎が15勝・勝率1位・完全試合を達成しても推定年俸は480万→800万だったから
当時はごく一部の大スター以外は割と薄給だった。
それでも池永は史上最年少の1000万プレイヤーになったけど 1967年初頭の年俸
1位は史上初の3000万円プレーヤーとなった巨人・長嶋茂雄・王貞治も2200万円と大幅アップ。
昨年までのトップ・金田正一はダウンし、1725万円
パ・リーグ最高額は、優勝した南海でホームラン王、打点王を手にした野村克也。現状維持の1472万円
当時は各球団に1千万プレーヤーがだいたい一人。広島とサンケイにはおらず、広島は古葉竹識、興津立雄の600万が最高だった。 >>469
その話は相当盛ってると思う
当時は10年選手、年俸1000万円が一流の証だった時代だから
5億なんて絶対にあり得ない 野村の5億円なんてそんな話あったか?
監督としての年俸と選手としての年俸合わせたら1億円だったから落合より先に1億円貰ってたというのなら聞いたことがある プロレス板ではよく出る話だが
日本プロレス時代のジャイアント馬場がONの年俸を聞いて
「なんだ?そんなもんなの?」と言ったってエピソードがある
中畑は自分の最高年俸は5200万だったと言っている。
野球選手も年俸の低さが不満で労組を結成したわけでね
巨人ならともかく貧乏な南海で野村が5億なんてありえない
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/11/27/kiji/20181126s00001173340000c.html
私の現役時代の最高年俸は5200万円。1億円が果てしなく遠かったのに、30億円だよ。
メジャーのスーパースターなら1年で稼ぐ額。こちらは複数年でだけど、
日本のプロ野球もついにここまで来たかと思うと、うれしくなってきた。
選手の待遇改善や地位向上を求めて各球団の主力選手と力を合わせ、
労組・選手会を立ち上げたのは1985年。こういう夢のある世界にしたかったんだよね。 ノムさんの話は今の貨幣価値なら億単位という話じゃないかな
実際に億の年俸が出るようになったのは落合くらいの時期だね
昔は入場料も安かったし、今ほどグッズの売上も無いし
放送局だってお金が無くてVTRを使い回し、上書きしていた時代だもん
南海の電車賃だって今よりずっと安かったでしょ
さすがに1人の選手に億は出せないよ 高木京介との違いは人柄の差?
原辰徳も高木のことを心が傷が癒えたとコメントしてたし 高木京介は恩赦されただけで本来は無期限失格の選手
人を殺したけど基地外だから無罪の人と同じ扱い 今の弛みきったNPBだから有耶無耶になったが
黒い霧の記憶が鮮明なころならアウト 田中勉が西鉄フロントと揉めたりヤオに手を染めたのも
67年に12勝したのに20%ダウンを提示されたのが大きいだろな。
それ以前から完全に潔白だったかは不明だけど、決定的におかしくなったのは中日へのトレード前後からだろな >>468
67年当時の巨人以外の1000万越えプレーヤーは ()は推測
阪神-山内 村山
中日-江藤 (中)
大洋-桑田
南海-ノム (広瀬 杉浦)
東映-張本
阪急-米田 (スペンサー)
近鉄-小玉
東京-小山 榎本
西鉄-池永 (中西)
辺りかな?
当時サンケイの豊田が越えていないのは意外 >>480
1966年年俸ランキング
1.金田正一 2300万
2.長島茂雄 2160万
3.王貞治 1800万
4.村山実 1560万
5.野村克也 1472万
6.小山正明 1440万
7.江藤慎一 1300万
8.山内一弘 1254万
9.吉田義男 1200万
10.張本勲 1050万
稲尾の自伝を読むと42勝した昭和36年のオフの年俸が1540万。金田が 本給が1500万で出来高が300万
金田が引退した後、巨人の1000万プレイヤーは王と長嶋だけだった、という話。
堀内なんか、V9の最後の方でようやく1000万。
森も「私が1000万円貰えるようになったのは、辞めるちょっと前」と言ってた 巨人は年俸以外にタニマチやサイン会etc. の実入りが少なくなかったからON以外の年俸を抑えてた感 1971年年俸ランキング
1.長島茂雄 4560万
2.王貞治 4260万
3.村山実 2300万
4.野村克也 2200万
5.張本勲 2040万
6.鈴木啓示 1600万
7.米田哲也 1300万
8.遠井吾郎 1200万
8.小山正明 1200万
8.大杉勝男 1200万 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています