本人が以前インタビューで言っていましたが、彼は投げられる球種が少なく、ストレート、カーブ
そしてパームボール。「パーム」とは英語で「手のひら」の意味で、指を伸ばした状態で手のひら
と親指、小指あるいは薬指も使用してボールを支え、手のひらで包んで押し出すように投げる。
この3つしか投げられなかったそうです(その他スライダーもあったそうなん
ですが、プロで通用するレベルではなかったそうです)。社会人時代からプロ2年目くらいまでは
ストレートが150近くあったのでこの3つでも何とかバッターを抑えられたそうなんですが、登板
過多と年齢の影響でストレートのスピードが落ちてくると、この3つだけでは抑えられなくなり、
特にスピードの遅いパームを狙われて打たれるケースが増えていったそうです。
それでも器用な投手だったら他の変化球を覚えたり、カーブをもっと磨いたり、または制球を磨いて
いわゆる投球術を覚えていくものですが、彼は不器用だったためそういう方向転換ができず、スト
レート中心の一本やり投球から抜け出せなかったそうです。それでも短いイニングだったらまだ通
用するだろうと、後年中継ぎに転向したりもしましたが、ストレートの威力が絶対的に落ちている
状況はいかんともしがたく、ダメだったそうです。
日ハムで一緒にプレーした江夏氏も「愛すべき男だったが、自分の型に固執しすぎた(固執しすぎた
というより固執せざるを得なかった、と言った方が正しいか)。それが2年目以降伸び悩んだ原因だ
ろう」と言っています。