プロ野球トリビア★2
1988/10/23の山田久志とビル・マドロック
>>141 >>141
けっこう年(キャリア)が離れてるイメージなのに意外だ 2004年のオリックス・近鉄最終戦がNPB最後の試合になったのは
(オリックス)三輪隆、福留宏紀、吉原孝介、クデソン、栗山聡
(近鉄)栗田雄介
近鉄の栗田はこれが最初で最後の試合 上川誠二は前歯を見せながら内野ゴロを捌いていたが、歯が折れてがっかりした。 上川は好かれるキャラだね
大した選手じゃなかったけど 巨人の星の左門豊作とタイガーマスクのジャイアント馬場は同じ声優 81年4月24日、ユニフォームを忘れた宇野勝は飯田コーチのユニを借りて出場したが
その時の背番号は後に宇野がコーチとしてつけた77番 >>147
内野守備時に前歯が折れるといえば立教時代の土井
四本も折れたままプレーを続けた 巨人の星・オズマ、ルパン三世・次元、妖怪人間ベムは同じ声優 阪神の能見は大阪ガス時代に
映画「ミスター・ルーキー」に背番号14の阪神選手役として出演したが
その後実際に阪神に入団し背番号14を付けている
‥というのは割と有名かw 山田久志は2年続けて日本一記念旅行中に空き巣に入られた >>155
私は知らなかった
覚えておくかなあ
すぐ忘れそうだなあ 能見の14は偶然じゃなくて、それがあったからと思う >>158
ということは宇野もその時のことを覚えてて選んだ可能性があるのか 宇野は7番だから違和感の少ない77番のユニ借りたんだろうな
でも能見と違って恥ずかしい思い出だから
ユニ借りた事を懐かしがって77にした訳じゃないだろ 吉国一郎元コミッショナーと金井義明元コミッショナー事務局長は同じ日に死んだ スタン・ミュージアルとアール・ウィーバーの二人の米国殿堂入りが同日に亡くなったこともあったな 大相撲の八百長を告発していた大鳴門親方と後援者が
同じ日に同じ病院で同じ死因で死亡((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル これまた相撲の話だが、北の湖の師匠だった三保ヶ関親方(増位山父)と、北の湖の実父は1日違いで死去し、葬儀が同じ日だった。
たしか北の湖は師匠の葬儀を優先したのでした。 >>79
今さらだが05年の内訳も書きとめておこうか
第1戦藤本犠飛
第2戦
第3戦関本内野ゴロ
第4戦今岡タイムリー、桧山タイムリー 後に大相撲解説者として有名になる元関脇神風正一は
現役引退直後に「阪神タイガース入団」の噂があったとか 全国名字ランキング9位の小林に好打者が過去現在全くいない
全国名字ランキング17位の木村に好投手が過去現在全くいない 小林通算最多安打 章良742本
小林通算最多本塁打 晋哉47本
木村通算最多勝利 恵二31勝
木村通算最多セーブ 恵二41S 小林は、投手はそこそこいるが
木村のほうは打者も少ないな
ちなみに、本名が「木村」の力士は本名そのままを四股名に使うことができない >>176
式守もな
ってどんだけ相撲に繋げる木田! >>177
名球会関係では「中村」「大島」「若松」「立浪」も使えない >>180
御嶽海の本名は「大道(おおみち)」だが、「大道(だいどう)」という力士がいたので
「御嶽海」の四股名で初土俵を踏んだ由 野村克也は背番号は必ず10の位の数字と1の位の数字の合計が10になる。
19→1+9=10
73→7+3=10
82→8+2=10 かつて広島では8月6日にプロ野球の試合を開催しなかった時期があった 江川卓。
昭和56年オフ、友人の欽チャン(萩本欽一)宅を訪ね、悩みを相談
〜
江川「欽ちゃん、僕は子供の時から野球をやってきて野球が好きで仕方ないんだ。でも
野球は若いうちしかできない。いつか野球をやめなければいけない日が来ると思うと
悲しくて仕方ない・・」
欽「僕のいる芸能界には「引退」はないの。売れなくなったら仕事がなくなるだけ。逆に
僕は江川クンがうらやましいよ。だって野球をやめたあと「第二の人生」を経験できるんだから・・」
江川「そっか!そう考えれば気が楽になった。欽チャン、ありがとう!」
江川卓 32歳で引退。 >>186
大阪相撲はね
明治後期にも侠客が頭取(年寄)名跡を襲名して「総理」としてトップにいたり 1989福岡ダイエーホークス
2004北海道日本ハムファイターズ
2005東北楽天ゴールデンイーグルスの
初年度本拠地初戦はすべて西武ライオンズが相手だった >>191
讀賣のヲタは排他的だから、過去の功労者でも
ヨソへ行ったら冷酷そのもの >>192
横からだけどわかるわ
読ヲタだった頃に他球団へ移籍しても応援していたのって小林繁ぐらい(その小林にいきなり酷い目に遭ったわけだがw) >>186それ以外の侠客 2代高田川橋本政吉、10代押尾川小林佐兵衛
8代藤嶋(現大島)鶴田丹蔵 >>198
小林佐兵衛が、>>187のいう「総理」だな
司馬遼太郎『俄 浪華遊侠伝』のモデル 高木京介と奥川恭伸は縁戚(高木の嫁のいとこが奥川)
バルガスとソトは縁戚(バルガスの嫁の弟とソトの妹が夫婦) Wikipediaの「幻の本塁打一覧」の項で知った話
この話に新庄が3件関わっていることは有名だが
(観客の振っていた旗に撃ち落とされる、観客が捕球、田中幸雄と抱き合ってクルクルしたのを追い越しと見なされた)
奈良原が2件に関わっていたのは驚いた
上記田中幸雄とクルクルの際にサヨナラのホームを踏んだ件と、本人が本塁打性の打球を放ったのを観客が捕って取り消しになった件 野村のマンションのとなりの部屋に司馬遼太郎が住んでいたが、ただのドカチンとしか思われていなかった。
有名か 台湾出身(中華民国籍)で中国プロ野球でプレーした選手は郭建成のみ サミー・ソーサは打率、出塁率、長打率、OPSでリーグ1位になった経験がない 中国プロ野球(2002-2018)はプロとは名ばかりでセミプロに毛の生えたようなリーグだったらしいね
日本リーグ時代の全日空サッカー部(後の横浜フリューゲルス)みたいなものかな サヨナラスクイズ(サヨナラ犠打)は通常は発生しない
サヨナラのランナーがいる場面でスクイズバントしてランナーが生還したら、犠打ではなく安打になるのでサヨナラヒットになる >>206
本塁で刺そうとした場合に「野選」をつけないことになっているようだが、
もし守備側がうっかり(?)一塁に送球して打者走者をアウトにした場合はどうなるのだろうか 或いは、1点差の1死二三塁で打者バント、同点の三塁走者生還、
打者走者が一塁でアウトになる間に二塁走者生還サヨナラ、なら
サヨナラ犠打になるのかしら? 正確にはスクイズではなく内野ゴロだけどうっかり一塁に投げてしまい三塁ランナー帰ってサヨナラ負け。 そういえば金足農と近江の試合で実際にあった、あれはどう記録されたのかしら? 森昌子の冬演歌三部作はいずれも夏の発売
哀しみ本線日本海1981年7月20日
立待岬1982年8月10日
越冬つばめ1983年8月21日 >>185
萩本はプライベートで同業者に「欽ちゃん」と呼ばれるのを嫌がるらしいが、
年下の江川に言われて気にしなかったのかな? >>153
新巨人の星・長嶋茂雄監督、元祖天才バカボン・ウナギイヌは同じ声優。 1955年のセ、1961年のパ、1999年のセは規定打席に到達して打率.270台の選手がいない マグワイアは70本塁打の前年の97年、両リーグ最多の58本塁打を放ったがリーグをまたいで移籍したため
本塁打王になれず
アはグリフィーの56本、ナはウォーカーの49本 小学生の時に空き地で野球の試合をした。
18人もいなかったので、透明ランナーがいた。 1986年、アメリカのA級カリフォルニアリーグ、サンノゼ・ビーズに
謎の日系人選手 Roymond Tamori が在籍していた
而してその正体は西武のドラフト隠し玉・森山良二
だそうな >>223
野球ができる最低人数は2
透明ランナー 捕手は壁 アウトは三振かピッチャーフライのみ 元阪神小豆畑眞也の父親は成田山名古屋別院大聖寺の僧侶で
毎年正月には中日の優勝祈願を行っているのだが
小豆畑入団まで家族揃って巨人ファンだった 一塁ベースにて
広澤克美:おまえ、北関東出身だろ?
大久保博元:はい、茨城出身です。
広澤:北関東出身者の意地を見せてくれ
大久保:??
広澤:盗塁してみろ
大久保:ええ〜?
大久保:中畑さん、いいですか?
中畑清:北関東出身者の意地を見せてくれ 後楽園球場で野球の試合中にグラウンドにストリーキングが現れたが、男のストリーキングだったので
一塁走者の富田はがっかりした。 ミッキー・マントルはデビュー年だけ背番号6を付けていた 1970年代に200勝を達成した投手の数は、2000年代のそれよりも少ない
1970年代 村山実、鈴木啓
2000年代 工藤、野茂、山本昌 あまりにも有名な「権藤権藤雨権藤」の産みの親は記者ではなくライバルチームの投手 >>235
前の年に新人ながらリーグ最多登板(69試合)並びに最多投球回(364 1/3)で29勝を記録した投手ね。
その酷使が祟ってこの年は不調だったが、去年の自分よりも遥かに酷い使われようだと心配しての言葉だったと思われる。
後に痛烈な巨人並びに球界批判を厭わない野球批評家となる(その為か日刊ゲンダイでしか活躍の場が無かったのが残念!)一端も垣間見える。 >>236
昔はそういう気骨ある評論家がいらしたことが野球界を盛り上げていた一因だったのかもしれないですね ヤクルトが16連敗した1970年8月25日に生まれた石井琢朗はコーチとして2019年にヤクルト16連敗を経験している。 ジェフ・ブリッジスが別当薫がプリントされた
シャツを3本の映画で着ていたと海外の掲示板で紹介されていました。 セリーグ初代本塁打王(51本塁打)の小鶴誠は、通算本塁打よりも通算盗塁の方が多い(230本塁打、241盗塁) >>242
パリーグ初代本塁打王の別当薫も、
通算本塁打数(155)より通算盗塁数(186)のほうが多い