阪急黄金時代ってどれだけ凄かったの!?
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>>733
濃人 渉 出身地広島市 選手歴 広陵中学校 広島専売局
名古屋金鯱軍 (1936 - 1937, 1939 - 1940) 大洋軍 西鉄軍 (1941 - 1943)
広島鯉城園 グリーンバーグ 結城ブレーブス (1946 - 1947) 金星スターズ (1948)
監督・コーチ歴 日鉄二瀬 、江藤愼一、古葉竹識、寺田陽介、吉田勝豊らを育て「濃人学校」
中日ドラゴンズ (1960 - 1962) 東京オリオンズ ロッテオリオンズ (1964 - 1971)
7年でAクラス6回、優勝1回 高木守、権藤博を抜擢
色んな事をやらかしてるが、最後は故郷広島でTV解説。弟子の古葉の優勝を見届ける。 古葉の半分だけ姿を出すのも濃人の影響らしい。
権藤の肩を数年でこわしたものこの人(でも権藤は恨んでない、これもすごい話)
村山実となぜか仲良し。 >>748
ここら辺はさ、やはりアフターケアがいいんでしょう。
星野もそうだった。鉄拳制裁しながら、その鉄拳を振るった相手は可愛がる
高木チャンネルで観たけど慶彦曰く監督の古葉はニコニコ笑いながら殴ってくるらしい、
だから笑顔の裏があって怖いと。しかし違う番組で江夏が言ってたが
江夏が抑えで出てきて慶彦がサヨナラ負けにつなぐエラーをした時に
古葉が江夏に向かって「慶彦連れて飲みに行って来い」ってポケットマネーから金出す度量があったから
あの江夏から慶彦までの変わり者をまとめられたんだと思う。
そういうのは濃人さんも古葉が真似する辺りあったんじゃないのかねえ? 上田
1次政権 安定した戦力を運用
2次政権 西武の壁に阻まれたが世代交代をした
日ハム 弱くてどうしようもない状態から優勝争い2回した
野村や森より優秀だろう。 野村なんてヤクルト以外ダメ >>746
79年もさらにチーム力が下降線だったよ。
下降線でもそれまでが強過ぎたから強さの貯金、片鱗がまだ残っていた感じかな。
特に印象的だったのが近鉄戦最初の6試合が1勝5敗の時点でパリーグの最強チームは近鉄になったとパリーグファンは感じただろう。
そして前期中盤以降マニエル欠場でチーム状態が悪くなった近鉄をもう追撃して追い上げる中、近鉄3連戦に3タテできず2勝1分けに
終わったのも痛かった。
あの引き分けは痛かった。 79年は高志が使えなかったのがやっぱ大きいかったわな
打線は秀司、高井、マルカーノ、島谷中心にがんばってた、活発
長池はご臨終w >>752
大橋やウイリアムスが不調で、山口の故障が癒えなかったのと併せて
チームの守りが段々衰えて来ていたんだろうな。 対ヤクルト第4戦の6回表の4失点の中に大橋の記録的にはエラーになってないエラーがあったしな。
ショートゴロを2塁ランナーが気になってお手玉してオールセーフになって大ピンチになってしまうプレーね。 >>753
ダイヤモンドグラブを7人出した1978年だが失策は122とリーグワーストを記録しているんだよね。
元々超積極的な守りのせいか記録上の失策が案外多いチーム(1976年も123失策でリーグワーストを記録している)だったから一概には言えないけど、
守りの要である筈のショート大橋が補殺、刺殺、失策、併殺、守備率と全ての守備成績が明らかに悪化しているのが気になる。
特に守備率は入団以来.960以下が、東映時代の1971年(.956)しか無かったのに、この年、.948と自己ワーストを記録。
打率1割台の打撃不振より打席数が入団以来最も少なかった1976年以上に打席数も減らされているので、補殺数、刺殺数、併殺数
の低下についてはもう少し吟味する必要があるけど。 >>755
1976年のパ・リーグでは太平洋が120と阪急とほぼ同じくらいのチーム総失策だが
こっちは一人で30失策してるパのエラー王がいたりで同じ次元では語れないな 1978年ヤクルト
失策 ヒルトン21(二)、大杉10(一)、ショート3人で19、
二遊間ひどくないか? 大橋は全盛期を過ぎてるとは言え上記よりは… >>757
だから広岡は山崎裕之を獲得しようとしたんだろう
交換相手が「ロッテに行きたくない」とゴネて頓挫したけど 勿論、1978年時点での阪急は依然日本一に相応しい強さだったし、大橋も依然優秀なショートだったけど衰えの兆候が記録に現れ出したのに象徴される様に、
前年までの絶対的な強さや信頼感では無くなりつつあったという事ですわ。
又、それは勝った広岡監督からしても「まだまだウチは未完成のチームで日本一に相応しい強さでは無い」と痛感し、山崎獲得に乗り出したという訳でしょう。 ちなみに八重樫が「今だから言える」みたいな感じで語っていたんだが
日本一の次の年に最下位になったのはシーズンオフに稼がせてくれなかったのが原因だそうだ
初の日本一直後に不穏な空気。八重樫幸雄が明かす広岡ヤクルトの不和
https://www.excite.co.jp/news/article/WebSportiva_087395/?p=4
八重樫 そう。優勝後、東京と大阪で、球団が決めた祝賀パーティーがあったんだよね。
でも、それが終わるとすぐに競技場を借りて秋季練習が始まったんです。
普通、優勝した後のオフはサイン会だ、トークイベントだって、
選手にとっては副収入を稼ぐ絶好のチャンスなんですよ。それなのに約1カ月間、猛練習。
広岡さんは来年も結果を出すために必要だと思ったんだろうけど、
キャンプが終わった頃には世間の人たちも優勝、日本一のことは忘れているから、
ベテランの人たちはみんな怒っていたよね。 >>760
そういうチームは日本一になったからって選手たちの自由にさせたらさせたで結局翌年はBクラスだな。 >>758
安田猛だったっけ?確か巨人ファンの松園オーナーに直訴したとか >>763
そう
前年15勝の安田を出す気だったんだからマジで欲しかったらしい
ロッテとしては放出する気満々だったので山崎が浮いてしまって
そこに西武が山崎を獲得したいとオファーして獲得 >>763
安田もそうだけど、
山崎裕之、岩崎忠義「ロッテ」−西井哲夫、渡辺進「ヤクルト」
西井、渡辺両選手が球団幹部に残留を直訴。
結局、家族主義というか甘いというか。これじゃあ連覇は無理だよね。 安田は翌年以降まったく活躍しないし西井は結局ロッテ行き >>760
八重樫とか曲者系の奴は大抵広岡を嫌うよな
まあ嫌われても仕方ない奴ではあるんだが
若松田淵みたいな素直な人間は割と広岡を信奉してる 広岡やヤクルトの話が何の関係があんだよ?
阪急スレだろうが >>751
そうなんだ
とにかく79年のプレイオフは悔しかった 泣きました
76年からファンになってから
あれだけ完敗したの初めてだったから 阪急は西武できる前はパリーグでは待遇良いほうだったのかな??
親会社はお金持ちそうだけど >>770
パでは良かったはす
あと強いチームだった事もあって
アマの有望選手も「パでも阪急なら入団しようか・・」って感じで
入団してくれる選手が多かった こういう年齢層が高い板で「近鉄って大きい=お金ある」と思えるオツムってある意味羨ましい 桑田真澄は小学校の卒業文集に将来野球選手になって巨人か阪急か西武に入りたいと書いていた
そういう所敏いな おカネがあってもカネを出してくれるとは限らない訳で。
近鉄なんて万年最下位時代に千葉監督が「しみったれ精神」と揶揄したそのものの体質で、弱小時代から野茂や岩隈の時代に至るまでその手の逸話が
枚挙にいとまが無い程。
しみっ たれ [0]
( 名 ・形動 )
〔動詞「しみったれる」の連用形から〕
@ 金品を出し惜しみすること。けちくさいさま。また、その人。
A 考えや気持ちが狭いさま。
B 見ばえがしないこと。貧弱なさま。また、貧乏でみすぼらしいさま。
C 醜女。
(三省堂 大辞林 第3版より) >>774
80年3月卒業の彼が巨人と阪急はセバ最強チームだったからわかるが
西武? 当時斬新で綺麗な球場でプレーしたかったのかな? 江川は「阪急は好きなチームでしたが絶対に大学に行く気だったのでお断りしたんです」
「あの時は巨人の指名でも入団しなかったと思います」と言っていた >>777
西武一年目で最下位だったからね ちょっと不自然だな
無知な四年生の私は南海より弱いチームがいてくれてよかったと思ったもんだw >>778
甲子園に出た時にランニングがてら山田久志の家見に行ったら
山田に食事に連れていってもらったそうだな >>781
それ、プロアマ規定に引っかかるんじゃないの? >>778
>「あの時は巨人の指名でも入団しなかったと思います」
それは今だからそう言えるのであって、
実際あの当時の巨人に指名されたら最初は大学行くと言いながら
最終的には巨人入団してたと思う
プロ拒否を打ち立てて最終的にはいとも簡単にプロ入り表明した西武工藤や最近では日ハム大谷のように。 江川が周囲やマスコミに翻弄されたであろう事は認めるが、かと言って江川本人の証言をまるまる信じる訳にもいかない >>782
?
技術指導されてなかったら問題無いが 太田幸司のファンで太田幸司を追いかけているうちにパ・リーグの露出のなさを思い知って野球やるならセって決めたんだろ江川 >>778
絶対、嘘。ありえん。政治家まで動いてたんだから。 まあ、礼儀正しい大人の回答をしたまでだろ。
「阪急なんて言うパリーグの不人気チームなんかに行くわけねーだろ!」
と、言えとでも? 西武ができる前は阪急ってセと合わせても金持ち球団だったのかな??
昭和50年代は広島は年俸がわりと高いイメージあるのだがマツダが好調だったのかな >>789
「すすめ!!パイレーツ」の中で、パイレーツが77年のドラフトで指名した選手が
「わしゃ巨人か阪急か、経営のしっかりした球団に行くだ」
と言うシーンがあった
実態はともかく、一般的にそういうイメージはあったんだろう >>789
79年だか80年
年俸総額12球団一位だったと思う でも収入は下位クラスだったんだろう?そりゃあやってられんわ。 1972年だけ国税庁が発表した各球団の有料入場者数によると
阪急は1試合平均2900人(1円でも料金を払った客の数)にしかならない。
公称だとこの年の観客動員数は38万人(1試合平均約5800人)だから、単純計算では2倍に水増しされている事になる。
これではもちろん大赤字で、儲かる競輪が優先されたのも仕方ない >>785
?
いや、ダメなんじゃないのかな?
じゃー技術指導は一切しませんが食事まではOKですよね?という話になる
去年で言えば奥川君や佐々木朗希君にそう言って接触したプロ関係者いないよね? >>793
すごいなその事実w
しかしよくそんな情報探し出してきたねえ 南海の身売りについては「あの惨状じゃ仕方ない」って反応だったが
阪急の身売りについては「嘘だろ?!」って反応だったよ
阪急は優良企業のイメージでパの帝王の座は西武に奪われたが
Aクラスは維持していたからね >>790
地元の無名の巨漢をドラフト外で獲ろうとしたら
タケノ花と「人間しんぼうだ!」に横どりされたんじゃなかったっけ
さておき
そのセリフ 「江川みたいなこと言って!」と猿山にツッコまれてたが
実際には江川は阪急に入らず そしてその阪急は… 初の日本一になった昭和50年阪急
シーズン総合成績 64勝59敗7引き分け
日本シリーズの相手は初出場の広島
色々とモヤモヤが残りそうな日本一だな
翌年は文句なしの成績だが >>799
いや、強いチーム、常勝が続くチームはこういう接戦のペナントレースは
必ず優勝してるイメージ
V9の巨人も西武黄金期も毎年圧倒的にペナントレース勝ってるわけではない >>799 近鉄のほうが総合成績(71勝50敗)では上だが、前後期PFで阪急が勝利。
びっくりしたのは、1976年の野村南海、71勝56敗。悪くないし、後期も阪急に2ゲーム差。 79年の130試合総合成績は優勝した近鉄よりも阪急の方が上だからね。
130試合の勝率で見ても結局は阪急がパリーグ4連覇だ。 >>792
巨人戦の放映権料が0だからね
セリーグの球団以上の年俸払えるなんて奇跡 >>793
その他の11球団の有料入場者数も教えて
巨人以外で1万人超えてる球団あるかな? >>803
どうしてお前は広岡と上田が広島で一緒にやった事にしたいの?
そんんば事実は無いのに >>808
話が飛び過ぎててまるで何を言ってるか判りません。
訛ってたwとは? 「そんな事実は無いのに」が
「そんんば事実は無いのに」 に、なっていたタイプミスを訂正しただけ。
それだけどこと。 >>811
ありがとう
大橋 今こんな顔になってるんや ベースボールマガジンが阪急ブレーブス特集号だな
西本幸雄監督生誕100周年と言う事で 色々面白い話が書いてある
西本は自分を抜擢してくれた恩人
杉浦に南海入りの話をつけてくれたのも西本
王が「2000本安打を諦めるな。ロッテへの移籍話もあるから」と勧めてくれた
上田にコーチとして呼ばれた時は驚いた
【一聞百見】今だから話せる「勇者の三番」広島トレード秘話 元プロ野球阪急ブレーブス選手・加藤秀司さん
https://news.livedoor.com/article/detail/18030691/ 二軍監督とガチでケンカしたのに
ずっと二軍でいいって意外だな つうかブレーブスでのあまりの猛練習振りに、「こらアカン、ワシには良う付いていけんから早よブレーブスからおさらばや。」とばかりに
悉く二軍監督に食って掛かってたって感じだなw
ところがそんな態度を、西本監督は自信家且つ向こう意気が強いプロ根性の持ち主として高く買い、松下在籍時から加藤を打撃の天才
と認めていたもっさんは「えらい自信やなあ。ワシあんな自信無いわ。」と益々練習にのめり込むようになりと、全てが好循環に働いたと
・・・・・・・・歴史ってそんなもんかもしれんな。 実際、バッティングは天才的だったのだろう。
そうじゃなきゃドラフトで3回も指名されない。
しかし1975年〜1977年まで3年連続でダイヤモンドグローブ受賞しながら
なぜか?1978年は受賞してない、この年ファーストで加藤秀司が受賞すれば
前人未到の「9人全員阪急の選手」の偉業だったのに
なんかこういう人だから、ゴールデングラブは
マスコミ投票だし当時のマスコミ連中と衝突してたのかな? 元々はスカウトが加藤を見に来て同じチームの福本にも目がとまって
それで「ついでに獲ろう」になった
それが大当たりになるんだから面白い >>818
単に打撃成績が悪かっただけ
ゴールデングラブって打撃成績が左右するからね
ほんとはダメなんだけど
あと一度守備が上手いと評価されると延々と受賞する
ハッキリ言ってワシらが投票するのと変わらない 75〜77年のパ・リーグの記録を見てみると、意外だったのだが
一塁手のレギュラーが定まってないチームが多かった。
加藤は当然3シーズンとも一塁で100試合以上出てるんだけど
他チームだと日ハムの小田が3シーズン続けて100試合以上出てる以外は
76年の柏原(南海)ジョーンズ(近鉄)77年のハンセン(クラウン)
しか100試合以上出ている一塁手がいなかった。
加藤が3年連続ゴールデングラブだったのもそういう事情だったんだな。 加藤が巨人に移籍した時に当時の監督の王が「今の守備力では130打席しか与えられない」
と当時は130試合だからつまりは代打だと。
年齢的に衰えはあっただろうが比較的ベテランの最終的な守備位置な
一塁手でこう言われたんだから若い頃も上手くはなかったんだろう そりゃあ巨人とのシリーズのあの第7戦で、ファーストゴロから本塁悪送球の1点は痛かったからな。
その後逆転して日本一になったから良かったものの。 野村橋本片岡のPLOB座談会のPLベストナイン特集で一塁は即断で清原に決まってたのが悲しかった
加藤秀司はなぜか外野手扱いでその外野すら
福留吉村新井で埋められベストナインから外されるという冷遇ぶり そりゃあPL学園時代での活躍度は清原の方が遥かに上だろ。 >>822
松下電器の監督が「阪急は加藤にどこを守らせるつもりだ?」と言ったって話もあるからね
若い頃から守備は苦手だったようだ ファーストで守備固め出されてたし・・・外国人打者みたいなもんだね 71〜75年まで5年連続で二桁盗塁してるし
(通算でシーズン6回)最高で24盗塁してるし
足は遅くないのよ、むしろ俊足の部類?しかもファーストで
ファーストで俊足と打率と長打を兼ね備えてたのは歴代で
飯田徳治さんは別格として、2番手は加藤なんじゃないの?
もちろん打撃特価の王とかバースは除いてバランスで考えたら、あっ!守備か・・・ 守備が下手な強打者
川上、榎本喜八、江藤慎一、張本 こうして見ると、加藤の才能を存分に引き出し心服されている
西本監督ってやっぱりすごかったんだな 加藤の移籍って色々なチーム内でのトラブルがクローズアップされるけど
それは守備がアレだけどめちゃくちゃ打つから我慢して使ってたのが以前ほど打てなくなり
その他の問題とあいまって我慢の限界値まできた、
ってのがホントのとこだろうな それでも打てて守れてたら違っただろうな。
中村ノリが生きながらえたのは守備の力が大きい。
あれでもし加藤レベルどころか、水準級の守備力だったらとっくの昔に無職になってた ファーストの守備といえば高井もかなり下手だったような 張本がシーズン史上最高打率がかかった打席で
「さてどうするか」
と一塁を見たら高井が入ってたので即セーフティーを仕掛けたと言ってたなw 新庄がメジャーでそこそこ試合に出れたのは守備が良かったから
守備だけならイチローより上かもと言われた程だったからな 高井は「代打でしか使えない」と判断された位だから
いかに酷かったか分かる
DHには賛否両論あるが個人的には導入して良かったと思う >>834
移籍先のカープからしたら自軍のチーム事情から
バランスいいトレードだと思っただろうね
山本浩二、衣笠と主力2人とも右打者だから、ここは同格の実力の水谷より左の加藤がチーム的にはバランスいいと。
実際、左右の違いあれ打力長打力年齢守備力走力と互角だと思う 広島は82年の加藤の打率2割3分台は何とも思わなかったのかな?
1年だけの不調と判断したのかな。 >>842
そうでしょう
当時はなんで水谷なん?
て思ってたもん
損だなと これは阪急ってより広島の方の事情でしょうね。
それとも戦略?ある程度の出血は覚悟で連覇するためには血の入れ替えは必要と考えるのか?
江夏⇔高橋直樹も実力的には不可解、前値二桁10勝したとはいえ9敗防御率4点台の高橋と
球界を代表する抑えになった江夏とのトレードがいきなり決まったからね
まあ噂通りのお家の事情があったのかもだけど 江夏は日本ハムを放出された時も34セーブしたのに日本ハムが「江夏を放出する」と
宣言してのトレードだったし首脳陣にとっては扱いにくい選手だったんでしょ 古葉が守れない水谷に対して、DHのあるパリーグをすすめた。
当時は水谷にうらまれたけど、移籍後即打点王。しかし翌年頭部デッドボールでほぼエンド。この年広島と日シリだったので、フルスペックだったら広島は勝てなかったかも。
広島は、大物トレードは苦手、この他にも高橋直、高沢など失敗多い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています