阪急黄金時代ってどれだけ凄かったの!?
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だけど最後は南海で2000本安打して終われて救われたと思う
門田にとっては同世代の加藤が来て良い刺激になったらしい 上田は実績のある衰えたベテラン(阪急生え抜きでも)に冷たいんだよな。
加藤やマルカーノの他に米田や簑田なんかも放出されたからな。 マルカーノって改めて成績見直したら凄いよね
セカンドの助っ人なら歴代でも横浜ローズ、シピンの次くらいじゃないか >>704
西本時代からの実績あるベテランに
冷たいんだよな
西本遺産で勝っていると陰口を叩かれたりしたから余計に意地になって
ベテランを切り捨てるw
監督復帰した時に加藤大橋島谷ら
まだ充分やれる主力を戦力外にしたが
西武が台頭して思うようには勝てず
結果西本遺産で勝ったと余計に印象付けてしまったなw
育成して勝つ事は出来ないタイプ ハム監督時代は意識的に若手優先にしたのは育成コンプレックスがあったからだな >>704
山田久志の連続開幕投手もあっさりと打ち切ったからね
前年15勝なんだから山田を継続するのが筋だった >>703
門田さんがレフト守るなんて言い出すもんだから
往年の好守強肩を話でしか知らないファンとしては
いろんな意味でハラハラしたなあ
そんなに達成したけりゃ加藤がレフトやれよ!なんて思いながら 上田阪急が西本遺産による黄金時代なのは否定は出来ないが、では上田では無かったら、西本が続投していたとしたら、
3年連続日本一を含む4連覇はあったのかは疑問だな。 さんざん言われてるが容赦ない非情采配ができたから上田は勝てた 一時期引退寸前に追い込まれた佐藤義や関口の復帰を我慢強く待ったり、衰えた今井や弓岡を5年ぐらい起用し続けたりしたから
非情采配一辺倒という訳でも無い >>712
そんなことがさんざん言われていたんだ?
特に上田が他の監督に比べて非常采配だとは思わないけどな。
具体的な非常采配の例を一つや二つ出してくれると有り難いのですが。
>>713
弓岡は衰えて5年もする前にショートは小川に変わっただろ。
脚は健在だったから代走では起用され続けてたけどな。
今井は投手力が薄いから起用せざるを得ないじょうきょうだった。 >>713
西本時代からの選手じゃなかったからなw
例外は早くに引退して懐刀的存在になった住友や西本時代干され気味だった高井中沢や今井 >>706
シピンよりは上、の印象
個人的な印象はあてにならんかもしれんが 上田の最大の失敗は後継監督を育成しなかったこと
自分が長いこと監督することしか興味がなかった どうせオリエントリースに売却されるんだから阪急閥の人間は切られてたでしょうな マルカーノは元々守備が上手いので取った位で守備力もあったからね
マルカーノ&大橋の鉄壁の二遊間が構築できた ヨネカジ時代の不遇さというか語られなさよ
後に初優勝迎えて連覇するんだから黄金期に該当しますよね
あと山田久志が嫌いな先輩として名前をあげてたのは誰でしょうか? 黄金期阪急は確かに強かったが
大杉には見事に粉砕されたな >>703
加藤が巨人にトレードされたころにファーストでの守備を見たことがあるけど、
守備範囲は極端に狭いしショートバウンドを後ろに逸らすしヘボかった記憶しかない。
巨人の編成は何をみて獲得したのかと思ったよ。
>>704
大抵のチームは年俸総額に制限を設定しているだろうから、
コスパの悪いベテランから放出されるのはしかたがない。 石井が影が薄い?
投手の石井なら強烈な個性派だがw >>726
あれだけの実績があってコーチ止まりなのは人間性に問題あったからなのか クローザーの山口がシリーズ前のケガで戦線離脱したからあのシリーズは苦しくなるのは当たり前。 >>729
土井が辞めた後のオリックスで監督候補の1人になってた。
晩年の佐藤ヨシを復活させた功績が大きいと思う 1985年の阪神優勝の時に投手陣を建て直したのは米田ピッチングコーチの手腕だったと言われている
権藤は「肩は消耗品だ」という思想だが米田は「ある程度の投げ込みはするべきだ」という思想
壊された人と壊されなかった人の違いかもしれないけどね
濃人って今見直すととんでもない監督だな
週ベ回顧によればロッテで優勝した時すら評価は低かったそうだ あのシリーズは山口が使えなかったのが痛かったのは確かだけど、上田の采配が鈍かったな。
第4戦は複数の采配ミスがある。
一番有名な局面は最後山田に替えないで今井続投だけど、6回の4失点時にファーストを高井から大隅に替えていれば
少なくとも杉浦タイムリーの4点目は防げていたはず。
大隅ならあの杉浦の打球は処理出来ていたと思う。 >>719
西本→上田
川上→長嶋
鶴岡→蔭山
広岡→森
育成ではないかも知れないけど
こういう引継ぎが出来ればベスト
なんやねん上田→土井って それは上田のせいじゃないだろ。
オリックスという阪急色一層が目標だった球団のせいだろ。 78年の日本シリーズは山口以外にも稲葉とか佐藤とかもあまり使われてない
なんかあったの??
ヤクルトも森ヘッドは白石静を嫌がってたみたいだがあまり使ってこなかったとか
言ってたそうだ 大杉にホームラン打たれたあとなぜかシーズンでほぼ活躍してない新人の松本が投げてるよな >>737
西本は無能
毎日阪急を日本一に出来なかった ヨネカジ石井があれだけ打たれては打つ手が無いだろ。
米田や石井はたまに好投したけど梶本はほぼ良いとこ無しで終わったぞ 78年は近鉄に10勝14敗で負け越してるんだな。
まだマニエルがいない近鉄にこれでは実はヤバいレベルだよな。 >>740
>白石を嫌がってたみたいだが
後年(西武の監督も辞めて何年かた経った頃)、広岡が取材インタビューで言っていた記憶があるけど。
あと、佐藤は不調だね。先発して早い回に降板が数回あった。
公式戦最終戦のロッテ戦では7失点とかだった。
稲葉は体調不良とか聞いたことがある。
白石は8月中旬に登録抹消になって以来のシリーズ登板だった。
だから投手陣はボロボロで、すでに圧倒的な戦力を誇る阪急では無くなっていた。 79年はまだ強い阪急だったが、長い間勝ち続けた疲労が80年一気に噴き出した感じ >>733
濃人 渉 出身地広島市 選手歴 広陵中学校 広島専売局
名古屋金鯱軍 (1936 - 1937, 1939 - 1940) 大洋軍 西鉄軍 (1941 - 1943)
広島鯉城園 グリーンバーグ 結城ブレーブス (1946 - 1947) 金星スターズ (1948)
監督・コーチ歴 日鉄二瀬 、江藤愼一、古葉竹識、寺田陽介、吉田勝豊らを育て「濃人学校」
中日ドラゴンズ (1960 - 1962) 東京オリオンズ ロッテオリオンズ (1964 - 1971)
7年でAクラス6回、優勝1回 高木守、権藤博を抜擢
色んな事をやらかしてるが、最後は故郷広島でTV解説。弟子の古葉の優勝を見届ける。 古葉の半分だけ姿を出すのも濃人の影響らしい。
権藤の肩を数年でこわしたものこの人(でも権藤は恨んでない、これもすごい話)
村山実となぜか仲良し。 >>748
ここら辺はさ、やはりアフターケアがいいんでしょう。
星野もそうだった。鉄拳制裁しながら、その鉄拳を振るった相手は可愛がる
高木チャンネルで観たけど慶彦曰く監督の古葉はニコニコ笑いながら殴ってくるらしい、
だから笑顔の裏があって怖いと。しかし違う番組で江夏が言ってたが
江夏が抑えで出てきて慶彦がサヨナラ負けにつなぐエラーをした時に
古葉が江夏に向かって「慶彦連れて飲みに行って来い」ってポケットマネーから金出す度量があったから
あの江夏から慶彦までの変わり者をまとめられたんだと思う。
そういうのは濃人さんも古葉が真似する辺りあったんじゃないのかねえ? 上田
1次政権 安定した戦力を運用
2次政権 西武の壁に阻まれたが世代交代をした
日ハム 弱くてどうしようもない状態から優勝争い2回した
野村や森より優秀だろう。 野村なんてヤクルト以外ダメ >>746
79年もさらにチーム力が下降線だったよ。
下降線でもそれまでが強過ぎたから強さの貯金、片鱗がまだ残っていた感じかな。
特に印象的だったのが近鉄戦最初の6試合が1勝5敗の時点でパリーグの最強チームは近鉄になったとパリーグファンは感じただろう。
そして前期中盤以降マニエル欠場でチーム状態が悪くなった近鉄をもう追撃して追い上げる中、近鉄3連戦に3タテできず2勝1分けに
終わったのも痛かった。
あの引き分けは痛かった。 79年は高志が使えなかったのがやっぱ大きいかったわな
打線は秀司、高井、マルカーノ、島谷中心にがんばってた、活発
長池はご臨終w >>752
大橋やウイリアムスが不調で、山口の故障が癒えなかったのと併せて
チームの守りが段々衰えて来ていたんだろうな。 対ヤクルト第4戦の6回表の4失点の中に大橋の記録的にはエラーになってないエラーがあったしな。
ショートゴロを2塁ランナーが気になってお手玉してオールセーフになって大ピンチになってしまうプレーね。 >>753
ダイヤモンドグラブを7人出した1978年だが失策は122とリーグワーストを記録しているんだよね。
元々超積極的な守りのせいか記録上の失策が案外多いチーム(1976年も123失策でリーグワーストを記録している)だったから一概には言えないけど、
守りの要である筈のショート大橋が補殺、刺殺、失策、併殺、守備率と全ての守備成績が明らかに悪化しているのが気になる。
特に守備率は入団以来.960以下が、東映時代の1971年(.956)しか無かったのに、この年、.948と自己ワーストを記録。
打率1割台の打撃不振より打席数が入団以来最も少なかった1976年以上に打席数も減らされているので、補殺数、刺殺数、併殺数
の低下についてはもう少し吟味する必要があるけど。 >>755
1976年のパ・リーグでは太平洋が120と阪急とほぼ同じくらいのチーム総失策だが
こっちは一人で30失策してるパのエラー王がいたりで同じ次元では語れないな 1978年ヤクルト
失策 ヒルトン21(二)、大杉10(一)、ショート3人で19、
二遊間ひどくないか? 大橋は全盛期を過ぎてるとは言え上記よりは… >>757
だから広岡は山崎裕之を獲得しようとしたんだろう
交換相手が「ロッテに行きたくない」とゴネて頓挫したけど 勿論、1978年時点での阪急は依然日本一に相応しい強さだったし、大橋も依然優秀なショートだったけど衰えの兆候が記録に現れ出したのに象徴される様に、
前年までの絶対的な強さや信頼感では無くなりつつあったという事ですわ。
又、それは勝った広岡監督からしても「まだまだウチは未完成のチームで日本一に相応しい強さでは無い」と痛感し、山崎獲得に乗り出したという訳でしょう。 ちなみに八重樫が「今だから言える」みたいな感じで語っていたんだが
日本一の次の年に最下位になったのはシーズンオフに稼がせてくれなかったのが原因だそうだ
初の日本一直後に不穏な空気。八重樫幸雄が明かす広岡ヤクルトの不和
https://www.excite.co.jp/news/article/WebSportiva_087395/?p=4
八重樫 そう。優勝後、東京と大阪で、球団が決めた祝賀パーティーがあったんだよね。
でも、それが終わるとすぐに競技場を借りて秋季練習が始まったんです。
普通、優勝した後のオフはサイン会だ、トークイベントだって、
選手にとっては副収入を稼ぐ絶好のチャンスなんですよ。それなのに約1カ月間、猛練習。
広岡さんは来年も結果を出すために必要だと思ったんだろうけど、
キャンプが終わった頃には世間の人たちも優勝、日本一のことは忘れているから、
ベテランの人たちはみんな怒っていたよね。 >>760
そういうチームは日本一になったからって選手たちの自由にさせたらさせたで結局翌年はBクラスだな。 >>758
安田猛だったっけ?確か巨人ファンの松園オーナーに直訴したとか >>763
そう
前年15勝の安田を出す気だったんだからマジで欲しかったらしい
ロッテとしては放出する気満々だったので山崎が浮いてしまって
そこに西武が山崎を獲得したいとオファーして獲得 >>763
安田もそうだけど、
山崎裕之、岩崎忠義「ロッテ」−西井哲夫、渡辺進「ヤクルト」
西井、渡辺両選手が球団幹部に残留を直訴。
結局、家族主義というか甘いというか。これじゃあ連覇は無理だよね。 安田は翌年以降まったく活躍しないし西井は結局ロッテ行き >>760
八重樫とか曲者系の奴は大抵広岡を嫌うよな
まあ嫌われても仕方ない奴ではあるんだが
若松田淵みたいな素直な人間は割と広岡を信奉してる 広岡やヤクルトの話が何の関係があんだよ?
阪急スレだろうが >>751
そうなんだ
とにかく79年のプレイオフは悔しかった 泣きました
76年からファンになってから
あれだけ完敗したの初めてだったから 阪急は西武できる前はパリーグでは待遇良いほうだったのかな??
親会社はお金持ちそうだけど >>770
パでは良かったはす
あと強いチームだった事もあって
アマの有望選手も「パでも阪急なら入団しようか・・」って感じで
入団してくれる選手が多かった こういう年齢層が高い板で「近鉄って大きい=お金ある」と思えるオツムってある意味羨ましい 桑田真澄は小学校の卒業文集に将来野球選手になって巨人か阪急か西武に入りたいと書いていた
そういう所敏いな おカネがあってもカネを出してくれるとは限らない訳で。
近鉄なんて万年最下位時代に千葉監督が「しみったれ精神」と揶揄したそのものの体質で、弱小時代から野茂や岩隈の時代に至るまでその手の逸話が
枚挙にいとまが無い程。
しみっ たれ [0]
( 名 ・形動 )
〔動詞「しみったれる」の連用形から〕
@ 金品を出し惜しみすること。けちくさいさま。また、その人。
A 考えや気持ちが狭いさま。
B 見ばえがしないこと。貧弱なさま。また、貧乏でみすぼらしいさま。
C 醜女。
(三省堂 大辞林 第3版より) >>774
80年3月卒業の彼が巨人と阪急はセバ最強チームだったからわかるが
西武? 当時斬新で綺麗な球場でプレーしたかったのかな? 江川は「阪急は好きなチームでしたが絶対に大学に行く気だったのでお断りしたんです」
「あの時は巨人の指名でも入団しなかったと思います」と言っていた >>777
西武一年目で最下位だったからね ちょっと不自然だな
無知な四年生の私は南海より弱いチームがいてくれてよかったと思ったもんだw >>778
甲子園に出た時にランニングがてら山田久志の家見に行ったら
山田に食事に連れていってもらったそうだな >>781
それ、プロアマ規定に引っかかるんじゃないの? >>778
>「あの時は巨人の指名でも入団しなかったと思います」
それは今だからそう言えるのであって、
実際あの当時の巨人に指名されたら最初は大学行くと言いながら
最終的には巨人入団してたと思う
プロ拒否を打ち立てて最終的にはいとも簡単にプロ入り表明した西武工藤や最近では日ハム大谷のように。 江川が周囲やマスコミに翻弄されたであろう事は認めるが、かと言って江川本人の証言をまるまる信じる訳にもいかない >>782
?
技術指導されてなかったら問題無いが 太田幸司のファンで太田幸司を追いかけているうちにパ・リーグの露出のなさを思い知って野球やるならセって決めたんだろ江川 >>778
絶対、嘘。ありえん。政治家まで動いてたんだから。 まあ、礼儀正しい大人の回答をしたまでだろ。
「阪急なんて言うパリーグの不人気チームなんかに行くわけねーだろ!」
と、言えとでも? 西武ができる前は阪急ってセと合わせても金持ち球団だったのかな??
昭和50年代は広島は年俸がわりと高いイメージあるのだがマツダが好調だったのかな >>789
「すすめ!!パイレーツ」の中で、パイレーツが77年のドラフトで指名した選手が
「わしゃ巨人か阪急か、経営のしっかりした球団に行くだ」
と言うシーンがあった
実態はともかく、一般的にそういうイメージはあったんだろう >>789
79年だか80年
年俸総額12球団一位だったと思う でも収入は下位クラスだったんだろう?そりゃあやってられんわ。 1972年だけ国税庁が発表した各球団の有料入場者数によると
阪急は1試合平均2900人(1円でも料金を払った客の数)にしかならない。
公称だとこの年の観客動員数は38万人(1試合平均約5800人)だから、単純計算では2倍に水増しされている事になる。
これではもちろん大赤字で、儲かる競輪が優先されたのも仕方ない >>785
?
いや、ダメなんじゃないのかな?
じゃー技術指導は一切しませんが食事まではOKですよね?という話になる
去年で言えば奥川君や佐々木朗希君にそう言って接触したプロ関係者いないよね? >>793
すごいなその事実w
しかしよくそんな情報探し出してきたねえ 南海の身売りについては「あの惨状じゃ仕方ない」って反応だったが
阪急の身売りについては「嘘だろ?!」って反応だったよ
阪急は優良企業のイメージでパの帝王の座は西武に奪われたが
Aクラスは維持していたからね >>790
地元の無名の巨漢をドラフト外で獲ろうとしたら
タケノ花と「人間しんぼうだ!」に横どりされたんじゃなかったっけ
さておき
そのセリフ 「江川みたいなこと言って!」と猿山にツッコまれてたが
実際には江川は阪急に入らず そしてその阪急は… 初の日本一になった昭和50年阪急
シーズン総合成績 64勝59敗7引き分け
日本シリーズの相手は初出場の広島
色々とモヤモヤが残りそうな日本一だな
翌年は文句なしの成績だが >>799
いや、強いチーム、常勝が続くチームはこういう接戦のペナントレースは
必ず優勝してるイメージ
V9の巨人も西武黄金期も毎年圧倒的にペナントレース勝ってるわけではない >>799 近鉄のほうが総合成績(71勝50敗)では上だが、前後期PFで阪急が勝利。
びっくりしたのは、1976年の野村南海、71勝56敗。悪くないし、後期も阪急に2ゲーム差。 79年の130試合総合成績は優勝した近鉄よりも阪急の方が上だからね。
130試合の勝率で見ても結局は阪急がパリーグ4連覇だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています