阪急黄金時代ってどれだけ凄かったの!?
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>>662
こんな事もあったそうだ
張本の守備の酷さは有名だったからな
https://news.goo.ne.jp/article/baseballonline/sports/baseballonline-097-20190828-03.html
そこで、「オレが悪いとしたら、どこが悪いのかはっきり言ってくれ。お願いだ!」
と訴えた。
ここでは「いや、ハリ、そんなことはないぞ」となって抱き合うのが、もしかしたら巨人かもしれないが、
東映ではそうはならない。
守備面で構えがないからスタートが遅い、カバーリングが悪い、個人記録を追い過ぎる、など言いたい放題になったらしい。
当初は神妙に聞いていた張本だが、最後は、
「確かに俺は思い当たるようなプレーをしたかもしれん。だが、これらのことはだれだって大なり小なりやっているじゃないか。納得いかん」
と言い残し、部屋に戻ってしまったという。
この鉄板の流れは吉本新喜劇、いや、東映新喜劇か。 西本監督だったら多分ハリーの様な選手は放出だっただろうな
近鉄で土井を放出した時と同じように タイプは違うが
三原翁もハリーを忌み嫌っていたな
日本プロ野球の打撃人を5人挙げればに
ハリーを入れていない
5人選ぶなら川上大下中西長嶋王
3人選ぶなら大下長嶋王
1人選ぶなら大下
これを三原が他界後に
ハリーは三原さんたちと話して決めたと捏造w
ソースはBBM社プロ野球80年最強打撃職人 >>502
西宮球場の完成当時は現在でも通用するスタイル
80年以上も前にフィールドシートに観覧席を覆う屋根
競輪で芝生もそうだけどスタンドもいびつな形になったのは残念無念 >>665
意味不明。
誰が何を「話して決めた」のか? 野村克也がクイック投法をやりだしたとか大嘘なのがよくわかる記事。
実戦で本格的にやり出したのは天下の巨人軍なのである。 78年か79年が一番最強だったと思う
78年なんかダイヤモンドグラブ賞8人受賞
この記録は抜かれてないんじゃない? 1992年
投手 郭
捕手 伊東
一塁 清原
二塁 辻
三塁 石毛
遊撃 田辺
外野 秋山 平野 佐々木誠 >>669
さすがに史上最強は無理がありすぎ。
シリーズでは巨人に惨敗してるのに。
ソフトバンクに負けた去年の巨人が最強と言い張るようなもの。 だな。そもそも観客が多いと舞い上がって普段のプレーが出来ない
とか言ってる時点で全然最強ちゃうやんと。 そもそも72年よりも71年のほうが強かったと思うけど。
まあ、こればかりは個人的な主観であるからどっちが正しいとかはないのだろうけど。 >>674
「無観客試合なら勝ってた!」とでも言いたいのかなw 巨人の血がほとんど入っていない黄金時代は珍しく貴重である。
西鉄黄金時代も西武黄金時代もパリーグでありながら監督は現役時代は巨人一筋だった人間だから。
巨人が優勝しなくても結局は巨人の血、DNA、頭脳が球界の頂点にあるシーズンが多い。 上田は広岡、関根の弟子みたいなもんじゃないの?
まあ関大に一般合格する位だし、地頭は賢い人間だったのだろう
西本に関しては人間力の賜物だと思う 根本広島の広岡関根上田の毎日ケンカしてそうな超豪華首脳陣知らんのか そうだとしてもそういうパターンは(上田が)巨人の血が入っているとは言わないわな。
そこまで巨人の血と言ってしまうと巨人経験者と同一チームでやったことがある人間全てが巨人の血が入っていることになる。 広岡と上田の接点なんて記憶にないから調べてみたら広島ではこの二人は入れ替わりだったそうじゃないか。
結論としては広岡と上田の接点は無い。
嘘、ねつ造、デタラメはやめたまえ! 去年京セラドームで福本さん、今坂団長に握手してもらったのはいい思い出
バルボンも見た事あるぞ マルカーノももし存命だったらバルボンみたいに今も日本に住んでいたのかもしれないな
山田久志は「私にとって最高の外国人選手はマルカーノです」と言っていたとか 東尾は、対戦した外国人で印象に残っているのは、マルカーノやブーマーと言っているね。 バンプがあんなだったので、衰えが見え始めていたとはいえ
マルカーノを残しておいた方が良かったんじゃないかと思ってしまう マルカーノは阪急最後の2年間は2年続けて2割6分台で15本程度だったから、外人でこの成績では切られて当然だわな。
バンプがダメだったのは結果論であって。 >>690
まあ確かにその通りなんだけど、ヤクルトで打つ方は好調だったから
ついついそう思っちゃったんだよね。上位球団の阪急と下位に低迷する
ヤクルトとでは状況も違うだろうけど。 西本監督時代からの阪急ファンだった義父に、
「この前亡くなった野村が、プロ野球の歴代ベストナインを数年前に選んだ際、
福本以外で阪急からもう一人選んだのは誰がわかります?」って尋ねたら
迷うことなくスペンサーを挙げていた。 ブーマー全盛期に解説の西本が「スペンサーとどっちが上ですか?」と聞かれて
「スペンサーは打つ以外の点でも凄かったですからねえ」と
スペンサーの方が上だと言う口ぶりだった 西本はスペンサーと一緒にやっていた。
西本とブーマーには接点がない。
対戦どころかブーマーが来日したときには既に西本は監督業も引退していたし。
まあ、そういうことだな。そういう二人を平等に比較なんて出来るわけない。
ただ、スペンサーが素晴らしい外人だったのは確かなんだろう。 チームの体質の改善やチーム力の底上げという点に於いてはスペンサーに軍配が上がるかな。 自責点に関するいわゆるスペンサールールってのもあるからね >>689>>690
82年オフに加藤、マルカーノ、島谷、高井、大橋という黄金時代のクリーンナップや主力メンバーが一気に4人もいなくなったんだよな。 >>698
他にも山口、白石、河村とかもだね。チーム刷新は確かに効果もあったけど
黄金期を知る者には寂しい事ではあった。 >確かに効果もあったけど
個人的にはたった一回のリーグ優勝よりも加藤英が阪急で2000本安打してくれた方が嬉しかったな。 桃園の誓いではないが、我ら3人引退する時も同じチームで同じ時にってね。
隆盛を誇る西武に対して阪急に殉ずる三人で終われたらドラマチックだったのだが。 だけど最後は南海で2000本安打して終われて救われたと思う
門田にとっては同世代の加藤が来て良い刺激になったらしい 上田は実績のある衰えたベテラン(阪急生え抜きでも)に冷たいんだよな。
加藤やマルカーノの他に米田や簑田なんかも放出されたからな。 マルカーノって改めて成績見直したら凄いよね
セカンドの助っ人なら歴代でも横浜ローズ、シピンの次くらいじゃないか >>704
西本時代からの実績あるベテランに
冷たいんだよな
西本遺産で勝っていると陰口を叩かれたりしたから余計に意地になって
ベテランを切り捨てるw
監督復帰した時に加藤大橋島谷ら
まだ充分やれる主力を戦力外にしたが
西武が台頭して思うようには勝てず
結果西本遺産で勝ったと余計に印象付けてしまったなw
育成して勝つ事は出来ないタイプ ハム監督時代は意識的に若手優先にしたのは育成コンプレックスがあったからだな >>704
山田久志の連続開幕投手もあっさりと打ち切ったからね
前年15勝なんだから山田を継続するのが筋だった >>703
門田さんがレフト守るなんて言い出すもんだから
往年の好守強肩を話でしか知らないファンとしては
いろんな意味でハラハラしたなあ
そんなに達成したけりゃ加藤がレフトやれよ!なんて思いながら 上田阪急が西本遺産による黄金時代なのは否定は出来ないが、では上田では無かったら、西本が続投していたとしたら、
3年連続日本一を含む4連覇はあったのかは疑問だな。 さんざん言われてるが容赦ない非情采配ができたから上田は勝てた 一時期引退寸前に追い込まれた佐藤義や関口の復帰を我慢強く待ったり、衰えた今井や弓岡を5年ぐらい起用し続けたりしたから
非情采配一辺倒という訳でも無い >>712
そんなことがさんざん言われていたんだ?
特に上田が他の監督に比べて非常采配だとは思わないけどな。
具体的な非常采配の例を一つや二つ出してくれると有り難いのですが。
>>713
弓岡は衰えて5年もする前にショートは小川に変わっただろ。
脚は健在だったから代走では起用され続けてたけどな。
今井は投手力が薄いから起用せざるを得ないじょうきょうだった。 >>713
西本時代からの選手じゃなかったからなw
例外は早くに引退して懐刀的存在になった住友や西本時代干され気味だった高井中沢や今井 >>706
シピンよりは上、の印象
個人的な印象はあてにならんかもしれんが 上田の最大の失敗は後継監督を育成しなかったこと
自分が長いこと監督することしか興味がなかった どうせオリエントリースに売却されるんだから阪急閥の人間は切られてたでしょうな マルカーノは元々守備が上手いので取った位で守備力もあったからね
マルカーノ&大橋の鉄壁の二遊間が構築できた ヨネカジ時代の不遇さというか語られなさよ
後に初優勝迎えて連覇するんだから黄金期に該当しますよね
あと山田久志が嫌いな先輩として名前をあげてたのは誰でしょうか? 黄金期阪急は確かに強かったが
大杉には見事に粉砕されたな >>703
加藤が巨人にトレードされたころにファーストでの守備を見たことがあるけど、
守備範囲は極端に狭いしショートバウンドを後ろに逸らすしヘボかった記憶しかない。
巨人の編成は何をみて獲得したのかと思ったよ。
>>704
大抵のチームは年俸総額に制限を設定しているだろうから、
コスパの悪いベテランから放出されるのはしかたがない。 石井が影が薄い?
投手の石井なら強烈な個性派だがw >>726
あれだけの実績があってコーチ止まりなのは人間性に問題あったからなのか クローザーの山口がシリーズ前のケガで戦線離脱したからあのシリーズは苦しくなるのは当たり前。 >>729
土井が辞めた後のオリックスで監督候補の1人になってた。
晩年の佐藤ヨシを復活させた功績が大きいと思う 1985年の阪神優勝の時に投手陣を建て直したのは米田ピッチングコーチの手腕だったと言われている
権藤は「肩は消耗品だ」という思想だが米田は「ある程度の投げ込みはするべきだ」という思想
壊された人と壊されなかった人の違いかもしれないけどね
濃人って今見直すととんでもない監督だな
週ベ回顧によればロッテで優勝した時すら評価は低かったそうだ あのシリーズは山口が使えなかったのが痛かったのは確かだけど、上田の采配が鈍かったな。
第4戦は複数の采配ミスがある。
一番有名な局面は最後山田に替えないで今井続投だけど、6回の4失点時にファーストを高井から大隅に替えていれば
少なくとも杉浦タイムリーの4点目は防げていたはず。
大隅ならあの杉浦の打球は処理出来ていたと思う。 >>719
西本→上田
川上→長嶋
鶴岡→蔭山
広岡→森
育成ではないかも知れないけど
こういう引継ぎが出来ればベスト
なんやねん上田→土井って それは上田のせいじゃないだろ。
オリックスという阪急色一層が目標だった球団のせいだろ。 78年の日本シリーズは山口以外にも稲葉とか佐藤とかもあまり使われてない
なんかあったの??
ヤクルトも森ヘッドは白石静を嫌がってたみたいだがあまり使ってこなかったとか
言ってたそうだ 大杉にホームラン打たれたあとなぜかシーズンでほぼ活躍してない新人の松本が投げてるよな >>737
西本は無能
毎日阪急を日本一に出来なかった ヨネカジ石井があれだけ打たれては打つ手が無いだろ。
米田や石井はたまに好投したけど梶本はほぼ良いとこ無しで終わったぞ 78年は近鉄に10勝14敗で負け越してるんだな。
まだマニエルがいない近鉄にこれでは実はヤバいレベルだよな。 >>740
>白石を嫌がってたみたいだが
後年(西武の監督も辞めて何年かた経った頃)、広岡が取材インタビューで言っていた記憶があるけど。
あと、佐藤は不調だね。先発して早い回に降板が数回あった。
公式戦最終戦のロッテ戦では7失点とかだった。
稲葉は体調不良とか聞いたことがある。
白石は8月中旬に登録抹消になって以来のシリーズ登板だった。
だから投手陣はボロボロで、すでに圧倒的な戦力を誇る阪急では無くなっていた。 79年はまだ強い阪急だったが、長い間勝ち続けた疲労が80年一気に噴き出した感じ >>733
濃人 渉 出身地広島市 選手歴 広陵中学校 広島専売局
名古屋金鯱軍 (1936 - 1937, 1939 - 1940) 大洋軍 西鉄軍 (1941 - 1943)
広島鯉城園 グリーンバーグ 結城ブレーブス (1946 - 1947) 金星スターズ (1948)
監督・コーチ歴 日鉄二瀬 、江藤愼一、古葉竹識、寺田陽介、吉田勝豊らを育て「濃人学校」
中日ドラゴンズ (1960 - 1962) 東京オリオンズ ロッテオリオンズ (1964 - 1971)
7年でAクラス6回、優勝1回 高木守、権藤博を抜擢
色んな事をやらかしてるが、最後は故郷広島でTV解説。弟子の古葉の優勝を見届ける。 古葉の半分だけ姿を出すのも濃人の影響らしい。
権藤の肩を数年でこわしたものこの人(でも権藤は恨んでない、これもすごい話)
村山実となぜか仲良し。 >>748
ここら辺はさ、やはりアフターケアがいいんでしょう。
星野もそうだった。鉄拳制裁しながら、その鉄拳を振るった相手は可愛がる
高木チャンネルで観たけど慶彦曰く監督の古葉はニコニコ笑いながら殴ってくるらしい、
だから笑顔の裏があって怖いと。しかし違う番組で江夏が言ってたが
江夏が抑えで出てきて慶彦がサヨナラ負けにつなぐエラーをした時に
古葉が江夏に向かって「慶彦連れて飲みに行って来い」ってポケットマネーから金出す度量があったから
あの江夏から慶彦までの変わり者をまとめられたんだと思う。
そういうのは濃人さんも古葉が真似する辺りあったんじゃないのかねえ? 上田
1次政権 安定した戦力を運用
2次政権 西武の壁に阻まれたが世代交代をした
日ハム 弱くてどうしようもない状態から優勝争い2回した
野村や森より優秀だろう。 野村なんてヤクルト以外ダメ >>746
79年もさらにチーム力が下降線だったよ。
下降線でもそれまでが強過ぎたから強さの貯金、片鱗がまだ残っていた感じかな。
特に印象的だったのが近鉄戦最初の6試合が1勝5敗の時点でパリーグの最強チームは近鉄になったとパリーグファンは感じただろう。
そして前期中盤以降マニエル欠場でチーム状態が悪くなった近鉄をもう追撃して追い上げる中、近鉄3連戦に3タテできず2勝1分けに
終わったのも痛かった。
あの引き分けは痛かった。 79年は高志が使えなかったのがやっぱ大きいかったわな
打線は秀司、高井、マルカーノ、島谷中心にがんばってた、活発
長池はご臨終w >>752
大橋やウイリアムスが不調で、山口の故障が癒えなかったのと併せて
チームの守りが段々衰えて来ていたんだろうな。 対ヤクルト第4戦の6回表の4失点の中に大橋の記録的にはエラーになってないエラーがあったしな。
ショートゴロを2塁ランナーが気になってお手玉してオールセーフになって大ピンチになってしまうプレーね。 >>753
ダイヤモンドグラブを7人出した1978年だが失策は122とリーグワーストを記録しているんだよね。
元々超積極的な守りのせいか記録上の失策が案外多いチーム(1976年も123失策でリーグワーストを記録している)だったから一概には言えないけど、
守りの要である筈のショート大橋が補殺、刺殺、失策、併殺、守備率と全ての守備成績が明らかに悪化しているのが気になる。
特に守備率は入団以来.960以下が、東映時代の1971年(.956)しか無かったのに、この年、.948と自己ワーストを記録。
打率1割台の打撃不振より打席数が入団以来最も少なかった1976年以上に打席数も減らされているので、補殺数、刺殺数、併殺数
の低下についてはもう少し吟味する必要があるけど。 >>755
1976年のパ・リーグでは太平洋が120と阪急とほぼ同じくらいのチーム総失策だが
こっちは一人で30失策してるパのエラー王がいたりで同じ次元では語れないな 1978年ヤクルト
失策 ヒルトン21(二)、大杉10(一)、ショート3人で19、
二遊間ひどくないか? 大橋は全盛期を過ぎてるとは言え上記よりは… >>757
だから広岡は山崎裕之を獲得しようとしたんだろう
交換相手が「ロッテに行きたくない」とゴネて頓挫したけど 勿論、1978年時点での阪急は依然日本一に相応しい強さだったし、大橋も依然優秀なショートだったけど衰えの兆候が記録に現れ出したのに象徴される様に、
前年までの絶対的な強さや信頼感では無くなりつつあったという事ですわ。
又、それは勝った広岡監督からしても「まだまだウチは未完成のチームで日本一に相応しい強さでは無い」と痛感し、山崎獲得に乗り出したという訳でしょう。 ちなみに八重樫が「今だから言える」みたいな感じで語っていたんだが
日本一の次の年に最下位になったのはシーズンオフに稼がせてくれなかったのが原因だそうだ
初の日本一直後に不穏な空気。八重樫幸雄が明かす広岡ヤクルトの不和
https://www.excite.co.jp/news/article/WebSportiva_087395/?p=4
八重樫 そう。優勝後、東京と大阪で、球団が決めた祝賀パーティーがあったんだよね。
でも、それが終わるとすぐに競技場を借りて秋季練習が始まったんです。
普通、優勝した後のオフはサイン会だ、トークイベントだって、
選手にとっては副収入を稼ぐ絶好のチャンスなんですよ。それなのに約1カ月間、猛練習。
広岡さんは来年も結果を出すために必要だと思ったんだろうけど、
キャンプが終わった頃には世間の人たちも優勝、日本一のことは忘れているから、
ベテランの人たちはみんな怒っていたよね。 >>760
そういうチームは日本一になったからって選手たちの自由にさせたらさせたで結局翌年はBクラスだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています