堀内監督時代の暗黒巨人てどれだけひどかったの?
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>>178
松井も長嶋茂雄同様天才肌だけに、他人を
教える能力にはなんとなく疑問符はつく
松井が監督をいやがってるのは、本人も
そう思ってるからで
メジャーや家族は関係ない >>208
ナチュラルに江川と勘違いしてるんだろう
脳の老化ってのは残酷だな >>210
スマン。あれ江川だっけか。
当方39歳で尚且つ巨人ファンではないので当時のドラフトや桑田の若い時代はよく知らない。
日本テレビのアナウンサーが桑田の原点は甲子園といってたから
ああ初めは阪神にいたんだなと思った。 江川騒動の頃に生まれた子は40代に突入・・・
桑田清原ドラフト騒動の頃に生まれた子もとっくに30代超え・・・
ともに、年寄りの話を謙虚に聞きにくい年代になってきたようだ 江川はとうとうコーチにもなれないまま
終りそうだな
ま、今みたいなスタイルが理想なんだから
最初からコーチになるきはなかったのだろうがな
同様に桑田も
桑田や槙原も結局コーチにさえなれなかった
桑田はわかるけど、槙原がなれないのは不思議
宮本さえなったのに
あの世代でコーチにもなれないのは桑田と槙原ぐらいか
斉藤も水野も香田もコーチになってる
水野なんか桑田や槙原から比べたら教えるの
下手そうなんだが 生え抜き至上主義を捨てて落合を監督にでもしてれば堀内暗黒巨人なんてものは存在しなかったんだろうけどな。
落合巨人はちょっと見てみたかった。
今年原がコケてからだとさすがに年齢的に無理かな。 中日の例を見る限り、落合は球団を私物化するからダメ
どれだけ勝ってもフロントとの折り合いが悪かったのは、戦前から紡いだ球史があるから自分の働き場所があるという先人へのリスペクトが欠落していたからに他ならない
優勝してもその喜びを選手・ベンチ・フロント・ファンが一体となって分かち合えないのは異常としか言いようがない >>217
落合は白井―西川ラインの時は全くフロントと折り合い悪くない
イメージだけで語ってるアフォ 中日みたいな大都市に1球団という
本来はオール与党、マスコミが全て味方になるような環境で
あれマスコミを敵に回してた落合が
巨人みたいな火のないところに煙が立つような球団で
務まるわけ無いだろ。 >>215
キチガイアンチの見本みたいなのが来たな。
フロントとの折り合いが悪かった?思い込みって便利だな。
>>219
勝てば官軍。巨人は特に。
勝てる監督を排斥するなんて、自分たちを捨てて東京へ行ったといつまでも恨んでる何処かの田舎者だけ。 2005年キャンプからシーズン中盤あたりまでは
堀内と清原が互いにかなり無理して、歩み寄りを演出しようとしてたのを思い出した 巨人は過去から外様を監督にしたことは
一度もない
エース(藤田、堀内)か4番(長嶋茂雄、川上、
王、原など)しか監督はない >>224
そんなこと言ってるから弱いし人気もなくなるんだよなあ >>224
生え抜きが監督を務める事が少ない阪急・オリックスとは実に対照的だな。 >>224
それをやめたらこんな憂き目に遭わずにすんだろうって話をしてるんだよ。
個人的には堀内の代わりに落合が監督やってたらってのは興味あるな。
落合じゃなくて野村でも星野でもいいけど。 星野は実現寸前までいってたが
いかんせんここの老害OBは監督コーチ人事まで口出してくる >>222
藤田は日テレにも嫌われてたぞ。監督在任中はしょっちゅう長嶋待望論をぶち上げられてた。 巨人&メジャー戦の中継で松井に触れる時の日テレのアナウンサーの論調が気持ち悪かったわ
「松井はメジャーチームの一員だけど、本音では巨人も応援してるんでしょうねぇ」とか言って、必死で松井と巨人の繋がりを強調してた
俺には、ヤンキースのユニフォームを着て、メジャーチームの一員として巨人と対峙している松井の姿が
松井の巨人監督就任への意欲の無さ、巨人と松井の間の遠い距離感を物語っているようにしか見えなかった 日テレの藤田批判は91年から始まったな。
原因は前年のシリーズ4連敗でのコメントからだろうな。
なかでも堀内が批判の急先鋒で、「私が監督なら・・・」などと采配面で難癖をつけてたが、
実際に指揮を執ったら藤田よりも何倍も酷い采配を披露してたw >>235
まぁそんなもんだよ。
91年と堀内政権と戦力で言えばどっちがマシだったかは…。 堀内時代は暗黒っていうけど
戦力的には、これ以上ないってくらい
恵まれていたよなー
なんで、清原、江藤らが控えに回るような戦力なのに
弱かったんだ?w クリーンアップの一角である5番で、対戦チームの先発が右の時はペタジーニ、左の時は清原とか、訳のわからん迷走してたな
二人とも相手の左右で出したり引っ込めるようなクラスの打者じゃないんだが >>239
堀内はディフェンス重視
一塁手が2人いるからといってペタジーニに外野を守らせることはしない >>213
槙原は自分でミスターパーフェクトとか言われてもてはやされる道を選んだように見える >>237
チームバランスが悪すぎた
長嶋二次政権から顕著だった他球団の4番打者集めが余りに行き過ぎた
加えて清原放出に失敗したのが致命傷だった
2004年を最後に清原に引退してもらうか、他球団に放出すべきよ 清原は結果的には晩節を汚したけど、
2004年で引退するべきだったとは思わないな
2003年は主軸として及第点だったのが、
不規則な起用法と死球で翌年に数字を落としたって感じだったし
2005年を最後に引退してれば、割と潔い部類の引退に入っただろうとは思う 2004
(二)仁志 289 28本 60打点
(左)清水 308 16本 60打点
(中)黒薔 287 45本 99打点 本塁打王
(三)脱税 314 41本 96打点
(右)由伸 317 30本 79打点
(一)辺多 290 29本 84打点
(遊)二岡 269 09本 49打点
(代)清原 228 12本 27打点
(代)江藤 227 04本 15打点
結果3位w 清水は平成の淡口って感じ
打率は良いがHRそこそこの外野手って過小評価になるのか 清水は左投手打てないし守備下手、弱肩だもん。
淡口清水のポジションを今亀井がやってる感じだな。 >>244
これ見ると確かに清原いらんな。
12本27打点って失笑してしまうレベルだな。
この時期だとピッチャーは誰がエースだった頃だっけか。 2004 訂正
(二)仁志 289 28本 60打点
(左)清水 308 16本 60打点
(中)黒薔 287 45本 99打点 本塁打王
(三)脱税 314 41本 96打点
(右)由伸 317 30本 79打点
(一)辺多 290 29本 84打点
(捕)阿部 301 33本 78打点
(遊)二岡 269 09本 49打点
(代)清原 228 12本 27打点
(代)江藤 227 04本 15打点
先発 上原、工藤、高橋尚、木佐貫、桑田、内海
中継 前田、久保、岡島、林、佐藤宏
抑え シコースキー >>249
ありがとう。そういやそうだったな。もうそんな昔なのか。 一塁併用のキヨジーニで40本塁打、100打点越えしている 清原が故障で離脱するまで清原を出し続けて
故障で登録抹消後ペタジーニ固定が一番穏当なやり方だったと思う。 自分も当時からそう思っている
堀内は、二人をキャンプから競争させて勝った方をスタメンで使うだの、併用しないだの言ってたのに
清原が競争に勝ったら「二人は併用」とか言い出して、ペタジーニを優先起用したもんだから
清原が不貞腐れるだけじゃなく、マスコミもファンも「堀内は清原が嫌いで、清原をいじめている」という目で堀内を見た
自分の発言に責任を持って、せめて清原が離脱するまでは清原優先起用で行くべきだった ペタとキヨじゃ実力が段違いだから仕方ない
ペタで松井の穴が埋まると思って獲ったナベツネがアフォ 松井の穴を埋めたい云々もあるだろうけど
他球団に獲られるくらいならウチで獲っちまえ、
一塁には清原がいる?知るかボケ!何とかなんだろ
みたいな感じだったんじゃね? 2004年オフに堀内は清原を出すつもりだった
でも、清原が記者を引き連れて球団事務所に乗り込んで
どうしても残してくれと頼み込んで残ったのよ
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1602/18/news026_4.html
清原は巨人で1年でも長くやれて良かったのかもしれんが
巨人にとって扱いに困る大物に居座られたのはマイナスでしかなかった そのオフに落合が清原獲ろうとして立浪に「やめてください」と懇願されたという話は本当なんかな 嘘か真か分からんが、仁志が「原さんは周囲を納得されながら干すのが上手い」と言ったという話があるが、
やはりそれが指揮官の能力だよな。
清原を使わない状況に誰からも文句がでないようにしてから干すべきだった。 基本的に目上に逆らわない清原が、堀内に対してだけは公然と反旗を翻したあたり
指導者としての堀内にも何かしらの致命的欠陥はありそう 解説者時代には事ある毎に王、藤田、長嶋、原の采配を批判。
しかし自らが指揮官になったら口にした事を実践できない無能。 王 投手コーチだったが2年連続球団ワーストの防御率更新し柴田勲と共に解任
藤田 藤田の監督復帰の際コーチで呼ばれず
長嶋 1998年に2年連続優勝逃した際ヘッドコーチを退任、その年のオフに
原がコーチで現場復帰 >>262
原ってなんであんなに執拗に仁志を干したんだろう? 原は左打者に比べて
右打者の評価が厳しい、仁志に限らず >>267
ポジションと背番号が一緒だから自分を凌駕されたら将来的に困ると思ったんじゃないかね。
それこそ仁志が放出もされず活躍してたら由伸を無理に引退させてまで監督に据えることもなかっただろう。
となれば原の再登板もなかった可能性がある。 >>204
堀内と清原に関しては二人とも悪かったと思う
清原は清原で薬のせいなのか異様に切れやすくなってたし 打順落ちたぐらいでコーチに食って掛かるとかあほやからな 薬の影響か
大した数字でもないし >>269
仁志は人の言うことを聞かないし、指示を出しても従わない
「それならそういう連中の集まり(横浜)で好き勝手におやりなさい。うちは要らないよ」と放り出された
そんな選手を指導者として迎え入れる球団はいまだにない 清原ハイタッチ拒否事件当時の報道を覚えてるけど、あれは7番に落とされたこと自体に怒ったというより、
7番降格の通告の仕方(堀内自らが清原に説明しなかった)が清原の気に触ったみたいな話だったような
打撃練習の順番を通じて間接的に知らされるとか、コーチを介して事後的に説明されるとか、
そういうのが清原的には気に食わなかったのでは >>273
スタメンで使ってもらうだけでもありがたい位の成績だしな 仁志はトレードされてからかなり丸くなったよなぁ。
ビッグマウスなのもあって昔はアンチが山ほどいたし。 >>267
仁志の原批判忘れたのか?
二番にされたら二番打者って何したらいいか分からない
八番にされたら八番打者の存在意義が分からない
こんな事ばっか言ってるから原がキレて干された。自業自得。
大人しくしてれば巨人に残れたと思う。 9回 1点負けている状況で 2アウトランナー二塁 二塁走者は仁志
いきなり三盗試みて アウトで試合終了 >>279
大学時代は二人並んで大学野球の雑誌の表紙を飾ってた。 7番降格はそんなに問題じゃない。監督自らが俺に直接話をして伝えてくれないのが腹が立つんだ!とか、
巨人解雇は覚悟していた。だが、何故お疲れ様の一言すら無く、ビジネスライクにあっさり戦力外通告なんだ?
何故マスコミを避けて暗い地下道を通らされるんだ?冷たすぎるだろ!とか、どっちも似通った傾向の怒り方だな FAで巨人に入った時もドラフトの件で謝罪を要求していたようだし
元から結果そのものだけでなくその過程にもこだわる傾向があるんだろう 清原が問題児扱いされてたが、薬物云々を除けば、清原は上の立場から見て扱いづらい人種じゃないような
「お前を信頼している」「お前の背中でチームの皆を引っ張ってくれ」と鼓舞したり、
仮に叱らなきゃいけない時でも、叱った後のフォローをしっかり忘れない等、
大選手としてのプライドを尊重した扱いをすれば、忠誠を誓ってくれそう 堀内監督時代は外国人にも泣かされた
あのミセリも堀内時代だったもんな >>272
球団はないがなぜか日本代表のコーチやってたことあったよな仁志。
あれも経緯が謎だな。 清原に関しては張本や大沢親分はオリックスに移籍を勧める
徳光は残留して欲しいと語る清原から手紙が届く 清原は、実績で監督やコーチを見下したりする感じではない >>284
もう昔の清原ではない
変化球に対応できない人間をどう信頼するのか
練習そっちのけで若手にカンチョーして遊んでる人間にどう引っ張れというのか
プライドを尊重するなら醜態を晒す前にとっとと辞めさせればよかったんだ >>262
それ、阪神にいた中村にも通じるな
納得させて干す 仁志と小久保が一緒にお立ち台に上がったのは1回だけ? 清原とローズがキャプラーを虐めてたって話は、どこまでが本当なんだろうか >>294
この記事にも
https://www.jiji.com/jc/v4?id=sports1001_201603070003
思うように出場機会を得られず練習に身が入らなかったのか、
あてつけのように悪ふざけをする姿も目立ち始めた。
とあるから、まあ事実なんだろう
晩年の清原は、人間は年をとるものなんだということを受け入れられないことで
悪い方向へ悪い方向へ向かっていた気がする 個人的に、2000〜2003年あたりまでの清原は良いオーラ出してた気がする
巨人移籍後の様々な苦難を乗り越えて、人間的に一皮剥けたような雰囲気はあった 清原は2004年に2000本安打を機に引退するのが一番綺麗な終り方だった
堀内監督退陣でまた首がつながると思ったのか
2005年オフも中々オリックス入を決断出来なかった 2003年は規定不足ながらまぁまぁ及第点な数字だったし、
不規則な起用と死球での離脱によって 数字が上がらなかった翌年の成績だけで
引退するべきだったというのは流石に酷な気も
2005年をもって引退でも、まぁまぁ格好がつくのでは 野村衣笠岡田落合金本あたりの方が引き際が悪く何年もダラダラに見えたのに何故か清原は厳しく言われていたな
薬使っていたんだからマシな成績は出せよ。ってことか >>299
清原ほどではないが金本も批判されていた 実は堀内も引き際が見苦しかった
200勝目当てでなかなか辞めなかったからな
逆にスパっと引退したのは王、山本浩二、田淵、東尾、鈴木啓示あたりかな
山本浩二なんて2割7分 HR27本で辞めてるし >>302
藤田に辞めさせてもらえなかったからな。 04年清原は、出ればかなりの確率で本塁打を打ってたな
2000本安打を達成した試合の時点で、一塁で併用扱いだったペタジーニと比べると半分の出場機会だったのに、
本塁打は清原10本、ペタジーニ9本と、清原の方が本塁打が多かった
05年も交流戦で頭部死球食らって、そこから1ヶ月半の大スランプに陥るまでは、本塁打と打点で暫定二冠王だった
だから最終的なシーズン成績の割に「清原はもう終わり」感を自分は感じなくて、まだ余力があるように見えたし、
オリックス移籍前後の時期は「指命打者制のあるパリーグなら、まだ30本狙える」という感じのポジティブな見方がメディアでも少なくなかった記憶 よく読むと、>>302と>>303は全く違う主張をしている
ちなみに、当時の情勢を正しく把握しているのは>>303の方 >>302
2割3分の14本で辞めた選手が「スパッと引退」ねぇ…。
もう一年やっとけば日本シリーズが面白くなったとは思うけど。 >>304
オリックス時代は巧打が多くて本来の打撃だと褒められてたな。
それで初めは打率も良かったけど結局は膝がもたなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています