平塚を一番買ってたのは藤田平監督という印象だったけど
調べてみると、一番使ってたのは吉田義男監督だった

大洋時代(須藤豊監督)殆ど使わず

オリックス時代(仰木彬監督)
最初の2ヶ月だけ4番DHで使うも、一旦見切ると全く使わず
2年目は殆ど試合に出られず

阪神時代(藤田平監督)
平塚にとって初の100試合以上出場も、終盤は関川を外野手で使うので外された
弱点が覚えられたのと、CS無しの時代だったので消化試合は若手を使う目的だったか

阪神時代(吉田義男監督)
1年目はほぼフル出場、暗黒の中では安定して打ってた
2年目にパウエル、大豊が優先され、坪井がブレークして余り出して貰えず

阪神時代(野村克也監督)
4月は使ってたけど、故障した後は速攻でトレードに出す

西武時代(東尾修監督)
左投手先発の試合だけ使うという感じ