暗黒期の阪神ってどれだけひどかったの?
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>>668
雑な野球の阪神のクセにサイン盗みするのかw
バース、弘田、長崎は投手の癖を見破るのが上手くて情報交換してたみたいだけど 甲子園は広島みたいにサイン盗みだと言われることが多かったよ。
バックスクリーン近くにいる傘を差しているカップルが実行犯だとか。
掛布は球種を読んで打ちに行ったら頭部死球になったからやらなくなった。 あれは山倉の故障が全てやろ
佐野なんてヘボ捕手だったから
三連発食らった >>672
だから次の年にトレードで有田を獲得したんだろうな 2000年代に入ると言われなく
なったけど、昔はサイン盗みって
よくネタになったなあ。
内角に思い切り踏み込んでたりw
わし思うに90年代半ば頃のヤ-神戦は
明らかに盗まれとったと思う。相手の
やることなすことハマッてたもんw
3連発の時は「読み」についての話題で
バースも岡田も頭ええんやなあと思った。
オマリーや和田、マートンなんかもな。 その年の山倉の復帰戦
槙原先発で阪神相手だったけど
バースを徹底したカーブと内角ストレートで
完璧に抑えてたよな バックネット裏にビデオを設置してモールスオン
で伝達していたとか
ま、やおもクオリティ高かったからできるわけで
今のアホ若手ではまず無理 '85の巨人はバースに対してはよく抑えてたほうだけど
他の打者に打たれてたな・・・
特に真弓と掛布にはよくやられてたな YouTubeで昔のプロ野球映像見てると二塁ランナーの腕が動きまくりだもんなぁ 面白え!
どんどん裏ネタ?や
マニアックな情報書いてほし〜の。 >>878
意外なのは、狭い後楽園の割りにはバースは
後楽園のホームランは意外に少ない
85年は何と0
だから後楽園で2本打っていたら新記録だった
ま、敬遠状態だったけど >>681
85年の後楽園での0本塁打を週ベの誌上対談で小林繁氏に突っ込まれて、
バックスクリーンの上にも観客席があるので投球が見づらい
という趣旨の事を言っていました。
83、84年はどうだったのか知りませんが、まあ苦手ではあったのでしょうね。 >>677
ダイエーがサイン盗みしたとか記事になってたな
あの辺がその手の話題が大々的に報道された最後か? 球種が見辛くて打てないのなら、7試合連続の
江川からのホームランってやっぱり江川が
言うように衰えの第一歩だったのかも
江川は引退理由をはりと小早川と言ってたけど
こないだ言ってたのはバースのホームランで
もうストレートは難しいと悟った言ってた
ま、全く打てない球場でたった1本のホームラン
だけで印象を深めるのは神様らしいけど
後楽園は、真弓や佐野や岡田がよくホームランを
うった印象
あとは85年限定の巨人キラーだった木戸 確か86年か87年にストライクゾーンを広げて、投手有利になったはず
それも影響している >>679
2塁ランナーとか塁上に出ている選手がコースを教えるのはありだと思うけどなあ
それも含めてランナーを背負うハンディな訳で
ただネット裏やスタンドからカメラでサインを盗むのはあかんな カープの1980年頃なんか
バッターがケツのポケットに
発信機持ってたんやろ。
で、人によってはコース/球種に
完全にヤマを張る。
それに頼った奴はなんだかんだ
長続きしなかったとか、各打者が毎回
クセ読みで打ってると修正されるので
勝負所でしか使わなくなったとか、
水面下では言えない話が山ほどあったそうだw バースは1986年頃のインタビューで
「守備についてはどのチームにも上手い選手が1〜2人位。
巨人には山倉がいるのが良い。良い捕手だよ。」と言ってたな
巨人側は「山倉じゃ物足りない」って感じで有田や中尾をとってきたけど >>686
野球って、サインを盗まれる方が怒る、
っていう異質なスポーツだが何故かいつまでたってもそこは変わらないわな。 西武黄金時代は、ある三塁コーチが声出ししたりとか
珍プレー好プレーで達川が山本昌の癖を指摘して高木豊が「達川さん、俺来年から現場復帰するんだから、それ言っちゃダメですよ!」というのもあったな サインを盗まれない為にはノーサインで野球をすればいいんじゃないかな。アイコンタクトだと相手には作戦を読まれないだろ。 >>687
大阪球場は相手ベンチに盗聴器が仕掛けてあったとか言われてるしな。
昔は事後検証が難しかったからやりたい放題だった。 >>685
新ストライクゾーン懐かしいな
86年から低めを取るようになったけど、バースはその年NPB史上最高打率を残したからね バースは「打てる」と判断したらストライクだろうがボールだろうが
振っちゃうタイプなんでストライクゾーン変更の影響を受けなかったと
分析されてたな
逆に「ボールだ」と判断するとバットを出さないタイプの方が苦しんだとか 当時結構クソみたいなボールをストライク言われて
揉めてたこと多かったな
その後ボール球振って三振してたり
その中でバースはよく史上最高打率を残せたわ 日本シリーズの対工藤とか、
技術も頭も最高だったよな。
88年は普通に治療費出して
待ってれば前期暗黒は無かったんだよ。 デストラーデ取ろうとしたら球団幹部が
「メガネかけてる黒人なんか打てるわけねえだろ」とか言って獲得見送ったりもしてるよな バースは意識高いタイプだったから衰えるにしても緩やかにだったろうな。
その他は意識高い系どころか低いのしかいなかったからものすごい勢いで転落してった バースの日記という本をみた限り、バース最後のボス
村山実はあまり慕ってはいなかった
バースの日記から
仲田幸司という若手ピッチャーが怪我をしても
ムラヤマは休ませず走らせた
野球が下手だからといって
なんてまかり間違った指導者なのかと悲しくなった
ある選手の結婚式でも、その選手ではなく自分の自慢話
よく選手らでバカにしていた
むかしならそれで通用したのだろうが
今は違う
強引な若手起用策で尊敬していた長崎や弘田も追いやられ
モチベーションが低かったことも確か
バースの日記から
そのくせムラヤマは実力ある選手には弱く、
俺なんかにコーチを介さず俺に打順をきく有り様
現役時代はスゴかったのかもしれんが
当時を俺は知らない バース退団後もフィルダー、パリッシュと優良外国人はいた
だけど暗黒バースが居ても暗黒だったと思う ×だけど暗黒バースが居ても暗黒だったと思う
〇バースが居ても暗黒だったと思う バース
1988 .315 本35
1989 .305 本31
1990 .295 本28
1991 .280 本25
帰国
さすがにパリッシュと同列はねーわ。 衰えたみじめなバースを見ずに済んで良かったじゃないか >>699
DHなしなら獲らなくて正解だったんじゃないか 私的1991
1 遊 和田 .298 本0
2 中 亀山 .265 本3
3 二 岡田 .240 本15
4 一 バース 280 本25
5 三 オマリー .307 本21
6 右 真弓 .267 本17
7 左 八木 .250 本22
8 捕 木戸 .227 本5
今より全然イイ! バースはみな「1985年」おにゃんこクラヴゥ、小林明子などとリンクして記憶してる人が多いだろうが
実はバース「1983年」から阪神にいた。6月までは「ハンセンのそっくりさん」というネタ選手扱いだったが
夏場から流し打ちを覚え打ちまくってた印象。なぜか地味な扱いだったが。「め組のひと」やら「キャッツ・アイ」からバースはいたのだ。
さらに意外にも小林繁、若菜ともプレーしている。若菜はもう大洋だったか? ラッキーゾーンが無くなった92の甲子園で打撃を崩し野村ヤクルトに翻弄されるバースとか見たかったか? >>709
ブーマーも1984年に来日だと誤解している人が多い
バークレオも1988年に来日だと思っている人が多い >>706
息子の病で帰国がなければ、元々スロースターター
だけに.330 30本は保障できたとは思う
固めうちの出来た人だから
やはり息子の病でモチベーションが完全に切れた
ことは確か
安藤や発足当時のダイエーが接触しても断ったのは
間違いなく神様のイメージを落としたくないから
で阪神愛ではない >>708
それでも最初は魅惑の打線と言われていた
高橋、和田、ウィンで100盗塁
ウィン、岡田、オマリーで100本塁打
で下位に前年28本塁打の若手の成長株八木に
勝負強さは健在の真弓
強力打線復活やだった
しかし現実はけがもちだった高橋にウィンに岡田
慣れない外野に回った高橋
固定も開幕5連敗でもう頓挫 >>709
若菜は83年はもういないね
接点はなかったろうけど84年にはバースと太田幸司もチームメイトだ 若菜をトレードでもなく手放したのは批判されたよね
球界でも屈指の強肩捕手だったのに 若菜は当時の「山一抗争」で記者に対し「いねや!」とやってる組員っぽかった。
安藤監督は菅谷組長風だった。関根も藤田も大物組長風の時代だった。 893っぽいと言えば平野、小川、栗橋、鈴木啓示がいた頃の近鉄には敵わないだろう 鈴木は山口組若頭補佐みたいな雰囲気あったが平野は枝の枝の4次団体の組長(組員2人)といった風情だったな。 >>713
言われてたなあw
最初の3行、よく覚えてるわw
暗黒期の2、3月はいつも凄かった。
あ、今もか。 85年のペースが異常なだけで
割りとバースはスロースターターで5月の後半辺りから
無双が多かった
だけに東京ドームで初ホームランをうちさあこれから
という矢先の帰国だけに全てが狂った
何だかんだであの頃は2位に浮上していたから
少年隊も少しずつなれ、新クリーンアップは
結構様になりつつあったときの帰国は
確かにフロントの怠慢とよく言われたけど
バース自身もようやく掴みかけた手応えを
息子の病とはいえ痛かったことは確か
要は運が悪かった
若菜を出して山川をトレードでとり木戸をドラフト指名
それで日本一だし若菜は大洋でBクラスを思えば
出したのは正解だった 治療費というか保険をかけるのをサボッたんだから全面的にフロントが悪いわな バースは結局日本人になれなかった
神様言われても、フロントからしたら助っ人
そのズレが息子の問題ではっきりした
だから帰国した時点で仮に復帰しても
イメージダウンにしかならなかったとは思う
掛布は二軍。弘田も引退間近
それで野球に集中は無理だった
この球団は昔から、病気になるやつが悪いという発想だけに
こういう悲劇が起きる
今も原口という選手がガンらしいが
もう球団は、野球選手としては見切るだろう
そういうケアが下手。昔から 85年日本シリーズ第6戦の掛布のホームランは、打ち方は酷いな
良くあれでホームランになったが、もうこの頃からまともなバッティングは出来ていなかったんだな
掛布 日本シリーズ第6戦 レフトへのホームラン
https://youtu.be/O9S3bjNfIFM 掛布は体力的にも本来はアベレージヒッター型なのに
無理してホームラン狙いを続けたために体に負担がかかって
若くして燃え尽きてしまったんじゃないかって指摘があった 最近ジムで走りながら
ユーチューブで「16岡田」って人の
動画よく見てるわ。主に92-97年の
ハイライトまとめてるんやけど、
ごっつ見やすいんで、オススメやで。 >>722
完全同意。てかバースの働き考えたら
無保険でも気持ちよく払うべきだったのでは。
阪神=アホってのがあれで定着したよな。
>>724
完全同意。変な打ち方。
85年頃は下半身があまり使えなくなっていて
ボールの反発力を奇貨とした打撃になっていた。
87年の岡田大不振もラビットの味を覚えたせい
かもしれん。3連発の時の弾道たるやw >>725
山倉が掛布は打率にこだわれば常に首位打者とれたといってたな >>724
もともとこういうバッティングなんだがね
あれでレフトスタンド上段なんだから
恐ろしいわ ボールが飛ぶ時代だからやろうと思えばホームラン打てた。
だから余計に身体に負担かけたのと、掛布自身の不摂生と、追い討ちをかけるような斎藤からの死球。
時代も悪く掛布も悪く、運も悪かった。 あんま関係ないけど、
岡田のSSKとか、
真弓のBENとか、
和田のXaとか、
桑田のWpとかまだあんのかな?
真弓が恰好よくてBENが欲しかった。
阪神の用具提供はZETTとHI-GOLDが
多かったね。
藪や湯舟は青色、伊藤敦は黄色だった。
Rawlingsは日本代理店のasicsブランドに。
新庄は18の時に買った7,000円の奴をツギハギ
して最後まで使った。やっぱ不思議w
掛布のTigerも長らく消えていたが近年
ユニークなバットを開発して頑張ってるな。
みんなも用具の思い出ある? よっさんが言ってたのは、掛布が第一期と
全く違い練習もせず酒ばかり飲んでたと
基本的に嫌っていた
でも掛布は阪神のスター
スターはチヤホヤする体質だけに、簡単に
4番から外すことは出来なかった
実際、それ以降掛布以降全く生え抜き4番が
出てこないのをみたら ロッテ「それでも他球団から積極的に主軸を補強できるだけウチよりマシ」 掛布はシーズン中でも日付変わるまで
飲んで車で帰ったりしていた。
守備は優勝する前から鈍くなっていた。
小林やバースは彼のリーダーシップの
なさに疑義を呈していた。小林が言うには
巨人の選手は負けるとその夜は街で
目立たないようにしていた。阪神では
あっけらかんと繁華街に繰り出して遊ぶし、
グラウンドでも規律に乏しく、そこそこの
戦力抱えてるのに勝利が追求されていない
と感じたとの事。
岡田も85年すでに腹が出ていた。
91年頃セカンド厳しくなってきて
外野コンバート打診すると不貞腐れたので、
従順な真弓が相変わらず外野を守っていた。
打撃も明確に糞化してきたのに扱いづらかった。
最後はオカマに嵌めた嵌められたとかで泣いてて
みっともなかったなw
真弓は大体まっすぐ家に帰ってて、飲み歩く
習慣はなかったようだ。95年も家が倒壊したが
新虎風荘で結構楽しくやっていたそうだ。 >>735
こいつが居着いてから糞スレ化した
そろそろ終了で 昭和58年オフの「稲葉 太田 山内新 野村」獲得劇はマスコミから「廃品回収!」とか「南海・野村再生工場の阪神版だ!」とかバカにされてた。 >>736
野村は優勝が佳境に入った85年終盤の広島で
満塁のピンチを抑え連勝し優勝に邁進した
だからまあまあ活躍はした
山内新一も85年に投げてる そんで86年に揃って劣化して
87年には全員引退と 田淵の世紀のトレードは振り返れば真弓がとれた阪神の方が得したね
移籍後に真弓の打撃がグンと伸びたからな 85年の前にかき集めた連中はみんな一瞬輝いてVに貢献したね。
全員一気に衰えて、更に主軸も一緒に衰えけど。 >>737
野村収は82年オフ獲得だよ。大洋から加藤博一とトレード
83年には190イニング投げて12勝してる
85年は確か0−7から逆転した広島戦の先発だったかな? 95年のシーズンオフ、
スポーツ番組にゲストで呼ばれたヤクルトの野村克也監督が
藪投手についてコメントを求められた際に
「このピッチャーは野球をわかってるのかね」
と言っていました。
そのまま受け取れば侮辱なのですが、
野球をわかっていない状況でそこそこの成績を残せるほどの
潜在能力を買っていたのかな、とも受け取れました。
でも自身が阪神の監督になった際は・・・ ノムさんは結構いい加減なことも言っていたよ
ヤクルトに伊藤智仁が入団してきたとき「全然使い物にならない」とか言ってた
そんで使えると分かったら投げさせまくって壊したし >>742
その代わりに田淵が既存のライオンズのどの選手よりも西武黎明期に於いて所沢の山奥の集客に貢献したじゃないか。 言うても田淵は西武の4番で宿敵読売に日本シリーズで勝ったしな
田淵としても西武にトレードされて良かったのでは 読売との日本シリーズで江川と西本からホームラン打って日本一になったんだから流石だわ >>748
それだと監督してた頃の阪神は大選手ばかりになるが >>752
藪・川尻・福原・藤川・和田・大豊・矢野・桧山・新庄・今岡・赤星「僕らが大選手だなんて照れるなぁ。」 田淵は結果的には西武に行って日本一になり野球人としての幸福を味わえたが
長嶋さん王さんの様に入団から引退まで一つの球団で終われなかった事は
複雑な思いがあると言ってた
当時はチームの顔レベルの選手がトレードに出されるってのは良いイメージが無かったからな >>744
他球団の実績あるベテランが
移籍してきて地味に良い仕事をして去るのが様式美みたいだったw
アルトマン 池辺 東田 竹之内 野村 弘田 長崎etc. >>754
だからって藤田を羨ましいとは思ってないだろうね 田尾までは成功だった
田尾で狂い、金本まで失敗続きだった 古溝が抑えに回って大活躍するとはトレード成立時点では全く予想できなかった 田尾から金本までの外様野手
金森 うったー大きい入ったー。金森も入った
この印象のみ
高橋 魅惑の打線の目玉だったが既に峠を
過ぎていた
古屋 唯一の活躍は92年の飛躍の鍵を開けた
開幕シリーズヤクルト戦の同点タイムリーのみ
立花 巨人の斎藤に何故か強く5番もやったことが
あったが、いかんせん地味で
湯舟ノーヒット失点のときに新庄の代打も
松永 まあまあの活躍も砂場で台無しに
石嶺 初年度はそこそこ活躍はしたがこれも
全盛期からみたら峠は過ぎていた
平塚 暗黒の中では光はあったけど、活躍時は
短かった
パウエル、フランクリン、大豊、佐々木、広沢
残念が全て 古溝って、渡辺伸彦とのトレードだったのか
めちゃくちゃ上手いトレードじゃないか! 松永:びっくりするぐらい故障した。
さすがに1年で出るとは予想出来なかった。
石嶺:1年目の春は大したもんだと思った。
中盤にはもうしんどそうだった。
翌年のグレンにも同じことを感じた。
平塚:97年の働きは交換相手考えると素晴らし
かった。技術高かったが守備は厳しかった。
大豊:能力や年齢考えると妥当。扱いにくい人。
パウエル:コンディション的に終わってた。
広沢:01年に一花。03年も存在感示した。 失った名選手
野田 オリックスの初優勝に貢献
関川 星野中日で優勝に貢献
北川 ご存知代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランで球史に名を残す
オマリー 移籍初年度にヤクルトの日本一に大貢献
平尾 西武で日本シリーズで活躍
榎田 西武で11勝上げ優勝に貢献
赤松 曲者とさて広島のV3に貢献 >>763
いや、たぶん92年9月の巨人戦、
湯舟先発被安打1で負けた試合について
言ってるんだと思うぞ。
それにしても田尾って西武行ってから
全然やったのう。88年は好調だったが
起用少なく90年は最後の働きやったな。 >>764
大したことはない
優勝に貢献している選手が多いが、阪神に居る限り優勝できないんだから、そもそも在籍していたらというIFが成り立たない >>767
ああ見えてデータに物凄く頼るタイプだからパでそれを0からやり直すのはキツかったらしい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています