25歳すぎてプロ入りした選手
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全然活躍しなかったけど、なぜか名前だけは印象に残っている登記欣也 25歳過ぎで入団して一番活躍した投手は誰かな
野手は落合博満だろうけど >>14
岩瀬は24歳の入団になるのでは?
大卒で社会人2年を経てのプロ入りだし 外野は別当 薫(1920生1948デビュー)
戦前ありなら
投手は若林忠志(1908生1936デビュー)、
捕手はハワイで若林より1歳上の田中義雄(カイザー田中)
内野は松木謙治郎(1909生1936デビュー)
当方阪神ファンです 藪恵壹(1年目26歳)
一浪で大学進学、3部の弱小チームで
藪だけが勝ちまくるも昇格出来ず朝日生命へ。
強いチームなら大学でドラフトにかかったろう。
且つ他の5球団なら通算150は勝てたかも? ヤクルトの同期入団2人
寺田哲也
大学〜BCL〜四国ILを経て
27歳の時ドラフト4位で入団
一軍勝利無く2年で退団
中元勇作
大学〜社会人を経て
26歳の時ドラフト5位で入団
一軍登板無く2年で退団 独立リーグから25歳過ぎてからプロで
活躍って奇跡にちかいよな。 90年日ハムドラ1の住吉義則はプロ1年目27歳
野手のドラ1としては最年長? 西本幸雄。二リーグ分裂当時で選手が一気に増える中でのプロ入りだから今と事情が違うが
30歳になるシーズンでプロ入り
選手としては大した成績ではなかったが監督として活躍 >>13
一番の高給取りならソフトバンクの攝津正だろう
1年目の2009年に27歳のオールドルーキーが
年俸4億の3年契約を結ぶまでにのし上がった 大岡虎雄 1912年生まれ
八幡製鐵所
1931年19才 日米野球に出場 ラリー・フレンチ(通算197勝)から2ホームラン
1935年23才 東京巨人軍にスカウトされたが、八幡製鐵所に残留
都市対抗野球大会には11回出場し、通算5本塁打を放つ。
この記録は大会記録として、1976年に高梨英夫(大昭和製紙北海道)に更新されるまで
38年間破られなかった。
1949年 37才 大映スターズに助監督兼選手として入団
試合121 打率.272 本26 打点111
1950年 38才 松竹ロビンスに助監督兼選手として移籍
試合135 打率.281 本34 打点109
1951年 39才 途中退団 引退 >>23
1988年ドラ1の中島輝士もプロ1年目が27歳だな
こちらも日ハムというのが面白い >>29
1位じゃないけどロッテに入った丹波とかね
ほとんど活躍できなかったけど >>28
中島輝士は規定打席に到達した年があったことにびっくりした >>34
1年だけ社会人時代のポジション一塁を守った1992年が3割近い打率と打撃好調だった。
但し本塁打は11本止まりで一塁手としては物足りない成績と思われたのか外野に戻らされた。 金属バット時代の反動現象
てぇかキューバ国内もとっくに木製バットなんやねWBC時代やし 能見さん。最も、花が開いたのは30代で真弓が我慢して起用し続けたという事だが。 実は25歳以上でのプロ入りは野手より投手のほうが多い。成功率は野手のほうが高いが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています