そういえば、戦中は粗末なボールのせいで投高打低だったというのが定説だが、1944年だけは比較的打高だな
例えば、本塁打王は戦後盗塁で名を馳せた金山次郎が3本という少ない本数で受賞しているが、これは試合数も少なかったからだし、
実際彼の実働シーズンの中ではラビットの時期よりも本塁打率が高い
いったい何があったのか?