一軍での好成績が3年位しか持たなかった選手
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一軍で好成績を3年続けられれば【一流】って良く言われるけど逆に3年は続いたのにそれ以降は微妙だった選手は? >>73
「ボールを押し込む感覚がわかった」とかときどき聞くけど、
ミートした瞬間のほんのわずかの手や体の動きとか
職人技レベルのデリケートなものなのかと想像してる。
だから一度感覚が狂うとなかなか戻らない選手がときどき出てくるのでは。
長打力はあるけど打率は低いというタイプに多い気がする。 >>56
佐野は初代勝利打点王
平田は守備のスペシャリスト
北村は塀際の魔術師
少なくとも今の生え抜きより実力者
ただ、バース掛布岡田依存で、次世代が八木以外いなかった
今も同じで、2005優勝メンバーの後継者が強いて金本の後継者福留、糸井ぐらいで
生え抜きは亀山や高井時代より短期バージョンのみ >>81
楽天生え抜き野手って長打力がなくレギュラークラスの活躍が
2,3年で終わる選手が多いような機がする。 >>57
83年…35本
84年…27本
85年…54本
86年…47本
87年…37本
帳尻の83年と一時帰国した84年は微妙という事か >>68
こいつの場合タバコが劣化の原因じゃないかと思うけどな
原もかなり注意してたけどかなりのヘビーヤニカスだったみたいだし
ヘビーヤニカスじゃなかったら 途中で書き込んでしまった失礼
ヘビーヤニカスじゃなかったらもう少し選手生命伸びてたと思うけどな
ヤニキみたいにヘビーヤニカスでも活躍してた選手もいるからこればかりは何とも言えんけど
原があそこまで注意するってことは
野球を舐めてるように見えてたのかもしれんしな 今年ブレイクの巨人岡本は来年以降はどうなるかな。
巨人で○○歳未満での△△達成はON松井坂本以来と
報知あたりでしきりに持ち上げているが。 >>89今年は打高気味だからとりあえず2〜3年は見ないとって感じかな
それでも岡本は四球とか選べるしインコースに
滅法強そうだから大丈夫な気がする
不安点は走塁や守備時のケガと
智辯学園出身の選手で今まで大成した選手が皆無だった点 同じ智辯の和歌山もプロでは活躍できないと長年言われ続けてたけど
西川がそのジンクスを破ったからな。
岡本にもそのジンクスを破ってもらおう。 元ライオンズの大沼もまともな成績だったのは2年か3年だけ、残りのシーズンは… 飯原(ヤクルト)と吉村(横浜)
藤田(阪急)と横田&古川(ロッテ) 近鉄の阿波野は4年(4年目も10勝してたけど既に兆候が出てた)で壊れたけど投手はやっぱり酷使で壊れるのが多い印象 定岡
9勝(6月から)11勝 15勝 7勝(5月までで終わり)5勝 4勝で引退
初勝利から丸3年で終わった 松本は2010年の序盤まで活躍してたが途中で怪我して以降おかしくなった 湯舟敏郎
92〜94年
まあ小池じゃなくてよかった。 ロッテの大松
久しぶりにロッテで期待された和製大砲だったけど・・・ 鈴木尚典
1997 .335 21 83
1998 .337 16 87
2年連続首位打者だが、実質この2年だけだった。 1999年 鈴木尚典
打率328 本塁打17 打点92 >>101-102
ここまでハードルあげると殿堂入りクラス選手でも
ON野村落合のような打撃三部門を複数回獲得した選手でもない限り
好成績は2,3年だけってことになるぞ。 野手だと外野の単打マンなんかこういうタイプが多いよね
監督の方の栗山とかコケシ亀山関川早川松本みたいなの。2球団でそれぞれ最初の3年だけだった坪井は格上 球威があるだけでノーコン、変化球もヘボな投手は持って3年だな。 遠山もルーキーイヤーと投手に再転向して松井キラーになったシーズンとその翌年くらい
野手転向期間が勿体無かった感じ >>105
87年レベルなら83年84年でも大差ないんだが 斉藤和巳ってまともに稼働したのは
03 20勝3敗
04 10勝7敗
05 16勝1敗
06 18勝5敗
の4年だけだけど活躍度合いが強烈過ぎてもっと長く活躍してたようなイメージがある(04年は別の意味でw)
今でもホークスのエースと言えば通算勝ち星は倍近く勝ってる和田でも杉内でもなく斉藤和巳が真っ先に浮かぶ 中10日で投げていた頃もプロブロガーと呼ばれた時期も、その強烈な活躍があったからこそ許されたようなもんだしな 弱小時代のホークス村田なんかはあのホークスで三年連続2桁上げて常勝の西武に移籍が決まった時はマジかよ!?ってなったなあ
なお 秋山、渡辺、内山と佐々木、村田、橋本のトレードは今見ても凄いな >>120
橋本以外の全員は移籍前の方が成績が良いもんな。 渡辺は西武時代から怪我と腰痛に悩まされてたしな
結局ダイエー時代もさっぱりで最後は金銭トレードで西武に復帰して引退 >>124
内山に期待していたんだけどイマイチだったね。投げ方が好きだった。 印象は強烈だが今中慎二も大活躍と言っていいのは3〜4年くらい。 高卒8年目でようやく開花した斉藤と
高卒8年で潰れた今中が
被るとな >>136
1984年生
育成出身
左投左打
華麗なセンター守備
公式戦本塁打0 >>139
スーパールーキー木田勇は実質2年位じゃない? 木田って、通算成績を見ると22勝の後も、1986年の大洋移籍1年目までは、7勝10敗ぐらいのローテ投手として細々とやってたんだな。 木田は22勝のあと年々勝ち星が半減していたイメージ 木田が、オフのあるバラエティー番組に出演したとき
何もわからない女子アナ「木田さんには何かジンクスとかありますか?」
木田「2年目のジンクスがありましたけど」
本当にあった 1969年、八重樫は高卒ドラフト1位入団、大矢が大卒ドラフト7位入団
すぐに抜擢されたのが大卒の大矢で
それから、10年以上、レギュラー捕手としてマスクをかぶる
大矢は故障などもあり、攻守に精彩を欠くようになってから
同期入団の八重樫に正捕手の座を明け渡す >>146
へーそんなんや
八重樫も複雑だったろうな
それにしても大矢7位なのか 石井浩郎(1992年〜1994年)
1990年、1991年も20本塁打以上打ってるが、100試合以上出場&規定打席到達はこの3年間のみ。 >>148
ルーキーイヤーに20本塁打は普通なら余裕で新人王を受賞出来るな。 中村武志、イメージと違い規定打席到達は3年のみ。
シーズン最多安打が「109本」 「垣内が10本塁打するとチームが優勝できない法則」があったな
5年持ったからこのスレでは頑張った方だが >>148
怪我病気が多かった
ルーキーイヤーの90年は肝炎で出遅れ、91年は骨折 藤浪はマジで正念場だな
ひと皮むけるかこのスレの仲間入りしてしまうのか コントロールよりも球威で押し切るタイプのセットアッパーは
該当する人が多そう。 ニャンコ藤本と、西武に出された村田は少し被るね。まあ、ダブル山内の衰え、ニャンコ藤本の故障で、村田が先発ローテの枠に入ったんやけどね。 多村もこれにあたるかな
もちろんスペ過ぎたのが原因だが ホークス⇒ライオンズの村田は大きなけががあったという話はないし、
何が原因で急にダメになったのかね >>157
>>150さんはWikipedia辺りで調べた時に、打数と打席の欄を読み間違えて、「えーと、130試合制度だったはずだから、403か。ん?中村はん、403を越えてるシーズン三回しかないやんか!」って思っただけだろ
知ったかでトンマなだけな>>150さんを馬鹿にするな! >>150さんは悪い人ではないよ。
ちょっとおっちょこちょいなだけだからみなさん>>150さんをそんなに責めないで‼ >>162
極度の練習嫌い。投げない、走らないだから、権藤さんは危惧していたらしい。 >>165
西武移籍前年のシーズン序盤防御率1点台を維持してたころ
ドラフト下位からの叩き上げと雑草ぶりを持ち上げられた気がするけど
ある程度結果を残すようになって慢心したのか、元々性格に難があって
素質の割にドラフト指名順が低かったのか。 あと、西武では競艇行くのを禁止されたのが理由だとか噂があった 西武時代の村田のエピソードというと、福岡からの引っ越しで、車を一日中運転して疲れたというのしか思い出せない ・「村田勝喜はヤクザになった」とのガセの発端は「力道山を刺した住吉会・村田勝志」との勘違いからであろうな。
・高木(広島)2年間だけ左腕エース。石貫もこの系統。 >>169
・そんな勘違いをしている奴はいない
・よ高木は一年だけ
・石貫はよく試合に出ていたシーズンはあるが左のエースとは誰も呼んでない
以上 石貫で石本を思い出した
成績確認したらまさにスレタイ通りの選手だったわ 村田が西武のキャンプで、すぐにリタイア。翌年、ダイエーに移籍した工藤が練習量の少なさに唖然とした。それだけ、両チームの練習の質量に差が有ったんだろうね。 彦野
村上(近鉄)
どちらもイメージで書いてる
井上は89年だか90年のオールスター前まで、
3ヶ月くらいだった 175
彦野てホームラン打って自分で足怪我して駄目になったんだっけか
いい選手だったよな バレーの回転レシーブのような守備と思い切りのいい打撃
顔は中性的な感じだった
関川にしろ星野はいいリードオフマンが多いよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています