【毎日大毎ロッテ】オリオンズ☆2【南千住仙台川崎】
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東京1年目は、袖のトリコロールエンブレムがなくなって帽子のマークが変わった以外大毎時代のままだったな。
この時期の大毎〜東京は帽子のマークをコロコロ変えていたが、翌年にロゴを赤にしたところで「T」にして落ち着いた。 >>110
近鉄バファローズユニの土井正博にも感動 米田(s34年入団)の着ているブレーブスユニはじめて見たわ
あんな色だったのね 【チョンオワタw】 映像の中身が判明「北朝鮮船に接舷する韓国軍の艦船」 完全に\(^o^)/オワタ ★2
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1545963631/
さっさと在チョン・ロッテも日本側の資産全てを差し押さえられて、日本から出て行けよ。
バカチョン・チームの糞黒ファンも一緒に南チョンに行け。
すぐ北主導で統一されて朝鮮戦争再開だから、生ゴミが片付いていいわ。 FAで巨人に移籍した丸の実家は千葉県勝浦市(理髪店を経営)
丸の母親
「いくら千葉が本拠地といっても、こんなド田舎にはロッテファンなんかいません。
周りはほとんどが巨人ファンです」
う〜ん
県内全域にまで人気を浸透させるのは無理か・・・ 人口希薄地帯だし、そこで布教してもメリット薄いだろうしなぁ。
しかしあんなド田舎から一流プロ選手が出たのか・・・それだけでもすごいな ところで、こんなものを見つけた!
https://pbs.twimg.com/media/DvM3NJfVYAA-3AW.jpg:small
1977年12月24日、ロッテは来季から本拠地とする川崎市にて午前11時から
金田正一監督以下選手コーチ全32名が参加し市内をパレード。
沿道には約7万人の市民が詰めかける。午後1時から川崎市体育館にて
「歓迎市民の集い」が行われ約5千人が集まる。
スポニチ77.12.25 >>116
丸の親の世代は巨人しか無いでしょ。
丸が野球を始めた2年前にロッテが千葉に来たわけだけど地元感は全然無く、お父さんが巨人戦にばかり連れて行ってたから巨人ファンなんだけど、高校に入った頃からロッテも応援。
丸より3年ぐらい後からロッテが地元と思う選手は出て来ると思う。 >>116
丸刈りならぬ丸狩りに遭ってしまったカープ・・・・。 65〜68年頃のオリオンズは財政難のせいかひたすら地味だな。
強くも弱くもないのに監督がコロコロ変わって観客動員数が極端に低迷した >>120
川崎市移転当初は歓迎されていたとは初耳 移転して早々に内紛が起きたり16連敗したり人気者の金田監督が辞めたりで人気が落ちた >>123
1965年オフに鶴岡一人に監督のオファーをしたが、
蔭山和夫の死去で、鶴岡が南海に残留したからな。
(鶴岡が東京の監督になっていたら、また違った運命になっていたかも) 鶴岡は産経アトムズ監督の話もあったとか。オリオンズかアトムズかを発表する直前に蔭山ホークス監督が急逝して鶴岡はホークス監督に急遽復帰した、と昔週刊ベースボールで書いてあったのを読んだことがある。 >>124
単に横浜市に去った大洋への当て付けに過ぎなかったけどな(´・ω・`) 麻生区民だったが、ロッテファンなど皆無。後楽園、東京ドームに行く人はいても川崎球場に行くやつなどいなかった。ロッテリアにただ券置いてあったので行ってみた。がらがらで見やすかった。
等々力は今や連日満員、完売。隔世の感。 >>132
千葉県民の丸も東京ドームにばかり行っていたのと同じ。
広島ファンは丸が地元のロッテじゃなくて金に釣られて巨人に行ったなんて妄想して怒ってるけど丸は巨人ファン。
等々力は楽天KOBOスタジアムよりも格段に小さな競技場で、年間10試合ぐらいしか行われない。観客動員数では当時のロッテとほとんど変わらない閑散とした産業だ。 >>133
楽天生命パークな。等々力とほぼ同じだよ。年間20試合やるんだよ。 俺は麻生区民。周りはほとんど巨人ファン。それでも大洋ファンはクラスに2人くらいはいた。
年に26試合もテレビ出るわけだし。
それがロッテになってからは確実に一人もいない。全学年(当時8クラス)でも1人いるかいないか。
村田や有藤や落合がいてもロッテファンなどいない。
俺も向ヶ丘遊園の塾行ってたので、ロッテリアでただ券もらった。1回くらい行ったかな。
誰もロッテを地元球団などと思ってなかった。
で、今は大人も子供もみんなフロンターレサポ。新百合ヶ丘駅にポスターやフラッグが。
ロッテのポスターが貼られたことなど一度も無かった。
最近はバスケのブレイブサンダースの人気もすごい。
なぜロッテは川崎市民に相手にされなかったのか? 下手投げの坂井ってロッテOB会にも大洋横浜OB会にも出席してないのかな。
実績あるのに引退後の消息がまるで不明だよな 米田哲也は1955(昭和30年入団だよ)1956〜1977
>>114
> 米田(s34年入団)の着ているブレーブスユニはじめて見たわ
> あんな色だったのね ☆★☆【神よこの者たちはもはや人間ではない悪魔であるこのような悪魔どもを一匹残らず殺してくださいお願いします】★☆★
《超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪首謀者の実名と住所/死ねっ!! 悪魔井口・千明っ!!》
【要注意!! 盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪工作員】
◎井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
【超悪質!盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所/井口・千明の子分たち】
@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)
G肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2 http://cimg.sp.baseball.findfriends.jp/show_img.php?id=8020&contents_id=p_page_097
大毎オリオンズ時代のエース・小野正一
ビジター用ユニの 「TOKYO」 の胸文字がいい! >>9
亀レスだがいくら球場が広くても結局客が入らなくて同じ運命な予感 >>121
ヤクルトにいたやん
熱狂的千葉ロッテオタクの投手が >>128
蔭山監督が急逝しなければ、その後のチーム・選手の運命も変わったかも知れない。
オリオンズ・・・鶴岡御大による長期政権(金田監督誕生せず)
ホークス・・・蔭山監督による「頭脳野球」で南海王国健在(野村監督誕生せず)
金田は巨人の投手コーチで、「走れ、走れ」で巨人の投手を鍛え、野村は現役後半は
ヘッドコーチ兼任、蔭山長期政権勇退後に監督就任だったかも知れない。 理系の東京電機大学が神田の街から千住に移転したら人気低迷で入学時の学力が大幅にダウンした。
偏差値56→50ぐらい
このあたりは移転したらあかん所なんやろうなあ。 ちゃっかりと神宮球場をフランチャイズにしたスワローズはおいしすぎた >>150
まあでも定着するまで長かったよな
日本シリーズ使わせてくれないとか、よく耐えたよ(笑) スワローズは国鉄時代は、本拠地は後楽園だった。
毎日オリオンズ、東映フライヤーズ、高橋ユニオンズも後楽園、巨人ももちろん
後楽園なので、野球は後楽園でやるものだったのだろう。 スワローズの国鉄末期の後楽園から神宮への移転は、フジサンケイグループの経営参加が影響したというが。 昔は阪急・西鉄を後楽園でやったりしていたからな
移動が大変だった時代なので、両チームが東京にいるのなら、東京でやってしまおう
という考え方だったらしい 俺は西武ファンだったんだが、一番驚いたのが川崎駅から球場までタクシーに乗ったら、
運ちゃんが「今日は西武とどこの試合があるの?」と聞いてきて唖然!ロッテの本拠地なのに
ロッテ戦とも知らないとは!川崎ってそんなもんなのかな。 俺はガキの頃、東映−阪急を南千住で見たぞ。
あの頃フランチャイズなんてあってないようなもんだったんだな。 >>158
ロッテが川崎に来てから開催された80、85年のオールスター戦。
「神奈川は大洋の地元なのになんでセリーグが3塁側で先攻なんだよ」w
きっとこういう人が多かっただろうねw
同様に後楽園〜東京ドーム時代の日本ハム主催のオールスター戦も毎度こんな感じ。 東京ドームのオールスターでパリーグ側がホームのユニフォームでやるのは違和感あった。
それはさておき福浦が関清和にいじめられていたのを暴露w
10.19以外で話題になったの初めてじゃないか。良かったな 大好きだったけど〜打撃が酷すぎる〜
大好きだったけど〜リードも酷すぎる〜
バイバイマイスゥート青柳、サヨナラしてあげるわ 川崎移転後はTVKが申し訳程度に年間7〜8試合中継してたほか、
白いボールのファンタジーのメロオケに乗せて
試合開催告知のCM(制止画像)スポットも流してた。 オリオンズ本拠地時代の川崎、ベンチ上かどこか記憶が曖昧だがテレ東(当時は12チャンネル名義)の広告看板がかかっていたような。
テレ朝の西部警察が川崎球場のグラウンドでロケをやった時、それは板か何かで完全に目隠しされていたけど、まぁ当然といえば当然か。 >>164
球場名も「京浜球場」という架空のものになってたな 伊藤一刀斎の子孫が大毎オリオンズに入団する大映の映画「一刀斎は背番号6」で
オリオンズの本拠地として登場する球場をロケしたのがなぜか駒沢球場 “”大映” の映画 「ガメラ対ギャオス」 で怪獣が戦う野球場は
東京スタジアムではなく名古屋の中日球場だった >>63
逆もあった
ライオンズで頭角を現しつつあったシュートピッチャーの西本和人を
「当たり」にいき、かつバッターボックスから恫喝してつぶしたのは・・・ そうあの人。(この年三冠王) >>121
ロッテ移転の前年、移転が発表された直後に某野球ヲタクの落語家が
「ロッテが千葉にくるなんでとんでもない!あんな球団はいりません。わたしは市川浦安でロッテ移転を阻止します!」と生放送で絶叫してたな >>170
シュートを打てないからみっともない。
こういう汚い手を使って狭い箱庭球場で三冠王になったんだよね。 >>167
撮影は東京スタジアムで行って、中日球場の映像と合成したらしい。 帰ってきたウルトラマンの35話(プリズ魔の回)と51話(最終回)も
東京スタジアムでロケをしてる。
最終回では劇中「東亜スタジアム」という名称だった。 そういや川崎球場なんてたけしの映画で日本中からウンコ集める会場として使われてなかったか? 川崎球場のトイレが刑務所のロケに使われたのは、なんて映画? ファン雑誌というか、会報みたいなものかな
こういうものを出してもらっただけでも恵まれてたね >>179
これで50,000円ですか。
創刊号のようですが、いつまで発行されていたのか。
今となっては貴重な資料でしょうね。
真ん中は小野正一、左は植村義信でしょうか? 毎日オリオンズって阪神だけでなく社会人チームの大洋漁業からも
主力選手を引き抜いていたんだね
憤慨した大洋の中部さんはそれで自社チームもプロ化へ >>183
でも何にもロクに出来ず早々に退場
まあオリックスみたいに球界を掻き回すだけ掻き回して何も残さず居座り続けるよりはマシかもしれんな いきなり初代の日本一になったときは 「我々がパの盟主になるのだ!」 と意気込んだだろうね
しかし・・・次の優勝は10年後 今現在も存続しているらしい純パの会に依ると、参入初年度で日本一になったは良いものの集客面では散々苦しめられた毎日側が「強過ぎるから客が来ない」
と判断して、一シーズン4番を務め上げた戸倉(大洋漁業出身)を、年齢面も考慮してか阪急に放出したのが結果的に大きなマイナスとなったとか。
優勝から見放され、集客面も巨人に圧倒的な差を付けられ焦る毎日側が打ち出した起死回生策が世界初の屋内球場建設計画だったが、費用面等の問題で
断念したその計画が、寄りに依って大正力→巨人並びに後楽園側の知る所(後楽園(東京ドーム)側の話に依ると昭和30年代後半頃の時点で大正力の側近
辺りから「球場に屋根を掛けるなんて考えたらどうだ?」とか言われていたらしい)となり、後の東京ドーム建設にまで至ったという皮肉・・・・・・・・。 韓国の中小企業関係者が、日本でロッテ系列会社の「下請けいじめ」訴え ロッテ側に謝罪と補償を要求
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1551872028/
バカチョン恨島だけでやってろw 大洋ホエールズ初優勝時の日本シリーズでは
大毎オリオンズを破ってのMVP >>186
さらに他チームの強打者を補強して、最強打線を維持して10連覇くらいしていれば
オリオンズは球界の盟主になっていたかも知れない
昭和20年代なら、小鶴(松竹)、金山(松竹)、青田(巨人)、宇野(巨人)
大下(東急)あたりは交渉次第で獲得できていた
昭和30年代は、山内・榎本・葛城・田宮に加えて、さらに強打者を集めて
大毎ミサイル打線を強化してほしかった セ・パ分立当時のパのリーダー毎日
広島カープのパ・リーグ加入申請をオリオンズ創設の
忙しさで無視したという・・・ 自前球場を持ち、内野まで天然芝、当時ではありえないバリアフリー、企業名外し「東京オリオンズ」。
これでだめだったのが当時の日本の民度の低さ。
川崎時代は日本球界の恥さらし。小池をドラフトで指名した瞬間、講堂で見てた亜細亜大生「えーーーーーー!」
65試合のロッテより、17試合のフロンターレの方が客が多い。 四半世紀以上前の事を比較対象に出す球蹴り豚の単細胞っぷりに大草原 >>17
時代の問題じゃなくて単に球場用地が狭かったから狭い球場を作れなかっただけ
当時の航空写真見ると良くわかる フィールドは狭かったがロッカールームや食堂と言った設備は充実してて
選手に喜ばれたんだとか>東京スタジアム
1974年の中日との日本シリーズでもうオーナーではなかった永田を
選手や球団が招待した位だから感謝されていたんだろうね 正直、川崎時代のロッテがまじめに観客数発表してたら、川崎ブレイブサンダースにさえ劣ると思う。 ロッテ 川崎球場3万人 65試合
ブレイブサンダース とどろきアリーナ5000人 30試合 >>192
今だったらロッテが直接、東京スタジアムを買い取っていたのだろうが・・・。
そして内外野人工芝にして、高校・大学・社会人にも貸すとともに、
コンサートなどでも使用して。
あと高尺スカイドームみたく、両翼を広げる代わりに外野席をセンター付近に
集中させてもよかった。 ジプシーロッテと言われた時代に球団職員を務めた人が、あのまま仙台に定着させるべきだった・・・・という内容の談話をされていたけど、
ただシリーズ開催の際に器(当時の宮城球場)の問題はコミッショナー特例としてクリアしたとしても、今の新潟、熊本程度の規模の地方都市に
過ぎなかった当時の仙台だと中々難しい判断ではあったろうと思う。
順調に100万をゆうに超える大都市にまで成長した今の仙台の姿を当時の時点で予測出来ていれば、去るなんて選択肢は無かったろうし、
「原爆の焦土から立ち上がった」とされるカープと同様に、今頃街のシンボルとして地元民が熱狂的に支える存在にまでなり得たろうけど。 当時のプロ野球に地域密着の、概念は無かった。
パは親会社密着、セは巨人密着。 福岡の地域球団だったライオンズが最後はぼろぼろになってしまったからね
当時は地域より、首都圏や関西のような大都市圏に本拠を置くのが主流だった
福岡という地域を離れて首都圏球団となったライオンズは、その後「埼玉」という
地域色の強い球団になっていく
ロッテが仙台の地域球団になるには、まだ早すぎたね 当時の状況だと仙台を離れる判断をしたのはしょうがない
移った先が大洋が使い古した超オンボロの川崎球場だった事が問題
永田が私財を投入して東京スタジアムを建設したことや
西武が自前で大きくて綺麗な球場を作ったのと比べると何だかなと言う感じだ >>203
川崎球場を91年ではなく78年に改装していたらまた違った運命をたどっていたのだろうな。 それ言ったら西鉄時代は新幹線博多に通ってないし
広島に通ったのもカープ初優勝の開幕前(博多と同時) だから古葉監督も選手も口を揃えて
「あのシーズンから移動が天地の差ほどの楽になった」
と言うてたね >>206
実際に西鉄はそこが大きなハンデキャップだったわけで ロペスのファースト連続守備機会無失策記録が更新されたことで
図らずも榎本の記録が世に出てしまったわけだが
榎本の場合捕りに行かないから失策にならなかったわけだし
もし生存してたら気恥ずかしかっただろうな・・・ これ今のようなプロモーションの仕方だったら、親会社の大映の俳優を使って、
始球式に出したり、映画館でオリオンズのハイライトを流したりしていたんだろうな。
あとはどこかのモールでオリオンズの選手と大映の俳優でトークショーやったり。 永田オーナーが京マチ子等の大映のトップ女優陣を引き連れて観戦みたいな事はやっていたな。
営業対策というより、永田ラッパの自己顕示の表れ程度にしか見做されなかった様だがw 永田は木樽正明について「俳優でも行ける」と言ったとか
映画に出してプロモーションをすれば良かったのに >>206
当時は福岡までの列車での移動は大変だったらしい
首都圏から移動しきれず、西鉄ー阪急を後楽園でやったこともある 遂に出ましたね。他球団と変な差を付けないで
同時期に出して欲しかった。 なまじ東京スタジアムが設備が良過ぎたために、
当時を知ってる選手からは川崎球場が余計劣悪に見えて不評だったらしいな。 醍醐さんのインタないのか
お歳だからかな
西本さんがご存命だったら話聞いてほしかったなあ 不仲とされた
有藤×山崎のインタビューか
あと榎本喜八と葛城隆雄が巻末じゃなく
メインの時代別選手紹介に初めて取り上げられるかな >>216
1978年ってパ暗黒の時代だし球場に金をかける気も無かったんだろうな
金村が「近鉄は待遇が悪くてプリンスホテルから来た選手が
「プリンスホテルの方が待遇が良かった」と言っていた」と回想していたが
当時のパは西武以外はみんな五十歩百歩だった >>216
金田正一が勝負ならびに東京球場に執着があったのならまた違った歴史があったのかもな。
もし金田が東京球場に執着があれば、ロッテに対して球場買い取りならびに外野席削って
両翼ならびに左中間・右中間も広げて。 相場数十倍の値段を吹っ掛けられたつーぞ
当時のロッテで払えるかどーか >>214
1950年からの全体的な球団史を載せたものなのだから
できればタイトルは 「オリオンズ・マリーンズ70年史」 にしてほしかったな
でも、出してもらって感謝だ しかし改めて考えるとユニオンズとの合併後のオーナーがユニオンズの永田なんだから滅茶苦茶だよな >>200
星野楽天がタイムスリップしてきたら根付いてそうな予感がするんだよな仙台は 宮城県仙台市泉区八乙女のセブンイレブン八乙女駅前店の脱税泥棒同性ストーカーメンヘラキモ思春期ゴミ野郎ホモヴェルビュみずほ台ガラパゴス鼻ホジッた手でレジホモ自己愛性人格障害者代理ミュンヒハウゼン症候群統合失調症嘘松アホ店長中里寿郎の得意技
レジの設定金額をイジッて、レジ点で違算に気付いたバイト同士で喧嘩させて、有ること無いこと言い触らして、
常に誰かを悪者に仕立て上げて、そこにヒーローとして登場したがって、それを口実に、
辞めたバイトにすら何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年ストーカーして、
「だから俺は存在価値があるんだ!だから俺は存在価値があるんだ!だから俺は存在価値があるんだ!だから俺は存在価値があるんだ!だから俺は存在価値があるんだ!」
「皆に必要とされて辛い!皆に必要とされて辛い!皆に必要とされて辛い!皆に必要とされて辛い!皆に必要とされて辛い!皆に必要とされて辛い!皆に必要とされて辛い!」
の発表会をしたがるキモメンヘラホモハゲストーカー犯罪者
ちなみにこいつにはそうただかっつー息子と、しおりとかいう娘が居る
家族諸共全員自殺しろ中里寿郎ヴェルビュみずほ台 >>223
毎日側が熱意を失っていたらしいけど、
実質的にはゴールドスター〜大映が存続した「逆さ合併」ようなものだったな。 山内監督時代の80年、81年に前期優勝した時に
リーグ優勝したかったですね。
そうすれば川崎時代も違うイメージが出来たと思います。
81年は勝てそうな気がしましたが。
日本シリーズ第一戦の川崎球場で
村田と江川の最多勝対決が見たかった。 >>226
毎日は戦後、何をやっても駄目だな
藤村遺跡捏造スクープ以外なんか仕事したのか、あの新聞社? 今みたいにネットがあったわけでもなく、産経とかよりも売れていたのに倒産した会社だぜ
ちなみに毎日放送が関与した南海もあのような体たらくとなり、TBSが関与した横浜MOREのような醜態と毎日グループは野球に対する才能が無さすぎ アマでは選抜や都市対抗が続いているけど、プロの方がいまいちだったな。 >>228-229
TBSは鳴り物入りで始めた国際プロレスもダメであっさり撤退している
キックの沢村は短期間ブームになったがブームはすぐに終わった
野球だけじゃなく格闘技もダメ >>229
毎日は読売や朝日との部数差に依る収入格差を聖教新聞等の宗教機関紙の印刷代行で補っていたんだけど、読売(つうかナベツネさん)の創共協定スクープ
を契機に読売や朝日に聖教新聞の印刷代行を一部奪われ出した途端に、読売・朝日との対抗上、両紙並みの図体を維持していたのが災いしてあっという間に
経営危機が表面化し、倒産へ一直線と相成ったんよね(´・ω・`)
嘗ては蜜月に近かったMBSと創価学会との仲が険悪となったのはそんな要素もあったり。
産経はフジテレビが全面的に支える構造になっていて、そのフジテレビは1970年代までの低迷期からいち早くテレビショッピング番組を手掛けたり等の副業で、
日テレTBS並の体力を維持していたからどうにか持ち堪えたんだよね。 >>232
倒産に拍車をかけたのは
西山事件かな
あと毎日新聞といえば
田淵の父親が大手販売店だか関連会社の役員だったけか? >>714
若い世代のファンにはロッテだけで70年という印象を与えそうなタイトルだなw >>223、>>229
毎日はなまじっか1950年に日本一になったから、経営陣がプロ野球を甘く見たんだろうな。
で、平和台事件で世間の反感を買って徐々に熱意を失うことに。
>>227
山内監督時に浦和のファームの球場と寮があれば、もっと長くやっていたかも。 >>236
有藤が過去のベーマガ70年代特集号のインタビューで
ロッテとなって早い時期70年リーグV
74年日本一になった為に
>経営陣がプロ野球を甘く見たんだろう
同じニュアンスのコメントしてたな
まさかそこから31年も掛かるとは思わなかったとw その後も半期王者とかにはなったしもうちょっとでVだったから
まさかその後とんでもない暗黒時代が来るなんて想像だにしなかったんだろう・・・ その後って有藤がいてリー兄弟が加入して落合も台頭するから
打線は悪くないんだよな 昔のフライヤーズみたいに重量打線だけど
4安打でやっと一点入る野球盤のような打線っぽいがw >>240
分かる
東映フライヤーズの大杉張本白に似てるわ
V9巨人とか黄金期西武とか強いチームは機動力もあるからな 今の横浜がそれ。1番打者以外俊足がいないから長打が出ないとなかなか得点できない。 1981年開幕オーダー
この年は前期優勝している
1 左 庄司智久
2 中 弘田澄男
3 指 張本勲
4 右 リー
5 一 レオン
6 三 有藤道世
7 二 落合博満
8 捕 土肥健二
9 遊 水上善雄
投手 村田兆治 43番は土肥健二をはじめとして、カネヤンユニ時代は捕手番号だったけど、
千葉移転後は投手が多くなったな。 >>243
他に芦岡、得津、井上、白、高橋、仁科、水谷、奥江辺りか
強くね? >>236
浦和は千葉マリン建設が動き出して関東内新球場移転に目途がたって作り出した感じ
80年代初頭に千葉県や千葉市が議会で球団誘致をしたいと言って
対象に山内ロッテの名が挙がったが
声のでかい国会議員のハマコーが東京湾横断道路構想に入れ込んでて
「対岸の川崎市の機嫌を損ねるな」と言って反対していた
この時期に千葉に移転できていればいろいろ違ったかも >>241
山崎・弘田のような職人肌の好打・攻守の選手もいたのに、大味な打線だったね
金田監督自身は、山崎・弘田への評価が非常に高く、絶賛していた >>248
広岡も山崎を評価していてヤクルト時代に獲得しようとしていたんだよね
その時は実現せず西武で一緒になった >>248
職人肌の好打好守と云えば
池辺も居たが
カネやんと対立して放出されたな
アルトマンと共に
二人とも阪神で打力は衰えたが
地味に良い仕事でチームに貢献して
人望が有った 村田兆治は広島県出身で地元のカープがドラフト指名する予定だったんだね
オリオンズのほうが抽選順が先でラッキーだったな >>226
建て前上は合併も、実質的には大映による毎日買収でしょ。
存続会社もオリオンズにしたのはそういう理由によるもの? >>252
実際に2つの球団が1つに統合されてんだから建前も実質も合併だろ
大映の吸収合併だと言うなら分かるが 7チームでは対戦カードが組みにくいので1957年初めから
3位チームと最下位チームが合併することが決まっていた
名がオリオンズになったのはオリオンズの方が3位で順位が上だったから
2000年だかに球団が出したオリオンズマリーンズ球団50年史に出てたよ 今のマリーンズの通算成績は毎日オリオンズからカウントしていて
法人格もそっちを受け継いでるのに合併後に経営してたのは
大映側だったからおかしく見えるのね 実質大映の吸収合併だけど、例えば吸収された方が陣容が大きかったりする場合、逆さ合併の形を避けるべく相手側を存続会社としたり相手側の社名を名乗ったり
と言うのは一般企業でも割合ある形。 近鉄百貨店=京都丸物
東急百貨店=白木屋
三井住友銀行=わかしお銀行
これらの場合は実質存続・名目消滅側の社名を名目存続・実質消滅側の団体が名乗っている。
オリオンズに似た例だと、
高砂部屋(実質的には旧若松部屋が存続)
旧二子山部屋(実質的には旧藤島部屋が存続)など相撲界の部屋継承であるな。
これらの場合消滅させた部屋の師匠が運営して、施設もそのまま使っているから。 有藤も山崎も東京スタジアムに愛着があったと言っているね >>258
そりゃジプシー時代も経験してる選手は尚更だろうね フランチャイズが
川崎に決まった時はホッとしたと
有藤が昔BBM70年代特集号でコメントしてたな
臭くて汚い球場でロッカーに用具を置いて遠征に出ると戻った時にカビだらけだったwとオチを付けてたがw 川崎球場の古さをヴィンテージの良さという方向で
魅力的なものとして売り出して欲しかった。
日本のフェンウェイパークになれたのに惜しい。 >>254
そんなのみんなわかってるだろ
吸収された方が実権握ってることを話題にしてるわけで >>258
設備はいいわ総天然芝でカッコいいわ中距離打者でもホームラン打ちやすいわ若くして本拠地で優勝できているわで悪い感情はそりゃそんなにないだろうな >>262
古くて汚い球場をそんな売り方できるわけないじゃん
古けりゃなんでもいいわけじゃない 榎本も東京スタジアム解体の時に見に来てたって話だね しかも中野の家からジョギングして来てたというね
直線距離でも20kmはある >>262、>>265
古さも大事だか、91年に内外野人工芝とスコアボードの電光掲示板化をしていたのは遅すぎたかも。
まあ80年代に内外野人工芝とスコアボードの電光掲示板及び球場の内部も改装していたら
また違っていただろうな。 平成時代初期、新鶴見操車場跡地再開発という構想があったのには驚いた。
鉄道の新駅や新路線、新スタジアム建設など。 「ロッテ70年史」取り寄せて見たら有藤と山崎の対談で
「巨人との日本シリーズは宿舎を球場の近くにしてくれればよかったのに
池上本門寺にされて往復2時間かかって・・・
まぁ永田さんには誰も逆らえなかったから」
だとさ
まぁこんなエピソードはいくらでも出てくるんだろねw >>269
驚きか?どう考えてもなんかに転用できそうな土地だし >>262
そもそもホエールズに捨てられた球場だし
川崎市も大して熱意なかった
なんとかしますと口だけ言ってた
>>269
そんなこんなで当時としてはロッテ千葉移転が本格既定路線化してから慌てて対抗案をでっち上げた
感じで「今更遅い」「どーせ口だけだろう」という雰囲気だった
その後ヴェルディにも出て行かれて「川崎の姿勢に問題あり」という批判
それらを経て今のフロンターレだのなんだのがある・・・多分 有藤ってひどいやつだったなパワハラでFを抹殺したよな 村田も酷い奴だった
新人の愛甲が「ロン!」って言って村田から上がろうとしたら、人殺しの形相で睨まれて牌を倒せなかったそうだ さっきニュースキャスターで人違いで入団したロペス取り上げた >>221
これ金田とその時の東京スタジアムの持ち主だった小佐野賢治と懇意だったらなぁ…。
まあ72年に金田が監督だったらまた違っていたかも。 >>269
あの時代の新聞を読んだ。
当時の川崎市はロッテの千葉移転が決定した後も、新球場には
他の球団を誘致する・・・・・という、強気の姿勢でした。
他には、羽田アクセス鉄道とか横須賀線新駅の計画もあったみたい。
鉄道に詳しい方なら、分かると思いますが。 >>276
「札幌から移転するわけがない」とたかをくくって、北広島への移転話が具体的になってから
慌ててハムを引き留めにかかった札幌市とそっくりだな >>284
というか福岡野球時代のライオンズに嫌がらせをしておきながら
ライオンズが身売りと所沢移転を決めたら「福岡を捨てるのか?」と怒った
福岡財界の相似形でもある
ライオンズの坂井が「今更そんな事を言うなら何でもっと協力してくれなかった?」と
怒っていた >>270
>巨人との日本シリーズは宿舎を球場の近くにしてくれればよかったのに
一番近い山谷にされなくて良かったなw 山崎が西武にトレードされた時の相手は倉持だったっけ? >>289
サンキュー
複数だったのか記憶が曖昧だったわ 移籍してきた倉持にライオンズ球団が用意した住居は古い木造の旅館の一室
そこは元々、西鉄が昭和20年代に選手寮として使っていた旅館
クラさんはロッテに戻れて嬉しかっただろうな
まあそのまま在籍してても西武に身売りしたから待遇は大きく改善されたけども 山崎は西武移籍後、数値的にはそこそこでも広岡が高く評価してくれた事もあって
景気よく給料を上げてもらえたそうだ
西武はパとは言え12球団屈指の金持ち球団だったしな 山崎は広岡から高評価を受けるほどの名手なのに、山内監督からは早々に「構想外」と
なり、放出が確定してしまった。
守備、野球センスに優れ、長打も打てる二塁手で、内野の要と言えるほどの名手なのに
なぜ「構想外」などという扱いになったのだろうか? >>289
こうやって見るとそんなに悪いトレードでもないな
もうちょっと古賀がよければな…
ていうかこのトレードの翌年、古賀と成重は巨人でチームメイトなんだな
巨人・成重がマウンドに立った試合、ラジオで聞いた記憶があるわ >>293
まあ、なんか裏でいろいろあったんじゃない?
当時のパなんて裏事情ドロドロワールドだし 知恵袋ではこんな回答をしている人がいるね
ちなみにロッテ⇔ヤクルトとのトレード案は
・山崎裕之「ロッテ」−安田猛「ヤクルト」
・山崎裕之、岩崎忠義「ロッテ」−西井哲夫、渡辺進「ヤクルト」
だったそうだが両方ともヤクルト側の選手が拒否して
ご破算になったんだとか
>まず、山崎選手は1978年日本一になったヤクルトスワローズへのトレードが決った・・
>はずなのにご破算になってしまった、という事情がありました。
>トレードでチームから出て行って山崎はいなくなったと言う前提でチーム構想を練ったのに、
>その山崎に「戻って」こられてもそれはそれで困ったことでしょう。
>ヤクルトへのトレードが無くなり、結局西武ライオンズへのトレードが決まったと言うわけなのです。 安田の1975〜1978年の成績を見ればロッテにとっては断る理由がないトレードだ
それだけ広岡が山崎を獲得したかったって事だろうけど >>293
金田派だったからフロントが出したかった
山内はんは後から聞いたつー話だが
まーこれも噂っちゃうわさ 有藤と山崎の対談、榎本だけじゃなく江藤のファーストも酷かったと言うてるなw
後に前田益穂がファーストになったときはめちゃくちゃ助かったと 山崎と弘田は金田監督の評価が非常に高かった。
金田監督は豪放なイメージがあるが、職人肌の選手が好きだった。 >>301
野村は「金田さんはとにかくヒットエンドランが好きな監督だった」と言っていたな >>293
当時のフロントが金田派一掃を主としてから
実際、78年は八木沢引退事件もあったり、
金田の後継監督に移籍してきたばかりのノムを担ぎ出そうとした一部フロントの動きも有ったりと、
チーム内は荒廃してたからな。 >>303
78年を最後に退団した
濃人渉もフロントで暗躍していたのかな
田中由郎ゴリ圧し指名の腹切り宣言通り退団したが永田から重光ファミリーに替わっても球団に居座り
カネやんを抑えて田中強硬指名出来るとは強力な後ろ楯でも居たのだろうか ロッテごたごた体質を目の当たりにしたノムさんは以後幾度監督要請されても断り続け今に至る 【韓国企業】ロッテ会長の心配は借入金…週末まで日本金融機関と接触
経済制裁措置が金融界に広がらないか雰囲気を確認
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1562939116/
>日本出張中の辛東彬(シン・ドンビン、重光昭夫)ロッテグループ会長が
>現地で日本主要金融機関の関係者と面談している。
日本出張中(笑)
川崎ロッテ〜千葉ロッテ(笑)とやらも仮日本、日本出張球団だろw
戦時中の内鮮一体(反吐)政策という旧石器時代の興行やってるのは、
今の腐れプロ野球だけだw 72年の小山の退団(当初は引退と発表)にはどんな裏があったのだろうか。
防御率が4点台まで悪化したとはいえ9勝してるから果たして本人の意思だったのかは疑問が残る。
同世代の金田が監督になるのでやりにくいからという説もあるけど。
退団の際に中村オーナーに功労金1000万円を請求して貰ったらしいな。
元はラッパとの口約束だったのだろうが >>308
まあ金田絡みだろうかと
小山は大洋へ行ったが
阪神時代ヘッドコーチだった
青田昇のヒキかな? どう見ても金田絡みだろうね
功労金をもらって大洋にトレードだから円満だろうけどね
星野監督就任で谷沢が引退とか
落合が来ることが決まって駒田がFAとか
よくあること 金田は2回めに監督した時も村田の引退でトラブル起こしてるな >>301
弘田と藤倉のトレードは高年俸の選手だから放出したのかね?
弘田が阪神の初の日本一に貢献したのを見て複雑な気分だったが 弘田は地味に両リーグ日本一達成者
しかもロッテと阪神という常勝でもないチームで >>313
阪神で弘田と一緒だった永尾泰憲もヤクルト近鉄と合わせて3球団でリーグ優勝
ヤクルトと阪神で日本一
スレチでスマン チョン野郎の張本が在籍してた80年か81年のオフに、里帰りの韓国遠征してたな、この球団w
まだバ韓国プロ野球リーグができる前の話。
80年代は広島カープがキューバ遠征やってパイプを作ってたが、この在チョン球団は
永遠に恨島帰国、里帰りしろよ。ニセ日本球団なんだしよw 今さら野球で宣伝する必要ない企業が
半世紀も球団所持して毎年数十億の赤字の面倒見たのは反日でもスゴいじゃん 2010はネトウヨには耐えられないシリーズだったんだろうな
中日ロッテがフジで放送とか
んで総理は菅直人だったし >>140の紙面に69年の業務提携時のカネ
事情が出てるな
一時金5億円
スポンサー料年間8千万円
(トータルして5年で10億円、当時の金額)
62〜68年の球団負債は14億円らしいな マルハは身売りしたけどヤクルト、ロッテ、日本ハムは球団を持ち続けてるし
飲み物や食品系には球団名で名前を全国に宣伝できるメリットは大きいんじゃね スワローズは国鉄・サンケイ・ヤクルトと変遷することで、国鉄との連続性がなくなった、
別の球団になってしまったと、金田さんは言っているが、オリオンズはどうなのだろうか?
山内さん、醍醐さんなどはロッテの指導者になっているから、大毎とロッテは連続性のある
球団だと思っていたのだろうか? >>321
日ハムは北海道移転時に東急から続いた系譜の旧運営会社を特別清算で倒産させて新運営会社に移行した扱いになってるけどね >>314
この当時CATVって言葉はかなりマイナーだった
(ケーブルテレビ、ならまだ少しは知られてたが)
ほんとこの広告くらいでしか見なかった 落合のトレードの時、ロッテ側の交渉者が東京オリオンズ時代からいた人で
中日側と通じてたという噂が当時あった 木樽、醍醐、八木沢とロッテに残ってるし東京オリオンズからロッテは継続している感じがする
連続性を分断したのは東映(日拓ホーム)フライヤーズ⇒日本ハムファイターズじゃね
東映の主力を次々と放出した 仙台ロッテ時代の東北本線時刻表を見たよ。
特急と急行の本数は多いけれど、普通列車は本数が少なかった。
ちなみに当時の写真を見ると、普通列車は赤い電気機関車が古びた
客車を牽引していた。 当時の東京仙台間は
一番メジャーな特急ひばりが上野から4時間、急行松島が5時間くらい。
停車駅の少ない特急はくつるやみちのくは多少速いが青森直通なので切符が取りにくい。
他に全日空が羽田〜仙台に6便ほど、所要時間は1時間前後。
高速バスはまだ無いに等しい 永田時代の選手は下町方面に住んでた人が多かったかもしれないから
仮に飛行機だとしても一旦羽田に行くとなると逆方向になるし
しかも仙台空港は市街地から遠い上に今と違ってアクセス電車も無いから
結局特急電車とそんなに変わらなかったんじゃないかな・・・ 中日から来た上川もコーチとしてロッテに残っているし
そういう点は面倒見がいい球団なんだよね >>328
そりゃ逃げ出したくもなるわ
ただ1988年あたりに進出考えるチームがなかったのも意外 バブルの頃はNPB12球団でMLBにほぼ匹敵する売上げがあったそうだから新規市場開拓の意欲も欠けがちなものさ・・・・・・。
メジャーのエキスパンションの切っ掛けの様に、札幌、福岡、仙台etc.と新球団設立の火の手が上がったとか起っていれば別だろうけど。 >>318
お前のような恨日バカチョンが大喜びだった時代かw
あぁ「いちど、みんすとーに、やらせて、みてくださいー」に釣られて
普段行かない選挙に逝ったド=パヨクねw
「新潟日報」上越支社・報道部長、坂本秀樹(しばき隊)=闇のキャンディーズ(笑)とか
「F-squre」反安部 闇のあざらし隊 ぱよちん久保田直巳のシンパ=しばき隊SEALDsの
暴力団関係者、やきうでも反日活動バッチこい!とは、バカチョンロッチ化した50代(笑)の
元日本人らしい嗜好だわw >>329
下町も確かにいたかもしれないが、日比谷線沿線(恵比寿・六本木など)も多かったかも。
(小山正明が麻布で、有藤通世が恵比寿に住んでいた) >>332
無理だな
整備新幹線が予定通り出来てたら話は違ってたと思うが 東京球場の建設発表が数年早ければ営団が日比谷線のルートをいじって東京球場の近くに駅を作っていたかもしれない。
とにかく上野・北千住以外の繁華街からのアクセスが悪すぎた 金銭面がルーズな勝新や徳間康快(大映の債権スポンサー)ですら永田の丼勘定には唖然としたらしいな。
徳間は永田に「何でこんなカネ遣いしていたんですか」と言ったらしい。
大映があからさまに落ちぶれてるのに看板スターの田宮二郎を独断で解雇してさらなる客離れを招いたりした。(その前にもトップスター山本富士子を解雇)
永田は有能だけど決して経営トップになってはいけない存在だったんだろう。
まあ独裁者でなければ東京球場は存在しなかっただろうが 東京球場の近くに駅ができていれば、水道橋・後楽園みたいな感じで栄えていたかもね
他球団主催の試合や実業団・学生野球もできるし、都心部の球場は貴重だと思う
現在なら、日本ハム・楽天の東京主催試合も東京球場でできた >>311
小宮山前田伊良部の若手を中心に据えたい、
そのためにはいつまでも村田におんぶにだっこでは・・・そういう思惑だったのかと。
若手投手への切替は小池秀郎指名にも表れていたしな 逃げられたけど カネやんは堀や初芝や平井など若手野手も積極的に使っていた 第二次金田監督が決まった時には第一次金田監督時代からいる選手も少なくなっていて
その時代を知っている水上のところに「金田監督の走れ走れ練習ってどんななんだ?」と
選手達が聞きに行ったとか >>344
その水上も第二次カネヤン政権の時に高沢と一緒に広島にトレードされるわけだが >>311
え、あれって村田の意思じゃなかったのですか!? 東京球場はロッテが経営参加するまでの6年間に累積債務が6億に貯まりまくる。
読売が支援として主催試合の申し入れをしてもラッパが拒絶。
こういう話を聞くとラッパは経営者としてダメなのが改めて分かる >>348
かといって高校・大学・社会人野球でやるには、東京球場は高すぎたのだろうな。 そのくせ同じセのスワローズには使わせてるんだよな
一貫性がまるでない
映画のライバル?のテレビ=巨人に使わせたくなかったとしか思えん 都市対抗野球大会の間、巨人に使わせればwin-winだったのにな
球場は儲かるし巨人は移動しなくていいし >>350
国鉄時代の金田が狭い東京球場で王に4連発打たれていた。
それですっかり東京球場が嫌いになってロッテ監督に就任早々東京球場を捨てる発言をして撤退につながった 有藤と山崎が対談で言っていたが
ジプシー・ロッテ時代は月に3日位しか家に帰れない事もあったそうだ
川崎球場はやっぱりオンボロだったという話もしていた ジプシー時代もそこそこ川崎で試合していたから選手も覚悟はしてただろうな 70年は阪急が開幕からつまずいて連覇が絶望になり早々と若手起用に切り替えたから
着実に戦力を蓄積していたロッテがシーズン途中の江藤の加入もあって独走優勝。
ラッパは経営難にも関わらず西鉄みたいに主力選手を次々に売り飛ばすというのをやらなかったのも大きい 永田は1985年に亡くなって1988年に野球殿堂入りしているし
それだけ球界での評価は高かったんだろうね >>357
まあ、あのオッさんいなかったらパリーグなくなってたかもしれないしな >>357
70年リーグ優勝した時
自分より先に胴上げされたのを
根に持って永田の葬儀に見向きもしなかった濃人渉は他界後も殿堂入り出来ず 永田の葬儀の時は小山が選手代表として参列したらしいな >>358
あとパの存続に貢献したと言えば
引き取り手がなかったライオンズの為に
福岡野球を設立して自ら引き受けた中村長芳
日拓ホームが1年も経たずに嫌気がさして売りに出した
フライヤーズを買収した大社義規
あたりか >>361
そこに西武の堤オーナーも入れてあげてほしい。毀誉褒貶激しい人だし、野球愛には欠けるけど
あの人がライオンズを引き取らなかったら中村オーナーの努力も水泡に帰していたかも知れないからね。
野球愛と言えば大社オーナーが日ハムの二軍の優勝祝賀会に
車椅子で参加してたね。あれは感動した。 それを言えば日拓の西村某も功労者になっちゃうな。
彼がフライヤーズを買わなければやっぱりパリーグが存続しなかっただろうし ライオンズのペプシコ日本法人への身売り頓挫
フライヤーズのパイオニアへの身売り頓挫
東京スタジアム閉鎖が重なった1972年は
新聞に「パ・リーグ崩壊」「これが最後の日本シリーズ」
「南海阪急近鉄 西鉄東映ロッテは合併して8球団1リーグへ」とか書かれた それでタイアップの話を受けたのがロッテだったんだろうね
東京身売り騒動/週ベ回顧
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190810-00000002-baseballo-base
いくつか事件(ウワサ)が紹介されていた。
まずは「東京身売り騒動」。
東京の永田雅一オーナーが、またラッパをふいた。
「オリオンズは身売りすることはない。しかしタイアップはあり得る」
さらに5月10日には、サントリー、松下電器、三洋電機、ペプシコーラと具体的に会社名も挙げ、
「サントリーがもっとも有望」とも語った。
サントリーに聞くと、「話はありません」だったが、運動部ではなく、経済部のスクープらしく、
交渉自体はあったのでは、と書いてあった。 永田、堤などワンマンな体質が批判もされるが、ワンマンでなければ球団経営などという
割に合わないことを引き受けられないのかも知れない。
古くは田村駒次郎などワンマン経営者がプロ野球を支えてきた。 堤は根本に現場の総てを任せる事を
腹心の戸田本社常務らに徹底させて
それ以外からの口を挟ませなかったのが成功した
永田には諫言出来る人物が居なかったんだろうし聞く耳を持たなかったんだろうな 堤義明がロックコンサートかなんかの後援をした事あるらしいが
面会したミュージシャン(若手)はイメージと違って温厚な紳士だったと言ってたらしい。
むろん社内では別の顔かもしれんがね ビートたけしの言う伝統の巨人人気に勝てなかった
足立区の少年草野球でも背番号3番は榎本でなく長嶋だったとか 榎本喜八は後になってから
「伝説の大打者」として語られだした感がある
リアルタイムの東京スタジアムは閑古鳥が鳴いていたのにね
上の方の有藤山崎の対談にもある通り
バッティングは史上最高クラスだが守備は酷かったらしい
村田も「守備では(榎本)自身の届く打球にしか動いてくれず、
正直辛かった」と言っている ロッテ「ロッテは日本企業じゃありません!!!」
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1565870275/
朝の出勤途中に、ソウルのある地下鉄駅の入り口に若い男性がプラカードを掲げています。
ロッテグループの酒類会社の従業員です。
同社の製品は、日本と関係ない韓国ブランドだということを知らせるために街頭に立っています。
出勤途中の市民に、もれなくチラシを配布しています。
ロッテが日本のビールの輸入と流通に関与しているため、看板焼酎ブランドも日本企業の製品という
誤解が生じたとし、キヤンペーンを繰り広げているのです。 【韓国今日も大勝利】No Japan直撃。ロッテ時価総額7兆5千億蒸発【うん…うん?】
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1565864404/
ロッテ時価総額ニュースに関する韓国人の反応
「グッド、グッド。滅びて。」
「心温まりますね。」
「潰れろ。」
「日本企業ロッテ。」
「ロッテがあらゆる日本のチェーン店すべて韓国に持ってきた宿主である・・・。」
「これ。ロッテを切り落とさなくちゃ。」
「さようなら。ははは。
「まだまだ、私がさらに頑張るから!
「自分の会社がロッテなのがクソだ。はぁ・・・。」
「良いニュースありがとうございます?」
「いろんな種類の日本企業を韓国に持ってくる日本企業ロッテ。」
ロッテ副会長「ロッテは韓国企業。日本で得た利益を韓国に投資するために作られた」
https://web.archive.org/web/20150811073633/https://www.sankei.com/world/news/150811/wor1508110025-n1.html
祖国バカチョン恨島からも嫌われるバカチョン・ロッチw
やきうチームと共に消滅しろ、株式非上場会社w >>361
日拓ホームフライヤーズはオリオンズとの合併話があって重光パパもその気になったが
三原脩が乗り出して同郷の大社に買収させて球団社長に収まったんだから
功労者は三原脩だよ
ただでも大監督で功労者だけど それパ・リーグからしたら功労者どころか迷惑だったんじゃね?
リーグ統合が遠のいたんだし リーグ消滅を防いだんだからリーグからしたら功労者。1リーグ制論者からすれば邪魔者。 サントリーNG、ペプシNGでロッテに行ったのかな
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190829-00000003-baseballo-base
東京オリオンズの経営状況について、番記者による対談があった。
親会社の経営不振もあって12億円の負債を抱えているとも言われた東京。
銀行からもそっぽを向かれ、家屋敷も担保になっていたという永田雅一オーナーは、
まずは6月ごろにサントリーに業務提携をもちかけた。
しかし、観客動員などをチェックしたうえで、「(球団経営には)それだけの広告価値はない」と断られ、
次に岸元首相、本田毎日新聞社長の紹介でペプシに話を持っていった。
永田は盛んに「8月には決まるだろう」とマスコミに言っていたが、
それはマスコミを通し、向こうをその気にさせる策略では、とも言われていた。 今はペプシの日本事業をサントリーがやってるというのも何かの因縁か 日本のペプシって永田も出資してたところなのに
そこにもあっさり断られるんだから相当だな アサヒビールがライオンズを買う話もあったが成立寸前で潰れた 仙台へ向かう特急「ひばり」の食堂車で食事をしている選手の
目撃談があった。 >>378-379
西鉄だけじゃなく東映も身売りじゃ、ペプシもパ・リーグ球団がヤバいと感じたんだろう。
(1つだけならともかく2つ身売りじゃパ・リーグを持ってもメリットなく下手したら本業にも
悪影響及ぼすと考えたんだろう) 1970、71年のロッテは狭い東京スタジアムのおかげだな
西武がパ最多タイ快記録達成!秋山20号で20発以上5人に 球団史上11年ぶり2度目快挙
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190913-00000217-spnannex-base >>370
榎本はインターネット時代になってから、バッティングだけでなく、その人柄や言動に
注目が集まり始めて、話題になり始めたように見える。
2005年ごろに伝記が刊行され、その内容がネット上でも紹介されて、その個性的な
人柄が知られるようになった。
榎本自身も晩年になってからファンレターが届くようになって驚いたらしい。 1971年は独走で優勝した前年とほとんど同じ勝敗(負けが一つ少ない)なのに
阪急がそれを上回っていたのはついてなかったか >>385
伊集院光がラジオで語って、その内容が動画サイトで拡散されるという経緯がある。
それが全てではないだろうけども一因ではある。 高校の時にオリオンズが優勝して
教師が数少ないプロ野球にお前らの先輩がいると教えてくれた
その日本シリーズで井石が活躍したのを覚えている >>388
井石とか芦岡は大物の片鱗があって、将来主軸を打ちそうな気配があったのを覚えている
だが、やや伸び悩んだ印象がある 今年は戦力の割りに善戦してとりあえず通算勝率5割割れは遠のいたな >>389
声をかけたもう一社ってどこだったんだろうか
ロッテですら最初はスポンサーから段階的に入る流れだったが、もし他社が最初から買い取る意向ならそっちに決まってたんだろうね。そうならなかったというのは反応よくなかったんだろうな ロッテが支援に乗り出さなければ1年くらいで親会社ともどもあぼーんしてたかもな。
大映も既に死に体だったし ジプシー球団になったにもかかわらずロッテは観客動員3倍増
リーグ全体でも前年比150万人増
もちろん全てがカネやん効果とは言わないがパ・リーグを救ったひとりであることは間違いないと思う 球場があと5メートル広ければ東京に残っていたのだろうか
それでも使用形態とかでもめてたから無理か 永田寄りと言っても2年後には完全譲渡する事になる
ロッテ・オリオンズの誕生/週ベ回顧
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191008-00000002-baseballo-base
東京は赤字の垂れ流し状態が続き、永田雅一オーナーがこれまで球団につぎ込んだお金は
15億と言われた。うち大映本社からの借入金が12億、永田オーナー名義が6億という。
業務提携先探しは切実だったが、実は、これまでにも手を上げた会社は何社かあった。
しかし、いずれも永田オーナーの「スポンサーではあるが、球団の経営・人事にはノータッチ」の
条件が引っ掛かり、立ち消えになっていたという。
今回は韓国にも顔が利く岸信介元首相に加え、福田大蔵大臣も動き、
ロッテ・重光社長との間をつないだ。
条件は5年契約、年間7000万円の援助金(球団名使用料)、
球団の赤字12億円の半分6億円の援助(5年間利子なし)、球団の人事、経営権には
ノータッチの5つだったという。
正直、かなり永田寄り。重光社長も「社内ではかなり反対がありました」と明かす。
ロッテ側は貿易の自由化が進む中で外資系のガム、チョコレートに対抗するため、
岸氏に恩を売りたかったのではとも言われた。
ちなみに陰の演出者と言われたのが岸の秘書・中村長芳。
永田オーナーはその手腕にほれ込み、球団副会長のポストで誘っているという。 山崎が金田監督の思い出を書いているな
金田監督は山崎と弘田を高く評価していた。豪放な人柄だが、職人肌の選手が好きだった
みたいだ。
山崎は西武の広岡監督にも絶賛されていたから、野球観において案外、広岡監督と近い
面があったのかも知れない。 >>400
広岡はヤクルト時代にも山崎を獲得しようとしたが
交換要員のヤクルトの選手が拒否して頓挫したらしい
ヤクルトは甘い体質でそういうワガママも許してしまう
ロッテは放出する気だったので山崎が浮いてしまって
そこでオファーして獲得したのが西武 ロッテ、人気は無かったけど今見たらオリオンズは名選手ってか凄い選手の宝庫だな
日本がテレビ中継を巨人一辺倒じゃなかったら、もっと面白かったのに
千葉に移転しても、オリオンズのニックネームが良かったなぁ
今変えてくれないかなww
もうマリーンズファンのが多いかww あと、何故ロッテは落合を呼ばないんだ?
パリーグ盛り上がるだろ
なんか落合と確執あるんか? >>402
ロッテが愛称を変えたのは移転して心機一転もあっただろうが、
阪急が「オリ」ックスになって「オリ」オンズと紛らわしいというのもあったと思う
因みに一年早く愛称を変えたオリックスは、「マリナーズ」が最終候補まで残ってたらしい
もしオリックスがマリナーズになってたら、ロッテはマリーンズにはなってなかったな >>403
有藤が落合嫌いだからね。あのジジイが居なくなれば呼べるんじゃないかな。 有藤は金田には感謝しているそうだ
<金田さん死去>元ロッテ有藤さん「感謝しかない」 野球人の在り方教わる
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191008-00010001-chibatopi-base
金田さんにはトレーニングのほか、食事や体のケアについても教わった。
若い頃は、何でそこまで執着するのかと疑問に感じることもあった。
食事の際、ホテルの厨房(ちゅうぼう)に入り込み、
新鮮な食材を使っているのか確認する金田さんの姿を覚えているという。 >>403
落合がずっと言ってたの「俺あのチーム嫌いだもん」
中日監督時代に重光昭夫オーナー代行が挨拶に言って無視されたとか
だから去年東京Dのロッテ改称50周年試合の始球式に来たのはびっくりした 井口なんて監督にしてる場合じゃないわ
次期監督は誰予想? 有藤は我が強すぎるんだろうな
山崎も落合も嫌っていたのではないかな 韓国ロッテ会長の有罪確定 前大統領への贈賄罪 韓国最高裁、2審判決を支持
https://www.sankei.com/world/news/191017/wor1910170021-n1.html
ロッテグループ創業者の次男で、韓国の前大統領、朴槿恵(パク・クネ)被告(67)への贈賄罪などに問われた
韓国ロッテグループの会長、重光昭夫(韓国名・辛東彬=シン・ドンビン)被告(64)の上告審の判決公判が17日、
韓国最高裁で開かれ、最高裁は懲役2年6月、執行猶予4年とした2審判決を支持し、重光被告の有罪が確定した。
重光被告は日本のロッテホールディングス(HD)でも事実上、トップを務めている。 ロッテ問題、とうとう日本の国税庁まで=韓国ネット「韓国で稼いで日本に貢ぐ構造」
「面倒なことせずにロッテを日本に送り返せ」 2015年8月11日
https://www.recordchina.co.jp/b116111-s0-c30-d0046.html
「日本の国税庁はロッテの辛会長が望む内容をそのまま書いて韓国政府に提出するに違いない。
息子の結婚式に日本政府閣僚が参加していたと聞いたからな。きっと裏がある」
「この機会に韓国政府はロッテを徹底的に調査し、脱税したお金を見つけ、足りない財政に補填してくれ」
「ロッテは悪の企業だ。徹底的に調査してくれ。創業者の辛格浩は独裁者の高木正雄(朴正煕元大統領の日本名)の保護の下で、
韓国都心部の払い下げを受けてホテルを建て、食料品やラーメン工場などを作ったと聞いたぞ」
「親日派企業の代表格だ。韓国で稼いで日本に貢ぐ構造になっている。しっかり調査して税金を納めさせろ」
「この機会にロッテ免税店を完全に廃止せねばならない。
税金(付加価値税)も支払わず、あらゆる利点だけ享受して事業している」
「こんな面倒なことをしなくても、日本企業ロッテを日本に送り返してしまおう。
野球の応援も止めて、ロッテのお菓子も何もかも不買だ」
本国で半チョッパリと憎悪され、無防備無警戒なアホバカ善人日本人にタカリ続ける
株式非上場、法人税を払わないバカチョン菓子会社w >>365
サントリーは球団身売り話があると必ず買収先に名前が挙がっていたな。 >>410
90年代千葉の当初を支えた堀初芝伊良部園川あたりは有藤チルドレンだよ
愛甲も落合派だけどレギュラーで使われだしたのは有藤時代だし
監督としては結構好き嫌いせず使う人 基本的な質問なんですが、
なんで毎日グループはオリオンズを
読売のジャイアンツみたいに
全面的に報道でバックアップしなかったんですか?
すれば人気球団になったんじゃない? >>415
旧大阪毎日の直系と、大阪毎日の傘下に下った旧東京日日系の抜き難い対立関係が大きいかと。
旧東京日日系が設立中心となったKRT→TBSも、在阪ネット局に毎日系のMBSでは無く、朝日系のABCを選択し(KRTをネット出来るものと気楽に考えていた
MBSはお陰で開局を4ヶ月遅らす結果に)、オリオンズそっちのけで後楽園の巨人戦中継権習得に執心していた程。
一応、毎日系の義理としてオリオンズ(つうか毎日新聞)が屋内球場建設計画を打ち出した際に、KRTが用地取得目的で不動産部門を設立したくらい。 大毎オリオンズの正式名称は毎日大映球団だから略称は毎映か毎大のはずが、
大映の名前を先に出したい思惑の永田ラッパが、旧大阪毎日の略称大毎にちなんで大毎がいい
と力説して逆になったらしい しかし本国のメガネ大統領はなんでああまで重光を憎むんだろうか
親戚の結婚式にアベを呼んだからか?
あいつになってから球団に手が回らず暗黒に逆戻りじゃないか
毎日が倒産したあたりと同じ構図 >>419
北朝鮮シンパの現大統領は財閥を目の敵にしている上に、前大統領時に米軍のTHAAD配備用地を提供した事が決定的な理由かと。 >>415
今じゃ考えられないけど、当時の巨人人気は絶大。
まさに「巨人以外はプロ野球じゃない」「一億総巨人」みたいな感じだった。
巨人以外の対戦球団は悪役。巨人と関係のないパリーグは対象外みたいなもの。
実際、球界再編の際のパリーグ総会で永田雅一総裁が「日本シリーズを考えると両リーグ制がいい。
しかし両リーグ制にするとみんな巨人と一緒になりたがる。」と言っていた。
毎日新聞社は大正力の誘いに乗って球団を設立し、パリーグの旗頭になった物の、
巨人人気を覆すことは出来ず頓挫したようだ。
スポニチはパリーグ発足当初はオリオンズやパリーグの記事を多く載せていたらしい。
ラジオ東京も日本テレビもオリオンズの放映権を持っていて、東映絡みのNETテレビも含め
開局当初の各局はパリーグ中継もやっていた(日テレは後楽園絡みもある)。
結局部数や視聴率を確保出来ず、セリーグ、それも巨人戦にシフトした。
バックアップしなかったのではない。バックアップしても人気球団になれなかったのが真相。 >>418
プロ野球に参入したのは大映(1948年に東急と手を組んだ急映が原点)が先だという理由で「大毎」になった。
合併時に大映球団でなく毎日オリオンズを存続会社にした為、社名は毎日大映球団となった。
これによって系譜は毎日が本流となり引き継いだ大映が傍系となった。 >>422
組織の中身は、表向きの系譜とは逆に毎日が消滅して大映が存続したようなものだったな。 西本さんは60年日本シリーズで永田オーナーと激突して辞任を決意したが
毎日系の和田代表の慰留でいったんは踏みとどまった
しかし11月に入ってから和田をはじめとする毎日系役員が総退陣して結局首になった 永田は70年オフにも優勝監督の農人を馘首しようとするが、
オーナー代行の中村に阻止され、今度は永田自身が退陣。
農人は翌年結局シーズン途中で2軍に降格され更迭されるわけだが。 ジャイアンツとのシリーズでやられたアルトマン敬遠策ってどんくらい功を奏したの?
たった1人主軸が敬遠されまくるだけで負けるほど他がだめだったのか 過去のベーマガで
巨人からロッテ移籍した千田は
チーム戦力は決して負けていなかったがチームプレー組織力の差
有藤は堀内が打てず守備でもやらかしたと述べている
あと濃人のヘボ采配と第5戦で
森の飛球処理を誤って遊撃飯塚と左翼アルトマンが交錯激突して走者一掃の優勝決勝打に 代走屋の飯島が王に「Go」と声掛けられた弾みで飛び出し牽制アウトw
日本シリーズで陸上あがりの素人使うなってのww だけど飯島は面白いテストだったと思うよ
ただ足が速いだけじゃ盗塁はできない
スタート、スピード、タイミングのスタートとタイミングが欠落しちゃダメだと 1964年まではゴールデンタイムはナイターが2本。巨人戦以外もやっていた。「巨人戦じゃなきゃ意味ない」と結論が出て、1965年以降日テレ以外も巨人戦オンリーに。 南海ホークス黄金期に毎日放送が放映権獲得。以降大事に育てれば巨人戦のようなキラーニーコンテンツになったかも知れなかったが、放映権料うp吹っ掛け2年で破談。 飯島は元々トレーニングコーチとしてオファーされたが途中でオーナーの永田に選手登録された…と以前何かの番組で飯島自身が証言していた 飯島は結果的に失敗したことで嫌々やってたみたいな感じに伝えられてるが
最近ネットで紹介されてる当時「週ベ」の記事だと結構ノリノリだったみたいだね 飯島も野球経験者だからな
陸上やっても先が知れてるし稼げないというのもあっただろう 失敗したから公開してるだけの、足が速いだけのつまんない奴だよ どうせピエロなら
左投げ右打ちを披露してほしかった 足が速いのも実社会では
ひったくりか警官くらいしか役に立たないものな 元AKBの倉持明日香がラグビー日本代表の「笑わない男」稲垣啓太と交際 >>434
それマジなの?
タッチアップが分からないからコーチが「GO!」って合図出してたって記事前に見たが どおくまんの怪人ヒイロでヒイロは日本一の俊足なのに
盗塁を失敗しまくってコーチから「足が速いだけじゃ盗塁はできんぞ!」と怒られていたが
もしかしたら飯島がモチーフだったのかなと思った >>439
自分の娘があんなゴツくて無愛想な男家に連れてきたらパニクるだろうな・・・w >>440
中学までは普通に野球やってて
しかも左投げ右打ちw
どうせ代走専門だから
ミステリアスにする為の設定かもしれんが 1980ロッテオリオンズ前期優勝 リーブラザーズ『ベースボールブギ』有藤道世 張本勲 仁科時成 倉持明 村田兆治
https://www.youtube.com/watch?v=C0UxY-NLaVo 飯島さん、盗塁20以上してるんだw
二軍では打席や守備にもついてるしw
記録見てもそんなに失敗なんかな
もしプロ野球が憧れのもんなら、期待された成績は果たせんかったから他人には内緒だけど、その世界に3年もいれただけでも内心は幸せな思いで一杯になるわ
孫がいたら野球中継一緒にみて「爺もいたぞ!!どや!」って感じだわ 永田さんは長谷川一夫という高校生投手を大映の大スターと同姓同名と言う理由で入団させたこともあったな
投手ではダメだったが外野手に転向して長く現役を続けたからまあ成功の部類か 1991年の世界陸上選手権の男子100m決勝で、カール・ルイスが9秒86の世界記録を樹立し優勝した際のスターターでもある。 (飯島のwikiより)
多分テレビで観てたと思うけど知ってたらスターターに注目したのになぁ >>445
飯島が代走で出た時の打者が.420で
投手がかなり神経を割いたのがよくわかるから
それだけで成功と言えるだろ
走ると思わせて走らないのも立派な戦術 >>446
自分も当時、長谷川一夫はその名前で印象に残っている。
「あの大スターと同じ名前なのか?」という印象で、つい注目してしまった。
今なら、郷ひろみとか、西城秀樹が入団したくらいのインパクトだろうね。 >>449
「今なら」郷ひろみや西城秀樹
って、あんた・・・w ヒデキが故人になるなんて
時の経つのは早いなあ・・・ バッテリーコーチ退任後の80〜83年はテレビ埼玉の解説者だった。
ビジター乗り込みの川崎球場で解説する日もあったけど、
古巣相手に西武寄りのコメントをせざるを得ず、さぞ内心は複雑だったろうね。 ロッテの醍醐スカウトと直接話をして、息子を入団させてもいいと小池の父親は心変わりした。 醍醐さんは榎本さんの理解者で、榎本さんのことを尊敬していた。
若手選手が榎本さんの奇行を笑ったりすると、本気で腹を立てていた。 後楽園球場の電光掲示板では片仮名で 「ダイゴ」 と表記されてたような記憶が >>206
広島と博多同時じゃない
広島終点の時代が暫くあった >>461
>>206が正しい
博多開業の前は岡山が終点 ロッテが仙台去る前から東北新幹線の仙台までの1982年開業はもう決まっていたんだが、
東京までの開通がかなり長くまたされたんだよな
埼玉の左翼がうるさいと反対しまくって徐行運転で是認する協定でやっと供用される始末で結局山形新幹線ができるまで大宮止まりだった
つまり10年またされた
これがいつになるかわからなかったから仙台で我慢できる時期が読めなかったのもあるらしい
強引にやれば成田の二の舞で治安が荒れるから無理だったらしい 東北新幹線と上越新幹線の東京駅延伸は1991年だよ。 埼玉からの東北新幹線の鈍足に関与した市民にあの枝野幸男がいたらしい…
震災のアレといいあいつは東北に恨みでもあるのか オリオンズの捕手と言えば、醍醐さんだったな
ジャイアンツの森さん、カープの田中さんに匹敵する捕手だった >>458
千葉移転後のロッテだったら入団していたかもしれないな。 橋本力は読み方はちからで、ドラゴン怒りの鉄拳ではHASHIMOTO RIKIとなってる
https://www.youtube.com/watch?v=LDsuBZ-6xoQ 川崎でのロッテVSオリックスの試合が
ゴールデンタイムの地上波で中継されて16%取ったことがあるんだよな オリックスが合併で消滅した近鉄の復刻ユニで試合をするように
ロッテも大映スターズや高橋ユニオンズの復刻はやらんのか 有藤が「オリオンズの名前がなくなった事は寂しかった」と言ってたが
ロッテはずっと一つの線でつながってて有藤は今もミスター・ロッテなので
パの中では良い方なんだよな
近鉄は球団が消滅したしフライヤーズは
日本ハムが日拓ホームフライヤーズを買収後は
フライヤーズの主力を次々に放出して疎遠になっていった 東映の毒島は「ミスターフライヤーズ」だったのに、今では話題になることもないね。
あのまま東映フライヤーズが続いていれば、毒島は長嶋とか有藤のように、引退後も
多くのファンにその栄光を称えられ、OBの中心になっていたかと思うと残念だ。 ライオンズでも堤がオーナーだった頃は福岡時代はスルーされていたからな
最近になって稲尾の背番号を永久欠番にした >>478
最近(笑)
ロッチョンも村田や有藤でやれよw
>>479
「ロッテは韓国企業です!」と堂々と言い放ったジュニアはどうすんのかな。
タマネギ男を逮捕した検察グループを、つい先日、文政権が全員クビにして
北チョン・カラーの検察に総入れ替えたが、日韓関係は今のままでいてほしいわw
ついでに北チョンに乗っ取られろ、この会社w 金田正一さんお別れの会、21日に帝国ホテルで
巨人のエースとして通算400勝を挙げ、1974年にロッテ監督として日本一に輝いた
金田正一(かねだ・まさいち)氏(享年86)のお別れの会が、
1月21日に東京・千代田区の帝国ホテル孔雀の間で行われる。所属事務所が発表した。
一般献花の部は14〜15時。献花は会場に準備され、
思い出を振り返るコーナーも見学できる。
一般のファンも球界のレジェンドにお別れを伝えられる機会となる。
https://news.livedoor.com/article/detail/17650116/ >>480
毎日が倒産したあとのようにならなきゃいいが >>476
栄光の第一回日本選手権の覇者名なのに勿体ないな ロッテ重光オーナー、50年前に岸元首相と男の約束…河合オーナー代行が秘話明かす
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200122-00000191-spnannex-base
その後も重光オーナーは「岸さんとの約束だから、この球団は絶対に手放さない」と言い続けていた。
河合オーナー代行は「つい最近も、いろいろなところで“(ロッテが球団を)売却するのでは”
という噂が何回か出たが、重光オーナーはそんなことを一度として口に出したことはない。
なぜなら岸さんとの男の約束だから。この男気があったからこそ、
ロッテという球団は脈々と続いている」と強調した。 『ウルトラ怪獣大百科』 第209話(配信#080)「プリズ魔」-公式配信-
https://www.youtube.com/watch?v=jCr-u89nscc
ロケ地が東京スタジアムだが、誰一人として触れてないな。
ブツがエヴァンゲリオンの使徒の元ネタだし、見た目のインパクトも強いし仕方ないかw 田宮二郎主演の「続鉄砲犬」には東京スタジアムの正門前が出てくる 映画「狼の紋章」にも東京スタジアムの映像がある
今となっては映画そのものより東京スタジアムのグラウンド内の
カラー映像の方が貴重 ノムさんの話題はないねえ
やっぱOBつーより敵将だった印象の方が強い オリオンズを知る ミスターロッテ初芝神のyoutubeおもろいぞ!
マジ毎回夢中で見てるんだが
最近いっちゃん好きなのは ↓松坂との対戦に わざわざバット軽くしてたプロのアツサ伝わる回
https://www.youtube.com/watch?v=vt4DNXdW_8Q 【8回表】初芝さんの金髪の真相が明らかに!?
のこの回もおもろすぎだけどねw
https://www.youtube.com/watch?v=EZKft72jpcg
有藤氏が激怒したと笑 >>485
岸の孫の誰かさんはアンチGと公言してたな。 >>487
最終回のロケ地も東京スタジアムだった。
因みに劇中の名将は「東亜スタジアム」。 TBSがまだベイスターズを所有していた時代、特撮ファン向け季刊誌『宇宙船』に、
特撮番組でロケ協力した野球場一覧が載っていたっけ。
文中、『帰ってきたウルトラマン』第35、51話について触れ、現在なら横浜スタジアム(TBSとの関係で)で撮影しただろうと述べてもいた。 考えてみれば、このチームって奇妙なチームだよな。
「セパ分裂」のきっかけを作ったのも結局はこのチームだし。
パリーグがセリーグに人気で差を付けられることになったのも
このオリオンズの低迷が原因の一つだしな。
また当時岸信介の秘書だった、中村長芳を球界に引っ張り出した
という意味では、西武ライオンズの誕生にも繋がっている。 銚子に帰ってるという木樽さんはコロナ大丈夫でしょーか >>446
その長谷川外野手。クラウン時代に根本がリリーフに出してた記憶がある
一球投げてサヨナラ安打打たれて敗戦投手に 先週の話だけど
「川崎球場の遺構を残すディスカッション」
(中継:川崎球場から 今なんていうか忘れた)
ロッテから 初芝清 前田幸長 参加で めちゃおもろかったよ。
今も見れるぽい
https://twitter.com/kawasaki_fujimi/status/1243780031626637313
前半は 初芝&前田 川崎球場時代を語るで
後半は 川崎球場の照明塔のこしていきたいですね 的な。
純パの会 とか ロッテ時代の球団関係者?とか出席で めちゃ面白いよ。
普通に オリオンズ帽子、ジャンパー、ユニフォームを
見れる(参加者が着てる 初芝前田は着てないよ)だけで なんかめちゃいい
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) さらに今日アップされたらしい 初芝清動画は
なんか今回 ロッテオリオンズ時代話題でムネアツ。
当時の89年のオリオンズオーダーとか見ながら語ってるし
スカウト部長醍醐さんの話とかでるし
名トレーニングコーチ池田重喜さんとか(72まで打撃投手したの?!知らんかった…)すごい人すね)
https://www.youtube.com/watch?v=rpbEsoiYAGc
3:20くらいから
89年オーダーバナシとかで(以下開幕打順)
1横田
2佐藤健一
3愛甲
4高沢
5ディアス
6古川
7佐藤幸彦(←この人だけ俺わからん)
8袴田
9森田
投村田兆治
--
その秋に初芝が入ったオーダーとか
翌年 高橋慶彦が入ったオーダーとか出て まあ楽しい。
オリオンズファンにはおすすめ。
当時、古川が「ポスト落合 スラッガー一番手」とか
おされていたニュースを子供心に覚えてる… わからんて佐藤幸彦は現浦和の寮長やがな
千葉市出身2004年まで現役 ロッテが半世紀の間に球団に投下した金額は百億をゆうに超えるだろな >>504
そら大毎球団との業務提携の段階で当時のカネで6億円を無利子融資して、
しかもネーミングライツ使用料として年8000万円も追加で払ってる。
球団の経営や運営に一切口出し出来ない条件で初年度だけで6億8000万円よ当時のカネで。
そら投資総額は100億円超えとるわね。 川崎劇場前後から長らく年間30億ぐらい赤字出して
ロッテの宣伝費の1割を占めたからなあ お菓子のメーカーが球団経営してそこまでお金を出したのはすごいことだよ
亀屋万年堂とか文明堂が球団経営してドーム球場を建設するのを想像できないからな >>507
ロッテがお菓子メーカーって…本気で言ってるの? 東京オリオンズ最終年の試合
負け試合だけどアルトマンの激走、成田の投打に渡る奮闘ぶりが見られる
【劇的サヨナラホームランで2年連続リーグ優勝】プレイバックORIX〜1968.10.11 阪急vs.東京〜
https://youtu.be/nCvfr6oqtMw >>509
観客がグラウンドに入りこんじゃう大らかさが当時だな
あと客の少なさがパ暗黒時代を象徴している 10.19の次の年最後の最後に近鉄のマジックを減らしたのはロッテなんだよな
もしあの試合でオリックスがロッテに勝っていたら
近鉄は残り2試合をマジック2で戦わないといけなかった
しかもそのうち1試合は西武戦 毎日ユニ、榎本の背番号3を入れて買ったけどリアルタイムで毎日ユニを観ていないだけに新品の綺麗なユニホームは草野球チームのようにも見える 昔、雑誌の企画で川崎球場で
高橋由美子と金田監督がキャッチボールしてたな 鹿児島に帰って定岡正二が立ち上げた社会人?チームの手伝いをしてると聞いた覚えがあるが
それももう10年以上前になるかも 別当さんは兵庫大阪より本籍地の方が縁が深いんだな
尾鷲 別当薫さん生誕100年 記念碑保存会、子どもらにボール贈呈 三重
https://www.47news.jp/5172197.html 高橋由美子はロッテCMの関係で川崎最終年にイメージガールみたいになってた。
始球式もあったはずだが、ボールガールの格好が可愛すぎた。 >>521
自レス失礼
ざっと読んだ中で有藤氏のインタビューで
・金田監督は試合前、球場に来るギリギリまでゴルフをしていた
・1973年の八木沢投手の完全試合の時、消化試合だったので、金田さんはいなかった…当時は体調が悪いということになったみたい、色々あった方、それもまた、金田正一
・仙台(正確には仙台は本拠地ではなかったが)・川崎と、しっかりした本拠地でなかった
いい環境でやっていれば、もっと良い成績が残せたのではないか
・いずれ監督をやりたい気持ちはあり、コーチやスカウトの経験もしたかったし、アメリカに勉強しに行きたかったのに、コーチが全員決まって、あとは監督だけという状態で「やってもらわないと困る」と言われた
・千葉に行ってもオリオンズの名前を残してほしかった
だから僕は「マリーンズ」とは言わない、「ロッテ」と言う >>521
自レス失礼
ざっと読んだ中で有藤氏のインタビューで
・金田監督は試合前、球場に来るギリギリまでゴルフをしていた
・1973年の八木沢投手の完全試合の時、消化試合だったので、金田さんはいなかった…当時は体調が悪いということになったみたい、色々あった方、それもまた、金田正一
・仙台(正確には仙台は本拠地ではなかったが)・川崎と、しっかりした本拠地でなかった
いい環境でやっていれば、もっと良い成績が残せたのではないか
・いずれ監督をやりたい気持ちはあり、コーチやスカウトの経験もしたかったし、アメリカに勉強しに行きたかったのに、コーチが全員決まって、あとは監督だけという状態で「やってもらわないと困る」と言われた
・千葉に行ってもオリオンズの名前を残してほしかった
だから僕は「マリーンズ」とは言わない、「ロッテ」と言う ベースボールマガジン購入した。とても良かった、が。榎本にはあまり
ふれてないのが少々残念だった ベースボールマガジン購入した。とても良かった、が。榎本にはあまり
ふれてないのが少々残念だった ベースボールマガジン購入した。とても良かった、が。榎本にはあまり
ふれてないのが少々残念だった すまんすまん。1回のはずが、なぜか3回も書き込まれている?? >>518
話題になってるベースボールマガジン10月号の
初芝清のインタビューで
「昨年亡くなった」と言ってる
愚痴も聞いてくれてかわいがってもらった先輩 >>526
現役時代の榎本さんについて知っている元同僚選手があまり残っていないのかな?
山崎や有藤は若手のころ同僚だったから、エピソードを聞かせてほしい。 七夕の悲劇で黒木がプリアムに同点本塁打打たれたけどフォーク投げなかったのは前の試合でフォークを本塁打打たれたのが原因って書いてたけど本当? あとベースボールマガジン10月号の中では、87年か88年にダイエーに身売りするという話が出てたのには驚いた。 >>524
完全試合の達成実績が複数回ある球場は
後楽園・広島・宮城だから現時点で単独最多記録に一番近いのは宮城かな >>534
読売の南海買収スクープが載った翌月曜発売の
週刊ポストに「ダイエー ロッテ球団買収へ」という記事があった。
昨日の今日ということでもう誰も信用してなかったけどw ロッテ浦和球場の着工が88年半ばくらいだから
売る気がなくなったから二軍設備整備に着手したんでしょーね 重光シニアは岸との約束は守るとして全く売る気が無かった。
シニアが亡くなる直前についに球団が黒字転換したんだよな。
報道によるとロッテがスポンサーとしてNPBに参入した際に、68年当時の金額で10億円以上をオリオンズや大映に支援したみたい ロッテは球団保有は絶対だったけど、ジプシーだったことも有ったし場所にはこだわりは無かったのね。
噂があった福岡移転は>>537にある浦和球場着工が決まった88年には消えていたんだろうな。 >>539
「ロッテ球団」を保有し続けることに目的があったもんねオリオンズ時代は。
南海と阪急が身売りして、次はロッテか?って騒がれたときも重光オーナーが、
「もう累積赤字だけで100億超えてる。売るならもうとっくに売ってる」とコメントしてた。
ただ、小池をドラフトで指名権獲得したときのあの大学講堂の悲鳴で「このままじゃいけない」と
本気で球団経営をやりだしたのよね。
ユーチューブで見たけど想像以上の悲鳴だったわ。 当時はバブル絶頂で湾岸再開発計画が千葉神奈川東京それぞれいろいろできてて
もれなく球場(スポーツ競技場)計画が付いてたから
どれか出来るだろうからそこに行けるだろう
みたいな感じだった
>>539
88年初頭にマリンスタジアムが起工してるから
たぶん連動 バレンタインと広岡の衝突無かったらもっと早くに暗黒脱したろうか… 稲尾氏がロッテを福岡に、と尽力したが
負債の処理や年間指定席数などで地元福岡と手間取っていた。
仮に実現しても川崎より少しマシという平和台
移転先の福岡を【都落ち】という表現していたロッテ。
今のホークスほど支持したか疑問に思う。
当時福岡にいた自分としては再三噂のあったロッテからいきなり南海のダイエー買収と移転が地元紙からスクープが出てその方が良いとすぐ思った。
ツインドーム計画とかもすぐ報道されあぁ地元にしっかり根付こうとしている
と感じた。
そういう意味では千葉移転もロッテにとっては良かったと。
色々な苦難の経緯はあったが 高橋川崎市長(革新系なのに当選後いきなり保守化)がバブル全盛期に鹿島田か武蔵小杉にドーム球場を作るとぶちあげてたが
そうなったら今のマリーンズの成功はなく今も12球団最低のオンボロオリオンズのままだったろう
流しそうめんの会場が鹿島田ドームの外野席になるだけだ 46年ぶりのシーズン勝率1位のチャンスだったのに・・・ロッテクラスター発生 64勝60敗6分(2位) 監督 稲尾和久
1 西村(二) 率.311 本6 打点46
2 横田(右) 率.300 本9 打点51
3 リー(DH) 率.328 本28 打点94
4 落合(三) 率.367 本52 打点146
5 山本(一) 率.293 本10 打点67
6 有藤(左) 率.250 本10 打点51
7 高沢(中) 率.273 本12 打点56
8 袴田(捕) 率.242 本8 打点50
9 水上(遊) 率.243 本15 打点43
村田 24試合 17勝5敗 防4.30
仁科 30試合 12勝13敗 防4.32
荘 34試合 11勝10敗4S 防4.15
水谷 33試合 9勝5敗 防4.28
深沢 15試合 2勝6敗 防6.08
石川 17試合 2勝7敗 防7.45
小川 21試合 2勝3敗4S 防4.67
右田 22試合 2勝4敗3S 防7.29
西井 25試合 0勝0敗3S 防5.90
土屋 33試合 2勝2敗 防4.72
佐藤 34試合 2勝3敗5S 防1.90
梅沢 37試合 3勝2敗6S 防5.37 芦岡俊明って、姓の読みが同じ吉岡知毅入団後(1982年〜)は、場内アナウンスなどがフルネームに変更されたのかな?
他には「ヨシオカ」のアクセント(芦岡は「アシオカ」と同じように。吉岡はシにアクセント)を変えて区別したとか…。 小宮山が解説で言っていた村田の話が面白かったな
現役が重なったのは1年だけなんだけど当時大学を出たばかりの小宮山が
ついていけないほど走っていたんだとか 週刊現代10/24・31号、1985年の落合についての対談(そのうちの一人は有藤氏)と、榎本喜八特集 稲尾和久が解任され
稲尾の後任には現役を引退したばかりの有藤が指名された。
就任直後に主砲の落合博満が中日ドラゴンズに移籍さらに1987年オフにはレロン・リーも退団し
長距離打者を欠いたチームは急速に弱体化
有藤は落合とは確執があったために放出し
代わりに来た上川誠二を使うために二塁手だった西村徳文を三塁手にコンバート
前年からレギュラーとして台頭していた佐藤健一が控えにまわってしまい
共に中距離打者の入団2年目の古川慎一や高沢秀昭を4番打者にせざるを得なくなった
落合の著書によると「(有藤は)監督を引き受ける条件の一つに私(落合)をトレードで出すのが条件」と記している。
リーの妻である美樹リーの著書によると「リーを使わない」「仲の悪い落合の放出」の2つを監督就任の条件に挙げたという。
また有藤は「落合は確かに良く打つが、走れない、守れないではチームプレーが成り立たない。彼がいなくなって、ウチのピッチャーは喜んでいる」と述べている >>550
村田の入団時は小山正明(後の300勝投手)とのやりとりがあったそうだ 小池はロッテに来れば良かったのになあ。
怪我さえ無ければ間違いなくローテ入り出来ただろうし
牛島・伊良部・小宮山といった理論派の先輩がいたから彼らからきっと良い影響を受けただろう うーん、10年ぶりの下克上を期待したが・・・
今のホークスは異次元の強さだわ 首位から14ゲームも離された2位チームが頂上決戦進出なんておこがましい
なんならCSは辞退してもよかったんだ まだそんな事言ってんのかいな
今年のセリーグとパリーグ見てたらやっぱりCSあった方が最後まで盛り上がる
という事が証明されたようなもんだ つか、46年間シーズン勝率1位がないにも関わらず
PO/CS制度のおかげで2回も日本一になってるロッテのファンが
「CSイラネ」とか言ってもねw CSは矛盾した制度だけど、プロ野球を盛り上げるためには必要だと思う 珍プレーで袴田がブライアントに激突して意識を失い川崎の老医者が出てくるをやっていたが、今ならコリジョンルールになるか 仁科時成さん去年亡くなったんですね・・・
100勝した投手なんだから
球団から公式コメントあってもよかったのに 有藤って現役終盤から船橋に住んでたんだが、この頃から既に千葉移転のインサイダー情報でも手に入れてたんだろうか?当時の本拠地の川崎と船橋は真逆の方向。 当時のロッテは結構、首都圏で住居が散らばってたよ。
ジプシーだった名残もあったんだろうが、都内がかなり多くて後楽園、所沢の中間を選んだ結果かも。 変なBGM入れるなよ
変な音は要らない
映像だけの方が良かったな>>509
> 東京オリオンズ最終年の試合
> 負け試合だけどアルトマンの激走、成田の投打に渡る奮闘ぶりが見られる
> 【劇的サヨナラホームランで2年連続リーグ優勝】プレイバックORIX〜1968.10.11 阪急vs.東京〜
> https://youtu.be/nCvfr6oqtMw ロッテが千葉に移転する時に
川崎球場がロッテに対して「移転するなら補填しろ」と言ってきたそうですが
このあたりの経緯ってどんな感じだったのでしょうか? 斉藤明夫がデーブのつべチャンネルで話していたが、森繁和がロッテ拒否したとき、
事前に斉藤・佐藤義則あわせてビッグ3揃ってロッテなら拒否だよな、って示し合わせていたとのこと
>>564
ららぽーとに有賀藤を出したからじゃないかな
意外なのは浅草橋に住んでたこと ゼットの東京本社のすぐ裏手 川崎球場は酷かった
http://p3.fileseek.jp/p/u=https!3A!2F!2Fwww.news-postseven.com!2Farchives!2F20120905_141016.html!3FDETAIL!26_from!3Dwidget_related_pc&f=M&r=Tki8&n=1629787569/?guid=ON
は>>566
> 変なBGM入れるなよ?
> 変な音は??要らない
> 映像だけの方が良かったな>>509
> > 東京オリオンズ最終年の試合
> > 負け試合だけどアルトマンの激走、成田の投打に渡る奮闘ぶりが見られる
> > 【劇的サヨナラホームランで2年連続リーグ優勝】プレイバックORIX〜1968.10.11 阪急vs.東京〜
> > https://youtu.be/nCvfr6oqtMw >>568
当時のロッテはクラウンより入団したくないチームだったのか? どっちもどっちだね
当時は社会人の待遇がプロと変わらないくらいだったから
どこも拒否して社会人に進む(あるいは社会人に残留)ケースが多かったけど
太平洋クラウン時代は九州出身を指名してなんとか入団させていたイメージ
江川の時も一番くじさえ引かなければ西南学院大の門田で決まってたらしい クラウンは巨人から西本を譲るからと言われて三浦広之(結果的に阪急2位)に入札しようという話も出たって本で読んだな
76年は1位8番のロッテ森に続く9番ハム黒田(のちヤクルト)も10番南海・武藤(のちロッテ)も拒否
特に黒田はスカウトとの交渉で食事後、「すき焼きはうまかったけどハムは嫌いだ」という名言を残した 黒田は高校時代は精悍な体型だったが、ヤクルト入りした時は中年オッサンの体型になってた。
これも肉体改造なのね。 これ以上はスレ違いなので… 1970年以来51年ぶりの9月以降単独首位キター! 毎日オリオンズ時代は阪神から若林監督・別当・土井垣・本堂・呉が移籍してきたし、
後に田宮も10年選手の権利を行使して移籍してきた。
東京オリオンズ時代も山崎が高額の契約金で鳴り物入りで入団した。
それなのに、なぜこんなに嫌われるようになったのだろうか? 東京スタジアムに行って見たかったし、榎本喜八も見たかった 日が改まって今日9月7日夕方、NHKBSで、村田兆治氏のNHK特集が放送される >>577
何故もなにも、そりゃロッテなんて得体の知れない企業がオーナーになってフランチャイズも東京でなくなったからに決まってるだろ。 既にガムで有名企業となっていたロッテを得体の知れないって・・・・・・。
只、在日コリアンが設立した企業であるが故の胡散臭さ(多分に民族差別的な意味合いも含んで)を感じる人は多かったろうけど。
球団&携帯事業を手に入れる前のソフバンが似たようなイメージが付き纏った(今も多分に残っているが)のと同じ。
カネヤンが監督していた時は、カネヤンの圧倒的な実績と顔でカバー出来ていたんだろうけど。 >>579
トミージョン後の1985年放送だからか裸になる場面が多かったけど、
脱ぐとさほどマッチョでもなくむしろちょい痩せぐらいだった
ただマッサージを受ける筋肉は柔らかそうだった 東京スタジアムを失ったのは痛かった
もし東京スタジアムを維持できていたら、「東京下町の地元密着球団」としてヤクルト
くらいの人気は保っていた 福岡野球時代のライオンズが貧乏だったのは親会社を考えればしかたないが
親会社のロッテグループの規模を考えれば川崎球場時代のオリオンズが
あんな劣悪な環境だったのはおかしい
「ロッテは球団経営についてやる気がない」と思われるよ
小池の一位指名で大恥をかいてようやく球団改革に動いた感じ 横浜スタジアムの本拠地が実現していたら、印象は違っていただろうね。 ロッテの球場施設は確かにひどかったが村田や落合は世田谷の一等地に戸建を構えられるほどの
給料は貰ってた 小池秀郎「村田さんですら7000万しかもらってないんでしょ?ありえませんよ」
有藤の船橋市宮本の家をグーグルマップで見てみなよ ほんまショボいから 本拠地が無いってのは致命的だったね。これじゃ不安になるわな。
それでいて給料は安い。成田、木樽辺りは今の時代なら5億円プレイヤーだよ。 東京スタジアムはフィールドは狭かったが設備は当時の最新だった
川崎球場は老朽化が凄まじくトイレは男女共用の汲み取り式だった 木樽成田で5億はありえんだろ
村田やロッテ時代の落合位の成績残したならともかく 川崎市が新川崎駅周辺を再開発して新球場を建設するプランもあった。
日本ハムが移転を検討していたとか。 1シーズン制で勝率1位での優勝なら1970年以来51年ぶり
1シーズン制で勝率1位での優勝→日本一なら1950年以来71年ぶり ファン以外には殆ど知名度ない選手ばっかり(一番知名度あるのは新人の佐々木)
でほんとよくやってるわ。これぞロッテ 51年ぶりのマジック・・・デネ━━━━(T_T)━━━━!! 51年ぶりのマジックナンバー9デタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 【データ】ロッテ136試合目の首位、M6 球団史上最も試合数を消化
https://news.yahoo.co.jp/articles/761e452f15ddc62a60abd8585ef9dce3583295d7
ロッテが9月30日以来の首位。開幕136試合目の首位は60年の133試合目を上回り、
球団では最も試合数を消化した時点での首位になる。 >>599
長打力がすごい打線だな
オリオンズはミサイル打線解体で貧打になっていたが、このころには重量打線になっていた TV版「キャプテン」の城東市民球場は東京スタジアムがモデル? (2階席はちょっと小っこいかも…) 西本幸雄さんにもう一度オリオンズを率いてほしかった
そして、今度こそ日本一になって永田ラッパを見返してほしかった >>584
ロッテが、指定管理者になってなかったてのが
大きんじゃないかな?
おまけに川崎市自体が、人口急増で
インフラ整備に追われて野球場どころでは
なかったてのもあるかも 10.19あたりにはすでに交通の便も変わってたし仙台に戻れば良かったんじゃね?
でも金田がどんなに環境良くなろうが仙台に帰るは無いというスタンスだったらしいからな
東北シリーズも有藤あたりまであったのが無くなったしよほど金田にとっては嫌だったのかも >>605
指定管理者制度が出来たのは2002年だからロッテが川崎本拠地の時代に民間企業の管理委託自体が無かった 終戦
またしてもシーズン勝率1位はならず47年連続 ムリだろう
オリには3勝のアドバンテージがある
(優勝1+山本2) >>607
川崎球場は市と地場大手が出資のの株式会社が運営していたな。 >>586
横浜スタジアムW本拠地構想の時期は、ロッテは優勝争いの常連、大洋は5位6位が定位置。
ロッテはそんな大洋よりイメージ悪いのか。 愛甲がデーブのyoutubeに出てるけど、やっぱり有藤ってとんでもないな >>612
ロッテがどうのこうのというよりも、
パリーグそのもののイメージが悪かった 元ロッテ首位打者が保育士に挑戦 63歳高沢秀昭さん、来春デビュー予定 「人生が豊かになった」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/151024 >>615
実は俺もずっと保育士とか保父とかになりたいなーと思っているんだわ(´∀`*)
すっかり粗っぽい性格となった今だと正直難しいだろうなーと諦めているけど、ちょっと希望が湧いた。 高沢って首位打者の2年後には広島にトレードされてるんだよな。
相手は高橋慶彦だったけど、これ今思えばかなりの大型トレードだよな。
結果はどっちも活躍できず、高沢はわずか1年でロッテに戻ってきたけど。 >>620
高橋慶彦の付属品のような移籍の白武佳久がそこそこ使いモンになってたな >>623
1986/9/17
西武と南海の応援歌パクりしてるのに時代を感じる この時って川崎応援青年団って自前のオリジナル応援歌が全くなかった頃だっけ? ロッテの夢は観客動員1万人のやつは応援団結成前からあったと思う
あの頃のパリーグはどこのチームもダッシュ慶応演奏してたし、オリジナル応援歌があるチームの方が珍しい時代だよ
闘魂マーチを演奏してたのは記憶にあるが >>623
大相撲みたいに出身地をアナウンスしてたのか
ソフトバンクもやってるっけ? >>628
リー兄弟、サクラメント出身
マドロック、シカゴ出身
ディアズ、サンフランシスコ出身
ヘンゲル、きょうも元気です 当時の応援は知らんけど古川の打席だけでデストラーデ、秋山、清原、辻とか流石に欲張りセットすぎるな
こんなんが当たり前だったのか? 川崎応援青年団になってからもダイエーカズ山本の応援歌を普通に演奏してたからそんなもん
当時はユルかったとしか言えない >>632
86年はデストラーデじゃなくブコビッチ >>628
少なくとも谷保さんになってからはやってないはず その30人のひとりとなる選ばれし者の恍惚と不安
ほとんど徳川二十八神将と同じレベルである 川崎時代、当時ショート守ってた水上曰く
「村田さんはエラーしたら凄い顔で睨んでくるし、セカンドの落合は動かないし、サードは有藤さんだし、ファーストではレオンが口笛吹いてるし」だったとかwww >>638
ベーマガの川崎郷愁でのインタビューね。その本なら庄司のインタビューが貴重だった。 >>621
そう考えると2回首位打者になった角中は偉大だったんだなw 弘田 池辺 ロペス アルトマン 有藤 山崎 千田 醍醐 代打得津 井石
最強のオーダー ロッテの黄金期はバレンタイン時代ではない!金田正一率いるジプシー軍団が破竹の勢いで日本一になった1974年
●1974年のロッテオリオンズ
長いプロ野球の歴史の中で、どの球団にもある“黄金時代”。今回は現・千葉ロッテマリーンズの前身である、ロッテオリオンズが最も輝いた、1974年をフラッシュバックする。
1974年成績:130試合
69勝50敗11分(前期2位/後期1位/PO優勝)
打率.265 本塁打114 防御率3.18
監督:金田正一
日本シリーズ結果(対中日):4勝2敗(日本一)
金田正一率いるジプシー軍団が破竹の勢いで日本一に
千葉に本拠地を置き、昨季は2位という好成績でシーズンを終えた千葉ロッテマリーンズ。このロッテの黄金時代といえば、30代前後のファンは名将・ボビー・バレンタイン監督による
「ボビーマジック」と称される采配でリーグ2位からプレーオフを制し、日本一に輝いた2005年シーズン、
あるいは、西村徳文監督がリーグ3位からクライマックスシリーズを制し日本一となった2010年シーズンを思い浮かべる人も多いだろう。
しかし、このロッテの真の黄金時代というのは、本拠地を千葉とする前の、川崎球場時代よりももっと前になる、宮城県仙台市にある宮城球場(現・楽天生命パーク宮城)を中心に、
首都圏では後楽園球場、明治神宮球場、川崎球場を転々として主催試合を行った“ジプシー・ロッテ”時代に日本一となった、金田正一監督率いる1974年のロッテオリオンズに他ならない。
金田監督は、その後長く解説者・評論家として活動したこともあり、プロ野球界のご意見番としての印象が強いかもしれないが、監督時代はまさに“激しい”監督で、
相手チームや選手たちに感情をむき出しにすることも多く、そんな監督に鍛え上げられたチームは、最強軍団という名に相応しいチームだった。
リーグ最強の投手陣と破壊力のある打線がウリ
1974年のロッテオリオンズは、とにかく投打に多くのタレントを揃えていた。まず、特出すべきは投手陣。
現役時代、国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)や読売ジャイアンツで活躍した大投手であった金田監督が指揮することもあり、
先発投手のその殆どがタイトルホルダーという盤石の投手陣を誇っていたのが特徴でもある。
この年、16勝をあげ最多勝を獲得することとなる金田監督の実の弟・金田留広は前々季1972年最多勝投手。チーム内ではその次に多い13勝をあげた木樽正明も、その前年の最多勝投手だった。
その他にも、成田文男は前年の最多勝、最多奪三振を獲得しており、八木沢荘六は前年最高勝率を記録している。さらに、そこにあの「マサカリ投法」で有名な豪腕の村田兆治も加わっているとなれば、
それは近年のプロ野球でも類を見ない最強の投手陣と言えるのが分かるだろう。また、投手陣の中には、技巧派の水谷則博、その年の新人王を獲得する三井雅晴らが控えており、
名だたる先発陣を含め、任されれば誰でも先発、中継ぎ、抑えをきっちりと仕こなすだけの実力があった。
そして、その最強の投手陣を支えていたのが破壊力のある打線だ。チームの4番を任されていたのは、197センチという高身長で、1968年の来日元年には、打点王とベストナインに輝くなど、
日本球界で安定した成績を残していた元メジャーリーガーのジョージ・リー・アルトマン。カブス、メッツ、カージナルスなど、名だたる名門で活躍し、
この年で来日年目の歳というベテラン選手であったアルトマンだが、来日から7年連続20本塁打を放った大砲であり、この年には6試合連続本塁打というパ・リーグタイ記録も樹立。
シーズン途中に大腸癌による離脱を余儀なくされるも、まさに獅子奮迅の活躍でリーグ優勝に大きく貢献した。
アルトマンの他にも、3番打者に「ミスターロッテ」と呼ばれた名三塁手の有藤通世、5番打者に1970年ロッテ“ミサイル打線”の一角を担った山崎裕之、
6番に元メジャー、ドジャースから加入したジェームス・ケネス・ラフィーバーというメンツを揃え、3番打者から6番打者までが2桁本塁打を放つという強力な打線を誇り、
阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)、太平洋クラブライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)という宿敵チームの投手たちから得点を量産したのだ。
出典:『がっつり! プロ野球(28)』 過酷な移動やトラブルなど苦難の連続を乗り越えて
特定の本拠地を持たず、首都圏と宮城県仙台市で主催公式戦を行っていた“ジプシー・ロッテ”である当時のロッテオリオンズは、シーズン中常に移動を繰り返さなければならなかった。
リーグ制覇を目指すチームにとって、この過酷な移動は大きな足かせと言ってもいいだろう。球団の事務所、合宿所は前身の東京オリオンズ時代から継続して東京都内に置き、
首都圏での試合は東京近郊の自宅から、仙台でのホームゲームはホテルに宿泊するという生活は、チーム全体を疲弊させたに違いない。
当時のパ・リーグでは、東京を本拠地とする日拓(現・北海道日本ハムファイターズ)以外、関西で3球団、九州で1球団と西日本に本拠地を置くチームが多く、
移動日を計算してもシーズン中は移動ばかりで体を休ませる時間はほとんどない。この状況でもリーグを制覇し、日本シリーズでも勝利した当時のロッテは、それだけでも非常に屈強な軍団であったことがわかるだろう。
さらに、もう1つ彼らを苦しめたのが、前年から続いていた太平洋との遺恨問題だ。ロッテの優勝を支えた強力打線の一角、ラフィーバーの入団をめぐり、
争奪戦を繰り広げた太平洋との間に大きなしこりが残ったことで、球団側だけでなく監督、選手、ファンを巻き込んだ不毛な小競り合いを続けていたのだ。
この遺恨問題は、金田監督が退場する乱闘劇や、試合に警察の機動隊が出動する大事にまで発展することとなるのだが、結果的には選手、ファンの心に火をつける要因にもなったのは間違いないだろう。
そんな、数ある苦境の中でもロッテは勝ち星を重ねていき、シーズン前期(当時のパ・リーグは前後期制)を阪急に次ぐ2位で終えると、後期は猛追する南海から逃げ切っての優勝を決め、勝率1位でシーズンを終えたのである。
その後ロッテは、前期を制した阪急とのプレーオフでも3連勝し、この年のパ・リーグ優勝を暫定本拠地の宮城球場で飾ることとなる。
過酷なシーズンを戦った選手たちも、金田留広の投手冠とベストナインをはじめ、三井雅晴の新人王、正捕手・村上公康、有藤通世のベストナインとダイヤモンドクラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)受賞など、数々のタイトルを獲得した。
リーグ最高勝率での日本一はこの年から達成していない
まさに破竹の勢いとも言える闘いでパ・リーグを制したロッテだったが、その勢いのまま迎えたセ・リーグ覇者・中日ドラゴンズとの日本シリーズ。
3戦目まではエース・星野仙一、高木守道らを擁する中日に2勝1敗と先行を許すも、その後は投打に選手たちが奮起し3連勝。最終的には4勝2敗でロッテが24年ぶり2回目の日本一に輝き、
弘田澄男がMVPを、村田兆治が最優秀投手賞をそれぞれ獲得。就任2年目にして日本一となった金田監督は、技術だけでなく、体力面や精神面で強いロッテを作り上げたのである。
実は、ロッテはこの年を最後に現在まで、リーグ勝率1位になっていない(2005年は勝率2位、2010年は勝率3位での日本一)。これはプロ野球史上最長の珍記録である。
それ故に、この年のロッテオリオンズが、間違いなくロッテの“黄金時代”と言えるのだ。
ちなみに、金田監督はその後も続投。川崎球場に本拠地を移した2年目の1978年までと1990、1991年も監督を務めたが、いい成績を残せていない。
また、この年の日本シリーズでのホームゲームは観客動員数などの設備上の問題から、宮城球場ではなく後楽園球場で行われており、日本一決定の優勝パレードも仙台ではなく東京・銀座で、行われた。
つまり、仙台の野球ファンにとっては、後に誕生する東北楽天イーグルスが達成した2013年日本一が、長年待ち望んだ地元球団による最初の優勝パレードとなったのである。
出典:『がっつり! プロ野球(28)』 4回の日本一の内、1950年、1974年、2010年と何と3度も寅年というロッテ。
さて今年はその寅年だが、果たして。。。。。。 1984年は前年最下位かつエース村田が故障不在で誰もが最下位予想であったが深沢石川仁科の三本柱が安定し一時は阪急と優勝争いを演じ最終2位にこぎつけた
翌年は落合がキャリアハイとなる三冠王、前後を打つリーと山本も好調、西村横田の1、2番コンビも3割を打ち打撃陣は絶好調
ただ投手陣が村田が復帰し好調、荘勝雄も安定した投球を見せたが深沢石川が絶不調、村田と荘勝雄以外の投手陣が軒並み不調で首位西武と大差の2位
この年に深沢石川が前年並みであれば優勝の可能性もあっただけに惜しまれた 来週の仰天ニュースで小川博の事件を取り上げるみたいだぞ >>650
ロッテの背番号26は「ファンが26番目の登録選手」と言うことで、ファンの背番号ということにして現在欠番となっているが、
それは建前で、球団が現役時代小川博がつけていた背番号26を封印するためとの説がある。
ちなみにロッテの背番号26は小川博引退後1993-2002年に和田孝志、2003-2004年に酒井泰志が着用→2004年オフに小川逮捕、
2005年以降欠番化&ファンの背番号となっている。
この経緯を見ると、一部のロッテファンが欠番化を小川の件と結びつけたくない気持ちは分かるが、
小川の逮捕が欠番化と無関係っていうのは無理があると思う。 元ロッテ首位打者・高沢秀昭さん、63歳で保育士に転身…還暦過ぎてから学校通い保育士資格も取得
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/5805c73fe60de164a93ee57e3e83d5ce174eab5d 佐々木朗希、94年槙原以来28年ぶり、パリーグでは78年今井以来44年ぶり
球団では73年八木沢以来49年ぶりの完全試合達成
1試合19奪三振も95年野田に並ぶ日本記録
13連続奪三振は57年梶本の9連続を65年ぶりに更新する大記録 訂正
9連続奪三振は58年に土橋も記録しているので64年ぶり 谷保さん1軍通算2000試合アナウンス達成おめでとうございます。
東京ドームで長年場内アナウンスを務め上げて、昨年だかに引退された山中美和子さんもそうだけど、ここまで長く務め上げるのはホントに大変だったでしょうね・・・
いずれは谷保さんも引退される時が来るでしょうが、その時までは、その美声でマリンスタジアムを盛り上げて頂きたいものです。 組織の中身は、表向きの系譜とは逆に毎日が消滅して大映が存続したようなものだったな。 榎本自身も晩年になってからファンレターが届くようになって驚いたらしい。 大好きだったけど〜肩が〜弱過ぎる〜
大好きだったけど〜打力も〜無さ過ぎる〜
バイバイ〜マイスウィート青柳〜トレードしてあげるわ〜 井口監督続投報道・・・・・。
優勝を争った昨年、一昨年も疑問に思う采配は数多くあった。
だが、連続2位フィニッシュっていうロッテ史上でも稀な結果を残したからそこまで気にはならなかった。
そして今年。
功労者とはいえ、契約事項に何かがあるとしか思えないほどの、不振のマーティン、レアード重用。
打線が冷えている中で調子が悪くなかった山口や菅野、和田の冷遇。
そしてオスナを取ったのに、シーズン当初から不安定だったにもかかわらず、しばらく変わらなかった益田の起用法。
ただただ、ガッカリ。
昨年あと一歩というところまで行っての今年の体たらく、という落差のせいもあるけどね。
今年だってそんなことしてなければ、何試合も拾えて優勝争いに食い込めたかもしれないのに。
そもそも若手が育たない土壌、選手自身の問題でもあるが。
契約事項というと、今回の続投報道を見る限り、井口監督も例外じゃないかもしれないね。
もう、ある意味諦めてる。
せめて来年は首脳陣も少しは成長していただきたいところ。 “マサ力リ投法“元プ口野球選手・村田兆治容疑者を現行犯逮捕 羽田空港で女性検査員に暴行容疑
https://ndjust.in/DrNIzGWw 早く釈放してくれ
早く釈放してくれ
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早く釈放してくれ
早く釈放してくれ
早く釈放してくれ ふだんは愛甲やディアズほど粗暴な印象なかったけどな… 本人が昭和生まれの明治男って言ってたし、あの時代のパで200勝したような人だからアクが強い人ってのは想像つく 仕方ないやろ
井口続投ってことでイライラしてたんだよw >>685
確か日テレが川崎球場での村田兆治200勝挑戦の先発登板試合を2回実況生中継したんだよな。
1回目の中継視聴率は夜の巨人戦中継視聴率を上回るも、
2回目は中継が始まった時間には既に村田は降板。
二匹目のドジョウとはならずと翌日のスポーツ新聞に書かれていた記憶が。
三度目の正直が、この山形での試合だったはず。
この試合は確かテレ朝が中継したんだっけ? 招待されて来日したジョーブ博士と奥さん、お母さんも客席にいたの映されてた
奥さん大分めかし込んでた 成田と木樽、金田留宏は衰えるのが早かった
その後は村田が突出したエースになった 成田 木樽 八木沢 村田の時代 よかったな
村田 仁科 水谷 倉持の時代もあった 新監督吉井に決まったけど
初芝堀福浦小坂サブロー小宮山黒木清水直この辺誰も監督やらないのか?
別に生え抜きにこだわる必要は無いけどさ 我が川崎市、過去にオリオンズ(もっと前にはホエールズにも)やヴェルディにも
他所へ逃げられた事を思うと、今のフロンターレの人気と自治体からの力の入れようも、
本当に感慨深い物がある…… ヴェルディはしょうがなく等々力を本拠地にしてて当初から出ていく気満々だった。
Jリーグ最初期は呼称を読売ヴェルディで通し、川崎を名乗ることを頑なに拒んでいた。
(読売日テレ系は他にも日産横浜マリノス、パナソニックガンバ大阪、三菱浦和レッズといったように企業名を付けて報じていたけど) まあフロンターレの親会社は武蔵中原にデカい工場持ってるからな
川崎市も大切にするだろう オリオンズはもう一度、西本さんに監督をしてほしかったな
昭和35年の日本シリーズの雪辱を果たしていただきたかった 落合放出は中日が出血覚悟のはずがどう見ても中日が得しているんだよね
上川は良い選手だけど当時のロッテにはああいうタイプの選手はいたのに上川をとってどうすんだよ >>700
阪急近鉄で無理だったのに…
1974年に監督だったとしても勝てたかどうか >>700
監督 西本幸雄
ヘッドコーチ 山内一弘
守備・走塁コーチ 小森光生
作戦コーチ 沼澤康一郎
投手コーチ 植村義信
打撃コーチ 榎本喜八
バッテリーコーチ 醍醐猛夫
スカウト部長 三宅宅三
GM 別当薫 昭和のプロ野球は光と影で成り立っていた
光とはもちろん巨人を中心としたセ・リーグのこと
裏世界のパ・リーグには、しかし閑古鳥の泣く薄暗い川崎球場に栄光の巨人軍も歯が立たない日本一の凄いピッチャーがいた
その名は村田兆治
当時のパ・リーグの存在意義を証明してくれた英雄の一人だった 【ロッテ】村田兆治さんとのステーキの味も覚えていないほど衝撃のひと言 福沢洋一さん回想
ロッテOBの村田兆治さん(72)が11日、亡くなった。多くの人が衝撃を受けた。福沢洋一さん(55)もその1人だ。「ニュースを見て、ビックリして。言葉にならなかったです」と言葉を絞り出した。
ひと呼吸置いて、じわじわと記憶が明瞭になっていく。「2年目に開幕戦でバッテリーを組ませてもらった時がフラッシュバックしました」と振り返った。
1990年(平2)4月7日、大阪の夜を福沢さんは忘れもしない。88年ドラフト外で入団し、強肩捕手として2年目の開幕ベンチを勝ち取っていた。オリックスとの開幕戦を翌日に控え、福沢さんは村田さんに食事に誘われた。
「2人っきりで。何だろうなとドキドキして。ドキドキとうれしさが交差する感じでしたね」
ステーキを前にして、当時40歳の村田さんから突然、告げられた。
「明日、頼むから」
金田新監督からも全く聞いていなかった開幕スタメンマスクを、18歳年上の大先輩から直接、面と向かって通知された。ドキドキは最高潮。「ステーキの味も覚えていないくらいで」。その後はゆっくりと野球談議を交わした。
翌日の開幕戦は8番捕手でフル出場。1失点完投に導き、大ベテランの信頼を勝ち取った。バッテリーを組むようになって、さらにとことん鍛えられた。
「直球の威力は見たことないし、フォークは見たことないところでワンバウンドしてましたね。それを『止めろ、止めろ』と。ベース板の何メートル前でバウンドしても『止めろ』と。それくらい厳しく言われましたね」。
村田さんは試合に入り込むタイプだったという。そこに合わせる。「顔色を見ながら。スイッチ入った時はすごい球を投げてくるので」。必死に捕り続け、技術も磨かれていった。
福沢さんは03年に現役引退し、他球団も含めてコーチや2軍監督を経験し、19年からは古巣でスカウトを務めている。村田さんのオリオンズ時代から、ロッテに受け継がれているものはあるのだろうか。
「いいのか悪いのか別として、投手同士で本来だと教え合ったりはないんですけど、けっこうこうだよああだよとアドバイスを送ることが多かったんですよ。でも教えても、そう簡単にできることではない。『オレ、それ以上頑張るから抜けないよ』というような伝統がありました」
協調しながら、高め合う。自身がスカウトとして担当した高部瑛斗外野手(24)や佐藤奨真投手(24)らもそうやって、立派な1軍戦力に成長した。
訃報に接したこの日午後、福沢さんは神宮球場のスタンドにいた。ドラフト1位指名した専大・菊地吏玖投手(22)の投球を熱心に見守った。村田さんの思い、ロッテの伝統を未来へつなぐべく、全国を駆け回る。 川崎時代末期は青柳、福澤、猪久保で正捕手を争ってたな。
そういや兆治さん最後の完封は青柳だった。
青柳をトレードに出さなければ、その後のロッテの歴史は変わってたかも? いちおう定詰もいれたれ
いずれにせよドングリで勝者なしだが トレードと言えば大洋から移籍してきた右田。移籍当初は良かったものの…。
交換相手の欠端が息長く活躍しただけにねえ…。 >>706
>>710
本来は毎日オリオンズが
パリーグの読売巨人軍になるはず…
毎日新聞が不甲斐ないために… 昭和58年9月18日 日曜日。3万人の大観衆が集う本拠地・西武球場。相手は因縁の古巣ロッテである。
通算2000本安打にあと1本と王手をかけて臨んだこの試合、山崎は0-0で迎えた3回裏の第2打席に
ロッテの元チームメイト仁科時成投手から先制タイムリー三塁打を放ち、見事史上18人目となる通算2000本安打を達成した。
長いプロ野球の歴史の中で節目の2000本目の安打が三塁打だったのは、この山崎ただひとりである。
プロ入り19年目にしてようやく辿りついた大記録。三塁ベース上で大勢のファンから拍手を浴びた“寡黙な職人”山崎も
このときばかりは笑顔で白い歯がこぼれ、同い年でロッテ時代の盟友・有藤道世三塁手とも握手をかわした。
その握手の相手有藤はそれから2年後の昭和60年7月11日、阪急期待の若手・星野伸之投手から
三塁線へ二塁打を放ち史上20人目となる通算2000本安打を達成した。38歳での偉業達成である。
2年前のあの日、大観衆の祝福を受けた山崎とは対照的に、平日の人影まばらな川崎球場で花束を受け取り
やや恥ずかしそうに笑みを浮かべた“ミスターロッテ”有藤道世。 これもまた男の人生である。 上川誠二って顔面神経痛なんか?
いつも鼻の筋肉上にあげてるな 帰ってきたウルトラマンの主演・団時朗さんが亡くなって最終回が期間限定公開されています
5:30ぐらいからと17分ぐらいから在りし日の東京スタジアムが高画質で見られます
https://www.youtube.com/watch?v=6hRiyKqvcYA 桃太郎のマスコットはロッテオリオンズになった後もしばらく使われていたのか。
1971年のファンブックの表紙にも載っていたが、「TOKYO」を「LOTTE」に改変していた。
なぜか表紙は「東京ロッテオリオンズ」となっていた。
バブル坊やになったのはいつ頃かな? >>725
読売ジャイアンツが毎年キャンプしてる宮崎のサンマリンスタジアム、
これを外野席を狭くした(段があまりない)感じだよね。 >>19
年間使用料が高すぎてロッテには払えなかったからロッテは撤退したみたい 永田ラッパの息子って飲食の経営コンサルやってて
永田ラッパのチャンネル名でユーチューブもやってるのか 有藤って原みたいな成績続けて名球会に滑り込んだ印象しかない 単年の成績だけ見ていると原よりも石毛に近いんだけどね >>730
現役当時見てない人?数字云々よりミスターロッテに相応しいオーラはあったよ
今20本塁打20盗塁を5回出来る選手はなかなかいない
山田哲人が超えるかと思ったが無理そうだし >>725
この時点でまだ出来て10年ほどだと思うけど、スタンドが随分汚く見える
フィルムが劣化してそう感じるだけかも知れないけど
個人的には東京球場は川崎球場に二階席を加えたような印象 巨人が築地に移るのなら、
ロッテが東京ドームを本拠地にして
東京オリオンズの名称を復活させたらよいのでは。 >>728
賃貸じゃなく買い取れと言われたから、使用を諦めたんじゃなかった。 そんなのはどうでもいいけど何でメジャー日本人の批判をするとすぐ挙げるのか >>732
衰えてスタメン落ちのお好み焼き屋→やったらデカいマユナシヘボ監督 の頃からしか見てないからな
あのガタイで三拍子そろってたのなら相当見ごたえあっただろうに残念だ >>732
俺も現役全く知らないが、走攻守揃って、他の選手から見てもカッコよかったらしい。 >>459
遅レスですが
得津が江本のyoutubeで「榎本さんがおかしな方向へ行ったのは西鉄に移籍してからだ。」と話していたが、理解者の醍醐さんと離れたのも原因だったのかも知れない。 ミスターロッテ…
親会社の社名で呼ばれるなんて有藤だけじゃない?
他球団ではミスタージャイアンツ、ミスタータイガースなど
それなりに由緒ある「オリオンズ」の名を軽視されてるような ミスターロッテという呼び方に、軽い揶揄を感じるのは私だけだろうか。 ミスターオリオンズ!
うわ〜 何て素敵なネーミングだろう 栄えある第一回日本選手権シリーズ覇者の名だったのにオリオンズ >>747
実質ロビンスの自滅つうか片ヤオつうか。
何せ第6戦でロビンス選手達の憎悪の対象となっていたエース真田が三塁に付いてて(彼は打撃もユーティリティ選手としても非凡なものがあったという)、
彼から二塁への送球を二塁金山がソッポ向いて取ろうともせず
球が転々と転がる間にオリオンズの二塁ランナーがサヨナラのホームインつう
ロクでも無い結末だったからなw オリオンズ、そしてブレーブスの名称は残すべきだったと思う ミスターオリオンズなら、山内か榎本の可能性もあるね
だから、有藤はミスターロッテだったのかも
ミスターブレーブスは長池だと思うけど、あまり呼ばれているのを聞かないね ミスターオリオンズと言えば榎本つう人もいらっしゃた様な。
本来ならその称号に値すべき筈の山内は
全盛期に阪神に去ったからつう事みたいだけど。
その榎本も現役晩年は例のような感じで
引退後は一切プロ野球に関わらなくなってしまったんでなあ。
有藤がミスターと呼ばれていたんは
ミスター長嶋と同型の三塁手と観られていたんも大きかった様で
ミスターオリオンズだと山内、榎本辺りを連想させるんで
ミスターロッテになったんじゃないかと。 そういえば2024年は、「オリオンズ」としては最後の
リーグ優勝&日本一(1974年)50周年ですな 2024年は
●ベーブ・ルース、日米親善野球での来日 (1934年) 90周年
●中日ドラゴンズ、セ・リーグ初優勝&日本シリーズ初制覇(1954年)70周年
●福岡時代の西鉄ライオンズ、パ・リーグ初優勝 (1954年) 70周年
●大阪時代の南海ホークス、最後の日本シリーズ制覇(1964年)60周年
●オリオンズ時代のロッテ、最後のパ・リーグ優勝&日本シリーズ制覇(1974年)50周年
●西宮時代の阪急ブレーブス、最後のパ・リーグ優勝(1984年)40周年
ついで
● 読売ジャイアンツ、10連覇ならず(1974年)50周年
● 読売ジャイアンツの長嶋茂雄現役引退(1974年)50周年 マー君の威を借る安楽智大似事件?
女性が性暴力・いじめが原因でPTSDを発症し、
泣き寝入りして、苦しんでいます。
https://archive.is/rKT1h
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https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/vcamera/1695083351/
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