【120km】 昭和に活躍した投手の球速 【今じゃプロ無理】
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80年代前半の星野仙一やら定岡の投球をYouTubeで拝見できるが常時120km台で高校球児以下扱いされてた。一部の速球派投手を除いて、この頃の投手達って皆、こんな感じだったの? >>213
津田は飛ぶ球の時代にピークだったからな。相対的に評価が上がった。 津田は貧打時代の88年で防御率3点台後半で毎日のようにサヨナラ負け食らってたけど 江川とか山口高とかは球がホップするから
打てないといわれてたわけで、、
藤川だって147kmくらいだったろ 江川山口津田伊藤智は伝説に尾ひれが付きすぎだろw
特集するたびに虚像が肥大化してる >>209
1980年代の投手は本格派でも総じて奪三振率が低い。江川・小松・遠藤など。完投するためには三振より一球で仕留める方が経済的という話なのか。
分業制が進んだ90年以降、打者の三振率が高くなる 低めにズドンっと思いっきり投げてもストライクにならないから。打者も振らないしね。
80年代後半になって低めを取るようになって投手の投球が大胆になったんだね。
打者の自打球が増えたのが当時の印象。やはり落ちる球が増えたんだね。あの頃から打者は
みんなちゃんとレガースをして打席に立つようになった。 三振率が高くなったのは、
フォークボールなど空振りが取れる球を投げる率が増えたからでしょう。
昔はワンバウンドになるような球を振るケースはほとんど見られなかった。 >>173
まあ打者は今でも非力だから。上手く投げれば余裕だよ。 >>221
昔はワンバンの球を放ったらピッチャーはキャッチャーに怒られた。
今はワンバンの球を捕れないとキャッチャーが怒られるんですね。 それから一時期シュートが絶滅したんだよな。
だからガルベスがシュートを投げたらそれが見事にはまった。
あれも面白い現象だったね。みんなシュートなんて撃ち慣れてないからゴロの山を築いた。 縦のスライダーを流行らせたのはガリクソンだね。
江川はスラーブなんて言ってたけど。
成績自体は大した事はなかったけど一流メジャーリーガーらしく日本球界に何らかの
影響を残して帰っていった。 アニマル・レスリーなんかは津田と似て変化球を一切投げない古きよきメジャー選手。
面白かったね。アニマルの事は日本に来る前からかなり話題になっていて阪急も面白い
人に目を付けたなとは思ったよ。 >>218
時が経てばそうなるな
映像が残っていれば、自分で見て判断すりゃ良いよ >>217
気持ちだけで投げていた当時でもちょっと時代錯誤的な投手だった。
だからこそ特別に殿堂入りしたんですね。
気持ちだけでも打者は抑えられるものだという事を実感させた投手でした。 弱気は最大の敵!!投げる球は一球入魂こん身を込めたストレートのみ!!
例え打たれるのが分かっていても絶対に逃げない。気持ちを込めて魂を込めた球を投げるのみ!!
そして道半ばにして無念にも病に倒れた津田恒美。
数字しか知らない若い人達は津田の殿堂入りに納得いかない人も多いようですが年配の人からは
こんな人が一人くらい殿堂入りしてもいいのではという人も多いんですね。 昔の投手が今来たらまず思うこと
何だ40本打てるやつが一人もいないぞ??
これにはビビるだろうな。これによりピッチングが大胆になるだろうから昔の今の時代の
ピッチングってのもちょっと興味がもたれるね。 畠山は水野だってプロでは大成しなかったんだからやはり当時のプロだって甘くないよ。
畑山や水野の球はプロでも通用すると思ってたけどやはり打たれていたな。 畠山のプロ初勝利は印象にあるんだよな。
ドカベンが穴吹監督に、あかん続投やと説得して続投させたんだよな。
投手では眼が出なかったけどいい経験になったのではと思いますね。 >>231
畠山はともかく水野の球は普通に通用していたぞ。
通算防御率は悪くない。中継ぎ中心の起用だったから
勝星やセーブには反映されてないが。 昔の人が今きたらすぐに体が大きくなっちゃうよ。
昔はプロテインがなかったから。肉は脂が凄いからそうモリモリは食えない。だから当時は
豆乳がプロテイン代わりだったんだけどこれが臭くて飲めたもんじゃない。当時のプロテイン飲料は
臭くて飲みにくかったのが今は本当に美味しく飲めるようになった。おまけにビタミン・ミネラル
まで配合してあるからいい時代だ。
昔の人も短期間でパワートレーニングを積んでシギーみたくすぐに150キロ投げられるようになっちゃうよ。 >>233
怪我して球威が落ちてからうまみが増したのがちょっと皮肉だったかなとも。
確かにいい投手でしたよね。 松坂は試合後に蛋白質を補給しないとと肉を沢山食べてたけど。
それがいけなかった。肉は蛋白質だけでなく油も凄いからお腹が出てしまった。
試合後に補給しないといけないのはプロテイン。
伊良部は馬鹿だから試合後にコーラをがぶがぶ飲んであんなになってしまったね。 昔の選手で怖いのはオーバーワークだね。今来たら練習のしすぎで体を壊す人が続出しそうだな。 大谷は力強さよりも柔らかさだよね。何だあの背中は。
あの体であれだけスナップが効いたら凄い球の一つや二つ投げるだろう。
あれだと水泳やボクシングでも凄い選手になっただろうな。
個人技の大谷も楽しみだったね。 >>213
86年の津田は相当速くてキレがあったぞ
88年の津田は棒球
89年は上手さを身につけた >>208
江川自体は凄いにしたって、高卒すぐに感じたことをそのまま絶対的なものみたいに言う水野が頭悪いだけ >>243
堀内は高卒で入団して自分が一番だとわかったと言ってる。
江川は高校生のときのほうが球速自体は速い。
村田も高校生のときのほうが球速自体は速い。 周りのレベルが低いから高校時代のが速くみえるの間違いだろ
甲子園ですげえ体格だなあてみえる選手がプロ入った途端あれ?こんな貧弱だったってなるじゃん >>245
尾崎も堀内も村田も高卒で入団して自分が一番速かったと言ってる。
大谷もそうじゃないか。
水野はそこまで速い投手じゃなかった。
それでも150km/h以上は投げているだろう。
スピードガンでも150km/hくらいの表示だ。 水野は球速よりも投げ方に特徴があった。
気合いでストレートを投げるタイプだった。 1990年のオールスター
野茂と与田が騒がれてたが、阪神の岡田は渡辺智の速球を絶賛していた 畠山もいい投手だったんだけどね。やはり当時のパリーグは打撃が凄かったかな。
愛甲も投手では通用しなかった。 二重でよくいっちゃうんだよな。何だろう以前はそんな事なかったのに。cgiの不具合かな?
まあいいや。 水野や渡辺智のストレートは味があった。
球速も155km/hくらいは出ていたのかないか。 球速も155km/hくらいは出ていたのじゃないか。 落合は水野にいつも翻弄されてたよな
落合は水野のインハイストレートを空振りばっかりしてた 愛甲も畠山も通用しない当時のパリーグだったから工藤もちょっと微妙だったんだよ。
やはり西武が一番トレーニングが近代的で充実してたね。工藤もロッテや南海に入って
たらプロでやっていけるだけのレベルになったかちょっと微妙だ。 水野はちょっとちゃらついていたので監督コーチの逆鱗に触れて二軍で徹底的に
鍛えなおされた。それも良かったのかもね。 >>258
逆に言えば畠山、愛甲が西武入ってたらもうちょい成績良かったかな?
一番もったいなあって思うのが、近鉄金村。
引退後に武勇伝のように入団一年目から毎日二日酔でした、とか半分ネタだろうけど、
高校時代の打撃の評価はこんな成績で終わる選手じゃなかった。 >>244
死ねよキチガイ
他の高校生がザコだったから際立って速く見えただけ
相対評価というものがわからんのか? >>258
近代的トレーニングというのは存在しないだろう。
工藤は当時大酒飲んで朝帰りだし。 球速は圧倒的に現役のが速いけど、
制球力とスタミナは大昔(70年代以前)のが上なのかも知れんな
正直、球速なんて140後半も出れば十分だからね >>264
バカボン、工藤がそういう生活をしてたのは独身時代だよ 正直、スピードガンが同じ性能ならな。
案外、昔の表示の140キロは今の160キロかもしれんしな
どこかの企画で昔の投手の映像を現在のスピードガンで計ったら160キロ連発wとかあったからなあw
どんどん水増しでこういう表示になった気もする >>264
いやもう広岡さんの提唱でバーベル担いでスクワットもさせられてたよ工藤は。
広岡さんは栄養学からトレーニングまで何から何まで斬新だった。 森さんの時代だね工藤が遊んでたのは。だから広岡さんがそれ言ってたわけ清原も甘やかしてたろうって。 >>260
あの時代はみんな西武に行きたかったんですね。会社がしっかりしていると人気がありました。
特に愛甲なんか西武行きを熱望してましたね。
>>262
ヤクザと喧嘩して大けがしちゃいましたね。藤王の転落人生の始まりでした。 >>260
金村は工藤よりも有望でしたからね。ジュニアオールスターでも工藤を打ち崩しました。
金村と工藤は当時仲が良くなくてライバル関係にありましたね。
僕も工藤より金村のほうが大成すると思いましたね。やはり西武で広岡さんの下でしごかれて
欲しかったです。 >>266
現在でも先発平均で145以上出せるのは10人いないからねえ
いまは150以上が当たり前だとか150以上じゃないと通用しない
みたいな最高球速の話ばかり強調されすぎてる気がするわ パワートレーニングでビルドアップされた西武の選手はそりゃ物凄かった。
83年ですね顕著に出たのは。プロがプロを子ども扱いしているのを見たのはドラフト時代に
なってからはこの年だけですね。 だから83年の日本シリーズは巨人は寧ろ善戦したほうだと思います。
巨人の選手の誰もが金森の事を非力な小兵選手だと侮りました。
パワートレーニングでビルドアップされたパワーヒッターだとは誰も想像していなかった
結果が第6戦で出てしまいましたね。 >>276
文体がキモいんだよw
こんな掲示板で気取ってる馬鹿 >>272
>特に愛甲なんか西武行きを熱望してましたね。
あれ?そうでしたって?何か記憶にあるのが、
ドラフト前に愛甲にインタビューした時に「巨人とかどうですか?」の問いに
「う〜ん。僕は巨人とか西武とか常勝球団は合わないと思うんですよねえ」
みたいな答えが返ってきた覚えが >>279
大嘘つくなキチガイ!
愛甲が入る年は西武は広岡か来る前で常勝軍団なんかじゃねえ!!! >>279
捏造でミスリードさせようとしてるのか?
誰かと間違えたのか? >>279
広岡就任前は金持ってるだけのヘボチームだったわ >>274
それで最速は時代では変わらない。
平均球速は少し上がったけどイニング数の違いとストライクゾーンの違いによるのが大きい。 >>284
いまのプロ野球最速は藤浪だけど90年代前半の伊良部と同じくらいでしょうね 伊良部が158出したの配線処理だけどな
常時は140後半から50くらい
当時にしては速いが
たぶん菅野と同レベルか以下だよバカボンのパパ またメタボンかよ〜
このバカ、昔の選手に恨みでもあんのか!
お前の年齢でバカ丸出しだぞ、オッサンw >>285
映像からは違いがあるとは認められませんね。 >>286
藤浪の平均は148〜150だから全然批判になってないね。もっと勉強しよう。 >>279>>282
80年と81年の西武は「不気味なチーム」と呼ばれていた。
まだまだ弱いチームだけどこのチームが持つ底知れない可能性を誰もが感じ取っていた。
その何とも言えない不気味さからそう呼ばれていた。 愛甲は西武は会社がしっかりしているからぜひ行きたいと話していましたね。
ロッテに決まった時は渋い顔をしていましたが。
広岡さんとは巡り合えなかったけど落合と巡り会えた愛甲。
運命って分からないものですね。 藤波だって昔みたく球数多かったらそんなに飛ばせないよ。 愛甲なんか悪ガキが西武なんか入ったら、広岡に干されていただろうな
渡辺久信みたいにはならなかったと思う >>292
伊良部が藤浪より遅いボールしか投げられないということは無いでしょうね。 >>279
>「う〜ん。僕は巨人とか西武とか常勝球団は合わないと思うんですよねえ」
>みたいな答えが返ってきた覚えが
たぶん幻覚でしょうwww
>>290
>80年と81年の西武は「不気味なチーム」と呼ばれていた。
呼ばれてませんからwww
幻覚の続きでしょうwww
見苦しいですよ>>279さんw 愛甲がドラフトにかかった年 80年の西武 130試合 62勝 64敗 4分け .492 前期最下位 後期4位
その前年79年(球団創設年) 130 試合 45勝 73敗 12分け .381 前期最下位 後期5位
これで「常勝球団」と呼ぶ奴がいたらキチガイだけwww >>295
たぶんドラフト前のインタビューじゃなくて
プロ入りしたずっと後のはなしじゃないかな。
ロッテに入ってよかったなと自分で納得したかったとか。 >>299
知らないけど、たぶんそうじゃないかな。
ドラフト前だとすると西武との密約隠しの目くらましか。
常勝というのは記憶違いで。 常時150出てた槙原がカンカン打たれてたんだから当時のレベルも大したもんだよ 当時の西武は莫大な選手獲得資金を使えた。
工藤や愛甲のほかにも密約はあったのじゃないかな。
江川は白紙の小切手を提示されたそうだけど。 >>301
槙原が藤浪に劣るところとか無いものね。
目が悪いことくらいか。 当時の西武はまだ常勝じゃなかったけど
巨人よりも獲得予算が多かっただろう。
たいていのメジャーの球団よりも使えたのじゃないか。 バカボンっていくつなの?
おっさんのわりに文章が小学生だけど >>308
タオル投げられてるのにリングに上がろうとすんなよwww >>286
伊良部は94年で147kmくらいだったと思ったな。
さすがに菅野と同じは無いだろ。
2015年の藤浪よりは落ちるが。
2011年のダルビッシュが平均149kmだったから、
大谷除けば当時の伊良部は3位くらいじゃないかな。 大谷でさえ153くらいだから平均球速とか意外と遅いんだよ
伊良部も全球測れば良くて145くらいだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています