長距離砲なのに少HR・規定到達で悲惨な成績
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ホセ・フェルナンデス(楽) .243 3本 (2012) 1997 落合 .262 3本 43打点
背番号3で、3本塁打、3盗塁のトリプルスリー >>2
これ
ハム1年目の落合を真っ先に思い出した 飛ばないボールの時代に球場拡大化の波に飲み込まれたベテランが悲惨な数字になりやすい
他に秋山とか 松中や小笠原の晩年も大概だが出番は少なかったからな とりあえずホームランが10本超えたらそれなりに格好がつく印象的。 長距離砲とはいえないかもしれんが
新庄の.222 6本 27打点 132試合 もなかなか 87年掛布
.227 12本 45打点
もっと悲惨かと思ってた 95年デストラーデってフル出場なら30本打てるペースだったんだな 95年のデストラは
開幕直後よく打つ→長打はないものの高打率維持→打率が落ちだす勿論長打はない
と右肩下がりだったから最後までいたら悲惨な成績だったかも。 ペーニャ
2012年 130試合 21本塁打
2013年 55試合 1本塁打
2014年 140試合 32本塁打 >>18
途中帰国かよw
腹が出て手足は細く貧弱になった、
一度成功したから日本のプロ野球を
なめているんだろうと不安視されてたな。
>デストラ メジャーリーグから日本球界復帰後の岩村
楽天一年目は本塁打ゼロ打率188
二年目本塁打1打率169
その後に古巣ヤクルトに移籍するが全くダメ
目を覆いたくなるような体たらく
ヤクルト復帰時に若松元監督が「なんでこんなに打てなくなったのか自分の目でジックリみたい」と言っていたがどう思ったのだろうか あのデブおやじは全盛期に「三冠王狙えなくなったら引退する」とか偉そうに吹かしてたのにな
巨人時代には既に三冠王なんてとても無理になってたのに更に日ハムにもドヤ顔でFA移籍する恥知らず
まあただ単に狙うと思うだけなら赤星や大和でも狙えるんだが >>8
オールスターで応援ボイコットされてたシーズンだっけ 落合とフェルナンデスだなやっぱり
あと1975年の木俣の119試合で3本塁打とか >>24
自分もそう思って調べたら応援ボイコットはその前年だった。 やっぱり日ハム時代の落合かな
当時の日ハム打線の1番〜9番のオーダーの中で最も本塁打率が低かったのが、
4番の落合というとんでもない状況だったからね ショボい4番で思い浮かぶ桧山は
規定打席到達時はすべて二桁本塁打
12球団最低年俸の4番打者古川慎一は
そもそも規定打席到達してない
なかなかスレの該当者がいないなあ 1993 高橋智 .251 11本 48点
これはレギュラー剥奪もやむを得ない 宇野の.211 10本が思いついたが規定到達してなかったか
ただ前後の年と比べてあれほど悲惨な成績の選手も珍しい 87年のリー
.272 9本 41打点
前年は30本以上打ったのに年齢もあってか一気に劣化した >>32
リーの場合は有藤が嫌だったり落合が抜けた事によりマークが厳しくなったとかその辺も成績を落とした大きな理由かと。 97〜2000の秋山もな
なんか今の鳥谷みたいだった。 秋山は広い福岡ドームなのもかなり影響あっただろうな 秋山は1996年一発を捨てて打率に絞ったと言っていたが
翌年以降は案の定打率も下がったな。 長距離砲には足りないかもだが、松永の阪神移籍前年の540打席で3HRもたいがい
だぞ 球場がいきなり広くなると
本塁打激減してかわりに二塁打が増える
当然フェンス間際のフライ凡打も増えるから打率もやや下がる
愛甲や松永もそんな感じだったはず 中村ノリ
2008年 493打数 24本塁打
2009年 263打数 2本塁打 ノリは膝をやってしまったから、
近鉄晩年もラビットなのにホームランが半減してたな。 フェルナンデスはこの成績で規定打席に達するまで使ってもらえたのがすげえな 統一球導入で飛ばないボールになったのが大きいけど
2011年の中日和田さん
打率.232、12本塁打、54打点
前年はMVPだったから落差がすごかった ボロボロの成績でも意地でなんとか二桁本塁打してる選手が多いな 駒田徳広
90 .287 22本
91 .314 19本
92 .307 27本
93 .249 7本 1961年藤本勝巳
22本(本塁打王)76打点→8本41打点と下げてるが
打率は.300あるなあ 3割越えてるし悲惨ではないけど新井が阪神移籍した時はスラッガーの成績では無かったな 葛城隆雄(大毎)
1958 .305 20本 85打点(打点王)
1959 .310 24本 95打点(打点王)
1960 .295 5本 43打点
1960年の本塁打、打点の急降下が実に謎。
翌1961年は、.267ながら16本 85打点と盛り返しているだけに。 62年のデービス
規定打席を大きく外してるわけでないのに16ホーマー 日常会話でもそうだけど、ここ何年か紛らわしく感じるようになったな
例えば12年といっても平成12年なのか2012年なのか ここ何年か、ってプロ野球では25年以上前から西暦でほぼ統一されるようになっただろ 銀行市役所とか公共ぽいの以外はほぼ西暦だろ
例えば平成21年とかいわれても全然ぴんとこないし NPBの公式サイトが西暦表記である以上、和暦で書くのは間違い まあ相撲を西暦で言われても困るがな
2008年の秋場所とかピンと来ない 2006年の阿部
ホームランがまったく出ず、たった10本 >>61
いいとこ突いてきたがこれってなんでだっけ?単なる不調? 阿部はちょっと調子くるうとゴロばっか打って打球上がらなくなるから
ゴロばっか打っても打球が速いから打率は残せるが 89幸雄さんの.247 7本塁打 47打点(106安打)もなかなかだが、落合には敵わん
つかこの頃の幸雄さんはまだ中距離打者か 阿部とか柳田は本来弾丸ライナータイプが無理して打球上げてる感じがする >>64
1,3,6,9番等あらゆる打順で打たされ、スラッガータイプなのかリードオフマンタイプなのか周りも当人も分りかねていた頃ですな。 ソフトバンク松中
2004年 .358 44本 120打点 三冠王
2005年 .315 46本 121打点 本塁打王、打点王
2006年 .324 19本 76打点 首位打者
全く悲惨な成績では無いけど、前年までと比べて突然ホームランが半減したという意味で松中。
2006年は開幕前にWBCがあって、そこで「なぜか打球が上がらない」と変調を訴えてた。
それでも開幕すると、調子が戻って順調にホームランを打ったが、
後半戦に入ると再び打球が上がらなくなって、ホームランが前年の半分以下に減ってしまった。 >>68
06年は別人みたいな成績だもんな
てか多分これが最後の3割打った年だろ その他、2008年の夕刊フジの記事において、「不振のカブレラ&松中、消えぬ“疑惑”」というタイトルで、
「『日本でも2年前からドーピング検査が厳しくなったから…』との憶測が流れる」[22]という内容が書かれた。
あー ラビットボールが終わった2005年にはボールが飛ばないと散々言われたのに、
統一球のせいでそのボールすら飛ぶボール扱いとはなぁ… 年齢とはいえ、2000年の
秋山幸二 .262 5本 488打席 も悲しい ブラッグス
93年 72試合19本
94年 122試合35本
95年 110試合24本
96年 100試合13本
見事なまでの右肩下がり >>72
まあ仕方無い
ラビットが廃止された後の2005年〜2010年のボールでも、
現在使われてるボールより飛んでたからね >>74
力み返って振り回すからミートが全然うまくないんだよブラッグス
スイング軌道が意外と小さいから三振はわりと少ないがヒットはあたり損ないのどん詰まりを力でもっていったポテンとかばっか
パワー満点で高速スイングだからたまに打球をいい角度で捉えるとピンポン球のように飛んでいったが
今でいうとビシエドみたいな見た目なパワーと成績の差があった 665 名前:神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2017/10/25(水) 15:49:47.16 ID:j57cieZ2
セ・リーグ年度別合計本塁打数
〜1970年代〜 〜1980年代〜 〜1990年代〜 〜2000年代〜 〜2010年代〜
1970年130試合 642本 1980年130試合 849本 1990年130試合 784本 2000年135試合 818本 2010年144試合 863本
1971年130試合 616本 1981年130試合 806本 1991年130試合 711本 2001年140試合 781本 2011年144試合 485本
1972年130試合 773本 1982年130試合 753本 1992年130試合 725本 2002年140試合 826本 2012年144試合 454本
1973年130試合 679本 1983年130試合 935本 1993年130試合 731本 2003年140試合 987本 2013年144試合 714本
1974年130試合 826本 1984年130試合 910本 1994年130試合 685本 2004年138試合.1074本 2014年144試合 738本
1975年130試合 747本 1985年130試合 947本 1995年130試合 790本 2005年146試合 920本 2015年143試合 571本
1976年130試合 967本 1986年130試合 810本 1996年130試合 765本 2006年146試合 821本 2016年143試合 713本
1977年130試合.1050本 1987年130試合 882本 1997年135試合 775本 2007年144試合 818本 2017年143試合 718本
1978年130試合 910本 1988年130試合 684本 1998年135試合 662本 2008年144試合 728本
1979年130試合 945本 1989年130試合 707本 1999年135試合 832本 2009年144試合 769本
パ・リーグ年度別合計本塁打数
〜1970年代〜 〜1980年代〜 〜1990年代〜 〜2000年代〜 〜2010年代〜
1970年130試合 821本 1980年130試合.1196本 1990年130試合 905本 2000年135試合 753本 2010年144試合 742本
1971年130試合 911本 1981年130試合 812本 1991年130試合 792本 2001年140試合.1021本 2011年144試合 454本
1972年130試合 830本 1982年130試合 772本 1992年130試合 729本 2002年140試合 869本 2012年144試合 427本
1973年130試合 765本 1983年130試合 882本 1993年130試合 660本 2003年140試合.1000本 2013年144試合 597本
1974年130試合 680本 1984年130試合 945本 1994年130試合 720本 2004年133試合 920本 2014年144試合 623本
1975年130試合 703本 1985年130試合.1050本 1995年130試合 624本 2005年136試合 827本 2015年143試合 647本
1976年130試合 659本 1986年130試合.1006本 1996年130試合 723本 2006年136試合 632本 2016年143試合 628本
1977年130試合 699本 1987年130試合 804本 1997年135試合 668本 2007年144試合 642本 2017年143試合 782本
1978年130試合 724本 1988年130試合 810本 1998年135試合 733本 2008年144試合 752本
1979年130試合 934本 1989年130試合 893本 1999年135試合 737本 2009年144試合 765本 中距離砲ではあるが、
福浦和也
2003 .303 21本 72長打
2007 .258 4本 25長打 2011年と2012年は本当にホームラン少なすぎたな 2011年にリーグ全体の1割強の本塁打を一人で打った選手がいるらしい >>85
うん、長打の数が読み取れないのだからそうなのだろう >>50
新井の阪神時代はホームランの点では期待外れだったな
打点王のタイトル取ったりと活躍はしたが 晩年の秋山は
大道や関本の下位互換のような
打者に変貌していた。
脚肩はまあまあだったが
やっぱり寂しかった。 新井は球場の影響もあるのでは。
最もHR出やすい球場から、リーグで1・2を争うHRが出にくい球場が本拠地になったわけだし。 全然悲惨な成績じゃないけど、89年のクロマティも規定打席に達してたら30本前後の打者が、この年15本。
明らかにアベレージ型の打撃にモデルチャンジした例だけど。 新井はもともとアベレージタイプだろ
05年とか相当無理して振ってたんじゃないの
タイプ的にはパワーあるが多少ミートやテクニックに欠ける内川みたいなもん アベレージタイプに、ミートやテクニックに欠けるて矛盾してないか? 新井は打球アベレージタイプじゃん
捉えた強烈な打球がラインドライブかかって外野手の前に落ちる 基本これ >>93
もう一人の朴に比べたら十分パワータイプでしょ、辛いさんは。 率の残せなくなった中日パウエルが規定に乗って.250 15本ぐらいの成績になった時は悲しかった >>99
アラフォーおじさん「当時のパウエルは中日所属でしたか?(小声)」 あの年の中日って広いドームに移ってバッティングがおかしくなって
パウエルだけでなくゴメス以外のほぼ全員が悲惨な成績だったからなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています