引き際が潔かった選手
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>>548の球宴後に間違いあり
正しくは
球宴後:[試]60 [率].179(207-37) [本]09 [打点]29 [二]3 [三]0
申し訳ないので月別成績を
04月 [試]17 [率].271(59-16) [本]7 [点]20
05月 [試]20 [率].224(67-15) [本]3 [点]11
06月 [試]20 [率].362(69-25) [本]6 [点]17
07月 [試]17 [率].213(61-13) [本]6 [点]09
08月 [試]19 [率].246(65-16) [本]3 [点]08
09月 [試]24 [率].145(83-12) [本]3 [点]13
10月 [試]12 [率].200(40-08) [本]2 [点]06 1980年後半の王の打率がダダ下がりだったのは、
広島が独走して「球団史上初の3年連続V逸」が濃厚でやる気が失せたからではないか?
これほど調子が悪いなら、王といえども二軍調整を命じるべきだった。
王が二軍に来たら、若手選手もただならぬ緊張感を感じて奮起したはずだ。 田淵も引退した84年の春先は前年程では無かったが好調だったのに5月から一気に下降線を辿ったな
でも前々年も超低打率(確か218)だった訳だから引退する必要無かったと思うわ
あと王・田淵に比べてスケールは落ちるが、
有藤も83年5月まではシーズン20HRは楽勝のペースだったのに梅雨時から失速して結局14HR止まりだったね >>553
①ライオンズというチームが若返りをはかっていた
山崎裕之も1984年で引退している
山崎は1983年がキャリアハイの82打点
引退前年がキャリアハイってあまりいないんじゃなかろうか
②1984年当時は一流選手であれば解説者の方が稼げた位だった
野村は引退後に講演会やりまくって豪邸を建てた位だから >>554
1983年山崎は1番打者で82打点 なんなのだこれ >>554
なるほどね、小林繁や大杉もそうだよな
>>555
83年の西武は7番に17HRの片平、9番に303 16HRの石毛が入る事が多く
下位打線~1番(山崎)の厚みが南海の上位打線並(下手すりゃ上)だったから あっ、片平は19HRだったわ、訂正する
下位打線から1番の厚みが南海の上位打線超えてるわ 1983年は好調田淵が途中で離脱したが全然調子落ちずに独走優勝だったからね
下位打線に第二クリーンナップがいるんだからそりゃ強いわ なお同年の南海クリーンナップ
3 新井
4 門田
5 香川
香川はオールスター前辺りまで打率首位にいて好調だったが
あの体型ゆえ案の定というか夏場に故障&スタミナ切れで失速
その後は5番に河埜が入るという暗黒打線だった 王も最終年は7月に1試合3発で一気に20号到達!なんてのがあったが、それが
最期の花だった 王さんは引退セレモニーみたいなのあったの?
長嶋さんのは何度かテレビで見たけど王さんの映像は756号?ホームラン世界記録の映像しか見たことないから気になる >>561
記憶にある
様な気がする
一塁にグローブ置いた奴じゃなかったっけ 王さんは打席にバットを置いて、一塁にグローブを置くというセレモニーだったな
同じ年に高田も引退したので、いっしょにセレモニーをした
王も高田も選手たちから胴上げされていた
高田は感極まって、ハンカチで涙を拭っていたのが印象に残っている 王選手のバット、ミットを置く演出は
同年10月に引退した歌手の山口百恵のラストコンサートからヒントを得たと
当時言われていたようないなかったような。 >>566
王や長嶋もそんな感じだった
長嶋は2000年で監督やめてたら最高にカッコよかったのに 28歳で移籍拒否して引退した定岡
小早川にサヨナラ2ラン打たれて引退した江川 長嶋なんて松井が育った96年にやめてればよかった
原は引き際間違った PARCO劇場で「チョコレートドーナツ」を観てきた。
演劇素人の私から見ても東山紀之の引退はもったいないなと思った。
そしていつかまた舞台に戻って来れる日が来たら良いなとも思った。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています