>>245
戦前は球団名が大阪タイガースで呼称が「タイガース」。略して「タ軍」。
しかし同じ関西の同業他社でニックネームなしで、企業名のままだった
阪急と南海の選手、関係者は
こぞってタイガースを日頃から「阪神」と呼んでいたらしい。
戦時中の英語禁止でタイガースは阪神と改称し戦後の再開時もそのままだった。
しかしややこしいのはここから。

1946年のペナントレース開幕前に球団名を戦前同様、大阪タイガースに戻し、
略称も阪神改めタイガースと発表したが、実は日本野球連盟に球団名の改称届を提出せず、
承認のないまま勝手に名乗った、"自称"に過ぎなかった。
更に当時は報道期間、出版社の呼称に対する拘束力もなく、
阪神球団を「阪神」「猛虎」「タイガース」「タ軍」「タ倶」と
呼称を統一しないまま各社バラバラに報じていた(これは後の大洋松竹ロビンスも同様)。

翌47年、連盟へ球団改称届を提出し、大阪野球倶楽部・大阪タイガースの名称が正式承認。
拘束力がなく各社バラバラであった呼称を統一することになり、
大阪タイガースの呼称を「阪神」とすることになった。