1番しょぼい200勝達成者を決めるスレ
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これはスレ住人の記憶にない人ばかりになるだろう
せいぜい堀内 鈴木啓示は、近代野球で今と同じプロ野球選手と一緒にやったら、斎藤佑樹と同レベルだろ。当時の打者のレベルが低かっただけ。 田中かな
一度も三割打てず優勝に全く貢献してない
どころか2000本の為に現役続けてチームの足を引っ張る始末
打撃守備も共に平凡、荒木や駒田以下だろう 昔の選手を今の技術レベルで比較するのは酷だろ
ライト兄弟と鳥人間コンテストの飛行記録を同じ土俵で語るようなもんだ すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
E68I5 堀内の200は平松松岡の180に相当だろう
江川の今の15は昔の20と同じ 一番ショボい年間20勝投手なら工藤と木田の日ハム勢による争い >>18
3番山本昌、4番北別府かね。ちなみに1番が堀内で2番が平松 >>17
1リーグ時代の名前すら聞いたことが無い投手の中なら幾らでもいそう。 200勝達成当時の傑出度のショボさなら中尾・梶本・皆川・東尾辺りじゃないの? やはり1番2番は堀内と平松だが、自分はV9のエースということで堀内の方を評価(いい方に)したい
ついで山本昌・工藤・北別府あたりだが、その前に中尾とか知らない時代の投手が間に入るかも知れない 東尾は余力残しての引退だったからな。
最終登板は完封勝利じゃなかったか。 昭和26年生まれから昭和35年生まれまでの
10世代で200勝投手は北別府のみだから
かなり突出した存在になります。
通算記録のみで測れない凄さがある。 みんな凄いメンバーだから、北別府はその中ではしょぼい方だろうけど一番ではないわな 現代の感覚でならトンビが一番しょぼそうだね
当時のできるルールすべて利用して勝ってた感じ
その次に全盛期と晩年時の能力の乖離が激しい堀内かな 平松や堀内という見解には疑問
凄味や天才ぶり、傑出度、特記事項に欠き
地道に勝ち星を積み上げた投手の方が
しょぼいという表現にふさわしいと思う 通算勝ち星上位に常勝チームのエースは居ないけどね
長嶋監督に請われて巨人にトレード行かなくて正解だったでしょ、平松
200勝達成だって危なかったかもしれない 平松のころの大洋は打線の恩恵を受けられないチームでもなかった
だから平松も勝ち星を稼ぐことが出来た
平松以外の投手が不甲斐なかったからチームは弱かった、という見方も出来る >>29
当時としてはパッとしないという点では中尾や東尾もなかなか。 しょぼい2000本安打達成者スレと比べると、こっちはみんなレベルが高い 堀内と平松は実働期間の長い工藤と山本昌よりショボくないだろう 近年の200勝と昔の200勝じゃまるで価値が違うだろうに 価値の高さで言ったら
杉内の140勝>>>中尾の200勝なのは間違いない。 東尾は西鉄〜クラウン時代は当時のエース級の鈴木、山田、村田は言うに及ばず
高橋直樹や山内新一より格下ぽいイメージだったけど
息が長く常勝西武でも主力として活躍したために知名度では一番高くなった >>37
シーズン最高16勝だからなー。
シーズン20勝皆無の200勝投手は確か工藤と山本昌だけだが、山本昌でも19勝しているしな。
>>35
地味さで言えば長らく杉浦やスタンカの陰に隠れた存在に過ぎなかった彼だけど、200勝まで後20勝&「ピッチャー殺し」鶴岡監督最後の年が重なり、
開幕からフル回転で30勝まで到達し、最後の30勝投手ともなっているからねえ。 >>43
昌は20勝未達だったが
最多勝3回獲得してるしな
西武黄金期でバックにも恵まれて
最高が16勝は物足りないな
堀内に通ずるものがある 工藤は最多勝のタイトルを取ってないからな。
梶本も取ってなくて唯一負け越している。
200勝以上していて最多勝のタイトルを取ってないのはこの二人だけ。 しかし梶本が一番しょぼい200勝達成者というイメージはあまりない >>41
全盛期の内容の濃さだと斉藤和巳の79勝>中尾の209勝 ぶっちゃけ、スタルヒンと別所の300勝は斎藤雅の180勝より価値が低い 1963年までの勝ち星ペースがトンでも無かったからねえ>稲尾
当時のオールスター中継でカネヤンに首抱えられながら「ワシの記録全部抜くのはコイツや!」と言われていたと親父から聞いた。 ぶっちゃけ梶本・米田の勝ち星なんてサッカーのガチャ遠藤の代表出場試合数位価値がない。どちらも同年代の選手のピークが過ぎてから数字を積み重ねただけだし。 監督就任の為、若くして余力を残して辞めた(最後にちょっと復帰した)
杉下の215勝はショボくないとみていいのか カネやんは最初から巨人にいれば300勝出来たかどうか >>54
そもそも巨人だと天皇の振る舞いは出来ないしルーキー時代のノーコンのままフェードアウトしそう。 >>52
確かに長くやっただけって感じもあるけど堀内なんかは
防御率傑出度は梶本レベルでかつ実働も短いんだよなあ >>54
当時の巨人の投手の層の厚さ的に300勝は無理。しても250勝前後 別所、野口、杉下、藤本等の大正世代は
名球会から排除されて、
当時の若い世代のファンからも
大昔の人として遠ざけられてしまった。
それ以後、金田より古い選手は
別枠で評価するような見方が定着したように思う。 堀内・平松・工藤・山本昌より中尾・梶本のほうがショボいのは確実 >>58
大正以前の名球会入りしてない200勝投手はいずれも1リーグ時代を経験している
昭和以降の名球会入りしている200勝投手はいずれも1リーグ時代を経験していない
どうでもいい話だが偶然キリのいい区切りになってしまった >>57
国鉄最終年と巨人最初年の落差を考えると250勝も無理だったんじゃないか。巨人にいれば14年連続20勝以上とかありえんと思う。 >>49
昭和の野球を愛するオッサンに怒られそうだが、野茂と黒田の日米通算200勝のほうが価値が高い 稲尾は最初から巨人にいたら無理な連投をすることがなかったから、肩を痛めることなく、20年くらいは現役でいたかも。 >>62
金田&小山と野茂&黒田は時代が全然違うから比較の対象じゃないべ 稲尾は巨人にいたら藤本英雄と同じくらいの通算成績だったかも。 巨人に在籍していたら連投がきく体質から現実よりも早くリリーフの祖となったかも>稲尾 巨人打線を相手に投げる必要がなく王、長嶋をバックに援護に恵まれた堀内。
晩年ボロボロでも200勝到達するまで現役を続けられた堀内。 弱小球団で200勝した平松は全然ショボくないと思うが シュート投手にありがちなスペ体質だったからぬ>平松
肝心な時にローテを外れたり長期離脱するそんなエース(ガラスのエースとの異名も)のお陰で優勝とトンと縁が無いチームとなった
との古参大洋→ベイスターズファンからの怨嗟の声も >>72
平松が現役当時の大洋って豪打のチームじゃ無かった?投手陣は今と同様ショボいけど。 平松とか多村とか軽い怪我ですぐ休むやつは結果的には長生きする傾向がある 徳さんや三宅や拝啓なんかがそうだけど出ずっぱりな選手がある時突然怪我をするとあっさり終わるよね。 >>74
当時の大洋はホームラン数も打率もリーグの平均以上の年が意外に多いが、打撃陣が凄ければ平松はもっと勝っていたと思ってるファン多そう >>47
ほとんど瞬間最大風速に近いじゃん。
一番活躍した時期だけ抜き取ってもしゃーない。
200勝達成者は全盛期以外の部分でも白星を重ね続けた凄い奴ら。
斉藤和巳の凄さを認めたうえで敢えて言う。
高卒と社会人出身の違いはあるけど年齢の積み重ねと勝敗で
この斉藤和巳に吉見一起を重ねるとかなり近いものがある。 >>77
つヒント・フェンスも低かった当時の川崎球場
川崎球場でのON巨人との試合は乱打戦となるのが常だが、最後は王の大ホームランでケリというのがお約束だった様な(´・ω・`)
>>47,78
そんな事言ったら、権藤権藤雨権藤の権藤博なんてどうなるって事ですわ。
ホークスOBで言えば高卒新人から2年連続最多勝の宅和本司とか。
斎藤和巳も含め、現在まで語り継ぐ責務すら感じる投手とは言える(そもそも沢村栄治も実質2年間だけの投手だった・・・・)にしても。 >>79
たまたま例に挙げただけです。
その斉藤和巳の高卒プロ入り稼働11年通算79勝23敗(勝率が凄すぎる!)と
2012年まで(社会人からプロ入り7年目まで)の吉見一起70勝27敗の成績が
非常に似通っているってことを例に出してね。
彼らもメチャ凄いんだけど、200勝投手は全盛期以外の部分でも必要とされて
生き残って成績を残していった結果だよ、と言いたかった。 斉藤和巳は全盛期は凄かったのは誰もが認めるところだが、いかんせん全盛期が短すぎた。やっぱ、最低でも100勝以上している投手じゃないと内容はどうであれ200勝投手と比べて見劣りする 北別府も全盛期過ぎて89年90年と二桁勝てなくなり、200勝大丈夫かと思うこともあったけど
堀内や松岡の最晩年みたいにはならず9勝、8勝と勝ち星を積み重ねてたのは大きかった
91年は調子が戻って11勝を挙げてこの時点で通算190勝。これで大丈夫と思った >>74
当時の巨人より豪打のチームなんて存在しないだろ。
200勝のためだけに戦力ですらないのに、首同然の成績で中継ぎ続けた堀内にショボさで勝てる投手なんていないわ。
他球団ならとっくに首。
平松ですら引退前年までローテで投げて及第点の成績挙げてる。 堀内は「ここ一番で強い」特殊な天才選手だよ
少なくとも平松より格下ということはない
一つ確実に言えそうなのは
平松が巨人に入ったら200勝は不可能だったこと
昔のファンなら納得できるだろう 堀内ですら解雇レベルの成績でお情け200勝達成させてもらえたんだから、平松が巨人入ってたら250勝は余裕。 そんなこんなで平松と同級且つ同郷の松岡弘は惜しかったな(´・ω・`)
平松は何故か大洋ファンの方が辛辣な評価だったり・・・・・・・・、優勝に縁が無かったのと故障癖が嫌われたのだろうか?
>>84
真顔でそんな評価を述べる大洋時代からのベイスターズファンもいらっしゃったな。 >>66
西鉄並の酷使はまずないと思うのでコツコツと300勝以上はしたはず まあ何の根拠もないタラレバに意味は無いし単純に考えたら堀内だろうな
当時の200勝は今ほどの希少価値は無くイニング数も少ない
防御率やFIPの傑出度で見てもワーストクラス
傑出度が低くイニング数も少ないのに200勝できたのはチームのおかげ 堀内はトップクラスの華やかな野球選手だった。
ルーキー当時のストレートは160kmを越え、
巨人全盛時代のエースで江夏や平松と投げ合った。
200勝投手のなかでも堀内や平松は上位に来る。 今堀内と投げ合って5割勝てる投手はいるのかどうか。 >>90
野球自体のレベルが上がっているから殆どの投手が勝てそう。 二流の中継ぎですら150出せる今の投手に勝てるわけないし、盛って140レベルの堀内が160kmも出してたわけないだろ。
何だこの思い出補正爺は…残した数字が全てなんだから堀内の最下位は確定。殿堂板名物のバカボン臭しすぎ。 散々ディスられているが、梶本、中尾より堀内のほうが上だろう >>73
堀内こそ300イニング投げた年なんか1年もない。
デビューから引退まで過保護で酷使されたこと一度もないのに、あの程度の成績しか挙げられない。 >>96
1972年 26勝9敗 312イニング 2.91 堀内唯一の20勝&沢村賞&MVP
堀内が300イニング以上投げたのは、この1年だけだが。 >>97
ほう一年だけあったか
とは言え下位球団相手に白星稼いでるから価値が上がるわけでもないな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています