【橋本石毛】第二次長嶋巨人を語るスレ【MKT】
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復帰1年目は打線非力化 1993
10.8から森西武攻略の奇跡 1994
貯金こそふえたが桑田が… 1995
メークドラマも檻に惨敗 1996
新戦力の裏切りに泣いた… 1997
槇原ボークからのガルベスの乱 1998
上原二岡大活躍も中日に敗れた 1999
ミレミアムイズonシリーズ 2000
ラストイヤーはヤクと争うも… 2001
そんな長嶋巨人の思い出を語りましょう… 管理職としてのセゲヲが無能を晒した時代だな。初期の頃は70年代〜80年代の阪神並みに揉め事の多いチームだった。コーチとコーチ。コーチと選手。選手と選手との揉め事が週刊誌にも書かれ放題。 >>75
ナベツネと当時の代表・代表補佐と、アマ指導者出身の石山建一編成部長が
落合解雇の方針を構えていたからな。
石井浩郎の獲得は完全にアマ時代に師弟関係だった石山の主導だった。 >>80
当時の週刊誌だったか、川上哲治など一部OBが、藤田最終年のコーチで
日本ハムで監督経験のある高田繁の昇格を推したという話を見た記憶があるが、
もし高田監督だったら… >>82
世間は長嶋の意向はすべて通るように思われていたが読売上層部からすれば
所詮は広告塔にすぎないからな >>81
2人とも投球内容が無茶苦茶に悪かったという程でもなかったから、
それぞれ2〜3勝くらいは上積みされていても良かった様な気もするよね。
打線がひどかったからなぁ >>85
その広告塔のセゲヲがこんなに揉め事が多くなったチーム状況を全く解決しようとせず、(というか本人が原因でもあるが。)放置しっぱなしでよくチームが大暗黒に陥らなかったなあ。 第二次長嶋政権、最初から最後までレギュラーを張ってたのは松井と川相ぐらい? 93年の打撃陣総崩れは異常事態だったな。中西太氏がコーチで残っていればまた違ったかもしれない。 >>80
堀内って王時代に投手コーチとして球団ワーストのチーム防御率を2年連続更新し壊れた信号機
柴田勲と共にクビになった
堀内が93年監督になったらどんな首脳陣になるのか想像できない
04年みたいなほとんど内部昇格か >>82
この当時、道上洋三がラジオで、昔は阪神がこういう揉め事が多かったのに、いまや巨人のお家芸になったなあと小馬鹿にしてた。 1995年のグラッデンの乱闘。
殴られた捕手が古田でなく中西というのが意外と知れ渡っていた。
古田相手ならもっと騒ぎだったろう。 開幕の時期(直後だったかな)に怪我してたね
この年のヤクルト低迷の大きな原因でもあろうと思う
翌年もやはり同じ様な時期に怪我したんだが、
長期離脱と思いきや復帰が早くてヤクルト独走の立役者となった ヤクルトは殴られたのが古田じゃなくてラッキーだったよな >>84
高田は監督としてもまずまずだったろうけど、やはりGM職の方が向いていたろう。
間を置いて日ハムで両方やっているけど、その時の実績からもね。 >>100
高田もDENAではさすがに無理かと
思わせてキッチリ結果出したのは流石の
一言だわ… 高田って要は番長的な感じだったらしいから
ユニ着てコーチや監督になると選手とガチでついやりあっちゃうんだろ。
背広着てやる仕事の方が抑制できていいんだろうな 一塁ベースコーチの時、ベンチからコーチャーズボックスに走る高田ってライトスタンドで見ていると、まんまこっちに走って来るかってくらい低い姿勢でビビった。
もう50過ぎてたのに。 >>102
清原とか金本とか城島も
そういうタイプなんだろうかね? 古田だったら外人でも多少は腰が引けたんじゃないかな?
すでに大物という感じになってたし。野次は飛ばせても古田を殴れる選手、コーチはいあたかな?西岡くらいでしょ。 血の気が多いグラッデンだから古田の格なんて、知ったことないだろう グラッデンのアッパーカットは見事だったな
あれで骨折しちゃったんだが 中西もやり返したんだけどな
一瞬でラッシュ喰らって倒されちまったな
外人にしては小柄だからということで舐めてかかったのかもしれない 中西のキャッチャーマスクをきちんと剥がして殴る冷静さ 最近のグラッデンみたけど全然老けてなかったわ
やっぱりホーガンだった 2期のラスト3年は2位以上なのはある程度は評価できるがあと一歩で2位だった95と98はどう評価する? >>113
戦力考えたら3年とも優勝してもおかしくないわ >>113
当時の印象は「惨敗」
あと一歩で優勝ならともかく、首位に引き離されているのは惨敗。
>>114も書いている様に戦力偏差値は当時頭抜けていたと思うし。
松井が更に一皮むけて、高橋も覚醒した99年は楽しかったし、
秋口まで優勝に絡んだから「よくやった」という印象。
上原二岡も新人離れしていてワクワクしたけどなぁ。
最近は岡本くらいしか楽しみがない(´・ω・`) リリーフがしょぼい年が多かった印象がある
今の巨人もそうなんだけど
リリーフが駄目なチームって接戦に弱いよね この頃はマツイくんとかマツイ日記とか
長嶋巨人を茶化した漫画がオモロかった印象があるけど流石にマツイくんの元木がラーメン屋にリクートのアレは1ミリ予想してなかったけどw 99年 ガルベスを開幕投手にした理由って何?
上原は新人だからしょうがないとして桑田と斎藤雅はOP戦で不調? 桑田で開幕投手決まってたけど開幕直前に扁桃腺腫らしてキャンセル
斎藤はすでに衰え見えてたので除外 >>116
石毛の抑えが3年ぐらいしか
通用しなかったのが痛いな…
河野は96年は良く働いてたが… 就任1年目の前半は、橋本-石毛の勝利の方程式でロースコアの競った試合をとりまくっていた。
あの貧打でAクラスになれたのはあの二人のお陰。
橋本-石毛の勝利の方程式が完全崩壊した95年以降は勝ちゲームのリリーフに苦労するようになった。 95年だけは凄かったんだけどな西山
でも長続きするタイプじゃないよなぁ
92年の石毛も凄かったけど(それでもやらかしがあったけど)、
翌年以降どんどん防御率が悪化してったし、
似たようなパターンって感じで、
とりあえずコントロール悪い奴は、圧倒的に抑えには向かない
ということがよく分かった・・・ 角、石毛、西山、クルーン、澤村
巨人の歴代抑えって、やらかし屋が多いイメージ
鹿取くらいかな?そうでない感じなのは 02年に権藤さんをコーチ招集の話があったって本当?
結局は長嶋の勇退で実現せず
山田久もオファーがあったけど拒否したと語ってたし
鹿取宮田堀内だとコーチでは誰が良かったの? >>128
長嶋が監督の時なら鹿取、それ以外なら宮田
あとこの二人は不仲 1999年と2006年は両年とも原指導者復帰かつ中日復帰だけどなにが違ったんだ?
片や優勝争いして2位で片や2年連続Bクラスの4位 木田が先発に行ったり中継ぎに行ったり不安定な起用だった 1980年代〜1996年頃まで、巨人は外野守備力に難があった気がするんだがそうだっけ? >>125
水野が一番適性あったけどな。
連投させると球威が落ちるという難点があったから
固定起用できなかった。 >>134
柴田がいい加減衰えた後のセンターが、ホワイト→松本→クロマティと揃いも揃って弱肩揃いだった点からも明らかかと。
西武に4タテされた事もあり、その流れを変えようと強肩好守のブラッドリーを入団させ、好守と勝負強い打撃を披露したものの、あまりにも
ネクラという人格面の問題が(´・ω・`)
結局、チームが4位低迷の責任を負わせる形で解雇し、以降、嘗てはメジャー屈指の好守外野手と言われた程だったが、入団時にはすっかり
足肩が衰えていたモスビー(年齢的な問題から緒方と併用)、左投手に強いかな。。。。。。程度しかセールスポイントが無いコトー、守備範囲こそ
申し分無かったものの、肩が往年の松本並のマックと、揃いも揃って弱肩選手がセンターを務める時代が外野守備にようやく慣れた松井がセンター
にコンバートされるまで続いたんよ。 しかしその頃はセリーグ各球団どこも外野守備という点ではどっこいどっこいだったような
狭い球場だったのもあってそこまで重要視されていなかった印象すらある
90年代に入ると阪神の新庄はプレーがムラッ気の塊そのものだったし
走攻守に優れた広島の前田はアキレス腱切って早々と走れない選手になったし
あ、ヤクルト時代衰えるまでの飯田の守備は別格で凄かったな >>137
だからかしらんが95年は
道理でヤクルトがリーグで爆走したんだw ガルベスに対して桑田や上原は普段はいい奴ってそうなのか?
松井に自分が打った本塁打を分けてあげたいって言ってたけどどの年? 長嶋は、本気で松井に巨人の監督をやらせたいと思っているのだろうか?
松井の態度を見てると、松井が巨人に戻りたそうには見えないのに
それでも長嶋が松井監督に拘っているのだとしたら、それは正直どうかと思うわ
本当に松井が可愛いなら、松井の意思を尊重してやるべきでしょ
もっとも、長嶋が本音では「松井にはこれから好きに生きてほしい」と思っていたとしても
立場上それを口に出来ないでいる可能性もあるんだろうけど ふたりともマスコミ向けに師弟関係アピールしてるだけでしょ
どっちも建前と本音を使い分けるタイプだし 昭和50年代〜平成中期までの巨人は大洋(横浜)にしょっちゅうトレードの縁談を
持ちかけては破綻してまた縁談を繰り返して横浜を妥協させる手法が露骨すぐる… 各年のMVPとホープと戦犯はこうか?
MVP ホープ 戦 犯
1993 槙 原 松 井 駒 田
1994 桑 田 元 木 水 野
1995 斎藤雅 西 山 石 毛
1996 松 井 仁 志 槙 原
1997 桑 田 入 来 斎藤雅
1998 松 井 高橋由 ガルべス
1999 高橋由 上 原 清 原
2000 松 井 高橋尚 野 村
2001 清 原 阿 部 二 岡 2000年と01年の戦犯は桑田 河本
抑え時代(98〜99年)の槙原も戦犯 ヤクルト時代にライトで下手だった広沢が95年にレフトを守った時にライトの守備よりもっと下手だった
「同じ外野でもレフトとライトじゃ全然違う」というのは俺は当時の広沢で学んだ 00年の槙原離脱後の後半だけ岡島が良かったけどね。翌年潰れて5年後にハムに移籍してからガラッと変わった。 99年岡島が途中から中継ぎで開花したけどそれまで谷間の先発で使われたのは先発不足?
斎藤雅のロングリリーフで開花したの? 1984と1995の世相は阪急(オリ)優勝とか王監督1年目とか共通点が多いが
巨人にも共通点はあった。
・前年は西武と日シリで対戦
・大物メジャーの黒人を獲得(ただし肩力は…)
・リーグ3位 躍進的Aクラス 1994、1996、2000、2001
偶然的Aクラス 1993、1995、1998、1999
壊滅的Bクラス 1997 勤続疲労を考慮すれば97年の戦犯せーろくは可哀そう。
ヒルマンが相応しい。 肩に小錦ヒルマン 台湾のイチロールイス ガルベス大暴れとか助っ人暗黒史 一茂も4年在籍していたが
ヤクルト戦での退場
槙原完全試合の時サードを守っていた
コーチの土井に暴言
ぐらいしか印象ない アニメネタになるが
長嶋政権時(1993〜2001)のクレしんでは
巨人ファンであった父ひろしが新聞を見て巨人優勝してほしいと言った事とか
3番の下駄箱とか挙げ句の果てには
からくりまで観戦行ったりしてたな 東京ドームに観戦に行ったら阪神ファンのど真ん中で観る羽目になる話があったよな
このスレの時代を感じるネタだと
「長嶋さんは33番だよ」
「現役時代は3番だったんだ」
というやりとりもあったね >>162
それにしてもテレ朝の昭和平成を代表する
二大アニメのドラえもんとしんちゃんの
主人公の父親(のび助、ひろし)が
巨人ファンなのも何かの偶然だろうか… 偶然っちゅうよりも、
単に分かりやすい典型的な設定ってだけちゃうの 超大型補強と叩かれたが来たのは金目当てのポンコツと腐ったミカンだけ
長嶋さんかわいそう 橋本、西山、石毛は揃ってアホ面だったな
3馬鹿トリオ 原の2番坂本って長嶋が98年頃からやってた2番清水、二岡戦法のパクリ? >>169
どちらかといえば近年のメジャーの最強打者二番のパクリだろう
当時の長嶋巨人でいえば松井か高橋由に二番打たせるようなものだからな 2番二岡は原でしょ 原の時に24本塁打とか29本塁打打ってるし >>165
あんな名前とプライドだけ肥大したメンツ集めて優勝するのは
だれが監督でも難しいだろう 第二次長嶋政権って
個人的には松井のバッティング見てるだけで楽しかったんだが
もし92年のドラフトで松井のくじ外してたら
何を楽しみにしたらいいかわからないシーズンが多かっただろうなと思う マントとかルイスとかダンカンとか外れ外人の宝庫だった 阿部の引退で
長嶋時代にいた選手は全員引退したことになるのかな >>174
長嶋にどこまで人事権があったのかは知らんけど
あれは長嶋の理想とはかけ離れたチームだった >>176
マックとガルべスは良かった
グラッデン、コトー、チョソンミンも
及第点 マックは肩壊してたし、97年は松井をセンターにコンバートしたからね。レフト清水でライトは広沢がこの年だけ巨人でレギュラーに
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