【井上】巨人軍育成失敗の歴史を振り返る【吉岡】
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>>130
大森の場合は、他球団の一軍にいるよりも、讀賣の二軍で燻っている方がいいらしい
世の中には、こんな変わり者の選手もいるんだねw そんな考え方の選手が大成するわけないよなあ
やっぱりスカウトの眼鏡違いか スカウトの眼鏡違いというよりも、慶應閥の圧力のせい、って言った方が正確かもな
六大学でそれなりの成績は残してたけど、
元木を差し置いてドラ1で指名するような選手じゃないってことは
スカウト陣も感じてたんじゃないかな >>133
結局、大森がドラフト1位相当の実力の持ち主だと思っているのは、
大森本人だけだったのかw >>133 >>136
80年代を支えた主力が衰えて来たので強打の野手を獲ろうという
この時の巨人の補強方針そのものは間違ってはいないんだよね。
ただこの年の大学社会人の野手でそれに当てはまりそうな選手は少なく
そこに慶応閥にかなう大森がいるじゃないか、って流れだろうか。
これは遊撃の河埜が衰えてきたから後継者を獲得しようとした時も
方針としては間違ってないが、じゃあ誰がいるかなってなると
慶応の上田がいるじゃないかって同じ流れでなったっぽいね。 大森は実力不足とすれば、むしろ吉岡の才能を開花させられなかった方が問題か
まあ、近鉄の水が合ってたと言ってしまえばそこまでだが 個人的には投手をやってた藤田監督時代がもったいなかった気がする
それこそ金村みたいに最初から打者一本で行くべきだった 吉岡は完全に飼い殺し
開幕からベンチ入りし続けて17試合打席がないってひどすぎだろ
1996年シーズンには開幕一軍入りを果たす。しかし、その年はジェフ・マントが開幕から三塁手でスタメン出場していたため、吉岡はベンチ入りしていながら落合博満の代走・守備固めのみでの出場機会であり、打席の機会がしばらくない状態が続いた。
マントは開幕9試合でスタメンを外されたが、開幕10試合目からは長嶋一茂が一軍に昇格してきて9試合連続の三塁スタメンとなり、吉岡自身はやはり打席の機会がなく、シーズン初打席は開幕18試合目での代打であった。 >>141
マントに一茂って、どれだけ見る目無いんだかね >>129
正力亨オーナー、藤田監督ということもあり影響したかも知れませんね。
確かドラフト前日、日テレの夜のニュース番組に生出演した際、
巨人のドラフト1位以外ではプロに行かない。外れ1位で行かない。
プロに行かない場合は東京ガスにお世話になると豪語したのに呆れつつも、
もう話が付いているのだろうな、と思いました。 >>141
これは酷すぎる
吉岡は讀賣を出て正解だった >>141
ミスターが大嫌いなタイプの選手だった
嫌いの中身はよくわからんが
性格なのかプレースタイルなのか >>141
>>145
その年のオフ、オヤジはようやくカズシゲに引導を渡すことになる >>145
第2次政権で復帰した当初は手取り足取り教えていたんだけどねえ
スピード&チャージのスローガンを担う1人と目をつけていたのに、結局は第1次の二の舞を恐れてFAや外国人の即戦力を重視した ナベツネと結託して、元祖・強奪絶対主義者へと成り下がったわけね セゲヲが強奪に走ったのは復帰初年度の極端な貧打も原因かと それで、先日亡くなった深沢弘を使って、落合の獲得に勤しんだんだよね もう讀賣はドラフトに参加しない方がいい
これじゃ若手選手がかわいそうだ 特に2次はコーチ人事の失敗
投手コーチ堀内・バッテリーコーチ山倉・打撃コーチ中畑
それは負けるよ。 若手の育成には失敗するが、犯罪者の育成は怠らない組織
それが讀賣よw 現在の讀賣首脳陣だって、>>154と同じぐらい酷い タツノリにとって、若手は勝利のための足手纏いでしかないのかもw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています