清原はどの監督の下で育てられるべきだったのか? [無断転載禁止]©2ch.net
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例 古葉監督
新人であらゆる快挙。オフはマスコミにちやほやされまくりの清原
いい気になってキャンプで気の抜いたプレーを連発する清原を古葉は蹴倒し、
ボコボコに殴る
改心する清原。
以後、日本一の打者に >>238
本当にそうだよな
清原の本塁打は距離もあって華やかで本当に素晴らしい
アウトローの難しい球をホームランにするんだから清原は天才だよ 普通ならホームラン打者に対しては外角に放るのが安牌なんだけどキヨの場合は逆なんだよな。だからぶつけられるんだけど。 >>243
キヨはその点がメジャーレベルなんだよな。
王、野村、落合(じつは外角低めが苦手)らとの差。
田中将「日本じゃ困ったら外角低めでOKですけどアメリカでは通用しません」 清原和博 “薬物底なし沼”と“あふれ出る女性遍歴”(2)亜希元夫人と結婚した後も…
ttp://www.asagei.com/excerpt/53510
「14年に週刊文春でシャブ疑惑が報じられ、その後、まもなく夫婦は離婚しましたが、
それ以前から清原には親密な関係にある銀座ママ・Aさんの存在がありました。
現役引退し、評論家としてデビューした09年にはキャスターとして訪れた
モナコグランプリにAさんを同伴し、不倫旅行が報じられた。
年上のAさんは暴力団関係者との交流が深く、ヤクザに強い憧れを抱いていた清原とは
相性が抜群だったようです」(ベテラン芸能記者)
美人妻と2児をもうけながらも家庭人には収まりきらない。
シャブを家庭に持ち込みたくなかったからなのかは定かでないが、自業自得と言えばそれまでで、
清原容疑者と亜希夫人の夫婦関係は早々から冷えきったものだったという。
清原容疑者は糖尿病、左膝の故障など複数の持病を抱えていたため、
都内にかかりつけの病院があったのだが、事情を知る病院関係者が驚愕の証言をする。
「信頼しているから口が軽くなるのか、結婚生活が継続していた当時、
清原はその病院で家庭の不平不満を爆発させていたことで有名なんですよ。
現金を持たされていないため支払いはカードばかりだったことに納得がいかず、
奥さんの愚痴をよくこぼしていた。
そればかりか、デリケートな奥さんの体形の話題まで持ち出して、
『アイツはケツが小さいんや。ちっともよくないわ』と吐き捨てるように言い放っていたんです。
それでも愛の結晶である、子供ができたことを諭されたんですが、
『どうしても子供が欲しいと言うから2発ヤッただけや。そしたら全部大当たりしよった。
アイツの的中率はホンマにスゴイわ』と医局でゲスな暴言を堂々と吐き捨てていた」 金村が俺や清原は遊びまわったけど
金本はなんだかんだで努力してたみたいなこと言ってたが
がちで遊びまわってあそこまで成績残したのって清原だけだろうな
他はみな
陰でむっちゃ努力してる 清原和博 側近が頭を抱えた“絶叫錯乱”現場(3)止まらない奇行の数々…
ttp://www.asagei.com/excerpt/25806
「サウナでは胸や腕、ふくらはぎに入った龍の入れ墨を見せつけるようにしていました。
威圧感十分でしたよ」(居合わせた客)
さるパ・リーグ関係者も言う。
「毎年12月、ハワイで名球会ゴルフが開催されますが、清原氏は白のTシャツに半ズボンで現れたことがあり、
脚と肩付近の入れ墨をわざと見せるようにしていることに皆、驚きました。
『あれは何なんだ!?』と大問題になりましたよ」
今年2月21日には、巨人の沖縄キャンプに突然現れ、物議を醸した。何しろそのいでたちたるや、
「とてもカタギには見えない」と球団スタッフがアキレるほどだったからだ。
白のVネックTシャツに白のスーツ、素足に白い革靴、真っ黒に焼けた顔にちょびヒゲ‥‥。
驚いた原辰徳監督が「あれはマズイだろ」と陰でボヤいたのも無理はない。
「広島のキャンプも視察に訪れましたが、朝からロレツが回っていなかった。
何を言っているのかよくわからず、首脳陣やスタッフは『酔っ払ってるんじゃないのか』と言い合っていました」
(遊軍記者)
清原氏は長男、次男が所属する少年野球チームの試合に、応援のため姿を見せることも。
次男が死球を受けた際には、「オラーッ! 帽子取って謝らんかッ!」
と、小学生の相手投手を恫喝。相手チームの父兄から苦情が殺到したという。
さらに、別の試合で今度は長男が死球を受けると、相手投手が帽子を取って頭を下げたにもかかわらず、
清原氏は激高して大声を張り上げた。
「一塁手も謝らんかい、ボケッ、コラ!」
またある時は、「清原さんの度を越したヤジが原因で騒ぎになり、パトカーが出動したこともありました」(父兄) 確かに一流の素材だったけど運にも恵まれた
PL全盛期に黄金時代西武
そこで4番張ったのは実力だけど、そこに最強チームがいたのは強運
それで徹底的に華やかなイメージを身に付けた
今ならともかく、当時のファイターズになんて引き当てられたり社会人なんか回ってたら微妙なイメージの選手になってたと思う
本人にとってはその方が幸せだったかもしらんけど 個人的には91年の後半戦や00年の日本シリーズなど
繋ぎのバッティングのアベレージモードの清原が好き。 清原和博 “引退後の黒番長”全貌を公開(2)「関係者も首をかしげる振る舞い」
ttp://www.asagei.com/excerpt/21234
「彼は08年の引退後、文化放送『ライオンズナイター』の解説者の一員となったものの、
試合の日にすっぽかして来ないということがあった。
眠っていて起きられない、ということもあったようだ」
当然のごとく、清原氏は解説者から外されてしまう。
清原氏はスポーツ紙の評論家としても活動中だが、
「評論をするはずの球場に現れなかったり、試合途中に来たり、
あるいは途中で帰ったりもした。
一時期は清原氏の担当者ですら何日も連絡が取れなくなったことがあったようで、
これは危ないと判断し、年間契約から本数契約に切り替えたと聞いている」
(デスク)
オリックス時代の06年、清原氏はパチンコ、パチスロ機の開発企業「フィールズ」の
CMキャラクターに起用された縁で、引退後はフィールズの関連会社JMSに所属した。
ところが11年、清原氏は仕事として出演するはずだったパチンコ店のイベントを当日になってドタキャン。
理由は「体調不良」だった。
さらには青年会議所のイベント、講演会、JRAのイベント‥‥と、次々キャンセルを繰り返し、
補償問題に発展。所属事務所は頭を抱えたものだ。
「元西武の後輩が清原氏の運転手として雇われていましたが、
あまりにひどい行状に逃げ出してしまった。
当時、清原氏にはきわめて親密な関係にあったクラブホステスがいましたが、
その後輩運転手は2人が宿泊するホテルのロビーでずっと待っているよう命じられていた。
夜チェックインして翌日の夕方まで出てこないのですが、その間ずっとです。
あまりにつらくて、『もう清原さんにはつきあいきれません』と言って、辞めてしまいました」 一回ぐらいタイトル取らせたかったがあまりにも西武打線が神で中で潰しあったのがきついな
ランスとかいたころのセなら悠々取れたんじゃないか?
移籍したらもう松井とか横浜マシンガンとかヤニキとかいて無理ゲーだったし でも、新井や村田が弱い頃の広島や横浜でひっそりタイトル取るより、中田翔が強豪チームでタイトル取る方がやっぱり華があるよ、選手自身がどうとかじゃなく環境的に
見せ場が物凄く多いわけだし、それこそ記録より記憶に残る選手 死球を当てたホッジスには怖くて向かっていけず、小柄な高須に報復する陰険・怯惰な清原
危険なスライディングの伏線は6回表、清原が腰に死球を受けたことにあった。
二塁の守備位置で高須は「来る気配を感じてましたよ」と、身の危険を察知していた。
想定通り、清原のスライディングは足元に来た。高須は覚悟を決めていた。
左すねを蹴り上げられると、清原に覆いかぶさるように倒れた。
高須「足をベースにつけて踏ん張ると蹴られた弾みで大けがにつながる。
だから倒れないとダメなんです」。
併殺は見事に完成した。すぐに高橋守備・走塁コーチが飛んできて審判にアピールした。
「スパイクの歯を向けていただろう! 許せないプレーだ」。
後に写真で確認すると、つま先が左すねに食い込んでいた。 清原は、オールスターや日本シリーズのKK対決で
本塁打を放ってライバル桑田を粉砕とか、球宴最多MVPのお祭り男だとか、
サヨナラ本塁打&安打が歴代最多だとか、逆転サヨナラ満塁本塁打だとか等々
ドラマチックな場面が多いんよね。
00年7月に一軍復帰しての初打席で七夕アーチとかも、当時、怪我やスランプに
泣いた苦境からの肉体改造での復活劇の幕開けとしてよく取り上げられたけど、
あの左中間の深いところへの当たりがフェンス直撃の二塁打とかにならずに
ギリギリで本塁打になるあたりが清原だよなぁと思ったりもする。
野球人生のキャリア全体も含め、いちいちドラマチック。 あと、桑田の大怪我からの復活試合が
清原の巨人移籍第1号を記録した試合で、
それで試合に勝って、KKでお立ち台に
上がったこととかも、漫画以上のドラマ性があったな。
こういうところは、ミスター長嶋以上。 2002年日本シリーズ第1戦(東京ドーム)の松坂から放った看板直撃ホームランはカッコよかったなあ〜 俺は黒くなって筋肉ダルマになってからは拒絶感半端なかった
なんだよとんぼってって
そもそも巨人のユニが野暮ったくって違和感ありありだったし
西武の時はあんなにかっこよかったのになあと
それでも巨人での最初の2年間は好き ◆1989年9月23日
平沼から左ひじに死球を受け激高。
平沼にバットを投げつけ、フライングヒップアタックをかます
しかし、逆にディアズにアームロックを決められた上に首投げされ、以後外人恐怖症に
◆1997年8月20日
藪の物怖じしない内角攻めにシーズン三度目の死球。
「今度来たら、(藪の)顔ゆがめたる」と、物騒な発言も。
藪からは『よけない人に当てても、なんとも思わない』と発言される
◆2001年9月18日
阪神ハンセルにぶつけられメンチ切るも、ハンセルに半笑いで手招きされると逃げた
仲間に囲まれてやっと元気に吠え出す
◆2003年5月25日
プロ初先発、20歳の横浜、東から前打席死球を受けていた清原はセンター前にタイムリーをはじくと
東を鬼の形相でにらみつけ、一塁に走りながら「ボケ〜ッ!」と絶叫。
◆2003年7月23日
広島デイビーに喧嘩を売るも、デイビーが応じると蒼ざめチームメートの到着を待つヘタレぶり
さらに後日、自分から和解を求めて謝罪するとデイビーには『彼まだやってるの?』と挑発され続けるが沈黙
◆2005年4月21日
500号HRのかかった試合、2アウト満塁で阪神藤川に変化球で三振させられると藤川を「チ○ポコついとんのか」
等と中傷その後の中日戦にて連夜の直球勝負に全く打てず
◆2005年5月6日
ホッジス(楽天)に死球を受けるも外国人恐怖症のため、すごすごと一塁へ
その後報復手段としてセカンド高須(楽天の希望の星)を度を越したダブルプレー崩しで怪我をさせる
◆2005年5月12日
対オリックス戦で頭部に死球を受け、鬼の形相で「謝れ」「こっちに来て、謝れ」とマウンドの山口に向かって雄たけびをあげる
◆2005年7月13日
痛め止めの座薬が効かずトレーナーに八つ当たり、トレーナー困惑
*「泥水を飲む覚悟で─」と臨んだ2005年であったが、規定打席到達者中最低打率に低迷し続け
7番に降格されるとHRの後のハイタッチを拒否。ぶんむくれてベンチでふんぞりかえる。その結果2軍落ちとなった。 >>247
清原の著書男道でリトルリーグ〜PLの練習、寮生活は普通では無かったみたい
清原は本当に天才だったんだと思う
森・西武に入団していなかったらまた違うプロ野球人生だったんだろうし、野村がもし王のホームラン記録を抜かせる人がいたなら清原しかいなかったというのはすごい印象に残っている ノムさんは清原はスイングスピードが遅いから内角に苦労するだろうと予言してたな
このスレでも書いてる人いたかもだけど
内角に穴があることが判明してから執拗な内角攻めにあって当てられて激怒
スーパースター街道から転げ落ちた瞬間だったな 内角の速球が打てないとメジャーでは無理
そういえば外国人ピッチャーにも弱かった印象 90年頃はスイングに力がついてきて内角もこなしてた。
だからこの年はレフトへ引っ張ったホームランが多かった。
惜しむらくはこのバッティングの状態が何年も続かなかったこと。
91年のスランプでバッティングがメチャクチャになった。 ◆2006年4月20日
対北海道日本ハムファイターズ戦でダルビッシュから死球を受け(例の如く全く避けていない)、
その後番記者達を相手に「僕は守るべきもの(家族)を命懸けで守りたい」「命を懸けてそいつを倒したい」
等と吼えるが 舌の根も乾かぬ数日後、写真週刊誌に夜遊びでホステスとイチャついている場面を
フォーカスされ周囲を唖然とさせる
当初は徳光和夫やみのもんた等のシンパが清原擁護・ダル叩きをしていたが、
星野SDら球界のOB達から批判を浴び始めると その空気を察してか、
再登録後は自らダルビッシュに対し和解へ歩み寄る
◆日ハム・武田久に「シュートは卑怯者が投げる球」と因縁を付ける
◆2008年1月31日
1月31日には二重契約問題のパウエル投手について、オリックスではなく
ソフトバンク入りしたら“登録名はオカネ(お金)や”と挑発。
清原は昨季の出場試合はゼロでも、今季は1億1000万円プラス5000万円の出来高という年俸。
それが“何であの人があんなに”とチーム内で大顰蹙を買う
◆2008年5月6日
広島カープの2軍と対戦
2打席連続で見逃し三振に倒れた後、ベンチから球場中に響くような大声で主審を恫喝
それを見た広島の広池浩司がショックを受けたとブログで意見
◆2008年9月21日
変化球を投げたマイケルに
清原「今のオレに変化球投げるなんて、辞めていく人間に後ろから切りつけるようなもん。がっかり」 90年がキャリアハイだろうね
出塁率やばいな
今年のボットーと同じくらいやん 何年か前(逮捕前)の雑誌のインタビューが正直で面白かったな
監督の中では長嶋を別格とすると、原が自分を信じてくれているのが嬉しくて1番恩義を感じているとか
統一球は自分が現役だったらモロに影響うけて成績落としてただろうとか、理由もけっこうまともな説明してたけど忘れた 基本、野村(克也)の清原評が、一番公平に感じる。
厳しい事も沢山言ってるけど、根底には清原という選手の素質や能力や実績
に対するリスペクトがあるのが伝わってくる。
ただ、一つ疑問なのは、野村が清原を評する時「天性で野球をやってて
頭で考えてない」とか言ってたところかな。
森監督は「本塁打よりも、犠牲フライが欲しい場面というものがあって、清原は
そういう時にベンチの希望に応えてくれる選手だった」みたいなことを言ってて
これが事実なら、清原は何も考えずに野球をやってたわけでもないと思うんよね。
PL、西武と最強チームでずっとやってて、頭で考える以前に、そういう最強チームで
こなすべきバッティングが清原の骨の髄まで染みついていたいう意味なら、
野村の言う事は当たってるのかな?とも思うけど。 清原って、ある程度のキャリアがある指導者から
「お前を頼りにしてるからな!」と言われたりしたら、意気に感じて
指導者に忠誠を尽くして、頑張ってくれそうな人に見えるけどね。
巨人時代末期あたりは特に問題児みたいなイメージが付いてるけど
本来は、扱いやすい部類の人間だと思うんだよな。
清原嫌いは、「清原らを巨人から追い出したのが、堀内の功績」
とか言うけど、そもそも清原が不満分子化して暴れるようになったのは
堀内のキャラにもかなりの原因があると思うけどね。
堀内は根っからの悪とかじゃないだろうけど、対人で不器用すぎる。 >>272
そうやってボソッと一言だけ言って
誰か他の人に叩いてもらおうとかせずに
見方が違うなら、自分が思うことを
素直に言ったら良いやん >>270
>野村が清原を評する時「天性で野球をやってて
>頭で考えてない」とか言ってたところかな。
これは晩年の評価じゃないのか。
05年以降は何も考えず、ストレートだけ狙って振り回してた印象。
野村もこの時期は「この場面でストレートなんか来るわけないのに、それでもストレートを待ってるのが清原」と言ってた。
05年オフに清原がクビになって楽天入りはあるか?と聞かれ
「頭がおかしいからいらない」とバッサリ。 >>269
TVで解説してたのを何回か観たけど確かに桑田よりは全然まともだと思う
現場に復帰することはもう無いだろうけど、解説は聞いてみたいので禊すんだら
どこかの局で使ってやって欲しいところ >>275
2006年の日本シリーズ解説ぐらいまではマトモだった。
現役でやってた分、選手に対しての知識があった。
多分、今はどういう選手がいるかほとんど把握してないだろうし
桑田以上に解説にならんだろ。 ttp://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/tachiyomi/20080228_1.html
高知県でのキャンプに参加している、オリックスの清原和博内野手(40)。
昨年7月に左ひざ軟骨の移植手術を受けて以来、厳しいリハビリに励んでいるはずが、
聞こえてくるのは相変わらずの“清原節”ばかり。
担当記者も失笑を隠せない。
*「1月31日には二重契約問題のパウエル投手について、オリックスではなく
ソフトバンク入りしたら“登録名はオカネ(お金)や”と挑発。
清原は昨季の出場試合はゼロでも、今季は1億1000万円プラス5000万円の出来高という年俸。
それが“何であの人があんなに”とチーム内で大顰蹙を買っているのに、全くいい気なもの」
* 映画『ロッキー』の影響を受けた、パフォーマンスまで飛び出した。
「5日には卵白10個分を一気飲みして、“ロッキーになりたいんや”。
更には2台の石油ストーブの前で5枚の重ね着をして“減量や”と、まるで子供。
*20日には、1軍キャンプの練習の様子を見て、“最下位のくせに緊張感が無い”と
偉そうに説教までしています。来日が遅れた新外国人のカブレラには“好き勝手は許さん”と、
自分を棚に上げた発言も飛び出しました」 清原はただのばかだからな
バカすぎてああなったけど 清原が週刊誌で落合叩きをして以降、マスコミが
落合に気を遣ってか、落合の清原批評が全く聞こえなくなったのが残念だ。
それまでは、打撃での師弟関係という縁で、清原に何らかの節目があれば
マスコミはほぼ必ず落合のコメントを取りに行ってたのに。
もっとも、あの清原の落合叩き以降、だいぶ長く経った後の情報では
和歌山の落合記念館には、依然として清原グッズや落合&清原の記念写真が
展示されていたらしく(今はどうか知らんけど)、もしかしたら落合は
今でも清原を心底から嫌いなわけではないのかもしれない。 清原ってあんなにプロに入って遊びまくって失敗だと言われながらあの成績残しているんだなら大したもんだよな だから古葉にボコられながら練習に打ち込んでいたらどれだけの選手に… 王のHR数を抜くのは無理だろうけど、門田超えはいけたかも
下手したらノムさん超えも... 清原容疑者 西武時代のマウイキャンプで大麻事件
ttp://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/505609/
【薬物逮捕でアウト!番長の転落と闇(8)】
覚醒剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された元プロ野球選手の清原和博容疑者(48)が
薬物に手を出したのはいつなのか。
巨人時代という指摘が多い中、本紙は西武時代の米国ハワイ・マウイキャンプで、
ある騒動に関する貴重な証言を複数の関係者から
入手した。同容疑者が1次キャンプ地のマウイ島で薬物騒動を起こし、
現地警察に“一時拘束”されていたというのだ。
「1995年か96年(2月)のマウイキャンプ中にキヨと数人のチームメートが
現地で騒ぎを起こして警察沙汰になったことがあった。
警察が駆けつけると彼らが大麻を吸引していることが分かり、
一時拘束され大騒動になった。知らせを聞いた当時の球団本部次長、
通訳らが何度も警察と交渉を行いこれをもみ消した。
事後処理は現地駐在の西武グループ関係者が行い、
公に知られることはなかった」 清原をして「豪快で怖かった」というナベも公康が「もっと体大事にしてれば凄い成績残しただろうに」と評してたな
「俺がストレッチやマッサージやってる時にいつもさっさと遊びに行って、それでも試合じゃあんなに凄い球投げる」と 清原はプロ一年目に完成されてたんだってな
さらに高みへと欲を出してしまいフォームを崩してしまった
引退後の人生も含めて良くも悪くも欲が深いんだな
若い時にピークを迎え運を使い果たした 清原はこういうバッティングはしない
361名無しさん@恐縮です2017/11/07(火) 11:26:29.18ID:rNwgDU560
ペナント終盤の、とある試合
中日がリードしていたものの、雨足が強くなり始めた
いつ、降雨コールド宣言が出てもおかしくない状況
このまま勝利で試合を終わらすためには、このイニング(5回裏)をなんとしても成立させなければいけない
つまり、攻撃を長引かせてはいけない
そう判断した監督(星野)はサインを出す
その時ランナーに出ていた選手は、サイン通り塁を離れ牽制アウト
誰もが、その時のバッター落合も、すぐ凡退すると思った・・・が、落合は粘り続けた
落合も、個人タイトル争いの真っただ中だった
監督を無視して個人プレーに徹し、チームプレーをしない中日時代の落合 落合は巨人でチームプレーをしたように思われているが
たんに衰えを隠すためにそう見せかけただけである。
すべては個人的理由からなのだ。
原が同じ成績ならクソミソに叩かれていたはずである。 清原にポジションを奪われるから逃げたのに長嶋監督を困らせないための男気に
すり替えちゃうし落合の自己プロデュースの上手さは天才だな。
その点はたしかに清原より断然上だと認めるよ。 清原は、場面ごとの集中力にムラがあったことでタイトルを逃したりだとか
急激な肉体改造で身体を壊してしまったりだとかの苦い経験や自身の欠陥について
頭では「あれは良くなかった」と理解しつつ、「でも、もう一度野球人生をやり直しても
多分自分は同じ事をやる。自分はそういう人間なんだ」という趣旨の発言をしてるな。
でも、この手の発言からは、開き直った見苦しさよりも、潔さを感じる。
清原の行状やエピソードを聞いてると、「うわ・・・クズだな」と思う時と「へぇ、良い男だな」
「そういう所はシッカリしてるんだな」と感銘を受ける時とのギャップが激しい。
そこら辺のギャップ、アンバランスさこの人の魅力なのかもしれん。 ケビン山崎が「アドバイス通りに練習してくれない」「見映えするような部位だけ鍛えてる」とか評してたなたしか イチローもそうだが、落合みたいに自己中のほうが結果残すよな
「チームが負けても知ったこっちゃねぇ」ていう
清原のようにチームの責任を背負ってしまう奴は重圧で潰れる 89年落合が斎藤からサヨナラホームラン打ったのが伝説になってるけど
あの年は巨人独走であの試合も消化試合だったから落合もそんな喜んでなかった
94年のヤクルト戦の山田から打ったホームランの方がよっぽど喜んでるw 清原が抜けて優勝した西武
97年、清原が巨人に移ると、西武はそれを待っていたかのように優勝し、前年優勝の巨人は4位まで落ちた。
東尾西部が若返りに成功し優勝したのは、「チームワークを乱す清原がいなくなったからだ」と言われた。それを
聞いて、清原はどう思ったろうか。
西武はすでに清原後を視野に入れ、5カ年計画をつくってチームづくりをしていた。計画のスタートは彼の力が
極端に落ちた93年からだ(この年のドラフトで、1位石井貴、3位松井稼頭央、94年に2位小関竜也、3位西
口文也、4位高木浩之を指名している)。
97年の成功はそのモデルチェンジ策が実ったもので、日本シリーズで対戦したヤクルト野村監督が「短いあい
だによくもこれだけチームを変えられたもんや」と関心するほどだった。
清原の代わりに四番に入った鈴木健は打率・315をマークした。96年、清原が得点圏打率・248とチャン
スに弱い四番だったのに対し、鈴木のそれは・375だ。
四番清原が改革をはばんでいたことが証明されてしまった。
清原が入った巨人の関係者はチームワークへの影響を心配した。巨人にも西武とのさまざまなルートがある。そ
こから伝わってくる情報は「清原はチーム(西武)ですでに浮いていた。練習も勝手気ままなので、首脳陣も手を
焼いていた」というものだ。
フロントは「さぼり病が若手選手に伝染するのではないかと心配した」のだが、「ウチには猛練習の伝統があるか
ら、それはないと思う」と気を休めた。
このとき、巨人には監督の長嶋のほか、コーチ陣にヘッド格の堀内恒夫、守備総合の土井正三、外野守備走塁の
高田繁と巨人のV9戦士がいた。彼らは清原を「一から鍛えなおす」つもりだったが、実際に清原を見ると、29歳
の身体は「ボロボロで、鍛えようにもそのための体力がなかった。ノック一つするにしても、肉離れを心配しなけ
ればならなかった」から、満足な練習もさせられなかった。清原もそれをいいことに、巨人式トレーニングを拒否
して、身体づくりに打ち込むふうでもなかった。
清原は西武で、なにをしていたのだろう。 みんな清宮はプロで大成すると思う?
日本人一塁専で結果出したのって清原くらいだよな 本人の努力環境運次第だろうな
清原も松坂も高校時代にプロで活躍する技術を監督から伝授されたから一年目から成功できた >>300
高校の監督が
在学中に先を見据えた指導してくれた >>299
ハンカチ相手に扇風機だった選手が侍ジャパンの主砲にまでなったんだから大成功だろ ロッテファンでもないが、年上の平沼に体当たりした時にはマジでムカついた
千葉マリンで初芝コールが湧いた時に、清原はバカにしたような視線を送ってたし
こんな態度だから一流とは言われないし反感を持つ人が多かった
いわゆる弱者に強く強者に弱いのが清原だった
少しでも当たると大騒ぎする清原に、内角を攻められないピッチャーも出てくるわけだし、卑怯者の悪役でしかなかった ヒップアタックの後ロッテ側に誤りに行ったら村田兆治とかににらまれて半泣き状態だったらしいやん 平沼「今では息子にも言われるんですよ。「オマエ、根性ないぞ」とか叱っても、「お父さんは清原に負けたくせに」と言い返される。その時、まだ息子は生まれていませんが、きっとYouTubeとかで当時の映像を見たんでしょう。この言葉が一番ツライんですよ(苦笑)。
キヨは強い 清原のプレーからは状況判断をしているとか、頭を使っているとかが全く伝わってこなかった
ttps://dot.asahi.com/wa/2016020900178.html
実績を残した人は監督やコーチをやっているじゃないですか。
だから、あれだけの選手だった人になぜ声がかからないのか不思議だったんだ。
球団の幹部も見ているんだな、指導者になるような、
人の上に立つ人間ではないということを。
プロ1年目から俺の記録はいつか清原に塗り替えられるなと思っていた。
こんな選手いない。ただ物足りなかった。
野球選手に大事なのは判断力だが、清原のプレーからは状況判断をしているとか、
頭を使っているとかが全く伝わってこなかった。
技術の先には頭脳と感性が必要なんだよ。でも清原は若いときに教育されていないから考えないし感じない。
人間の最大の悪は鈍感であると言うが、まさにそのとおりだよ。 野村の理論は浅い
「バカ」は頭使うと混乱して思い切りがなくなるから、考えない方が結果が出る
野球以外でも知識の少ない若い奴が勢いでベテランに勝つのは雑念や迷いがないから
500本塁打1500打点2000本安打がバカな清原の限界
よくやったよ 2000本安打、500本塁打、1500打点をクリアした選手は史上
王貞治、野村克也、門田博光、落合博満、張本勲、清原和博の6人だけ。
この偉大な記録はもっともっと周知される必要があるな。
キヨを馬鹿だのアホだの大成しなかっただののたまう連中に。
キヨは決してノムや落合などに上目線で説教されるような選手ではないということを。 >>307
平沼は試合後1人で西武側を出待ちしてて、それにビビって逃げ出した話し知らないの?
ただ、ナベに連れ回されたり、辻に付き添われて謝罪に行ったりと、当時の清原って最強チームの頼れる兄貴達に囲まれたスーパースターの弟分ってイメージがあったから、おいたも巨人晩年の時とは全く印象が違うんだよな Numberの連載、意外と駆け足で進んでいくのな。
もう巨人時代に突入かよ。 >>313
未成年の時門限を破った時東尾が球団に言ってくれて罰金の額が少なくなった
という話が載ってたな
清原を連れまわしたのは東尾何だろうけど 悪いオーナー、悪い監督、悪い先輩。
人間は環境の動物だから、そりゃおかしくもなるよな。 >>313
清原の野球人生の回想話って、西武2年目あたりから一気にFAの話まで進むことが多い。
その間は無冠の帝王とか何故タイトルがとれなかったのかの話で終わる。
西武末期の頃の話とかあまり語られないよね。 自分はリーダーのタイプじゃない
1995年は怪我で優勝逃した
新人時代門限を破り高額な罰金を請求された時東尾さんが球団に言って罰金がなくなっただから東尾さんが監督になった時優勝したかった
巨人より阪神の方が条件が良かったと
ナンバーの連載で書いていた 最新号読んで「お!清原の口から、落合の名前が出た!」と、ちょっと驚いた。
4年前に週刊誌であれだけ罵倒した手前、もう落合のことはああいうシリアスな場では2度と口に出来ないんじゃないかと思ってたから。
今、割と話題になってる89オフの落合清原対談で、落合がかなり有り難い助言を
清原にくれてたけど、それらを全て聞き流してしまったことを今はどう思っているか
清原に聞けるもんなら聞いてみたい。4年前の時点では、かつての落合の
自分に対する皮肉交じりの苦言の数々を恨んでいそうな様子だったけど。 清原はドラフト時に阪神入団、FAで巨人移籍が一番良かったのかもね 清原はリーダーの器じゃないよな
西武の後期も巨人でも期待通りの活躍できなかったし
先輩について行って好き勝手にやってる方が良いんだよ 巨人に入った時期が悪かったんだよ
周りが全部格下年下になっちゃったからな
キヨはPL時代から縦社会を叩きこまれてるから
先輩には従順だが後輩は奴隷扱いするというところがある 原が現役ときに来て巨人の4番を長年背負った男の背中をみていればな それでも内心小馬鹿にすると思う
ON全盛期に二人の背中を見れば違うだろうけど >>197
星野って怖い顔してるときは機嫌がいい
中途半端な笑顔の時が一番怖かった
ニコニコしながら扇風機をバーン
阪神時代に何回もみた
仏頂面の方が機嫌は良かった
楽天いって初めて表情が素直になった 落合は先制打より逆転打の方が中日時代は多かったイメージ
逆に清原は逆転打より先制打の方が多かったイメージ
原や清原はサヨナラホームランやサヨナラタイムリーは案外少ない
確かに落合が勝負弱いというイメージは中日時代なかった
でも三冠王取れなかった時点で
思ったよりという感じはあった
清原はなんといってもナゴヤ球場の場外ホームラン
リアルタイムでテレビでみてて
ただただ呆気にとられた
なにせ打った瞬間、画面からボールが見えないぐらい
あっという間に場外だったから
ttp://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0210/asg_160210_9028206802.html
怨嗟の結婚生活が判明!清原は元妻を殺したい衝動で「斧と包丁」を買っていた
当然といえば当然だが、清原和博容疑者の薬物中毒を元妻も知っていた!
「子供達を守ることが一番の責任」とコメントしたまま、元夫の薬物逮捕に沈黙を守っている清原亜希さん。
そんな中、2月10日発売の「週刊文春」が怨嗟にまみれた夫婦生活を詳報している。
二人は98年に出会い、00年に挙式。二人の息子をもうけている。しかし、清原の薬物依存によって、
14年間の結婚生活は想像を絶する状況だったようだ。
「記事によると、すでに薬物に手を染めていた清原は、家では家具を破壊するほど暴れまくっていた。
そのため、薬物濫用で入院した際、亜希さんは『このまま死んでほしい』と友人に語っていたといいます。
一方の清原は自分の体がボロボロになったのを亜希さんの食事のせいにして、彼女を殺したい衝動で
斧と出刃包丁を買っていたとも。
ほかにも常軌を逸した衝撃エピソードがあるのは確実ですから、すでに複数の出版関係者が彼女の手記を狙っています」 選手・原のことは小馬鹿にしそうな清原が監督・原のことは、
恐らく森監督以上に心服して、恩義を感じていそうなところが不思議だな。
清原より実績で劣る原が清原を上手く操縦していたのに、巨人V9のエースで
200勝投手という実績は申し分なしの堀内が清原と上手く行かなかったあたりは
清原本人の人格の問題と同時に、堀内の決定的な力不足を感じる。
原が04〜05年も監督だったら、清原が結果的に自由契約になったとしても
堀内ほど揉めなかったんじゃないかね。 そりゃあ現役時代の原へのバッシングは巨人時代のキヨの比じゃ無かったからな。その条件下であれだけの成績を残せたもんだから大したもんだよ。 長嶋の時は批判してはいけない空気を察知してておとなしくしてたな
原の時は野球楽しそうにやっていた
堀内の時は言うまでもない >>328
堀内政権の清原は単純に選手として使い物にならなかったんだから誰が監督だろうが対立してるよ
当時のペタジーニと清原がいて清原優先したがる監督なんて存在しないし如何に清原を外すかが大きな命題だったろ >>332
外したくてもなかなか外せないから苦慮してたわな 原は、松井流出後、清原に対して早々に
「お前が4番」と指名して、清原を上手くノセていた印象だけどな。
その年の清原は、規定不足ながら、打率290、本塁打26と
それなりの成績を残して、主力としてはそれなりに機能した。
清原和博容疑者、暴力団との“黒い関係”は20年前から?
ttp://www.cyzo.com/2016/02/post_26473_entry.html
清原容疑者が元アイドルの木村亜希と結婚する約3年前の同年、
週刊誌で「清原さんの子どもを妊娠した」と、
既婚者の女性が告白したことがあった。
このとき取材したジャーナリストの大林高士氏(故人)
の取材スタッフだった出版関係者が明かす。
「清原は当時、女性の夫から、精神的苦痛を受けたと3,000万円の
損害賠償を請求されていたので、本人を直撃したことがあったんです。
でも、雑誌に掲載されたのは清原が言ったコメントではなく、
清原サイドの弁護士の見解。
トラブル自体は清原が和解金を払ったということでしたが、
このときの雑誌や夫とのトラブルは、暴力団関係者が仲介に入って解決したという
ウワサだったんです。
大林さんは、その暴力団関係者を名乗る人物とも接触していたんですが、
清原について『下手するとヤクザに取り込まれるぞ』と不安視していたんです」 日本一回数(選手時代)
清原和博 8回
落合博満 1回 >>293
逮捕後のインタビューで
球を遠くへ飛ばしたいというのもあるが
メンタルが弱いから見栄を張ったり自信つけるために筋肉を無駄に大きくしたんだよな numberの記事の内容や、昨年末のテレビインタビューを見る感じだと
ASKAみたいにおかしな症状が無くて、概ねマトモそうだな。
逮捕直前は「指を指されて、笑われた」とか怒って灰皿を割ったりして
マトモな感じじゃなかったんだけど。 ドラフト時巨人は1位清原、2位(外れ1位)桑田というわけにはいかなかったの?
もしかすると西武が桑田を外れ1位辺りで指名するからと考えられていたの?
巨人が野手より投手が欲しかったのは事実だろうけど、高卒で清原クラスの選手は何十年に1人レベルしかいないのに
もし清原がドラフト時に巨人に入団してたらさらにすごかったんだろうな‥
桑田は巨人以外に指名されたら早大に行けば良かったし、PL-早大のパイプも切れずに済んだのに‥ 当時の巨人は投手が欲しかったんだから仕方ないな
根本はKK両取り狙ってたらしいし >>338
中年クライシスってのがあるが
野球選手は生きがいを失った喪失感を解消するために酒博打女に狂ってしまう
清原の場合常に世間の目にさらされるし引退後に荒れて子供嫁を失ったのもデカい
正負のバランス的に10代からスター街道歩んでたんだからストレスで薬に手を染めるぐらいするわな
新庄みたいに海外に逃げて第二の人生送った方がいいんじゃないかね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています