巨人 原辰徳選手は、現役時代 主に4つのポジションを守っています。

(1) 1981年初めごろ セカンド
(2) 1981年中ごろ〜1988年、1993年〜1995年 サード(ただし最後の3年間はレギュラーではなかった)
(3) 1989年〜1991年 レフト
(4) 1992年 ファースト

このうち、1987年と1988年はセ・リーグのゴールデングラブ賞を受賞しています。
(この2年は打撃成績がよかったのと、ライバルである阪神の掛布選手が故障がちだったのでとれた賞ともいえるでしょう。)

新人でデビュー(1981年)してからしばらくはセカンドを守っていたものの、篠塚選手がシーズン序盤に打撃で爆発的な好成績を残し、守備でも(原選手の時には見られなかった)ファインプレーを連発し、
以後は引退までセカンドを守ることはありませんでした(篠塚選手はこの1981年も含めて4回のゴールデングラブ賞を受賞しています)。

ですから、原選手のセカンドの守備は、凡庸クラスであったといってよいでしょう。またレフトの守備についても、当時原選手は手首痛、背筋痛、アキレス腱痛などさまざまな故障をかかえており、
サードで”穴”となるほどひどい状態だったので、当時の藤田監督がやむなく(もっとも負担が軽い)といわれているレフトにまわした、という経緯があります。

藤田監督も原選手には、”べつにうまいレフトにならなくてもよい。普通のレフトであれば十分合格だ。”
といっていたところを見ると、セ・リーグの中でも下から数えたほうが早いほど守備はうまくなかったようです。
(ただし弱肩ではなかったので、一昔前の張本選手や松本選手ほどひどくはなかったようです)。