高校野球史上最高の投手は?©2ch.net
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平成以降の公立高校と農業高校史上最高の投手は吉田に決まり 渡辺前監督「故・丹波>松坂。江川と比べるのであれば、松坂ではなくて丹波だ」 >>38
桑田は練習試合を含めても完全試合1(コールドゲーム)、ノーヒットノーラン1しか記録していない。まああのころのPLは練習試合をほとんどやらなかったが。
完全試合は2年秋の近畿大会の御坊商工戦(7回はコールド)。
ノーヒットノーランは3年春の近畿大会決勝の天理戦。こちらは9回投げての達成。 吉田正男
嶋清一
楠本保
野口二郎
川上哲治
中尾碩志 >>45
確かに水野は投手としては、異常に過小評価な気がする
池田が猛打のイメージだけだったし、
しかもあのキャッチボールみたいな投げ方がな >>51
数字は凄いが同年に松井が注目されまくった影響で森尾は知名度が低い 森尾はなんかの雑誌かスポーツ新聞に近影載ってたが、かなり肥ってたな 現役引退して肥らないほうが珍しいんじゃないの?
阪神の矢野監督とか稀有な例 原辰徳にしたって、よく見りゃ現役時代に比べたら太ったし、
金本もジックリ見りゃ太ったし、矢野と新庄くらいだろ
現役時代と体型が変わらないのは 見た目太くても現役時代とは鍛え方が違うから体重は少なかったりする >>63
2年秋から3年春までの公式戦でノーノー2回、46イニング無失点
とかやってるんだよな。でも池田は打線しか注目されてなかったから
まったく注目されなかったらしいw >>51
数字だけ見ると昭和平成最高は板東英二
実力なら松坂大輔 >>73
二年秋の県決勝の小松島西戦では味方がなんと6エラー、打っても1点しか取れなかったが、そんな展開でも水野はノーヒットノーランを記録しているのだから大したもの。 水野は投手として全然大したことないと思ってたが、記録は凄いんだな このスレ、どうして高校野球でなくて野球殿堂のなかにあるんだ? 水野は打者としても非常に優秀だったから、
相対的に投手としての能力を過小評価された哀しい男 てか水野って、池田高校やら山びこ打線やら蔦やらが目立っていたせいで、
水野自体の超人的能力ってのは、あんまり語られていない気がする 水野と畠山って、どっちが凄かったんかな
畠山はプロ入り後、打者としてそこそこの成功を見たね
水野もプロ入り直後の肩の怪我をしなければ、
何年かに渡って二桁勝てそうだったけどなぁ 入学時点では畠山のほうが圧倒的に優秀だったらしいな
これで池田は5季連続甲子園に行ける だとか言われて
水野は青森や島根辺りならワンマンチームでも甲子園に行けたと思うが、
チームメイトも超強力だったし、何より蔦監督のクセが凄いから、
水野自体が霞んで見えた 水野は投打ともにすごかったが、
投ではあの投げ方
打では金属バットの特性を利用しての叩きつける打法
のせいでプロに入ってから活躍できるのか、とスカウトの間では意見が分かれていたな。
自分は打者で勝負してほしかったと思う。
本人が望んだこととはいえ、巨人に入ってチヤホヤされたのはマイナスだった。 話は少し逸れるが、池田夏春連覇時代に在籍した選手でプロ入りしたのが畠山と水野だけなのは意外。 俺は二人がプロに行ったら畠山は投手として、水野は打者として成功すると思っていたんだよなぁ
まさか逆になるとは 蔦監督に嫌われて、3番から9番に降格させられた史上最強の9番山口も、
九州の大学へ行ったがイジメで直ぐに中退したんだっけ
完全実力主義で、下級生が上級生を怒鳴りつけるようなチームらしいから、
江上も大阪桐蔭から亜細亜に行って辞めた連中みたいに、
早稲田の上下関係で潰れたのかな >>86
水野が投手で成功するとは思わなかったが、桑田の方がもっと無理だと思ってた >>87
江上や水野も語っているように、畠山や水野以外は筋トレ+ゼットパワー補正に依る高校野球限定の強打者に過ぎなかったから、そんなものかな?とも。
ちなみに畠山や水野はゼットパワーは使用せず、腕力が無いと使いこなせないとされた(但しボールをしっかり捕らえた上で完璧に振り抜けば、打球が
何処までも飛んで行くとも)ボンスラッガーを使用していたそうな。 水野は頭に死球を受けた時に
交代させたほうが良かった。
あれだけの危険な頭部死球は稀な状況だから
監督や審判、運営者に適切な判断が欲しかった。 死球の影響でPL戦はボロボロだったんだっけ
2年夏の桑田も、3回戦では享栄打線にまともなスイングすらさせていなかったが、
決勝の取手ニ戦で割れた爪に塗っていたセメダインが剥がれて負けた >>90
江上は早稲田ではいちおうキャプテンを務めた。よく六大学の試合を観に行ったが、てんで打てなかったなあ。「金属バットでないと打てないのか」とヤジがとんでいたわ。
早稲田の応援団にも「われわれは〜、いままで江上にはだまされ続けられてきた〜。もう我慢にも限界がある〜」とどやされていた。 >>91
たしかに。センスは抜群だったがなにせ身体が小さかったから。
高三の夏のときは高知商の中山のほうが将来性があると評判だった。中山の速球はズドーンと威力がある、桑田の球は軽いと。絶対野手でいくべきだと言っているスカウトもいた。
桑田はよほど努力したんだろうな。 熊本工業の坂田、佐賀工業の江口を挙げたい。
二人とも甲子園がピークで後がダメだったから、余計に鮮烈なイメージが残ってる。
まあ江口は一応プロ入りはしたけど。 江口については、野茂が「俺より凄い投手」と評してたのが印象に残っているな >>93
いまなら続投させた蔦監督や運営が袋叩きにされるだろうが
当時は根性論が支配的だったからなあ >>95
水野の本に江上に進路を相談されて「お前はプロはやめとけ大学行け」
と答えたエピソードがあったな
水野いわくセンター方向に大きいのを打てる技術があるのは僕と畠山さんだけ
であり他の連中はプロでは通用しないと考えていたそうな >>98
江口といえば、夏の甲子園大会中の監督の殴打事件を連想する。
初戦で春ベスト4の東海大甲府を破り、有頂天になったのだろうな。宿舎でナインと大騒ぎ、たまり果てた監督が金属バットで江口を殴打した。
つづく習志野戦は序盤から不調、三回途中でマウンドを降りてしまった。試合ができる精神状態ではなかったのだろう。チームも4-12と大敗。
この話は大会後に発覚したが、これを聞いたとき、この投手は大成できないな、と感じた。 軟投派なら準優勝した水戸商の三橋
取手ニの左下手投げの柏葉は県大会をほぼ一人で投げぬいたが、
プロ入りしたエース石田抜きで、あのショボい球で、
よく甲子園まで来れたもんだと感心した >>102
軟投型なら柏葉と同じ1984年の法政一の岡野が印象に残る。取手ニよりチーム力では完全に劣るのに春夏連続出場が果たせたな。 取手ニってそれ程の強力打線でもなけりゃプロ級投手もいないのに
甲子園と国体でKKPLに2回勝ってるんだよな
不思議なチームだな >>104
でも春の大会では完全試合寸前まで桑田に抑えられて、コールド負けだったんだよね PLは準決勝の金足農戦も負けている試合だった。
桑田の逆転ホームランはファウル説も有った。 >>105
春の大会ではなく、夏の予選前の招待試合でのこと。8回二死まで完全だったのかな、ポテンヒット1本のみ、0-13の完敗。
それが甲子園の決勝で勝っちゃったんだから、わからないもの。
ちなみに春の選抜は準々で優勝した岩倉に3-4で逆転負けしている。 >>104
国体では桑田は投げてないし、夏の決勝は運が無さすぎた
雨で濡れた芝でセンターが捕球直前にイレギュラーして2点先制されたり、
桑田の爪が割れて血だらけで投げたり、
センターからのバックホームを石田が捕手のバックアップしなくて、
マウンドでボサッとしていてたまたま返球をカットして、
打者走者が2塁で刺されて逆転を逃したり >>108
国体でも桑田は投げている。
高校三年間で練習試合を含めて桑田は70勝7敗の成績を残している。このうち大半が公式戦。
7敗は以下の通り。
一年の練習試合 0-3守口(大阪)
二年選抜決勝 0-1岩倉
二年選手権決勝 4-8取手二
二年秋国体決勝 4-5取手二
二年秋近畿大会決勝 0-1東洋大姫路
三年選抜準決勝 1-3伊野商
三年秋国体準決勝 1-2高知商 >>109
甲子園での3敗は有名だと思うけど、
意外と負けている印象 >>109
KKに勝った投手は、ほとんどがプロ入りしているな
山口、石田、豊田次郎、木下文信、渡辺智男 >>111
木下は近大付の投手ね。
83年秋は府大会、近畿大会ともにPLに大差で敗れたのがたたって、近畿大会ベスト4ながら同じ大阪の三国丘に出場をさらわれてしまった。
PLを破ったのは出場できなかった選抜直後の春の府大会の準々決勝。ホームランで1-0の勝利だった。木下は完封。桑田はこの試合は投げていない。
夏も準々で対戦、惜しくも3-5で敗れた。 70年代各年の最高の投手
70年 佐伯(広陵)
71年 竹内(深谷商)
72年 鈴木孝政(成東)
73年 江川(作新)
74年 土屋(銚子商)
75年 北別府(都城農)
76年 酒井(長崎海星)
77年 小松(星稜)
78年 津田(南陽工)
79年 牛島(浪商) 地方予選敗退でよければ八代第一の遠山もよかったな。
8回まで熊工に大量リードして9回にまさかの大逆転負けして、見に来ていたスカウトがみんな愛想をつかした。
もともと打撃力が抜群だったから阪神以外の球団は野手で獲得するつもりだった。
清原をはずした阪神が投手で獲ったが、初めから野手でやってたほうがよかったのかもね。
それでも同学年に多良木の野田がいたけど、問題にならないぐらい遠山が上だった。 80年代
80年 中西(高知商)
81年 工藤(名電)
82年 斎藤(市川口)
83年 渡辺(前橋工)
84年
85年 桑田(PL)
86年 近藤(享栄)
87年 伊良部(尽誠)
88年 川崎(津久見)
89年 そう思ったんだけど、プロでの投手としての活躍度も考慮すると挙げるのをためらってしまった。
当時の評判で選ぶとそうなるだろうけどね。 80年代前半は平沼定晴程度でも大会屈指のストレート
とか言われていた投手低レベルの時代 >>116
近藤が新湊に0-1で負けた時は片手ニーが捗ったな
今どうしてるんだろう? >>116
苑田?だか有名なスカウトが、1988年の川崎以降 松坂登場まで、
10年間甲子園で北別府、川崎クラスの速球を投げる投手は全くいなかった
とか言っていたな 苑田さんの先輩の同じ広島の木庭スカウトも「甲子園で終い(終速)で140キロあったのは小松(星稜)が最後でしょう。最近でこりゃ速いと思ったのは川崎くらいだよね。まあ彼らにしても昔の投手に比べたら大したことないんだが」と90年代なかばに語っていた。 確かに、平成元年から松坂登場までの98年までの間、なぜか大した投手が現れなかったな。 1993年優勝の育英なんて、とんでもなくショボい投手達だった
3人居たとはいえ、皆120k〜130kそこそこの速球 甲子園冬の時代と合致する。
あえて挙げれば
89年 大越(仙台育英)
90年 南(天理)
91年 上田(松商学園)
92年 森尾(西日本短大付)
93年 川上(徳島商)
94年 金村(仙台育英)
95年 山本(星稜、二年)
96年 高塚(智弁和歌山、二年)
97年 川口(平安)
プロで活躍した投手もいるが、甲子園での印象は薄い。 打撃優位の時代だったからでは?
松坂も決勝ノーノーこそあったがわりと点を取られていたイメージ と思って調べたが、例の延長17回PL戦で7点取られた以外は10試合で5失点(4自責点)か
やっぱ化け物だわw >>125
森尾と川口以外印象にない..
本当に投手冬の時代だな 昔だと高校中退で即戦力だから高校生の時点ですでに仕上がってたのだろうね。
金田とか尾崎とか新浦とか高校中退だ。
尾崎の契約金が1961年のときに6000万円だから後の時代とはスケールが違う。 今なら5億超えかな?
でも逆指名時代なら、それ以上もらった人もけっこういるね。
ただし阿倍、由伸以外は契約金泥棒が多かったな。
那須野、野間口なんかはサラリーマンの生涯収入をはるかに超える額を受け取りながら泣かず飛ばず。
ホークスの山村、吉田あたりもだな。 >>130
高校生も逆指名有り、というより
ドラフトを廃止してメジャー指名も完全にフリーになったら
昔のような化け物高校生投手も出てくるかもしれない。
契約金数十億円とか。
いや高校生時点をピークにもってきたら投手寿命は短くなるのかな。 >>122
ってことは金田あたりはやっぱり凄かったんだな。
稲尾なんかもだね。 >>128
甲子園に出場、不出場を問わず、当時の高校球界で評判だった投手は
95年 斎藤貢(南京都)、長谷川(市銚子)、星野(四日市工)
96年 神田(花咲徳栄)、矢野(帝京五)、前川(PL)、伊藤(山梨学院)
97年 川口(平安)、井川(水戸商)、三上(敦賀気比)
だったと記憶する。プロで活躍した投手も散見される。 >>132
金田クラスの高校生がもし今出てきて
契約金上限無しで競ったら100億円くらいになるんじゃないかな。 >>135
95年逆指名2位で入った、即戦力の期待の新人。
斉藤和巳より期待されてた。 >>125
身体能力高い奴は、ほとんどが野球をやっていたが、
キャプテン翼のせいでサッカーにも流れたんか
漫画の影響受けてスポーツ始める奴って意外と多いからな
当時ろくな野球漫画が無かったし。キャプテンくらい >>137
スクールウォーズの影響でラグビーに流れたのや、スラムダンクの影響でバスケに流れたのも少なからず居た筈。
前期はスクールウォーズ、後期はスラムダンクドンピシャリの世代だもん。 天理の南と谷口はかなり将来を期待されてたが、プロでは伸びなかったな。
西短の森尾は甲子園の成績は素晴らしかったが、高校までの投手に見えた。
同じ年の熊本工・坂田は速かったが、彼もノンプロで今一つに終わったね。 平成時代初期の投手となると、ほかには
山田(東邦)、中川(秋田経法大付)、樋渡(市川)、細見(北嵯峨)、和田、背尾(以上大阪桐蔭)、吉田(東海大相模)、三澤(帝京)、
金城(近大付)、渡辺(尽誠)、小野(秋田経法大付)、松井(PL)、山村(甲府工)、北田(天理)、福岡(樟南)
などが当時騒がれたが、どれもみな小粒だな。 >>139
坂田はNTTの前に亜細亜で壊されていたよ。
高卒でプロ入りしてほしかった。
佐賀工の江口はNTTで潰れた。 >>140
山田喜久夫も森尾も剛球タイプではなかったが、コントロールが良くて、
本当に構えた所にしかこなかったから、プロ野球よりも見ていて楽しかったな
特に山田は、逆球どころか構えから数センチ外れた球を投げる場面を
甲子園で見た記憶がないほど異常なコントロールだった 山田のベストピッチは89年春の報徳戦だろう。
5回までパーフェクト、2安打完封。
上体がつっこむと球が高めに行く傾向があった。
優勝した三年選抜のときのスカウト評
「山田はたしかに成長してますよ。選抜に出ている投手の中では最高だと思う。しかし我々が期待していた身長(171センチ)が全然成長していない。プロでやるのは難しい感じですね」 コントロールというと東亜の川島が印象的だな
とてもきれいなフォームだったが、プロではちと素直過ぎたかな
87年の大会は結構好投手が多かった印象
野村、橋本、伊良部、芝草 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています