内野ならどこでも守ってた選手 【一塁・二塁・三塁・遊撃】 [無断転載禁止]©2ch.net
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昔のプロ野球は、打力はそれほどではないが、一塁の守備が抜群にうまい「守備の名手」
の一塁手がよくいた。
毎日の西本、阪急の川合、南海の寺田などは、名一塁手として鳴らした。
だが、次第に一塁手は強打者や外人、守備の衰えたベテランが守るポジションになり、
「守備だけ名手」はあまり見かけなくなった。 一塁の守備だけ名手は中日の渡辺博幸あたりが最後になるかもしれないな。 オリックス時代のイ・スンヨプなんかはもはや守備だけ名手と化してたな 鈴木大地は井上が復調して荻野が怪我とかなったら、来季は普通に外野守ってそうな気もする セカンド、ショート無いでしょ!?落合は全部有るから器用だね
>>108
> 衣笠 >>165
>>164のどこに叩かれる要素があるのか、理解できないんだけど オリックス時代の進藤
セカンド希望で移籍したはずだが 毎試合のようにポジションが変わってた >>170
進藤と小川はどこでも守るし打てるしああいう選手がいるチームはいいよね 進藤って衰えたわけでもないのに突然引退したが
オリックスでの扱いが悪かったのが原因?
引退後全く関わってないし >>171
そういう選手がいると、戦術に幅ができるしね 内野でも外野でも「どこでも守れる」選手は打力があまりなくても、現役を長く続けられる
ケースが多い。試合が終盤になって、代打を出したとき、どこでも守れる選手がベンチに
いるのは重宝するのだろう。 巨人の上田は遊撃が本職だったが、二塁や三塁も守っていた
王が途中でベンチに下がったときは一塁も守った 戸口天従(一二遊三)
島田光二(一二遊三)
人見武雄(三二一遊)
()内の守備位置は、出場の多い順に並べた
どんなキャラだったのだろう? 船田和英(三遊二一)
ヤクルト初優勝時の二塁手だが、世代的に知らない。
渡辺進(二一遊三)は、一塁手なのにトップバッターという変わり種、の印象しかない。 >>179
船田は1978年の時点で角に三塁のポジションを奪われつつある状態で、出場試合数も打席数も三塁守備機会も角の方が多い。
当時の角の話に依ると、角を二番打者に定着させるべく来る日も来る日もバント練習ばかりさせられていたとか。
船田だが元々は土井正三入団前の巨人で二塁を守っていたけど、ベテラン須藤豊との定位置争いから抜け出せないまま、1965年入団の土井に定位置を奪われ、西鉄に移籍。
西鉄では遊撃→三塁のレギュラーとして活躍したものの、黒い霧事件に連座し1シーズン野球活動停止処分を受けた影響からか復帰後も打撃不振に陥り、ヤクルトに移籍。
ヤクルトでは移籍当時の三原以下の監督からユーティリティープレイヤーとして重宝され、やがて広岡監督の時代に三塁に定着。 追加・船田については巨人時代、その武骨な顔立ちが当時人気だったテレビ西部劇のライフルマンにそっくりとライフルマンとの綽名が付けられたのが現役時代の
最も有名なエピソードだったり。
ちょうどローハイドやララミー牧場等の西部劇がテレビの有力コンテンツだった昭和30年代の話。 >>176
使う側にしてみたら、融通が利くからありがたいよね >>179
渡辺進は元々はパンチ力はあるが守備は不安って評価の選手だったのだが
いつの間にか内野はどこでもこなせる選手になっていた ロッテ→オリックスの五十嵐
投手も捕手も経験有!
捕手はロッテで1試合、オリで1試合の2試合だけだが。
また、投手は仰木監督がサービス精神で内外野どこでも守っていた選手だから記念に登板させてようみたいな起用だったけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています