〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.23〓 ©2ch.net
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>>.510
内野の要である大下の放出が決定していたのかもね。
>>520
平松や松原より高かったの? 基はその2年前に中日・藤波と竹田との2対1トレードが決まってたが、藤波が拒否して基残留、竹田は松林との交換でクラウン入り。
吉岡が首位打者まで獲ったんで基要らないになったんだろうけど、実現してたらどうだったんだろう。 当時、名古屋の中日ファンの間ではパ・リーグ弱小球団の基は知名度なし
「藤波をそんな聞いたこともない奴と交換トレードするのか!?」 とブーイング トレードが実現してたら基は中日では三塁かショートで起用されてたと思う。
77年中日の三遊間は打撃面で穴(三塁・森本、ショート・正岡)だったし。
本来の二塁は高木守道がまだ頑張ってた。
クラウン側だと真弓のレギュラーショートが1年早くなってたかな? 追記、中日は阪急とのトレードで加入した森本が大ハズレだったために、三塁には大島を起用していた。 >>522
竹田ってその後すぐ阪神へトレードされたんだな。 基はロッテの山崎と並んで、当時のパリーグ屈指の好打の二塁手。
もっとよい相手とトレードしてほしかった。
だが、ライオンズは間もなく山崎を獲得できたから、よかったのか? 基のあのムラっ気のある性格は日本一を狙うチームには合わなかったはず。
(後年の田尾みたいな存在になっただろう)
だから遅かれ早かれトレードにはなってたかもね。 桧原の喫茶店 「ル○ン」 でコーヒーを飲んでいた時
基が入店してきて驚いたことがある
近くで見るとガッシリしていた ルパンだね
なんか場違いな場所におしゃれな喫茶店があるなあと
思っていた 『南海ホークス50年栄光の歴史』2-4A NANKAI HAWKS
https://www.youtube.com/watch?v=27iTdcW7ojo
既出動画だと思うけどライバル西鉄のことも前半で結構語られてる
当時の西鉄対南海の試合前からの殺気立った雰囲気は後に多くの両軍関係者が語ってるけど
リアルタイムで球場で観てみたかったねぇ
そういや今のNPBは選手同士が仲良し過ぎるって苦言が聞かれるようになって久しいね >>530
やはり打てる選手ってのは体幹がしっかりしてたよ。
控えの貧打の選手なんて、今の高校生よりも貧弱な体してた。 >>532
長谷川法正の「僕の西鉄ライオンズ」で大阪出身の南海ファンが出てきてたな
南海ばかり持ち上げて西鉄けなすから西鉄ファンの主人公は嫌がらせをしていたが
実はいい人だったという落ち 昭和50年に江藤監督体制になって、急に打線が充実したよね
土井・白・江藤の加入は大きかったし、打線に花がある
後何年か江藤監督が続けてほしかった
亀頭監督になって少し地味になってしまった 白と基は
江藤監督体制継続を望んでたみたいだがコーチや東尾や土井ら現場と
フロントが江藤追放を望んでた様で
ドローチャー招聘etc. で江藤が自ら退団する様仕向けた様でw 監督を解任され、他球団で単なる選手に戻った例は江藤と野村 >>539
関係者の本で「あの仕打ちはさすがに江藤監督が気の毒」とか
かいてたの見た記憶がある
国貞が江藤監督に愛想が尽きてシーズン途中でやめたな ライオンズは西鉄だけ
太平洋やクラウンはハイエナズや!
こう言ってたのは、基
俺はダイエーOBや,西武OBじゃない!、こう言ってたのは、大田 >>539
フロント=青木だろ。
坂井は金策やリーグとの折衝でほぼノータッチ。 >>546
稲尾のときも青木が周りに発言することで監督交代を
画策し始めたの気づいたが
勝手にどうぞと放置してたと坂井が自著に書いてたな >>548
稲尾が監督に不適と判断したらしい
あと合わなかったんだろね 青木は大沢のライオンズ監督招聘も画策してたらしいね
大沢もそのつもりだったとか
大沢が監督になってたら更に荒っぽいチームになってただろうなw 【7月16日】1977年(昭52) クラウン 3年ぶり5連勝で首位2日目 夢見た25日間
https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1207/kiji/K20120716003692650.html
鬼頭監督時代に一時的に首位に立ってたとか俺の記憶から完全に欠落してるw
あの2年間って暗い印象しか残ってないw
翌78年の土井の6試合連続ホームランとチームの一時的な好調は雨不足の缶詰給食と共に覚えてるけど 日めくりプロ野球のリンク復活したのか
記事消されてたよな そういや、八浪知行と清俊彦って最近亡くなってるのな >>550
あとは契約書にサインするだけ、の状況から
日ハム創業者が急に出てきてもってっちゃったと話してた。 >>553
貴重なコラムだから書籍販売しても良いくらいだ >>550
大沢が監督だったら
土井 白 竹之内 藤井 基ら
一癖あるベテランをどのように扱ったか興味あるな
江藤は豪放なイメージがあるが
繊細且つ球団首脳と対立する不器用な御仁だったから土井東尾竹之内らには嘗められてた感もあった >>550,555
やがてクラウンガスライター(つうかクラウンの親会社筋に当たる廣済堂の方かと
思われる)幹部と旧知の仲とされる安藤昇経由で根本氏の招聘へと。
恐らく黒い霧事件でどん底に叩き落とされた現状からの脱却には、プロ893も裸足で
逃げ出すようなコワモテタイプを監督に据えないとダメとの認識だったんだろう。 >>550
同時期に南海も野村+サッチーの公私混同に反発して、
球団内には、大沢を次期監督に打診しようと画策していた勢力がいたらしい。 鬼頭さんは監督退任後も亡くなるまで福岡に残って、地元の大学で指導までやってた。 >>558
番記者が書いてたが
家(四畳半アパート)にギターがあって1人慰みに弾いていたのが哀愁あったとか 皐マンションだからそれなりのマンションだよ
ハイデー古賀や米川コーチも住んでたみたい >>560
大沢って南海では嫌われてたってか
人望が無かったと殿堂スレで見た記憶があるが事実はどうだったのかな?
>>563
皇マンションって木造だったのか?
江藤の当時について云われたり書かれてる住居は木造アパートばかりだが >>563
江藤監督の家はボロい狭い共同住宅とよく書かれてたが
誇張入ってたのかな 大沢は現役時代から態度はあの通りのべらんめえ口調だったから
「レギュラーなのにあんな球も打てねぇのか」とまくしたてては
チーム内で不興を買っていた 福岡野球が貧乏だったのは確かだが、貧乏話もいろいろ誇張がありそうだな。
末期でさえ一千万プレイヤーを2人抱えていたし 福岡野球末期の1000万プレイヤーは土井と助っ人のデービスかな?
そうなら共に2000万越えてたと思うが
余談だが同世代のスラッガーの年俸が
土井>大杉>長池
長池ほどの功労者が現役時代年俸2000万到達しなかったとは
阪急シブチン過ぎるわ 生涯収入を考えると江川は阪急・クラウンを蹴って正解だわ。 >>569
阪急は主力の年俸には渋ちんだったけど、
二軍や施設などの総合的な待遇は
近鉄や南海よりはだいぶましだったと聞いた事があるな。 >>570
引退後の解説の仕事も阪急・クラウンだったら無かったかかなり少なかったかもな >>569
78年頃だと土井が1600万、東尾が1200万くらいだったと思う。
基や竹之内や石井クラスでも1000万に到達していなかった 江川が仮にクラウンで入団しててもその年の暮れには既に所沢にフランチャイズを移すことが決まっていたからクラウンのユニホームを着ることはなかったんだよな? >>569
山田、福本、加藤の時代になるとかなり貰ってた デービスの年俸2300万、住居は西鉄グランドホテルだったのかな?
根本監督の住まいもグランドホテルだったような
ハワード(年俸2800万)もグランドホテルだったしドローチャー(契約金6600万)にはスウィートを改装して用意してたらしいし
でも鬼頭監督は扱い悪くて市営団地じゃなかったかな?w
移籍してきた選手の住まいが九大前の木造2階建ての玉屋旅館だったりで
福岡野球って金の使い方(待遇)が人によって違い過ぎて笑えるw
しわ寄せで特に西鉄時代からの生え抜き選手って待遇や扱い悪かったんだろうな まあ結局ドローチャーには払ってないだろうしハワードの年俸も少し返してくれたらしいけどね
でも福岡野球って貧乏だったはずなのに色んな部分で不思議だ >>577
以前あった年俸スレでみたが
日シリ初制覇の頃で長池の年俸が
その3人より低かったんで吃驚した
確か1300万
上田に疎まれてたからかと思えたw
>>578
カネはオーナーの下で坂井や青木が委されてたんだろうが、江藤監督の木造アパートetc. 相手の足下を見て決めてたんだろうなと 久留米辺りで江藤監督だかの偽の署名が入った
手形が出回って
反社会勢力とのトラブル懸念したのも江藤監督にやめてもらった一因らしい。
なぜこんな事が起きたかわからないが青木が細工したのかな >>579
夢を見て色々やってみたが華々しいとこは力いれて泥臭いとこは
地に足がついてなかったのかなと
三原さんに注意されたらしいし
そういうとこが地元に尚更嫌悪感抱かせたのかも 福岡野球は地元の信用組合から融資されていたのは有名だが
それだけで足りない分は岸信介の顔利きで平和相銀あたりから密かに借りてたのかもしれないな 岸は子分が関わっているとは云え
己にメリットが無ければ
地方のパ極貧球団の為に
顔利きしてくれるイメージが無いなw 以前青木だか坂井だかのインタビューで
「遅配は断じて1度も無かった。が、支払い前日になんとか全員分揃えた事はあった」
って言ってたw 青木は阪神をクビになり
大毎に移動後ロッテがネーミングライツで資本提供時に中村坂井との縁が出来たんだっけか
大毎時代に田宮獲得や山内小山のトレードで暗躍してたのは既出だが 大杉が日ハム出された時の年俸は1900万ぐらいと聞いたことある
ハムがベテラン選手を放出しまっくたのは、球団経営の健全化を図る目的もあったような希ガス >>590
健全化=張本一派の粛清だね
己れの成績のみ高年俸でチームに貢献しない連中を斬ってヤオ体質改善
三原翁は水原門下を抜きにして張本を忌み嫌ってたみたいだし 竹之内雅史選手 焼き鳥屋を開く
http://c.nishinippon.co.jp/photolibrary/cat7/post_1473.php
語り草となってる主力なのに給料安過ぎて始めた焼き鳥屋、伝説の1枚w
主力以外のシーズンオフのバイトは当たり前 そういえば、西武は買収後に待遇を上げる代わりに副業を禁止したんだったな。
人気が下降したら、堤みが顔を売れと宗旨替えしてCM出演を認めたが。 西鉄時代の加藤博一は万年二軍だったが
二軍の給料では全く食えないのでオフを中心にバイトをしまくっていたらしい 二軍で首位打者取っても昇給してくれなかったんで、トロフィーを叩き壊したとか >>596
自分が読んだ野球本では、合宿にトロフィーが届いたと聞いたので行ってみたら、
玄関の隅に包装されたまま無造作に放り出されてあったんで、ぶちきれてその場で叩き割った、とあった 加藤博一って下では結果残してたのに何で上に全く呼んでもらえなかったんだろ、誰辺りと被ってたのかな?
脚があったから鬼頭監督なら使ってたと思うけどまあその前にムッシュに見いだされて阪神行ってよかったよね
>>597
福岡大渇水と「博多っ子純情」公開からも40年かぁ
しかし六平役の光石研がずっと役者続けてそこそこ認知されるとはなぁ
劇中で土井とか竹之内のバッティングフォームを真似るシーンがあったような
あと追い山で一瞬中西さんが映るシーンがあった >>599
当時のライオンズは弱いのに外野手の層だけは厚かったから
二軍で大活躍してもほとんど出番が無かった。
西鉄時代に少しだけ一軍の試合に出たけど盗塁失敗して終わっている。
けれど阪神移籍後の76年ぐらいまで実績皆無なのに整理対象にされなかったのは
素質もだけど練習熱心さや真面目さなどが評価されたんだろうな >>600
よく腐らずに下で結果残し続けたよね(74年首位打者、76、77年盗塁王)
ドラフト外入団の意地もあったのかな
一軍でそこそこ出れるようになったのは26〜27歳ぐらいの頃か
あとあの明るさも評価されたんだろうね 6年連続最下位、エース不在で開幕6連敗の大洋を三原はよく優勝させたよなぁ
日本シリーズ前、三原はキャッチャーの土井(三原に請われて西鉄に入るはずだった)を平和台に行かせ、
稲尾、和田のバッテリーに大毎の主軸、山内封じの策を伝授させてる
稲尾、和田は「本来ならパの肩を持つのが筋だけど他ならぬ三原のオヤジの頼みなら」と快諾したそう >>599
光石研は深夜食堂てドラマで福岡出身の刑事役してるな
何か少し方言がおかしい気がするがw 小学4年頃がライオンズの記憶がある目安としたら
50歳がぎりぎりクラウンを覚えている世代
55歳がぎりぎり西鉄末期を覚えている世代
60歳がぎりぎり黒い霧を覚えてる世代
65歳がぎりぎりS38年奇跡の逆転優勝を覚えている世代
70歳がぎりぎり黄金の三連覇を覚えている世代
75歳がぎりぎり初優勝を覚えている世代
70代後半が創成期を覚えている世代
80歳がノンプロ西鉄優勝を覚えている世代
だいたいこんな感じか? >>604
40歳がギリギリホークス移転を覚えている世代
30歳がギリギリ福岡ダイエー初優勝を覚えている世代
20歳がダイエー王監督やライオンズ最後の優勝を覚えている世代
ややスレチだけどこうなるのかな 今23歳だけど、福岡ダイエーは王監督で強かったイメージ
他は日ハムの北海道移転で新庄の加入は鮮烈に覚えていて、藤井寺で近鉄戦見た最後の世代だと思う
ややスレチだけどこんなかんじだわ >>604
63歳の親が死んだ祖父と一緒に平和台で西鉄対巨人の試合を見た記憶があるらしいが
オープン戦か日本シリーズかはわからないと言ってたな 47歳だけども、クラウン時代の記憶すら殆ど無くて本当に残念だわ。 >>532
鶴岡の親分を男にしたい、三原のオヤジを男にしたい
いいね、そういう選手同士の昭和的な意地のぶつかり合い チームのことは覚えていないが、土井がオールスターで
本塁打を打ったのと、太平洋クラブに移籍したのは
思い出す。 >>610
移籍した75年のオールスターかな?
赤ビジユニに日ハムのメット被ってたのを思い出した 75年からDH制が導入されるのを西本監督が忘れていなければ
土井の太平洋移籍は無かったらしい >>599
真弓は江藤監督には目をかけられていたが鬼頭監督とはソリが会わず、
77年後半に抜擢されたのはコーチや2軍監督の推しがあったから、
と雑誌のインタビューで言ってた 真弓、若菜、大田を登用した鬼頭監督はヤクルト時代の土橋監督と被るな
土橋監督は池山・栗山を抜擢して荒木を一本立ちさせた >>614
土井のトレードが成立した後でDH導入が決定して
「それ導入されるなら土井は出さなかった」と西本監督が悔しがったというのは聞いたことがある 鬼頭監督は真弓じゃなくて吉岡悟を抜擢したんじゃないかな。で、見事に首位打者に。
ショートはこの76年に中日から移籍の広瀬の起用が多かったような。
で、基がセカンドのレギュラーを失って例の破談トレードへの流れに。 広瀬は引退後
他界するまで
西武の編成部門に籍を置いていたな
没年が1999年9月9日 野球が好きになって初めて行った平和台
1975年だった、スタンドからグランドを見た瞬間の感動はまだ覚えている
最後藤井栄治が代打で出場してライトフライでゲームセット
球場前の売店で加藤初のサインボールとミニバットを購入した記憶がある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています