〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.23〓 ©2ch.net
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>>364
仰木が既にコーチ兼任で、和田がこの頃は外野手登録だったのか。 >>366
荒木はリトル時代から投げすぎでボロボロだったのでプロではもう伸びしろはなかった。
球威もなく「性格のいい斉藤祐樹」みたいなもん。
だから故障から復帰した試合では「荒木さんに勝たせよう」とチーム一丸になった。 稲尾がかなり激昂してクラウンの解説をしてたのを覚えている
西鉄が築き上げたライオンズの栄光が地に落ちた、そんな怒り方だった
いや、アンタが監督してた西鉄はもっとひどかったやろと思ったけど 67年だと.265 5本クラスの伊藤光四郎がクリーンナップを打っていて
しかも伊藤以外に規定打席に到達した日本人がゼロだったりした。
エースの池永が「俺が4番に入った方がまし」と発言したらしい 落合が抜けたロッテもそうだけど伝統って言うのはこうもあっさり崩れ去る物かと悲しくなるよな。 ロイやバーマに頼りっきりでやがて高齢化や年俸削減でチームを去ると本当に打線が小粒になってたんだな。
船田や広野を獲得して何とかしようとはしてたけど、当時まだ現役だった中西監督を出した方が
まだマシだったのかな? >>371
落合が抜けても、秋にタイトル争いにだけは必死になる伝統は残ってた。 みんながロッテの監督だとしてもし落合のトレードが1対1だったら誰なら良い?
私は原(巨人)、R.バース(阪神)かな 見た人いるかもしれんけど8月のテレ東の番組に田中章が出ていたらしいな。
引退してから木更津でもつ焼き屋をずっとやってるらしい。
奥さんは元ミス岐阜でたぶん田中がライオンズ在籍中に結婚 豊田泰光は、西武は福岡時代を抹殺している!と言ってたけど具体的に何のことだったのかな
知ってる人がいたら教えて >>372
主砲の豊田を金銭トレードに出して、それを元手にロイ・バーマ・ウイルソンを
獲得したころから、西鉄打線はおかしくなっていったと思う。
外人のパワーで、一時的に強くなって優勝したが、外人が帰国して抜けていくと、
貧弱な日本人打者しか残っていないことになる。
エースの池永が6番を打ったりしたのも、演出だけではなく、「まだ池永のほうが
まし」という実態もあったのではないか?
中西監督は豊田がいたころから、すでに試合に出る意欲をなくしていたらしい。 根本が監督になって(補)若菜,(二)基、(遊)真弓、(中)デービス、(右)立花とようやく守備が固まった。
それが翌年は〜 >>376
西鉄で木更津というと、打撃練習のバッピやってる時に打球が胸に当たって死亡した宇佐美投手ってのがいたような…
しかし、当てた方は自責の念にかられただろうな… エースの田中勉を未完の大器広野と交換したトレードも通常ならありえんだろな。
田中が高年俸・故障持ち・トラブルメーカーでまた打線の弱体化など理由はあるにしても
今で例えれば楽天則本を西武山川と交換トレードするようなもんだろな 田中勉もなあ
あんなことがなければ実績のあるヒーローとして
語り継がれただろうに・・・ >>379
堤社長時代の西武は、西鉄・太平洋・クラウンをライオンズの球史から除外していた。
豊田はそのことに苦情を言ったのではないか?
だが、その後の西武は福岡時代も球史に含めるようになった。
稲尾の背番号24を永久欠番に指定したり、西鉄時代のユニフォームを復刻し、
選手に着用させて試合をしたりした。 >>386
そりゃあ当時の福岡ライオンズのイメージは最悪だし本気で暗黒色を払拭する為には仕方のない事だったのかも。 豊田も後年考えてみればそれはしゃーないことだったと思ったんじゃないかね。
じゃなかったら西鉄復刻のアドバイザーなんかも引き受けなかったんじゃないかな。
それより何より、堤天皇政権下で太平洋クラウンの帽子を
所沢の倉庫に茶箱に入れて厳重に保存していた球団の行いは球史に残るレベルだわ。
身売りとかしてなくても昔の資料を保存してない球団が多いのに。 >>386
花井悠も関西ローカルのおは朝で似た様な苦情を言っていたらしいね。
こうした事情も、全期間を通じてのライオンズOB組織がなかなか出来ない要因の一つな気がする。
OB会といえば、ロッテも少し前までは毎日時代のOB会しかなかった。
これには旧親会社の毎日新聞社の関係者も参加していたが。 「西武は福岡時代を抹殺している!」
こういうと西武が地域差別してるように聞こえる。某団体のメッセージみたいだ。 >>360
記者たちの平和台見たら
末期はスカウトの感心しない振る舞いも多かったみたいだね
詳細は書いてないが 西鉄〜太平洋に在籍した後広島に移籍した三輪悟投手も、
引退後の広報担当を務めていた時、記者への態度があまり良くなかったという話が以前出ていたな。 赤ゴジラがブレイクしたときに
マスコミが取材しようと連絡したら
広島の広報が「取材させてやる」と言わんばかりな
横柄だった話ね。
マスコミの間じゃ一種の有名人で
「あの人で広島は知名度上げる機会をかなり損してるんじゃないか」と言われてたようだ
ただ、三輪さんはその時期そこにいたからささやかれただけで
本人に会って人柄知ってる人は「三輪さんと違うんじゃないか」と書いてたよ >>393
詳しい情報ありがとう。非常に申し訳ない。
当然広報担当は複数いるから、当時年長だった三輪も同僚のせいでとんだ風評被害を受けた形だね。
今の比嘉(現役時代金本の後10番を着けたが、伸び悩んで52番)は相当記者から評判が良いみたいだけど。 >>394
いえいえ
確か、広報の話は二宮清純と誰かの対談本に書いてたように思うよ。
05年辺りから広島は広報戦略が代わったような感じになったから
その辺で担当変わったんでしょうね 65年に西オーナーが西鉄本社での権力争いに敗れて退社してから
球団は縮小均衡一辺倒になって主力放出が続き人気低迷が慢性化。
確か池永も球団予算では無理で西のポケットマネーで契約金を出してた >>386
産経の連載でかかれてたけど
身売りしてずっと西鉄社内も
ライオンズの話をあまり出したらいけない雰囲気があったらしい
復刻イベント辺りで身売り決めたオーナーに
思いきって話持っていったらあっさりOK出たから
西鉄も大っぴらにできるようになったみたい 397の元ネタは下記の記事
ttp://www.sankei.com/smp/economy/news/131217/ecn1312170001-s.html 黒い霧事件と江川の入団拒否がなければ大きく変わっていたんだろうなあ 西鉄ライオンズほど栄光と凋落の差が激しい球団はなかったろうね ライオンズはまあ、事件を起こしての低迷だけどホークスは単純に野球だけでの低迷だからね。
しかも復活するまでが長かった… 南海は60年代に3連続事故を起こして信頼低下を招いたり
和歌山が地盤沈下してかつ和歌山市駅の地位が国鉄和歌山駅に奪われたり
国鉄の都合で南紀乗り入れを廃止にされたり
四国フェリーの客が明石大橋や瀬戸大橋に奪われたり
沿線の主要産業の繊維や住金が衰退したり
ベッドタウンとしての人気も北摂や阪神間に完全に負けたり
難波再開発や高野線沿線の複線化に巨額の費用がかかったり
まあ親会社にいろいろありすぎて野球どころではなくなった >>397
今更ながら、西鉄ライオンズ最後のオーナーは
最近までご存命だったのは知らなかった。
(この記事の翌年に94歳で亡くなってるみたいだ) >>379
でも豊田さんの遺産だか、メットライフドームの内側には西鉄3度の日本一を示す看板があるんだから。 >>403
三大事故の頃は労組や中曽根からも球団売却を求められたという話があるな。
その後旧寺田財閥との縁で川勝がオーナーになって、
ある程度の立て直しはしたけど、上記に挙げられる要因もあって、
資金を球団に充てる余裕がなくなっていただけに、川勝も表では球団維持を口にする一方、
青木一三の証言によると、裏では来島どっくやダイエーとも接触していたというし。 花井悠は西武が日本一になった時、
「ああ、よかったとバイね」と言ってたからそんなに西武に反感はなかったと思う。
西武に反感があるのは西鉄OBより西鉄ライオンズ研究会、ホームページでも西武批判していていやらしい。 尾崎行雄や毒島章一は日拓が公になった時に解雇されたから、
公にはあまりいい感情持ってなさそう
事実2人とも「自分はあくまでもフライヤーズOB」と言ってたし 高橋直樹も広島に出される時球団幹部に、
「君は東映OB」と言われたんだっけか。
同じ身売りを繰り返した球団でも、ロッテなんかはそれほどギクシャクした感じではないな。
まあ大毎〜東京〜ロッテ(初期)と、同じ人(永田ラッパ)がオーナーだったこともあるんだろうが。 >>408
毒島は東映時代の田宮監督に半ば引退を勧告されたのが原因。
あと20数本で2000本安打で達成する気はあったが故障で試合に出られないうちに
「毒島は実質的に2000本安打打ったと思っている」と田宮監督に言われて身を引いた 毒島はCSで解説やってた時は、西武OBみたいなスタンスだったな 楽天誕生以降に産まれた俺にとってはみんなの話が何のことかさっぱり分からないや ハムは一時期コーチスタッフからも東映組がほとんど消えていたな。
最近東映ユニを復刻したり張本と和解したりしたのは栗山監督の要望らしい 東映色一掃は日ハムの球団社長した三原さんの何か意向があったのかもね そりゃ関東で一番黒い球団だったし、三原がいればそうなる。
実際永久追放が出たし。 他にも東映は水原が監督やってたから、水原門下生を疎ましく思ってたのもあった。
代表例として張本、大杉、白、大下など。 東映は大下監督時代、西鉄は川崎監督時代に一気にチームのたがが外れて
後の黒い霧の遠因となった 西武売却・移転後には福岡時代からの選手だけ応援して、
移転後に入団した選手をディスっていたファンがいたという話を聞いた事があるが。 今の西武って昔の西鉄そっくり。
高給取りが次々出ていくところはかつて通った道そのままだよ。 >>421
西武黎明期〜黄金時代を除けば基本ライオンズはシブチン球団だぞ。 >>419
近鉄が合併・消滅後に、近鉄ファンが楽天やオリックスなどに散らばった近鉄選手を応援してたのと同じだな 要するに東尾、大田、立花、永射、鈴木治彦あたりだけを応援か
東尾と大田は日本シリーズで最優秀選手になるほど大活躍した 久保康生コーチが柳川高校以来の福岡に帰って来た。
立花コーチと近鉄、クラウンの同期ドラ1で、プロ野球ニュースでテレビ西日本のアナが「今日、悲しい出来事が有りました」とまで言ってたが、何の事は無い、平和台のクラウン−近鉄のオープン戦でルーキーの二人が対決した事だった。
立花は92年だけ阪神にいたけど、この年だけ重なってたかな?二人ともコーチとして評価されている事には敬服するが。 >>426
この試合か
ttp://i.imgur.com/e2JAosx.jpg 西武の初期、年に何回か平和台で主宰試合があったが、福岡時代のファンが多く
ライトスタンドに入っていた。
福岡のファンたちは、当時はまだライオンズが自分たちの球団という意識を
持っていたのだろう。
西鉄時代から西武黄金時代まで一貫してエースとして活躍した東尾の存在も
大きかっただろう。 >>427
OP戦で佐藤義が7点とられて完投とかむちゃくちゃなことやってるな 福岡時代を払拭しようとしていた堤体制の西武での初のOB監督が、
皮肉にも西鉄時代から在籍の東尾だったというのが何とも。
滝内弥瑞生や和田博美は西武になってからもコーチをしていたけど、
滝内は広岡体制発足と同時に近鉄に移って、
和田は最末期には阪神の編成・コーチやや社会人のコーチをしていた。
和田がコーチを務めた米マイナーリーグのローダイ・ライオンズはもともとロッテが中村主導で買収して「ローダイ・オリオンズ」でやっていたのが、
中村がロッテから福岡野球に移動して、そのまま福岡野球の傘下になって
「ライオンズ」に改めていたものらしい。 真弓や若菜や伊原もローダイに行ってた。
向こうの場内アナウンサーは「マユミ」が言えなくて何を思ったのか「ジョー」と言って、これが真弓のニックネームになった。
最近はこうした留学はやらなくなったが、彼らの野球人生には大きかった。
秋山、工藤、山本昌あたりが最後かな。 その後に柏田がいたな。メジャー昇格のおまけつきで。 >>431
「デーブ」大久保なんかも少しくらいの英語ならできるようになって、
それが後の仕事でも役立ったというし、やっぱ大きかったんだろうね。 今から39年前の今日はあの空白の1日
江川がクラウンに入団していれば歴史が変わってたんだろうなー 江川がクラウンに入団していたら、田淵を獲らなくても西武に買ってもらえる、それだけ。
福岡政財界には不良債権扱いされていたし、頼みのスポンサー、クラウンには契約を切られた。
ライオンズが存続する唯一の道は、移転身売り、それしかなかった。 435だが、434氏は間違っているの間違い。訂正する。 江川が入ってしかも移転も行われてたら、後の西武の強さがヤバいレベルになってたな。 江川が入団しても観客動員100万人は無理だろうし仮に動員しても赤字のまま。
江川が一瞬だけクラウン入団に前向きになったという話は果たして本当なのやら。
けど万年Bクラスだったライオンズがたった5年で日本シリーズに出てきて
かつ敗れるとは江川も想像しなかっただろうな クラウン(福岡野球株式会社)から西武に変わった時点で、江川はライオンズへの
入団を検討してみる余地はあったと思う。契約金1億円とか、金銭面で当時最高の
条件を得られた可能性はある。
また、所沢に移転するので、江川の希望通り、関東在住で野球ができるようになった。
その後の西武の選手への処遇を考えると、江川は相当な高年俸になった可能性がある。
そして、西武黄金時代の立役者として名声も残せた。
だが、当時の太平洋・クラウンの惨状を見ると、その後の西武の栄光は、江川には
到底予想できなかったとは思う。 当時の西武はCM出演禁止だから総収入はそれほどでもない
また、オフのバラエティ番組などへの出演も原則禁止なので
あまり人気も出ず、引退後に稼ぎまくることもできなかったのでは 東京モンだけど、昔の後楽園でクラウンライター時代のライオンズを何回か観たよ。
お腹に背番号があるユニホーム懐かしいな。
期待の若手スラッガーに山村がいて、三塁なんだけど1塁送球が良く暴投になってた。
ペナントを争うチームなら、彼に内野は守らせないだろうなと思ったよ。 >>441
胸番号ユニは太平洋クラブ最後の年の1976年前期だね。 クラウンは78年になっても
東尾はもちろん山下や石井らベテランまで中3日完投やリリーフ連投を日常的にやっていたから
酷使体質を江川サイドが嫌った可能性もあるな。
根本に向かって「中3日は嫌です」なんて言えないだろうし ジャイアンツホークスのOB戦、うれしいわ。
監督が野村なのもええが、なにより南海とダイエーの混成チームというのがええ。
できれば10年前にやってほしかった。稲尾の見てる前でな。 昔の応援団はベンチの上に陣取っていたけど、果たして入場料を払っていたのかな? 昭和38年の日本シリーズ最終戦の例の動画では両軍応援団がベンチ上で活動している様子も。
巨人側の応援団に法被も何も着ないただのオッサンみたいな人がいて笑ったが。
83年の後楽園巨人−西武の日本シリーズから急にベンチ上から応援団を閉め出して他球場も追随していった。
先日のアジアチャンピオンシップではベンチ上に変な仮設ステージが出来てお姉ちゃんが踊ってたが。 あれは都市対抗でお馴染みのステージではないかな。
東京ドームだからお手の物だったはず。 >>443
逆に入団してれば根本に鍛えられ広岡にネチネチされながら活躍したんじゃない? 西鉄の優勝パレードはいまのソフバンとはコースが少し違うんでしょ? 東京巨人軍【企業名の無い球団】横浜ベイスターズ のスレより
313神様仏様名無し様2017/10/17(火) 13:16:24.74ID:IDvHvMVI>>314>>318>>341
1970年代の後半に福岡の親戚とプロ野球の話をしたとき
「クラウンライターファン」 という言い方をしたら
親戚は表情を曇らせて 「そげな球団のファンはおらん!
おるのは “ライオンズファン” たい!」
と返された
痛いほど気持ちがわかった
たしかによその土地の奴からひいき球団を尋ねられたとき
「クラウンライターファン」などとは絶対に言わなかった
「自分はライオンズファンだよ」と答えたが
「ライオンズってどこだっけ?」と言われてガックリ来た
西鉄黄金期だったら「ライオンズ」だけでも通用したろうに すんません
他スレのアンカーまで一緒にコピーしてしもうたw
そこは無視してね こういう輩って野球そのものが好きなわけじゃないんやね
中身よりもどこの百貨店の包み紙かを気にするクチ >>416
撮影現場に田岡組長が挨拶にくるような会社だもんな 黒い霧騒ぎの引き金を引いた永易が最初に入団したのも東映。
Wikipediaによれば東映入団時に契約金を踏み倒されたらしいが
それで本人がぐれたのかもしれないな。
八百体質はそれ以前からあったのかもしれないが 別に鉄道会社だろうと新聞社だろうとそういう社会との繋がりはあるには変わらないだろうけど、
その中でいえば映画会社が最も恒常的につながっているだろうからね。 豊田泰光が生きていたら、ソフトバンクにどうケチをつけるかな? >>313
自分は太平洋ファンと名乗った時期はあるが
さすがに数年でクラウンに変わってしまってからは白けてしまい・・・
ライオンズファンに言い直した もし、ダイエーがライオンズを買収していたら?福岡から移転せずに済んだでしょうね! >>459
微妙。しっかり裏まで調べあげれば移転有りきでしょ。
太平洋になって平和台の使用権を嫌がらせされたりしてるし、
ダイエーになってからも福岡市と北九州市で開催試合の数で綱引きとか。
もしかして西武はそこら辺り調べあげて移転したのかね? ダイエーってフランチャイズを福岡か神戸かで結構揉めてたみたいだね 西武は大洋ホエールズの大株主で、その準フランチャイズとして西武球場を作った。
しかし、準フランチャイズ計画は失敗、焦る堤に中村は言った。「ライオンズを買いなさい。」
堤はライオンズが欲しかったわけではなく、中村に買わされた、という方が事実に近い。 全くの憶測だけど、西武は当初所沢と平和台のダブルフランチャイズも密かに検討したんじゃないかと思う。
野球協約の問題や福岡の排他意識などで早々に平和台を切ったんだろう >>461
ダイエーがホークスを買収して福岡移転が決定的になった段階で、ブレーブスが身売りの発表があり中内オーナーが大後悔したという話が当時流れたんだけど。それは何情報? 40年代初期、西鉄の楠根オーナーが決断してたら
東芝ライオンズかアサヒビールライオンズになっていた
40年代後期に木本オーナーが身売りしてしまうのだが
身売りの時期を短絡的に判断したため結局6年後に所沢に行ってしまった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています