〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.23〓 ©2ch.net
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>>35
福岡野球の6年の間であの年からの3年間はかなり大変になった時期だったよな
前年までは勝率的には負け越しみそれほど多くなくてそれほど弱くはなかった 坂井代表の著書にもあったけどスポンサーからの入金遅延と銀行の貸し渋りにあって金策に駆けずり回っているのが76年頃から。
太平洋クラブの関連会社の平和相銀の乱脈経営が表面化したのがこの頃で、オーナー小宮山氏は79年に死去。
廣済堂にスポンサーが代わっても太平洋クラブとのつき合いがあったってことは、廣済堂も金払いは良くなかっただろうから、資金繰りはかなり綱渡りだったんだろうな。
西武がホエールズを諦めなければ、パリーグは再々度の消滅危機だったかも。 福岡野球になって平和台からの締め出しや使用料値上げを通告された時に
これを蹴って小倉を本拠地にする考えは無かったのかな?
小倉をベースに下関や佐賀や熊本で日程消化、遠征扱いでたまに平和台に戻る形でも良かったのに >>35
個人的には前回復刻した、第3ユニフォームが一番の出来に思える。
現代の選手が着ても全く違和感無かった。 >>39
球団事務所が球場内にあったから難しかっただろうな 最近はどこも赤いユニフォームの勝率いいから、真っ赤な73ビジターなんかちょうどいいかも。胸のTAIHEIYOCLUBには支障あるかもしれんが。 >>41
福岡市からは立ち退きを迫られていたけど登記上住所だけ
坂井だか青木の自宅にして最後まで平和台に居座ったって話は
福岡野球(株)を象徴してると思った。 堤を恨む人も多いけど、堤がライオンズを買わなければ、ライオンズは消滅なんだよなあ。
移転しても存続する方を選ぶのは当然だろ。 行政が太平洋以降のライオンズに冷たかったのも
移転理由の一つなのかな 本当に悪いのは後先考えずライオンズを放り出した西鉄本社。事情を酌まずに余所者がライオンズを好きにしてるとやっかんで福岡野球に嫌がらせした福岡市ということでFA? 元凶は黒い霧事件
親会社の面子を潰すわ手厚いバックアップを施してた行政の恩は仇で返すわでは、経営も支援もアホらしくなるのは当たり前 豊田の著書では、八百長体質を放置していた西鉄首脳が黒い霧事件の遠因とされていた。まあ、この辺は稲尾が可哀想という感情が走った水掛け論。
ただリーグを維持しようとする義侠心から経営に手を出した中村オーナーには福岡からの仕打ちはとんだとばっちり。 >>48
黒い霧事件の西鉄や地方自治体の対応は仕方がなかった、やむをえなかったといえる
一つ対応を間違えたら日本野球機構や12球団のオーナーや地方自治体までも組織的に野球賭博や八百長に関与して収益を上げていると警察や検察に疑いをかけられてしまい
これこそ12球団のオーナーまでも逮捕されてしまいプロ野球が解体・消滅していた可能性だって十分有り得たくらいに球界にとってヤバイ事件だったからな
むしろ黒い霧事件で大きな被害を喰らったのが西鉄ライオンズだけだったのが奇跡的なくらいだ。 東映や中日も打撃が大きかった。
饒舌な張本や板東が黒い霧を語っているのも見た事が無い 75年の博多延伸後も遠征には新幹線使えなかったん? >>52
そんなことはないだろ
ただし新幹線は普通車で移動かもしれない 俺が知りたいのは、池永のスナック資金をだれが出したかということだ。
池永本人は後援者というけど、野球賭博やるやつに後援者がいるとは思えないね。
稲尾が池永の復権運動にかかわっていたのも、黒い霧を隠ぺいするためだと思う。 稲尾はそんな思い込みをした記者に自宅の庭園内に忍び込まれ
帰宅と同時に無理やり詰問を受けていた
時代が時代とはいえどう考えても不法侵入 >>50
>黒い霧事件で大きな被害を喰らったのが西鉄ライオンズだけだった
身売りすることだけ決めて、引き継ぎ先を確保できなかったのが西鉄の晩節を汚したな。太平洋への譲渡は完全に他人に尻拭いしてもらった形で、当事者能力が全くなかった。
同じように黒い霧のダメージ受けて身売りが決まっていた東映もパイオニアとは破談になったが次に日拓に引き受けさせたのと大違い。
同時期にプロ野球から手を引いた永田大映もロッテに引き継ぎしているし。
まあ、中央財界の顔の一人だった岡田社長と地方企業じゃ行動力は違ったが。 池永が黒い霧でクローズアップされたのは甲子園優勝投手だから。
西鉄のエースというだけだったら話題にならなかったと思う。
池永以外の西鉄の永久追放選手なんて、まったく話題にならない。 西鉄は球団を手放した後に六社会の一員として福岡野球をいびってたのは鬼の所業としか思えん。 >>56
黒い霧事件はプロ野球にとって第二次大戦後最大の危機だったんだ。
反社会的な暴力犯罪組織との関連が発覚してしまい
球団オーナー企業の社会的信用は失墜して
いつ、どこの、誰が逮捕されても全くおかしくない
先が見えない状態だったんだ
だから西鉄のやったことは「企業の信頼回復」の意味もあるから
ある意味やむをえなかったんだ 黒い霧でぼろぼろになった西鉄ライオンズがなぜ、いいイメージで語られるのか。 福岡市の方もいびり方がひどい。
1、「いつまでも平和台が使えると思ったら大間違いだ」と球団職員に悪態をつく。
2、伸びきって通行者に危険な古木の枝処理を放置しておきながら球団が処理しようとすると妨害
3、球団事務所を球場に設けるのはアマチュア野球に不公平だから不可と通告
4、広告をとりつけてある球場の鉄柱を収入が球団に入るんだから買い取れと要求
地元の議員の意向もあるみたいだが、当時の公務員の何を考えていたかわかる事例だな。
札幌もこんな調子だから日ハムに見切られたんだろうか 行政にしてみれば八百長ライオンズは福岡の恥
一刻も早く出て行くなり解散なりしてほしいのに、福岡野球なるうさんくさい会社にいつまでも地元に粘着されてるんだから苛立つのも当然
実力行使ができないのならトコトン金を搾り取ろうとするのはごく自然な考えだ 福岡市や福岡財界の異常な排他意識がもろに出ているよな >>50 >>59
確かにプロ野球の危機だったことは確かだが、12球団のオーナーが逮捕されるとか、
地方自治体が組織的に野球賭博や八百長に関与していると警察に疑いをかけられ
ているとかおおげさだな。
警察が逮捕しようとしたのは賭博で利益を上げている暴力団の壊滅で、プロ野球の
賭博はその一端にすきないのだが。
それと西鉄の球団売却は「企業の信頼回復」ではない。当時の西鉄経営陣が赤字で
前の経営陣が道楽でやっている球団経営をやめたかったが世間体を考えてできなかっ
た。
そこで、黒い霧を幸いに球団にかける金を縮小。Bクラス常連となったところで、西鉄
電車の運賃値上げに赤字子会社の整理が条件となったことを利用して、球団経営を放
棄した。
ライオンズを手放すことが運賃値上げの条件とは運輸省も言っていないはず。
東映もそうだが黒い霧の影響で球団を手放したのではなく、単に赤字なので、前の経営者の
道楽につきあえないと考えただけ。
そう意味で東映も西鉄も選手は運が悪かったと思う。 >>64
排他されるには理由がある
興行は信頼関係ありきだからな
手酷く踏みにじった代償だよ 西鉄は黒い霧より前、豊田の放出あたりから露骨な経費節減政策を始めていて
若手ベテランを問わず主力をどんどん売り飛ばしていたんだがな。
畑・玉造・田中(久)・井上・城戸・安部・田中(勉)・高倉etc
田中勉には25%減俸を提示して更改が決裂したところで中日行きを通告した >>66
それなら西武が球団を買って所沢に移した時にギャースカ言うなよ。
見苦しいだけだ プロ野球の八百長に懲りたという割には、移転直後から福岡市の官民挙げて誘致活動開始してるしな。
スレ違いだから詳しく書かんが、ホークス移転決まったら決まったで、新球場の用地買収で詐欺やら収賄のスキャンダル出放題。
こんな事態、後の札幌でも仙台でも起きていない。 >>54
>俺が知りたいのは、池永のスナック資金をだれが出したかということだ。
>池永本人は後援者というけど、野球賭博やるやつに後援者がいるとは思えないね。
入団時の契約金5000万て
あの年代では破格じゃなかったん?
当時の池永本人に人格は別次元の堅実な金銭感覚持ってたら…
しかし事件に巻き込まれなかったら間違いなく史上唯一プロ300勝の甲子園優勝投手なれたかもな惜しかった
自分たちは西鉄黄金期以降の晩年しか知らない世代だから
ネガティブで暗い話しかできないのが悔しい >>68
そこで何も言わなかったら冷淡に見られるだろ。
何を正論かまして悦に浸ってるのやら。 西鉄末期が今の西武と似ていて、戦慄する。
年棒削減のために選手を放出なんて、いつか来た道じゃないか。 西武には育成重視という明確な指針があるからな
費用対効果の査定が厳しいのもコスパが悪けりゃさっさと放出されるのも、黄金期から一貫して行っていること
昨今の傾向でも何でもない ソフトバンクが西武を吸収合併すればいい。
新球団名は、福岡ソフトバンクLホークス。 尼かGoogle辺りがペプシ代わりにでもならん限り前途は暗い
――
http://npn.co.jp/article/detail/72635895/ 元オーナー堤義明氏を“美談”で永久追放 西武HDが狙う次のターゲット
・・・堤氏は、1987年〜'90年、及び'93〜'94年の計6年間にわたって米経済誌『フォーブス』に世界一の大富豪と紹介された経歴を持つ。資産額は推定3兆円超だったが、「外部からはうかがい知れない部分があり、実際の資産額はその何倍もあった」(情報筋)ようだ。
従って西武株放出=影響力ゼロは、当人にとって手足をもぎ取られるようなものだが、金銭的なダメージは限定的。そこがドン追放を画策してきた後藤社長の着眼点だったのは間違いない。
世間の関心は西武王国の新たな“ドン”に躍り出た後藤社長が繰り出す「次の手」に移っている。奇しくも堤氏の厄介払いを発表した2月10日、HD傘下の西武鉄道が西武新宿線南大塚駅から安比奈まで延びる貨物専用の
安比奈線(3.2キロメートル)の廃止を発表した。安比奈線は入間川の河川敷から採取した砂利の輸送線として1925年に開通したものの、砂利の需要減や採取規制の強化から前回の東京五輪開催前年('63年)以来「休止」の状態だった。
昭和の名残をとどめ、鉄道ファンの根強い人気を集めたこの安比奈線、実をいうと米投資ファンドのサーベラスが採算性の悪い5路線の廃止を求め、揺さぶりをかけた際には対象外だった。
要は後藤体制が確立したタイミングに併せて創業家のイメージが色濃く残る貨物線を廃止し、線路自体も撤去するシナリオだ。
西武ウオッチャーが、「その延長に位置付けられるのではないか」と危惧するのがプロ野球、埼玉西武ライオンズである。同球団は堤元会長の肝いりで設立された。
みずほ銀行から後戻りが許されない片道キップで送り込まれた後藤社長の目に、堤カラーに染まったライオンズ球団がどう映るかは明らかだ。
「球団経営が厳しいことから何度も身売り説が飛び交った。そのたびに後藤さんは『ファンの期待に応える』と言ってきましたが、堤さんを放逐して名実ともにトップに君臨すればどうなるか。
根が計算高い銀行マンですからね。これで今シーズン最下位争いを演じるようなら、もう遠慮はしないでしょう」(経済記者)
そんな後藤社長には今も悩ましい問題がある。筆頭株主としてにらみを利かせるサーベラスの存在だ。前門(堤元会長)は強行突破した。しかし後門は一筋縄では行きそうもない。西武王国の新たなドンの実力が一気に問われる。 野球賭博の池永には、銀行も金を貸さないし、不動産屋も物件の仲介をしないよ。
池永に代わって物件を収得し、店が軌道に乗るまで資金を提供し、チンピラが来たら店から追っ払う。
そんなことができるのは暴力団関係者くらいだろう。
野球賭博のことをしゃべるな、の交換取引だと思う。 今どき福岡市や福岡財界による福岡野球いじめを肯定する奴なんているんだなw >>68
余所者意識丸出しで興行に嫌がらせをし、福岡野球を行き詰まらせ、ライオンズをただ同然で取り上げる。その算段が外れると悔し紛れの悪口雑言。如何にも昭和の田舎紳士の風景ですな。 いじめでも嫌がらせでもない
これは福岡野球追放を念頭に置いた制裁だ
行政の資金援助を八百長という形で裏切った以上、その代償は謝罪では済まされない >>80
いつまでも見苦しいな。
福岡市は西武に負けて後にダイエーには全面屈服した、それだけだろ >>81
ライオンズを追放しホークスを迎えた
それだけの話
福岡を追われたライオンズは所沢で蘇生し、大阪で力尽きたホークスは福岡で蘇生した
それ以外の何物でもない >>82
>>66から居着いたみたいだな。
何が原因でこいつが現れたか不明だが 元凶は黒い霧事件
企業や行政に責任転嫁するのは筋違い あれだけの不祥事に管理責任問われたのはあくまでも西鉄で、福岡野球は黒い霧とは無関係じゃん。その理屈なら福岡市を裏切ったのはあくまでも西鉄本社だわ。
ホークスの成功というけど根付かせたのも福岡野球の代表だった坂井さんとライオンズの監督だった根本部長の働き。いわば福岡野球スタッフのリベンジ成功だ。
無知って怖いね。 > 福岡野球スタッフのリベンジ成功だ。
なにこの俺様理論 とりあえず東尾や竹之内や土井といった当事者の目の前で
同じ事(黒い霧が悪い行政は悪くないetc)をきっぱり言えたら認めてやるよ。
念のため付け加えると竹之内は武闘派コーチだったから怒らせるとやばいぞ 八百長の報復ってんなら西鉄が球団持ってたときから平和台使用拒否や使用料値上げをやれという話 当たり前だが、ハゲに面と向かってハゲと言えば相手は怒る
ハゲでないから怒るのではない デリカシーを欠く言動だから怒るのだ
それは黒い霧事件とて同じこと
それでもなお>>88に認められたい者がいるかは知らんけど、行政が悪いということなら「行政が悪い、行政が悪い」と一生わめき続けてればいいと思う 92年最後の平和台観戦の日、たまたま前日ヤクルトのコーチだった船田和英氏が亡くなられた。
西鉄時代に出場停止を受けた1人だが、西スポは同じ日に亡くなった藤村富美男氏の記事に比べ実に素っ気無かった。まがいなりにも福岡にいたのにこれかよ!と感じたが、西日本新聞にとっても掘り返したく無い黒歴史だったのだろうか。 >>92
少し前にヤクルトで同僚だった大杉勝男も亡くなっていたな。
船田は病気療養のため、名目上はコーチからスカウトに異動していた。 豊田泰光は、森西武は弱かったといってたな。
エースがいない、3,4番がいない、ライバルがいない、て言うのが理由だそうだ。
ソフトバンクも連続日本一になってなかったから弱いと言ってた。 >>94
豊田らしい物言いですなw
今なら「今頃メジャーで騒いでいるフライボールレボリューションなんて、ウチ等は
半世紀以上前に実践してましたよ。」なんて言い出しそうだな。
初球で簡単にフライを打ち上げる1番高倉とか、エンドランのサインで思い切り
ひっぱたいてホームランにしたら、三原監督から「これぞ究極のエンドランだ!」
と激賞した逸話とか、確かに根底の考えは同種なんだけど言わば原初社会主義
と科学的社会主義位の違いがあってだな・・・・・・、別に今のメジャーが旧ソ連みたく
インチキ臭い代物という意味では無いので悪しからずw 過去スレにもあったけど、福岡野球になってからの行政や政財界の妨害は
やはり中村らのバックにいた岸信介へのアレルギーがあったんだろうな。
アンチ長州閥も相当いた様だし。 田舎の役所特有の縄張り意識が強かったんだと思う。よそ者がうちの管轄で大きな顔しくさってみたいな。
逃げられたのが懲りたか、ホークス相手にはペコペコしてた。(経営陣はライオンズと同じ人物というところが笑えるが) そりゃ自分らよりも大物が乗り込んできたらそうなるわ。
彼らだって大人だ。 七社会がホークスを受け入れたのは
フロント入りした杉浦が折衝役になったという側面もある
杉浦は書類仕事がどうにも不得手だったが、遊び慣れてたせいで
酒の席はいつも楽しいものだったとか >>71
そんな中で数少ない “楽しい思い出” を語っていくのさ
いまとなっては福岡時代のライオンズを知るだけでも幸せやないか 関西の人気ラジオパーソナリティー、カントリー歌手の諸口あきらが死去
享年81
出身は北九州市で、1970年代半ばには東京へ進出して 「オールナイトニッポン」 も担当
番組の中では、よく応援していた太平洋クラブライオンズの話をしていた
ライオンズの所沢移転後には南海ホークスのファンに鞍替えしていたようだが 早期に南海に転向した人は、身売りして福岡に移転すると聞いた時は驚いたかも。 諸口さんは、九州出身だし、元々西鉄ファンだったというから、
大阪の南海ファンとは、また異なった感情があったみたいですね。 諸口兄さん
南海がなくなるとき最後の試合の日には大泣きしたとある >>97
根本もそこを心得て王を監督に据えたんだと思う。東京の大物には田舎の小役人は逆らえないから。
古くからの大阪のお馴染みさんには卵投げられてしまったが。 諸口あきらさん死去 MBS 「イブニングレーダー」
【ファンのコメント】
KBS京都ラジオでアナウンサーの山崎弘士さんとの
掛け合いを子供の頃に聞いていました。
当時、スポーツニュースを山崎アナが読んだあと、
「太平洋クラブライオンズバンザーイ」って
言っていたような気がしますが・・・。
ご冥福をお祈りいたします。 >>105
その人のことは知らんけど福岡のライオンズがなくなったときも号泣したのだろうか 菊池雄星の左腕200奪三振がライオンズでは1960年の畑隆幸以来と聞いて驚いた
ムツゴロウのいとこさんだよね、まだ御存命なのかな 諸口さんが南海ファンに転じたのは、少年時代のヒーローだった(本人談)宅和本司の存在もある。
MBSで宅和と顔を合わせ知り合っていくうちに、どんどん南海に傾倒していったとか。 2ch懐かしラジオ板より
1351332009/01/25(日) 10:46:09ID:AX0ff60k
諸口さんの後のオールナイト2部を担当していた広島RCCの柏村武昭が
「あの人も熱く語ってますねぇ。太平洋だかインド洋だか知りませんが」
などと言って茶化していた。
ちょうど1975年の広島カープ初優勝目前の頃だったかなぁ。 >>109
確かに、相当昔まで遡ってもエース格左腕は工藤くらいしかいない・・・
投手王国時代があったにも関わらず極端に右腕に偏ってる伝統があるな。 レジェンドブルー(西鉄の黒と西武の青を混ぜた紺色)の呪い
レジェンドブルーユニを採用した2009年から9年間優勝なし。そして
2009年 札幌ドームで日ハムの胴上げ鑑賞会
2010年 札幌ドームで日ハムに負けてSBの優勝決定
2011年 西武ドームでSBの胴上げ鑑賞会
2012年 西武ドームでロッテに負けて日ハムの優勝決定
2013年 西武ドームで楽天の胴上げ鑑賞会
2015年 ヤフオクドームでSBの胴上げ鑑賞会
2016年 西武プリンスドームで日ハムの胴上げ鑑賞会
2017年 メットライフドームでSBの胴上げ鑑賞会←New! >>113
挿し色に太平洋〜クラウンの色だった赤も使われているな。 >>113
優勝に絡むことが極端に多いよな
福岡時代後半もここまで優勝には絡んでないはず 1973年 太平洋がロッテを破り阪急の優勝が決定
1974年 (南海と日ハムが引き分けてロッテの優勝が決定)
1975年前期 (南海と阪急が引き分けて阪急の優勝が決定)
1975年後期 (近鉄が阪急を破り優勝決定)
1976年前期 (阪急がロッテを破り優勝決定)
1976年後期 (阪急が南海を破り優勝決定)
1977年前期 (阪急がロッテを破り優勝決定)
1977年後期 (近鉄が阪急を破りロッテの優勝が決定)
1978年前期 クラウンが近鉄を破り阪急の優勝が決定
1978年後期 (阪急がロッテを破り優勝決定)
優勝が絡む試合はあるけど目の前での胴上げはなし 福岡球団に胴上げを見せられることが多くなったのは、ライオンズが福岡を捨てた呪いかなあ 伊東 工藤 渡辺 秋山
日本一監督4人出した西武黄金時代恐るべし
巨人V9の比じゃない 長嶋、王、森、金田
V9巨人も4人いるけどね
まあ金田は晩年になってから移ってきたから
待ったがかかりそうだが 1970年にはロッテが東京スタジアムで末期の西鉄を破って
胴上げを見せつけてたな このスレ見て「あーそうか、豊田さん亡くなったんだよなあ…」と思って
ぐぐったら晩年はすっかり痩せちゃって別人みたいでびっくりしたよ
プロ野球ニュースや週刊ベースボールの「オレが許さん!」の印象が強かったんで… 464神様仏様名無し様2013/10/02(水) 06:06:21.55ID:+xbQRKfF>>465>>839
1960年のパ・リーグ優勝チーム・大毎オリオンズ
優勝を決めたの試合は敵地・福岡平和台球場での西鉄ライオンズ戦
昔の福岡はビジター球団の応援団など皆無に等しくガラガラの球場で
西本幸雄監督の胴上げ >>122
西鉄クラシックの時に既にかなりヤバそうだった。
あれを見て
「あ、これは豊田に最後に見せてあげる為のイベントなんだ」
と察したわ。そこから結構粘ったが。 高田は日ハム、土井はオリックスで監督経験がある。それに堀内は元巨人軍監督だよ。 ライオンズを福岡に残すためには、西日本新聞が西鉄からライオンズを買収
すればよかった
そうすれば、西日本パイレーツが復活していただろう 実業団に加入か。
西鉄末期戦力なら入れてくれたかも。 福岡時代のライオンズのユニフォームは
埼玉移転後のライオンズや福岡移転後のホークスに比べて結構変化が多いと思う 綱島氏のユニフォーム大全でも後になって紹介しきれなかった帽子があったと週ベで書いてたな。
あと、太平洋クラシックで実際に復刻したやつも後から現物が発掘されて
袖のラインが微妙に色が違ってたのが分かったそうな。
逆に西武のユニは多少のマイナーチェンジはあれど、とんでもなく長期間使われてたな・・・ みなみらんぼうって音楽家?の人もクラウンの頃ファンだと言ってた。
この人大分出身かな?ヒゲ生やしてたけど。 大田が俺は西武OBじゃない、ダイエーOBだといってたのは正直嫌な奴だと思った >>132
西鉄のOB会には参加していたから、
西武の(特に堤時代の)経営陣への反感みたいな感情があって距離を置いてるんだろうな。 >>133
堤政権時代の西武ライオンズにとって過去の話題に触れることは「タブー」だった
堤義明が新球団オーナーに就任した際、日本プロ野球史最大の汚点と言うべき「黒い霧事件」「八百長球団」の反社会的なイメージを
「無かったこと」にしたいこともあったせいなのか、「西鉄ライオンズと我々は別の球団」と縁切りを宣言し、
堤政権時代の間、福岡時代の刊行物や球団史から西鉄時代の記述はすべて消され、公式記録は堤政権の間は
全て移転後の記録のみが扱われて発表され、西鉄時代の黄金期の選手が西武ライオンズのOBとしては認められず、
監督やコーチに起用されることは無かった。福岡平和台での悪夢の日々を忘れ去り、「黒い霧事件」による
「八百長球団」のダーティ・イメージをここで完全に払拭するためにも、「九州」「福岡」「西鉄」の匂いは、絶対に残してはならなかった。
そしてチーム名を「ライオンズ」から別のチーム名に変更する案もあった。
だがしかし手塚治虫プロダクションとの間で「ジャングル大帝レオ」のキャラクター使用契約が締結、これにより「ライオンズ」の名前は存続した。
西武ライオンズは、マスコット・キャラクターのために存在する名前です。
http://www.oricon.co.jp/article/63586/
現在「レオ」はプロ野球現行球団マスコットの中では一番の古株である。 堤義明オーナー時代は「黒い霧事件」後の暗いイメージを嫌い、福岡のライオンズが築いた歴史を「無かったこと」にしてきました。
しかし、西武グループにおける堤体制の終焉とグループ再編により、大きく流れが変わりました。
現在の西武HDは過去の歴史と向き合うべく、九州時代の歴史や記録展示を復活させた。
更にサービス面でも、西鉄ライオンズ黄金期のユニホームやキャップを着用して試合をする
「ライオンズクラシック」という、西武がこれまで触れてこなかった福岡時代の歴史に光を当てるイベントを行った。
・・・そして、前身の西鉄ライオンズ時代の大エースにして、「神様仏様稲尾様」とあがめられた
故稲尾和久の背番号「24」を永久欠番にした。
そのうち、埼玉西武ライオンズは「ライオンズ・ミュージアム」と称してライオンズに資料館を作ることになる。
こうなったら「マリーンズ・ミュージアム」が球場移転、本拠地の無い時代の苦難の歴史があったことを触れているように
「ライオンズ・ミュージアム」は「黒い霧事件」について触れなければいけなくなる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています