〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.23〓 ©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>304
ちなみに最初に馬鹿と言ったワシとこの方は別人やぞ
2度とこのスレに来るな! >>307
理解するまで言ってやるよ
馬鹿はお前だよ!! ソフバンはたしかに強いが
いまひとつドラマ性に乏しい
西鉄黄金期を堪能した爺さまが
日シリを観ての感想 1973年の太平洋のファンブック入手した 大きさがポケットサイズだが >>312
そりゃシーズンで言えば独走状態で文句なしの優勝チームと終盤ギリギリで3位チームだからなー 豊田泰光「日本シリーズは巨人相手に3連覇しなければ強いチームとは言えませんよ。」 >>308
馬鹿はお前w
悔しかったら論理的に反論してみろや >>47
西鉄も福岡野球への嫌がらせに
加担してたってだけで最大の元凶かと思うわ >>285
基は黒い霧に連座してたのと
外様の白と共に江藤シンパだった
影響じゃなかろうか?
坂井ら球団首脳の意向だろうかと
二人ともトレード放出されたしな >>308
お前なりすましするなよ
2度とこのスレに来るな! >>312
そりゃあ西鉄ライオンズのライバル・南海ホークスの末裔やもん
同じ福岡に本拠地があっても別モン
同じ仙台にあった(73年だけ準本拠地)ロッテと今の楽天を一緒にするようなモンだろ?
ファンはロッテ→楽天に代わった >>310
最初に馬鹿と言った馬鹿につける薬なしwww ロッテは外資じゃないよ
日本法人でスタートして、その後韓国法人を立ち上げただけ
外資系が日本法人を隠れ蓑にして球団経営するのはご法度だということ >>327
小学生以下のコメントしか出来なーのかよwwwww 8 玉造
9 花井
3 田中久
6 豊田
H 関口
H 和田
H 小渕
2 河合
1 井上
ライオン歯磨 >>330
小学生以下のコメントしか出来ねーのかよwww Gファンで申し訳無いけど、63年11月4日は巨人が唯一「西鉄」に福岡で勝った日で、CS絶望になるまではこの日を狙っていた。まあ何となく当たってたのかな?ジャイアンツともライオンズとも関係無いホークスが福岡で最高の夜になったが。
平和台で18−4のキテレツスコア、映画にもなってyoutubeでも見たが、平和台のライオンズファンは荒れる事無く呆れてた感じだったのかな。 63年最終戦は稲尾が2戦連続で先発したが(当時は「エースだから当然」という風潮)
いきなり柳田に先頭打者HRを浴び、連打にエラーも重なり失点を重ねてKOされる。
後続のPも次々に打たれて18失点という結果になった。
稲尾の肩もこの試合で限界を迎えてパンクする >.321
その爺さんも昨晩は大はしゃぎしてたけどねw >>326
創業者一族が韓国を復興させるために日本で稼いでたと
公言してるから実態的には外資系になってしまうかも ダイエーの親会社だった外資系ファンドが、身売り先を探そうとしたら止められたのを覚えている。
結局、外資系は球団経営はできないということ。
ペプシは日本法人という抜け穴を探ったが駄目だったようだ。 そのペプシも、当時は地域ボトラーから大日本製糖が撤退するなど結構不安定だったな。
仮に成立してペプシの名前が使えたとしても、実際の経営は外資規制もあるから
国鉄を名乗りながら実際の経営を関連企業・団体がやったスワローズみたいに、
有力地域ボトラーの大株主の中で比較的大手だった、カゴメや宇部興産が担っていた可能性もあるが、
史実ではその後のペプシのサントリー譲渡や、ビバックスのキリン系への鞍替えもあっただけに
結局不透明だったかも。 西鉄の後の親会社が九州電力、新日鉄などの大手企業になっていたら、資金も潤沢で
ライオンズはもっと早く再建できていたかも知れない。
中村長芳社長はよく頑張ったと思うが、福岡野球株式会社は、あまりにも非力だった。 石井丈裕って何で高校は早稲田実なのに大学は法政選んだんだろ‥ 早実ではエースじゃ無かったなら早大からの需要が無かったんだろ。 ライオンズは東京(所沢)に行ったから復活できたし、福岡はライオンズが出て行ってくれたから
ホークスという超優良球団に巡り合うことができた。
ソフトバンク(南海)ホークスの成功がすべてを物語ってるよ。 >>343
お互いに、いい結果を生んだことは理解してるよ
でも、ここは過去を語るスレだから現在のことはどうでもいいのさ >>342
でも早稲田実なら早大の系列校だから内部進学出来たでしょ 西鉄の木元オーナーはなぜ東京の会社にライオンズを移転身売りしなかったんだろう?
西鉄は球団を保有したくない、でも移転身売りは責任を問われるからいやなんて、それでも経営者か! 女 性 の 方 が お っ ぱ い を 挟 ん で
「40歳以上の女性の方がおっぱいを挟んで
癌があるか検査するマンモグラフィーについて、
実は一般のレントゲンの1000回分の放射能を浴びるそうです。
このことを細川先生も一生懸命うったえておられます。
こういうことをやるようになって日本人の癌患者が、
2倍も3倍も増えていっているのですって、アメリカなら即逮捕らしいです。
どうせマンモグラフィーをやったあとに超音波検査もやるくせに、
そちらを何故しないんだとおっしゃってます。」
https://www.youtube.com/watch?v=aYtCwRlsUnI 早稲田実業高校から早稲田大学へは、
・王貞治の頃
ほとんど行けなかった。師匠の荒川博は数少ない早大進学組。
・大矢明彦の頃
2〜3割行けた。大矢は同僚の荒川尭へ野球部の推薦枠を譲った
ので、駒沢大へ行った。この頃在学してたテリー伊藤は、日本大学
へ進んだ。
・小室哲哉の頃
5割ぐらい行けた。商業科在籍の小室は、社会科学部へ進学した。
・荒木大輔の頃
8割方行けた。石井丈裕は多分成績が足りなかったのでは。
早稲田鶴巻町から国分寺市へ移転し、商業科は廃止され共学となり
初等部(小学校)も開設した今は、ほとんど全員進めるようになった。 >>351
斎藤佑樹(早稲田実にスポーツ推薦入学)の頃は殆ど早大に進学出来たんですね
小宮山悟は2浪・一般入学で早大に行ったからプロ野球選手では珍しい
昔から六大学(東大除く)はスポーツ推薦あったんですか?
長嶋茂雄(立教大)は入試受けたんですか? >>346
当時の早稲田大学は不正入試問題の影響もあって
内部進学もかなり狭き門になっていたらしい
ちなみに石井丈裕の法大進学は一般入試を受けてのものだったそうだ 早実は係属だったから、1988年で内部進学は2割だったかな
近くの早稲田高校が内部進学率は高かったはず
そんな私はセレクション落ちましたよ そうそう石井は成績悪くて、冬から予備校通いだして一般受験で
法大入学って昔言っていたわ 1966年西鉄はチーム防御率が2.13なのに優勝できなかったんだな。
弱い打線を補強するどころか一番打率が高くて人気もある高倉を放出。
これじゃこの時期(60年代後半)に観客数が低迷するよな 大下が引退、中西は故障で出場数減少、最後に残った主砲の豊田も放出。
その間、西鉄は日本人の主軸打者は全く育っていない。
黄金時代以降、主軸打者を育成しなかったのが西鉄の弱体化の最大の原因ではないか? >>353
それで荒木大輔も早稲田進学出来なかったんだね。ドラフト前に早稲田側からこういう事情なので荒木の顔を立てる為に巨人に指名を要請した。
それをヤクルトもかぎ付けて抽選となりゲット。で外れた巨人は外れ1位斎藤雅樹。 >>357
小淵や田中久寿男といった大砲候補を上手く育てきれずに結局放出してしまったからな NPB全体がまだ打低の時代とはいえ、その中でも相対的に見て酷い打線だから
池永が7番打ってたオーダーとかが見られたんだろうな。
投手はそれなりにいい人材が来たんだからスカウトに野手を見る目が無かったとしか。 豊田放出後の西鉄打線で、ようやく日本人の一流主軸打者が加入したのは、
昭和47年の榎本の移籍だが、もう榎本は打撃はおろか、精神もおかしくなっていた
昭和50年の土井の加入を待たねばならなかった バーマとロイが当時としてはそこそこの数字を残していたから
大砲は外人に任せる方が安上がりとなったのかな。
大砲ではないが外野レギュラーの玉造が100試合以上出場した67年(31歳)に突然引退したのは謎だな 昔の選手名鑑では大学中退でも中退と書かれる人と卒業みたいなかんじで書かれている人の差って在学年数とかなん?
選手名鑑で中退は落合博満(東洋大中退)、森山良二(北九州市立大中退)で中退と書かれているけど、岡田彰布(早稲田大)、阿部慎之助(中央大)は書かれていない >>358
荒木は10年以上在籍したものの通算の勝率や防御率は惨いし
期待外れと言われても仕方ないな。
見せ場は、3年ほどのブランクから復活して優勝に貢献したことだけ。 >>364
仰木が既にコーチ兼任で、和田がこの頃は外野手登録だったのか。 >>366
荒木はリトル時代から投げすぎでボロボロだったのでプロではもう伸びしろはなかった。
球威もなく「性格のいい斉藤祐樹」みたいなもん。
だから故障から復帰した試合では「荒木さんに勝たせよう」とチーム一丸になった。 稲尾がかなり激昂してクラウンの解説をしてたのを覚えている
西鉄が築き上げたライオンズの栄光が地に落ちた、そんな怒り方だった
いや、アンタが監督してた西鉄はもっとひどかったやろと思ったけど 67年だと.265 5本クラスの伊藤光四郎がクリーンナップを打っていて
しかも伊藤以外に規定打席に到達した日本人がゼロだったりした。
エースの池永が「俺が4番に入った方がまし」と発言したらしい 落合が抜けたロッテもそうだけど伝統って言うのはこうもあっさり崩れ去る物かと悲しくなるよな。 ロイやバーマに頼りっきりでやがて高齢化や年俸削減でチームを去ると本当に打線が小粒になってたんだな。
船田や広野を獲得して何とかしようとはしてたけど、当時まだ現役だった中西監督を出した方が
まだマシだったのかな? >>371
落合が抜けても、秋にタイトル争いにだけは必死になる伝統は残ってた。 みんながロッテの監督だとしてもし落合のトレードが1対1だったら誰なら良い?
私は原(巨人)、R.バース(阪神)かな 見た人いるかもしれんけど8月のテレ東の番組に田中章が出ていたらしいな。
引退してから木更津でもつ焼き屋をずっとやってるらしい。
奥さんは元ミス岐阜でたぶん田中がライオンズ在籍中に結婚 豊田泰光は、西武は福岡時代を抹殺している!と言ってたけど具体的に何のことだったのかな
知ってる人がいたら教えて >>372
主砲の豊田を金銭トレードに出して、それを元手にロイ・バーマ・ウイルソンを
獲得したころから、西鉄打線はおかしくなっていったと思う。
外人のパワーで、一時的に強くなって優勝したが、外人が帰国して抜けていくと、
貧弱な日本人打者しか残っていないことになる。
エースの池永が6番を打ったりしたのも、演出だけではなく、「まだ池永のほうが
まし」という実態もあったのではないか?
中西監督は豊田がいたころから、すでに試合に出る意欲をなくしていたらしい。 根本が監督になって(補)若菜,(二)基、(遊)真弓、(中)デービス、(右)立花とようやく守備が固まった。
それが翌年は〜 >>376
西鉄で木更津というと、打撃練習のバッピやってる時に打球が胸に当たって死亡した宇佐美投手ってのがいたような…
しかし、当てた方は自責の念にかられただろうな… エースの田中勉を未完の大器広野と交換したトレードも通常ならありえんだろな。
田中が高年俸・故障持ち・トラブルメーカーでまた打線の弱体化など理由はあるにしても
今で例えれば楽天則本を西武山川と交換トレードするようなもんだろな 田中勉もなあ
あんなことがなければ実績のあるヒーローとして
語り継がれただろうに・・・ >>379
堤社長時代の西武は、西鉄・太平洋・クラウンをライオンズの球史から除外していた。
豊田はそのことに苦情を言ったのではないか?
だが、その後の西武は福岡時代も球史に含めるようになった。
稲尾の背番号24を永久欠番に指定したり、西鉄時代のユニフォームを復刻し、
選手に着用させて試合をしたりした。 >>386
そりゃあ当時の福岡ライオンズのイメージは最悪だし本気で暗黒色を払拭する為には仕方のない事だったのかも。 豊田も後年考えてみればそれはしゃーないことだったと思ったんじゃないかね。
じゃなかったら西鉄復刻のアドバイザーなんかも引き受けなかったんじゃないかな。
それより何より、堤天皇政権下で太平洋クラウンの帽子を
所沢の倉庫に茶箱に入れて厳重に保存していた球団の行いは球史に残るレベルだわ。
身売りとかしてなくても昔の資料を保存してない球団が多いのに。 >>386
花井悠も関西ローカルのおは朝で似た様な苦情を言っていたらしいね。
こうした事情も、全期間を通じてのライオンズOB組織がなかなか出来ない要因の一つな気がする。
OB会といえば、ロッテも少し前までは毎日時代のOB会しかなかった。
これには旧親会社の毎日新聞社の関係者も参加していたが。 「西武は福岡時代を抹殺している!」
こういうと西武が地域差別してるように聞こえる。某団体のメッセージみたいだ。 >>360
記者たちの平和台見たら
末期はスカウトの感心しない振る舞いも多かったみたいだね
詳細は書いてないが 西鉄〜太平洋に在籍した後広島に移籍した三輪悟投手も、
引退後の広報担当を務めていた時、記者への態度があまり良くなかったという話が以前出ていたな。 赤ゴジラがブレイクしたときに
マスコミが取材しようと連絡したら
広島の広報が「取材させてやる」と言わんばかりな
横柄だった話ね。
マスコミの間じゃ一種の有名人で
「あの人で広島は知名度上げる機会をかなり損してるんじゃないか」と言われてたようだ
ただ、三輪さんはその時期そこにいたからささやかれただけで
本人に会って人柄知ってる人は「三輪さんと違うんじゃないか」と書いてたよ >>393
詳しい情報ありがとう。非常に申し訳ない。
当然広報担当は複数いるから、当時年長だった三輪も同僚のせいでとんだ風評被害を受けた形だね。
今の比嘉(現役時代金本の後10番を着けたが、伸び悩んで52番)は相当記者から評判が良いみたいだけど。 >>394
いえいえ
確か、広報の話は二宮清純と誰かの対談本に書いてたように思うよ。
05年辺りから広島は広報戦略が代わったような感じになったから
その辺で担当変わったんでしょうね 65年に西オーナーが西鉄本社での権力争いに敗れて退社してから
球団は縮小均衡一辺倒になって主力放出が続き人気低迷が慢性化。
確か池永も球団予算では無理で西のポケットマネーで契約金を出してた >>386
産経の連載でかかれてたけど
身売りしてずっと西鉄社内も
ライオンズの話をあまり出したらいけない雰囲気があったらしい
復刻イベント辺りで身売り決めたオーナーに
思いきって話持っていったらあっさりOK出たから
西鉄も大っぴらにできるようになったみたい 397の元ネタは下記の記事
ttp://www.sankei.com/smp/economy/news/131217/ecn1312170001-s.html 黒い霧事件と江川の入団拒否がなければ大きく変わっていたんだろうなあ 西鉄ライオンズほど栄光と凋落の差が激しい球団はなかったろうね ライオンズはまあ、事件を起こしての低迷だけどホークスは単純に野球だけでの低迷だからね。
しかも復活するまでが長かった… 南海は60年代に3連続事故を起こして信頼低下を招いたり
和歌山が地盤沈下してかつ和歌山市駅の地位が国鉄和歌山駅に奪われたり
国鉄の都合で南紀乗り入れを廃止にされたり
四国フェリーの客が明石大橋や瀬戸大橋に奪われたり
沿線の主要産業の繊維や住金が衰退したり
ベッドタウンとしての人気も北摂や阪神間に完全に負けたり
難波再開発や高野線沿線の複線化に巨額の費用がかかったり
まあ親会社にいろいろありすぎて野球どころではなくなった >>397
今更ながら、西鉄ライオンズ最後のオーナーは
最近までご存命だったのは知らなかった。
(この記事の翌年に94歳で亡くなってるみたいだ) >>379
でも豊田さんの遺産だか、メットライフドームの内側には西鉄3度の日本一を示す看板があるんだから。 >>403
三大事故の頃は労組や中曽根からも球団売却を求められたという話があるな。
その後旧寺田財閥との縁で川勝がオーナーになって、
ある程度の立て直しはしたけど、上記に挙げられる要因もあって、
資金を球団に充てる余裕がなくなっていただけに、川勝も表では球団維持を口にする一方、
青木一三の証言によると、裏では来島どっくやダイエーとも接触していたというし。 花井悠は西武が日本一になった時、
「ああ、よかったとバイね」と言ってたからそんなに西武に反感はなかったと思う。
西武に反感があるのは西鉄OBより西鉄ライオンズ研究会、ホームページでも西武批判していていやらしい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています