〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.23〓 ©2ch.net
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サンケイ・アトムズも手塚治虫のキャラ (鉄腕アトム) 使用だったね >>165
手塚治虫は売れそうな内容・面白い内容の漫画ならどんなジャンルにも手を出していた
だが、困ったことにスポーツ漫画や熱血系漫画に根性系漫画を書くのがありえないくらい超苦手だった
そのため野球のスポ根漫画を描ける人気作者に対して激しく嫉妬していた まあ、福岡と西武を通して在籍して、黒に関わってない選手は福岡OBには距離を置きたいかもね。
一緒に見られたくないだろうし。 >>164
関本の放出は高木守道との乱闘が遠因になったという話も何かで出ていたな。
>>167
そうした中でも東尾は福岡と西武の両方に目を向けていた感じがする。
加藤初をコーチとして復帰させたし、
真弓が阪神を戦力外になった時復帰させようとしたがフロントの反対で潰れたという話も。
フロントに福岡時代の扱いがない事に異を唱えたという話も聞いた事がある。 >>166
流れの読めない知識披露
知的障害をお持ちか? 西鉄OB会はファンから会費を取って会員にする一方、昭和40年代、正確には昭和38年の優勝メンバー以降は会員に加入させなかった >>167
ライオンズOB会が西鉄、太平洋、クラウン、西武を横断した組織にならないのはプロ野球最大の危機になった「黒い霧事件」が悪影響を与えているのは確か ライオンズに限らず、身売りの歴史を繰り返してカラーが変わっているパの球団は
どこもOB会の類は分断してるんじゃない? ロッテは全期間対象のが最近発足したな(毎日は昔からあったが)。
日本ハムは東急〜東映時代も含んでいた。
(もっとも堤時代の西武と違って積極的に扱わないだけで黒歴史にはしていない)
オリックスは阪急系と近鉄系が並列で、合併後に入団した人は阪急系の方に加入。
ホークスについては不明。
セリーグでは複数あったスワローズのOB会が統合されたのは近年だな。
統合後はNPO法人「つばめスポーツ振興協会」として活動している。 西武が弱いとき「西武はライオンズを名乗るな」 西武と西鉄は別物だ!
西武が強いとき「西武は福岡時代を抹殺している」 西武の前身は西鉄だ!
相手の商品価値でスタンスがころころ変わる 若い女性を中心に人気を集めている広島の赤いビジターユニ
太平洋が着用していた時代には奇異の目で見られていたものだが
時代は変わったよなあ・・・ そりゃそれまではプロも高校野球と変わらない色だったんだからしゃーないわ。 >>164,168
関本四十四のG放出は、1975年の前半で既に最下位となった時点で、
投手陣を対象に反省のレポートを提出させたところ、その中に長島監督の
批判を書いてたのが大きな原因だったとも。
関本は結局一年でセ・リーグに戻りました。巻き添え?の玉井信博は、
現在に至るまでチームスタッフとして西武に残ってますね。
1977年に熊本でのオープン戦で、豪雪にもかかわらず貴重なG戦を
中止にするわけにも行かず無理やり決行し、それが選手生命に影響したの
は前年の新人王候補だった古賀正明だったとか。坂井保之氏の著書に書い
てありました。
古賀は引退後、法政大の先輩の江本孟紀のマネージャーになったそうで。 それ、巨人側からもクレーム来なかったのかね?
向こうも誰か故障してたかもしれない。 高倉が「西鉄OB会は、決して会員の増えることのないOB会です」と言ってるのを読んだ
増えないんじゃなくて入会させないの間違いじゃないかな 結局、前身球団の側も後進球団 (太平洋・クラウン) を拒絶してるってこと? 後進球団 → 後身球団
後から進んだという意味では合ってるかなw 福岡のライオンズは (3連覇西鉄)・(3連覇以降西鉄)・(太平洋・クラウン)の3派に分かれている
ライオンズOB会を一本化するには西武がOB会を作って強制的にまとめるしかないね
西鉄OB会なんていまだに高倉が会長なんだから 昭和30年代の西鉄にとって最大の敵は「遠征」だった
当時のプロ野球本拠地の多くが首都圏(東京都や神奈川県)や近畿日本圏(大阪府・兵庫県)に集中していて広島や西鉄に中日が例外的だったのは親会社の事情もあるけど
最大の原因は交通手段かまだ未発達で飛行機の安全性も怪しい時代に遠征をこなすのは厳しいからというのがある
これを考えたら西鉄と広島の遠征は地獄だったことが簡単に想像がつく はじめまして。
ロッテがフランチャイズを福岡移転する予定があったそうです
当時のロッテオリオンズ監督だった稲尾和久氏(元西鉄)はオーナーに福岡移転を条件に引き続き監督要請を受けたが、ロッテの煮え切らない態度に業を煮やし監督を退任。
稲尾監督のいないロッテにいる意味がないと落合博満氏は移籍することになった。
そして稲尾監督の後任は有藤通世監督が
ロッテオリオンズ監督に就任した。 太平洋時代のレオドローチャー監督について知っている方教えて下さい!
私はゆとり世代なのでよく分からないです‥ ロッテフロント「稲尾では客が呼べない」
とはいえ、ロッテが福岡移転の話に煮え切らなかったのは
稲尾が福岡の財界人を説得するっていう条件を
クリアできなかったからっていう理由もある
七社会があったからな 最初から西鉄+西日本新聞で「福岡ライオンズ」としてセに加盟してれば、
巨人戦もあるから経営傾かず、世間の注目も高いから八百長もできず、今まで存続したのでは? クラウンライターが江川卓氏の指名を回避していたら空白の1日は存在しなかった >>190
存続が西日本パイレーツの方だったら、今も存続してたかも。変わりに大洋球団が西日本に吸収され、下関でも試合が開催されてたかもしれない。
パリーグは大映→太平洋クラブ→クラウン→西武スターズ ライオンズが福岡に残ってたら、なんてまだ考えてるやつがいるのか?
セの在京球団大洋、サンケイですら身売りだよ
周辺人口も少ない、経営基盤も弱い福岡球団など、ひとたまりもない、セリーグの不良債権だ
ライオンズは所沢に行ったから復活し、福岡はライオンズが出て行ってくれたからホークスという超優良球団を迎えることができた
西鉄ライオンズは福岡にとって、悪質な既得権益者でしかない 太平洋時代のレオドローチャー監督について教えて下さい!! >>194
単なる客寄せ目的だったとしか。
江藤兼任監督で5割未満ながら3位に浮上し、江藤監督自身「来年も山賊野球でパ・リーグを掻き回す!」と来期への抱負を述べていた位なのに、あっさり解雇し往年の
メジャーで闘将として知られた名監督を招聘!と向こう受けを狙った。
が、既に70歳過ぎの高齢で当初から来日すら疑問視されていて、やはり来日する事
すら無く終わった。 広島は都市をあげてカープを盛り上げようとしたが、福岡はライオンズを盛り上げようとしなかった。
其の差。 優勝翌年の64年に年間観客数が30万人台に転落してるから
世間で思われてるより早く地元から見放されていたんだろうな。
まだ3連覇当時のスター選手が多く残留していたのにこの数字だから 九州は炭鉱多くて北海道と並ぶ石炭の産地だったけど
ちょうど主要エネルギーが石炭から石油に変わるのと西鉄の凋落がリンクしてるんだよなあ >>200
江川卓氏の入団交渉権は西武ライオンズに引き継がれた
西武職員は作新学院職員で野球留学していた江川に会いに渡米
法政大OBである根本陸夫氏の説得にも応じなかった
また、当時オーナーであった堤義明氏は関東にフランチャイズを移すと公言した
が、江川は面会拒否を貫きその態度に堤元オーナーは激怒した
そしてあの空白の1日の日を迎えることとなった ヤクルトか大洋なら契約したかもしれないんだっけ? 後付けみたいな感じだが… 今より選手寿命が短い時代、本人にとってはもはや差し迫った問題だったろ。
ただでさえ既に故障抱えてるのは自分が一番分かってたんだし。 >>202
それ聞いたことあるけど結局のところ分からないよな
当時の彼女(現夫人)が東京に住んでいるから関東から出たくなかったというのはあったみたい
あとは当時のセ・パの環境や観客動員が大きく違ったからパは絶対に行きたくなかったんだろう
江川氏自身も肘が悪くてプロ入り前から全力投球出来ず、選手生命長くないことは分かったんだろうから金ヤンみたいに晩年巨人で引退みたいなのは構想は無かったんだと思う
江川氏がとにかく巨人に入りたかったのか、それとも巨人と戦える在京球団の大洋・ヤクルトでも良かったのか‥
勝手な想像だけど大洋・ヤクルトなら社会人に進むつもりがなかったのなら指名拒否はしていないと思う
あと、高校の時阪急ではなくて巨人に指名されてたら巨人入りしてたのかもね‥ >>191
>>200
あと幻の落合博満氏の巨人入団も無かった(15年後FAで巨人に入団したけど‥) 1961年、西鉄ライオンズは東映フライヤーズとの試合を「那覇市営奥武山野球場」で行った。これは沖縄初のプロ野球公式戦である。
東映フライヤーズは日本ハムの前身となるチームだ。
当時の西鉄には稲尾和久、豊田泰光、仰木彬などが在籍し、東映にも張本勲がいた。
沖縄の野球奉賛会が「ぜひ沖縄でプロ野球を」と福岡に本拠地のある西鉄(現西武)に話を持ちかけ、
これをライオンズが承諾。東映(現日本ハム)との主催試合を沖縄に日程を変更した。
https://baseballking.jp/ns/122277
http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1205/kiji/K20120520003289410.html
http://www.sports-commission.okinawa/camp2014/column02/0130_column02.html
だがしかし、とんでもない問題があった。当時の沖縄は、アメリカ統治下だった。 西武の永久欠番って稲尾和久氏だけなんだな‥
大下弘、中西太、東尾修辺りは永久欠番に値する選手だと思う トンビはともかく、それ以外はMLBみたいな永久欠番の安売りになるからやめといた方がいいい。
ヤンキースなんかそのうち100番の選手が出るぞ。 大下は生え抜きじゃないし、中西は黒い霧の責任者だから、ない
東尾と西口は永久欠番でいいと思う >>209
東尾も賭博疑惑あったし厳しいかもしれない >>206
今の金額で幾らぐらいになるのかアバウトに計算してみた
ライオンズへのギャラ720万円→約1億円
ライオンズ選手への小遣い72000円→約100万円
ネット裏特別席1440円→約2万円
外野席360円→約5千円 永久欠番で生え抜きではない人って巨人で400勝達成した金ヤンだけなんだな >>212
巨人の黒沢俊夫も、名古屋金鯱軍〜大洋軍〜西鉄軍からの移籍選手。
中日の西沢道夫も、一時ゴールドスター〜金星スターズにいた。 愛称が変わらないホークスとライオンズがOB会が旧本拠地の前身球団選手を対象としているのに、
ブレーブス・バファローズ(但し、近鉄〜大阪近鉄は別)とフライヤーズ・ファイターズ、オリオンズ・マリーンズの愛称代えてる球団がOB会を現球団と一緒に運営しているのは面白い、言うか興味深いな。 ちなみに61年の西鉄は辛うじて1試合平均1万人をキープしていたが
それでも1億以上の赤字を出していたらしい。
黒い霧前後には客数が半減しているからより厳しくなってるだろな >それでも1億以上の赤字を出していたらしい。
>211 の率で換算すると、今の価値で100億円以上になるわけだが・・。
いくらなんでもそれはないだろう。
江川の入団拒否は、栃木の政治家が絡んでいて巨人入団が既定路線になっていてどうにもならない
と、なんかの本で読んだことがある。
どうなんだろうか。 この土地じゃ船田先生に逆らっちゃ生きていけないんです、もう勘弁してください。 >>216
確かスポニチアネックスのNPB回顧記事に61年西鉄の球団収支が書かれた事があって
それを思い出して書いたんだけど。
ちなみに物価比較は換算対象によって割と変動するので一概に「今だといくら」とは決めきれない 西武時代の清原和博の背番号3も巨人時代の松井秀喜の背番号55もあっという間に渡ったよな‥ >>216
いやいや落ち着け、100億以上じゃなくて約14億だろw >>195
広島のルーツ監督と同じようなパターンを目論んだわけかな 選抜をかけた九州高校野球秋の福岡大会ですが
東筑紫が負けたので
東筑紫(奥宮監督) 九国(楠城監督)
クラウンライターライオンンズ捕手対決はお流れに クラウンライターライオンズがまだあった時代
「ここで一服 ライタ〜はクラウン」
というCMソングが東京のラジオ局 (ラジオ関東) で流れてたけど
肝心の福岡ではなかったのかな 「太平洋やクラウンは西鉄とは全くの別物です」
豊田泰光が自書でこんなこと書いてた ダイエーが使用していた末期の平和台球場では
外野席でスパスパ吸ってたよ >>227
球場は勿論駅のホームでも普通にスパスパ吸っていたぞ。 オールナイト上映があった時代の映画館
吸いながら映画鑑賞してるけしからん輩もいた 父親が西鉄ライオンズファンやった辻監督、応援してたのに残念 太平洋の3番手投手柳田と、近鉄の主砲土井の1対1トレードには驚いたな
まるで釣り合いが取れない、近鉄が損だ
近鉄西本監督が阪急に強い柳田をほしがったからと言われているが、
土井に黒い霧のうわさがあったからじゃないかな
クラウン基と大洋の2人の投手のトレードは明らかに基の黒い霧が原因だけど >>234
福岡に流れてきた在日1世か2世だろ?
>>237
「土井の守備が酷くなって出したら、DH制が始まった。それなら出すんじゃなかった」と西本は言ってたが?
守備面考えたらマイナス大きいからその時点では納得のトレードだったんだろ。 >>227
藤井寺球場のネット裏席なんて灰皿付いてたよ 楠城は巨人7位をけって進学し、太平洋2位で入団か。巨人行っときゃなあ。
若菜が抜けた後のキャッチャーだったけど弱肩で盗塁フリーパス。
真弓の抜けた後のショートが超絶へたくその大原徹也だった。
3塁の山村もへたくそで、ああ、こいつはクラウンのころからレギュラーか。 >>240
西武創設1年目のザル内野陣は酷かったなwww
華やかな開幕セレモニーとともに連敗スタートw 開幕スタメンショートが金城致勲だったからな。
元々控えのキャッチャーだった金城には荷が重かった。
大原、伊原、広瀬も非力で、吉岡と交換でやって来た行沢で何とかしのいだ。 >>201
何が「江川氏」だかw
2ちゃんの書き込みで素人が気取るなやwww >240
楠城は早大出身だからこそ引退後もフロントに残って、今も地元で高校の監督やれてる。 楠城は楽天編成にもいたがツテで獲った台湾人投手は2人とも戦力にならなかった
特に恩宇の方は1億のトレードマネー払ったのにあの様で
野村にボロクソ言われてた 星野からも、なぜこの選手取れなかったの?と聞いても
アイツ(楠城)は言い訳しかしなかった。と言われてたな。 それでいて今いる台湾人(通称チャーハン)は当たりなのか。
無能さが際立ったなw >>204
>江川氏自身も肘が悪くて
江川が痛めたのは肩(慢性)で肘なんか痛めてないんだが 阪神は田淵(含古沢)で真弓、若菜、竹之内(おまけに竹田)を獲る相手の足元を見た商売しおったなあ
近鉄は柳田で人気はともかく実力は田淵と大差ない土井をくれたのに でも田淵が西武に入団していなかったら黎明期の客の入りはそれはもう酷い事になっていたんじゃない?真弓達にしても福岡時代はまだ全国的にはマイナーな存在だったし。 ブレイザーが田淵の放出先を西武に決めたのは
交換要員の中に真弓がいたから 真弓を出したのは確かに痛かったが、その後、石毛が入団したので穴は埋まった
その後も西武は、田辺・松井・中島など、優秀な遊撃手を輩出するチームになった
豊田以来、ライオンズは遊撃手に名選手が多い でも西鉄末期〜太平洋時代は・・・
菊川とか梅田とかあんまり語られないし 一応伊原春樹も西鉄-太平洋-クラウンの全てに所属していたんだな 福岡末期〜西武初期は三塁が失策王の山村だったのも守乱に輪をかけた
普通最多失策は守備機会が多い遊撃手が記録する場合が多いが
三塁手で3回パの最多失策選手になっている >>242
>>241のは西武球場の開幕戦。
ショート益川が序盤からエラー連発。 >>250
阪神は前年に近鉄に田淵トレードを申し入れて、見返りに梨田を要求して追い返されてるからなw 基は不動のレギュラーだったのに76年頃から次第に干されだした。
中日への幻のトレードは当初本人も喜んでいたらしい 真弓の阪神トレードはクラウン青木専務がかかわっていた
本人が自署で告白している
大阪サンケイスポーツに「トレードの目玉真弓」の記事を書かせ、青木はサンスポ評論家になった >>259
藤波が任意引退も覚悟で拒否した上、地元でも放出反対の運動が起きてしまったからな。
結局竹田と松林の交換になったが。
>>260
その青木専務が元阪神マネージャーというのも関係ありそうな気が。 >>259
基が怪我で離脱してる間に代役だった吉岡がセカンドでブレイクした。基復帰後は鬼頭監督が
何とか2人を共存させようと基をショートへコンバートしたが、基の不信感は燻り続けて
二軍で再調整してる時にウエスタンの中日戦で当時の中日の一軍監督だった与那嶺と会食する機会を得て
そこで不満を漏らしてトレードの脈ありと中日側が嗅ぎ付けた。
(当時の中日はジョイナス高木の後釜を考えていた) >>250
ちなみに当時の新聞で挙がったパ他球団の交換要員
阪急 加藤秀
南海 佐藤 山内新
ロッテ 山崎 金田留
近鉄 神部 有田 太田幸のうち2人
これを見るとライオンズを選んだのは阪神的にも正解だったみたいだね
しかし挙げられた全員が後に移籍してるのがまた面白い >>263
加藤英翌年三冠王に迫る大活躍するんやな
阪急に来たとしても田淵はファーストやな
加藤英は藤田平とポジション被るな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています