【殿堂板で語る野球漫画】江川と西本 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>158
南海ファンだが
門田さんの本塁打王と月間16本ぐらい 試合の少ない7月に。
オールスター明けの7月最後の試合に満塁ホームラン。 江川と西本はいつまで続くのかな?
江川か西本が引退した時までかな。 江川引退までは確実にやる。あとエピローグ的に西本中日でキャリアハイの20勝。 >>158
・ゴールデンルーキー原の大活躍
・江川20勝・投手タイトル総なめ
・巨人8年ぶり日本一
・日ハム球団初優勝
・江本のベンチがアホ発言
世間的にはプロ野球が一番注目された年では?
もちろん巨人人気がメインだけど。
現在は各地方で観客動員はいいけど、
ローカル向け娯楽になった感がある。
・ >>173
ああ、それ忘れてた。
江本事件と同日だったんだよな。 -あーっと!宇野平凡なフライをヘディングだぁ!!
ジャイアンツ連続試合得点記録を伸ばしましたあ-
星野「何やっとんじゃボケェ!!!」
宇野「うぁーやっちまったあ 星野さんまた沸騰したよヤレヤレ」
試合後
星野「まあ、そう気にすんな。メシ奢ってやるから行こうぜ」
宇野(うわわわわわ・・・怖い怖いよ 誰か助けて!!)
実話です この後予想される主なネタ
・81年の沢村賞
・83年の日本シリーズ
・翌年からの江川のゆるやかな衰え→引退
その間ずっと西本が投げるか「スグルちゃん負けろ!」とつぶやくシーンばっかり?
吉田コーチに殴られたり皆川コーチと確執→和解ゴルフなんてのもあるか 藤田さんは「西本はすごく扱いにくい投手だった 江川は素直で扱いやすかった」と著書で言ってる >>177
結局藤田の第一期監督時代(81〜83)に扱いづらかった投手は、
第二期にはことごとくトレードで出されてるんだよね(西本、角、鹿取)。
意外にも一番反抗的だったのが鹿取で、
角は藤田さんというより中村稔コーチが手を焼いていたらしい。 >>176
82年終盤の中日戦と大洋との最終戦
あの時期江川は右肩痛が悪化していた 西本の家がガス爆発したのは藤田監督の時だったかな。
それも描かれるのかな? >>180
ちょうどそのあたりで、こないだ描かれたよ 野球漫画好きなら知ってるだろうけど
この作者は自分の興味やモチベーションが無くなったら最後、
グダグダで唐突に打ち切られるか、自然消滅でフェードアウトするかだから
ラストの〆はあまり期待しないほうがいいよ >>178
最近たまたま糸井重里と藤田の対談が載ってたコラム読んだが、それによると鹿取は89年、熊本での中日戦で不甲斐ないピッチングしたので藤田が喝を入れたらふて腐れてしまい、以降二人の関係が悪化した
藤田が瞬間湯沸し器な反面、鹿取は根に持つタイプなのかも 第2期長嶋監督の時に鹿取が投手コーチで長嶋監督に遠慮しないで言いたいことを言っていたら関係が悪化したとか? >>183
あのときは第3者が見ていたところによるとボタンのかけ違いのようだ
藤田は「まあ気にするな。次がある」と言って
鹿取は気丈な振りをして「え?たいしたことないっすよ」と言ったら藤田が「たいしたことないとはなんだ!」となったらしい
まあ球界の紳士藤田も若い頃は瞬間湯沸かし器と呼ばれてたし そもそも王が酷使しすぎたのが元々悪い
ツケが藤田の時代に回ってきた 横浜大洋が次々繰り出す投手陣ー
とりあえず佐藤政夫だけはわかった 素直だったら巨人に裏口入学しないよ
>>177
> 藤田さんは「西本はすごく扱いにくい投手だった 江川は素直で扱いやすかった」と著書で言ってる >>189
素直だから周りの大人の動きに巻き込まれたんだろ
「私に任せろ、巨人に入れるから」と。
まだわからん奴がいるのか
地元の政治家が動いたんだから 確かクロマティの本に西本は変人だと書いてあったな。
毎試合新しいグローブを準備するとか、試合前に自分の玉を清めるとかw >>190
政治家っつーか作新の理事長として動いてた 目黒区中根にあった王さんの自宅は売却してしまって更地になったのか。 漫画にある通り東海大相模から原を見ていたファンはサード・原のコールに痺れたんだよな
数年後頭に4番ってのがついたときは鼻血もんだった
たとえ最終的にONや松井に及ばなくてもあの当時は長年待ち望んだポスト長嶋に夢を追ったのだった 原は長嶋退団、王現役引退の巨人の危機を救った救世主だった。 篠塚が初めて3番打って5の4だった横浜の試合も書いて欲しかった。 中畑は「悔しいけどアイツ(原)の方がオレよりうまい。オレは与えられた1塁で頑張るよ」って言ってた
潔いね
山本功児は割りを食ったけど 西本がたけしのスポーツ大賞に出ていたけど老けたな。
70過ぎのおじいちゃんみたい。
原や江川は若々しいのに凄く老けている。
髪の毛が薄いから仕方ないか。 そりゃ日頃人に見られる職業をしてる人とそうでない人じゃしょうがないだろうな
関根潤三さんは40代くらいからすでに好好爺してたがw なんで篠塚和典って人物紹介してるのか
この当時は利夫だ 篠塚の視力は悪くて0.3くらいだったのかな。
それでよく3割を打てたね。 5年くらいしたら視力が悪化して守備でもポロポロやるようになった
やくさんの漫画でも描かれている 篠塚がいなければセカンドは平田薫だったんだろあなあ
日本シリーズで間柴、高橋一、木田、江夏という日ハムが誇る投手陣をことごとく撃破した頼れる左キラーだった ただ原のアキレス腱と後楽園の人工芝考えたら、王巨人の昭和59年には原一塁、中畑三塁にするべきだったと思う。
構想はあったが消えたそうだが。 数年後のスキャンダルも
奥様が営みに耐えられない身体になってしまったからかと斟酌したのに
完全復活ってなんだよ えっ
それはそれでよかったが どうなってんだよ えっ 原が初対決で小松の球をホームランできたのは
大学1年でいきなり江川の本気を見せられたからだと思う 藤田の時は江川全盛期だったけど
衰え見えだした83年はリリ−フに起用されて激怒 山本功児はなんで王のいる巨人なんかに入ったんだろ
早死にしたし一生不遇だったな プロで10年プレー
ダイヤモンドグラブ賞
一軍監督
息子もプロ野球選手に
一生不遇???
これより良い人生なんて早々無いと思うがな 中モズの商店の息子で子供の頃から南海に出入りしてて
控えなりに巨人で名を売って
ロッテで実績積み上げて監督までになるっていう
不遇というより数奇というか塞翁が馬というか アマ時代はスラッガー
プロ1年目はポテンヒットばかり(HR1本)
一本足打法試した >>209
あれは珍しくライトへのホームランだった
ああいうライト打ちもやれるのになぜ引っ張り専門になったのかな?
率もホームランももっと稼げた打者だと思う 原は速球投手には強かった
藤田監督が変化球に絞れといっても好きなコースにストレートがくるとあっさり打つことができた
何故か全然全打てなかったのが速球も変化球も中途半端なヤクルトの松岡弘だった
引退するまでとうとう苦手にしてた 山本功児の逸話で面白いのは子供の頃から南海の選手に可愛がられて宿舎や練習場にも入れてもらってたのに高校卒業時に南海からドラフト指名受けたら指名拒否したこと >>223
兄が通用しなかった六大学でまず活躍したいってことだったか
親しかったからこそ逆に我を通せたともいえるが
単に内情よく知ってたから体よくお断りしたのかもしれんな 大学入って一年ですぐにレギュラーになれたから野球を舐めてしまって上級生になってからは真剣に練習しなくなったらしい
そのせいもあって大卒時にはドラフトにかからず
南海入ってたら長くレギュラーでやれたかもしれんのにもったいない 昔は大学行ってきて、成長したらとってやるぞがんばれ、って選手が多かった。
ドラフト制度でそれができなくなった。
南海はその影響をモロに受けたんだわ。 代打での集中力はたいしたもんなのにスタメンから行くとダメダメになるのが困ったもんだった あと王より上手いと言われた守備なのにもっと上手い駒田が、来ちゃったのが災いしたな 今号もおもしろい。もろストライクゾーン。
シゲオが後楽園来てキヨシ4−4覚えてるよ。この週のプロ野球ニュース週刊MVP。 >>222
「速球だけのリーグがあれば原はとんでもない記録作る」と達川が言ってたな。 これだけ闘将だったミスターが上原にペタジーニの敬遠を指示した時
ああ、ミスター歳とったんだな、俺の青春も終わったな
と思った >>232
大学時代から本気の江川、デレク・タツノ、キューバのビネンを見てきてるからね 話はまあ現実に合ってるがこの下手な作者はなんとかならなかったのか
誰も似てないし
江川ができ損ないの星飛雄馬じゃねえか 「ルビーの指輪」
「風立ちぬ」
「スニーカーぶる〜す」
「みちのくひとり旅」
「長い夜」
「守ってあげたい」
「ハイスクールララバイ」
「もしもピアノが弾けたなら」
「鳥の詩」
「キッスは目にして」
「セーラー服と機関銃」
「まちぶせ」 「おんな太閤記」
「池中玄太80キロ」
「2年B組仙八先生」
「意地悪ばあさん」
「北の国から」
「六神合体ゴッドマーズ」
「うる星やつら」
「太陽戦隊サンバルカン」
「欽ドン!良い子悪い子普通の子」 「青春グラフィティスニーカーぶる〜す」
「スローなブギにしてくれ」
「機動戦士ガンダム」
「エレファントマン」
「魔界転生」
「あしたのジョー2」
「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」
「野菊の墓」
「連合艦隊」
「駅 STATION」
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」
「レイダース失われたアーク」
「セーラー服と機関銃」 ソアラ
セリカ
セリカXX
ピアッツァ
R30スカイライン
コスモ
スカイラインRS 81年日本シリーズ最終戦はこれ以上ないぐらい秋晴れの空だったなあ。
東京住まいだったけど、後楽園に行けた人が羨ましかった。
思えばあの年が巨人人気のピークだったかもしれない。
黄金時代到来と言われたが、結局西武には勝てず、
振り返れば巨人最後の輝きだったような気がする。
FA制度以降の日本一はどこか虚しさがつきまとう。 藤田、王は西武が天敵だったね
しばらくはオープン戦ですら勝てないほどのトラウマになっていた
やっと長嶋が雪辱を果たしたがあれは森監督が「ミスターは何をやってくるかわからない」と考えすぎたってこともあったんだろう
その長嶋も阪急→オリックスにはとうとう勝てないまま終わったんだけどね >>243
違うよ。西武の選手が「勝ってはいけないような雰囲気」を感じたと言ってたように、
マスコミが先導してそういう空気作ってたんだよ。
最終戦の試合前に森監督辞任のニュースが電光掲示板で流れるし、
明らかに長嶋への異常な忖度が露骨なシリーズだった。 過ぎてても長嶋がくるまで青いユニフォームアレルギーがあったからなあ
とにかく実力以前で負けていた 元南海のスカタンが亡くなりました
円城寺 あれがボールか 秋の空 >>243
こういうのは結構重要で
トラウマ的なものが出来て他のチームには勝てるのに
そのチームだけにはなかなか勝てないことがいろんなケースで多い 単純に黄金西武が解体されつつあっただけの話
93年に日本シリーズでヤクルトに負けたあたりでガタがきてた
長嶋巨人が90年の西武と戦ったらやっぱり4タテくらってるよ メンタルにトラウマまでできたチームに西武が弱体化とたからとかそんな単純な理由で勝てることは絶対ない
藤田や王だったらそのメンタルすらどうすることもできなかったんだから 長嶋第1期=無能だった。
藤田第1期=有能だった。
王=無能だった。
藤田第2期=有能だった。
長嶋第2期=第1期に輪をかけて無能だった。
王FDH&日本代表=有能になった。 >>255
メンタルにトラウマがとかいう理由の方が単純でしょうもないでしょ
黄金期の西武が同時期の巨人とはレベルが違っただけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています