星野は時代の空気を読むのに長けていた。
中日時代は鉄拳制裁は燃える男の象徴として国民に支持されていた。
またこのころは教師が生徒を殴って躾けるのは当たり前で選手にも耐性があった。
しかし阪神の監督を受ける頃には体罰は野蛮な暴力行為として認識されるようになっていた
昔のやり方では選手が付いてこないと読みとった星野は即座に鉄拳を封印した。
もし星野が古臭い軍隊方式に固執する監督であったなら阪神楽天では総スカンをくらっていただろう。