南海ホークス14©2ch.net
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●●●●●-‐‐ ''^~ 西岡はヤクルトの方がウェーバー先だったね
で、西崎の方は、愛知学生連盟とかそういうマイナーどころをきちんと視察できてたかどうか
南海のスカウトは比較的有名どころから外れを引っ張ってくるね >>520
西崎が田島化するだけでトレンディーエースと呼ばれる事なく終わるかも 他球団の左投手になるが往年の左キラー永射が亡くなったけど、門田も永射は苦手にしてたのかな? あぶさんにクラウンライターライオンズ時代の永射が登場してたな。
クラウンの監督は鬼頭だった。 門田は永射から1974、1980、1984に本塁打を記録してるな
1980は以前書いた13対13の引き分け試合
1984は永射から門田、ナイマンが二者連続 西崎も田島も同じ滋賀出身、西崎が1年上だけど。
西崎は神宮大会でも優勝してるから寧ろ各球団マークしてただろう。 1980年の今日6月25日は、日本ハム戦で門田が杉山の替わりっぱなを代打逆転サヨナラ3ラン
ルーキーイヤーの木田に唯一負けを付けた日 南海も田島を外してたら、ヤクルトと同じように西岡と西崎の比較で下手打ってたんじゃないか?って話 89年に門田キラーとして鳴らしたな
9月のGS神戸でのオリックス戦
門田を打ち取って3塁側のダイエーファンから拍手
9回も1点差に迫られ門田が三振して大きな拍手
あのときは素直に勝って嬉しかったが
今となると門田が打って負けるのなら仕方ないと思いそうだ 私は加藤伸一がオリックスと近鉄の頃、加藤に勝ちが付いて負けるのならまぁいいやという気分でした 田島って童顔だったよなあとグーグルで画像検索しても出てこない。当時の画像があってもよさそうなのに たしかに元南海の選手が活躍したらうれしい気持ちになる
吉田豊彦とか畠山もそうやったな
山本雅夫や岸川も
でも岸川は四番も打ったのになぜ巨人では代打という気分 1981年の7月1日は近鉄戦ダブルヘッダーに連敗
しかし門田が二試合で3本塁打
月間16本はここから始まった
1986年の7月1日は西武戦でデビッドが松沼雅からサヨナラ本塁打
デビッドの姓はホステトラーだったっけ 1986年の対西武は10勝14敗2分
シーズンのトータル勝率を若干上回ってはいるが、健闘と言えるかというと微妙
まぁパの最下位vs日本一なので、、、健闘かな >>535
81年前期は残り4試合を残して、29勝28敗4分だったが、そこから4連敗で閉幕。2勝2敗なら、勝ち越しだっただけに悔やまれる。 そうなんです!
阪急に連敗して29勝30敗4分で迎えたのが7月1日の対近鉄ダブルヘッダー
優勝決定後の消化試合だったとはいえムチャクチャ残念でした 西武戦でのサヨナラ勝ちと言えば
最後の年の最終戦で犠牲フライでサヨナラ勝ちしたことがあったな
翌日の阪急戦も山本のサヨナラヒットで勝った プロ野球の阪急(現オリックス)なとで監督を務め、3度の日本一となった上田利治(うえだ・としはる)さんが死去したことが2日分かった。80歳だった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170701-00000150-spnannex-base
本当にあの頃の阪急は憎たらしいくらい強かった。合掌 1978年以降の低迷期、リーグ優勝はともかくとして、他の5球団は少なくとも前・後期の優勝はありますよね。
そんな時代の前半は阪急、後半は西武が特に憎たらしいというか羨ましかったのは確かです
上田監督で嬉しかったのは、野村監督時代にチームでは三番の門田をオールスターではパ・リーグの四番に据えてくれたことです
ご冥福をお祈りいたします 南海ファン=巨人ファンだけど
今の巨人は低迷期の南海みたいな感じだぞ V3期の阪急は野村時代に善戦したこともあったけど大人と子どものレベルの差を見せつけられている気分だった
特に鉄壁の守備陣によってどれだけのヒットを奪われただろうか
あの時期の阪急は史上最強だと思う 上田さんは勝負強かったな 西本さんよりしつこいというか
隙がなく勝てそうにないチームやったわ >>546
そりゃ人件費削減のためなんだから当たり前やろ 昨日は石川が7回1アウトまでノーヒットノーラン
あわや2リーグ制以降初、1リーグ時代の別所以来の
ホークスピッチャーのノーノー達成かと思ったが・・・残念。 >>534
畠山は南海時代に規定投球回に到達経験があって
横浜時代に規定打席到達経験があるかなり珍しい選手 >>549
ホークスには縁が無い記録かもね。しかし、あの森口が2回1安打完封を記録しているのが、未だに信じられない。 >>551
日ハム・キラーでしたね。
全盛期の1978年〜1979年(ともに9勝)にチームがドン底だったのは不憫
翌1980年は規定投球回数ギリギリで3勝14敗でした
ちなみに山内新一は1978年が3勝16敗
こちらも凄い負けっぷり 山内新一の先発縛りって何か理由があったの?俺はリリーフなんかしない!とか むしろ山内新一を引っ込めたところで誰が他に先発がいたのか
その辺りが穴吹時代の高卒投手5人指名に繋がったのかも >>556
まあその時分にはもう両山内もいて多少は改善されていたけどね
その前と言えば、杉田、平沢、村上、壊れた藤田、ロートル新一いや〜んいや〜ん…
「ぐわああああ〜っ なっなんちゅう球団じゃここは〜っ
まったくどうしてここまでおちぶれてしまったんだ…」
これはすすめ!パイレーツの監督のセリフね 広瀬さんじゃなく 実質柏原⇔杉田の交換
仕方がないことだったけれどこれはないわと思ったな 鈴木啓示でも1980、81年にリリーフしてる。江川でもそうでしょう。
3勝16敗とか南海最後の1983年2勝9敗防御率8.55とかいくら打高投低でも何か理由があったとしか思えないんですがね 巨人時代の肘の故障の影響でで連投させると球威が落ちることに
野村が気付き、以降南海時代は先発一本
江夏とは逆のパターンだな >山内新 >>557
ルーキー新一なんか知ってるの60代やで。まぁわしも60やけどな >>556
1982年のドラフトは畠山、大久保、青井、山川、藤本修ときて、最後は思い出したように内野手の森田(鹿児島鉄道管理局)を指名して逃げられた
その森田は先輩西村の後を追うように3年後の三位でロッテ(中日と競合)に入団
芽は出なかったけど >>559
1983年の山内新一は悲しかったですね
前年は二桁勝ってそれなりの防御率だったのに
1984年は阪神で7勝だったか
ちょっと嬉しかったな >>550
あのアーム式のフォーム、評判悪いけど個人的には大好き >>561
それなら強かった南海も知ってますよね? 78年の山内は野村・柏原らクセを熟知している連中がパ他球団に行って攻略法を練られたのと
野村の代わりに急遽正捕手に格上げされた黒田らが力不足だったのが主な原因だろな。
長年の酷使の反動で故障があったのかもしれん 78年の山内は野村・柏原らクセを熟知している連中がパ他球団に行って攻略法を練られたのと
野村の代わりに急遽正捕手に格上げされた黒田らが力不足だったのが主な原因だろな。
長年の酷使の反動で故障があったのかもしれん 山内って最多敗戦、最多被安打、最多自責点を2回、最多失点を1回もらってるのよね。
ただし最多被弾は無いのは南海が使ってたボールの影響かも。 山内新一は星野仙一と勝利数がほぼ同じなんだよね
性格が地味か出世欲があるか無いかで
えらい印象が違うな
榎本と長嶋みたいに >>569
榎本と長島じゃHR数とか色々差が有るけど、山内と星野は同等でしょう。山内は20勝してるし。 山内新一で思い出すのは大阪球場のライト側の選手駐車場に
停めてたアメ車。 南海だけでなく阪神や読売への在籍歴もあるし
南海投手陣のリーダー的存在だったり20勝2回の実績もあるから
引退時の山内にコーチや解説者の打診はあったと予想する。
私生活の都合や球界に未練が無いなどで本人が断ったんでしょ だよねぇ。
OB職に残りたい人から見たら最高の球歴だよ。
残れないはずがない。 確かプロゴルファー目指したんじゃなじゃった?山内新一
それで挫折して会社員の流れだったような 山内新一クラスで球界に残れないと言えば対照的なのが小川一夫(捕手)
1973年入団1978年引退で一軍経験ほぼゼロ
にも関わらず二軍コーチや近年はソフバン二軍監督でウエスタン優勝に導いている
現在はソフバンスカウト部の幹部で昨年のドラフト会議では王貞治会長の隣に座っていた
立石充男は楽天のコーチでベンチでは梨田監督の横にいるからテレビ中継でよく見かける よく記事に小川って出てくるから史かと思ったら
(まぁそっちも残ってるんだが)
全く聞いたこともない選手だった方でびっくりした。
史は子供の頃、名鑑見てて
「この中で最もショボい背番号1だな・・・」と思った。失礼ながらw 長年、スカウト室の要職に座る永山勝もそうだな
名取、香川、山内孝、水谷の年に立命館大からドラフト外で入団し現役生活二年、一軍出場なし
大学球界に人脈を持ってるんだろうな そう言えば、1979年は香川のチームメイト山本昭良もドラフト外で入団
浪商時代は三番香川、四番山本、五番牛島だった
山内孝徳は指名順位が気に食わずにゴネて一年後に入団
自ら背番号19を要求してトリオ・ザ・山内が突然完成した 石川晃が千葉ロッテの副代表になったってのがびっくりした。
ってファンブックでしか見たことなかったけど 石川晃!!
根本〜瀬戸山からの信頼が厚かったと何かで読んだ気がします
確か南海消滅と同時の引退だった筈
この人にしても、一軍出場なしで球団に残れたというのは凄いですね
後年、東北福祉大の作山をわざわざ二位で獲ったのは、この人のヤラカシではありませんでしたっけ? なつかしい名前がたくさん出てますね
1978年〜1983年までファンクラブの少年ホークスの会に入会していて毎年恒例の中もず球場での2軍選手による野球教室に参加しました
阪田隆、鶴崎茂樹、鐘井祐二、立石充男、山田勉、山本昭良らの選手に手解きを受けました
阪田選手がガラが悪かったのが印象に残ってます
子供達に向かって「チンタラしとったらケガすんど〜アホンダラ!」「何ボサ〜としとんねん!ボケ!」
僕達は「二軍のくせに偉そうなや〜」と、ぼやきました
阪田選手も一軍での活躍は殆んど無く二軍の老名主みたいな選手でした 石川は高校、大学、社会人まで道内だったからそのエリアを任せるつもりだったのか。
井口獲得に奔走して評価上げたとか。 1980年の今日7月8日は、日生の近鉄戦で香川が井本からプロ入り第1号
他にメイ、門田も本塁打を放ったが、試合は4対16の大敗
南海は先発名取が2回途中で降板した後、平沢〜田村〜竹口〜佐々木という当時如何にもありそうな継投
ちなみに竹口までの4人を3回までに使って、4回以降の5イニングスを大ベテラン佐々木宏一郎が延々と敗戦処理 中モズの野球教室懐かしいね
中出にスイングみてもらった >>588
その時って巨人にいた鈴木のぶよしが人気あったな
俺は岸川にスイング見てもらった 作山は中継ぎ即戦力と言われながら
大学時代の酷使がたたったのか2年で引退 >>592
一位で若田部を当てた後、二位で即戦力投手をもう一枚というのは理解できたが、そこは高年齢でも新谷(日本生命〜西武外れ二位)でしょう!と当時思った
福岡移転後の話だが >>580
野村の背番号を要求って、怖いもの知らずだな 杉浦の21や皆川の22を要求した訳じゃないから別にいいんじゃない?野村なんて南海の嫌われ者だし。 杉浦や皆川の背番号はそれほど間を置かず、普通に他の選手がつけていたな。
杉浦の後の21はダイエー・ソフトバンクになっても外国人を含めて投手ばかりだが、
皆川の後の22は捕手・投手各6人、内野手1人(片平)、外野手1人(ロリッチ)。
その中にはABCで阪神太鼓持ち((オリ戦裏だとまだまとも)の有田、自殺した高野もいる。
ソフトバンクになってからは捕手ばかりだな。 >>598
有田、高野と書かれてもピンと来なかったが、そうか二人とも90年代前半のダイエーに在籍してたな
私としては、やはり21は金城基(西川よりも)、22は森口のイメージ 野村が対談して山内孝がつけるまで、球団も19の扱いは困ってるようだった
「本当に僕を獲りたいのか知りたかった」という理由で山内孝は19を所望したが、
球団的には渡りに船だったのかもな >>599
デービスが大麻で捕まって、近鉄は中日で余ってるブライアントを金銭で獲得した
南海はタイロンを獲るために前年のドラフト1位を差し出したのだが、西武がケチなのか?南海がケチなのか?
既出だが、入団時にいずれトレードに出してやるという密約があって、それが急遽早まったのかも知れんけど 1982年の今日7月9日の西武戦は、山内新一KOの後、4点ビハインドで山下律夫が登板
9回表に引っくり返して、5回2/3を無失点の山下に勝ちが付いた
南海在籍1年で唯一の仕事 >>602
タイロンってそこまで欲しがるような選手なのかね >>604
80年は西武で主に1番を打っていたので打点は少なかったが2割7分台で35本塁打
81年の南海では3割打ったが本塁打は半減
外野守備は雑だが強肩だった
82年は全てに数字を落として解雇
スティーブとタイロンが居るのにテリーを獲得した西武も凄い
一軍実績のないブライアントのトレードとの比較はナンセンスでした そういえば山内孝徳がダイエー時代に抑えをやっていたな >>606
ダイエー時代に大阪球場の近鉄戦で9回のピンチを切り抜けて
10回にバナザードの決勝ホームランで勝った試合を観に行った
勝ったのは嬉しかったが大阪球場が近鉄の物になってたし
その年のダイエーの記録的最下位であまり気分が乗らなかった記憶がある >>607
バナザードが吉井から打った本塁打ですね
大阪球場なのに近鉄の主催ゲームっていうのが悲しい
田淵の一年目
それにしても田淵が監督って・・・ 田淵ダイエーの1年目は暗黒南海より明らかに弱かったな。
初戦に永射がブライアントに逆転HRを打たれて負けてから転がるように負け続けた。
ニャンコ藤本がシーズン通じて悲惨なくらい滅多打ちされてた ダイエー元年は山中や伊藤とかそれなりに期待して広島から獲得していたと思うが
翌年以降は(申し訳ないが)ジャンク品かきあつめてあーやっぱりダメかの繰り返しな感じ
本村、松林、榊原、小川達…
ウエスタンの帝王・斉藤は来たことあったかな?
もはや調べる気にもならんが 田淵のボンクラ具合には、バナザードとアップショーも途中からヤル気無くしてたな 山中は田淵1年目の開幕前にやはりオトモダチ率いる中日へトレード。
伊藤が一軍だったのも89年だから杉浦監督時代。
榊原はわずか半年のホークスでプロ初ホーマー、すぐに戻って行った。 山内新→阪神 佐藤→大洋 江夏→広島
松原→広島 金城基→読売 森口→中日
名取→西武 山内和→中日 井上→広島
西川→阪神 畠山→横浜 藤本修→阪神
加藤→広島 吉田豊→阪神 村田→西武
私がファンになって以降の主な南海投手で、引退までホークスに在籍したのは藤田学と山内孝くらいか
藤田学は大洋へのトレード話もあったけど
畠山は規定投球回数に達した年もあるので一応入れた 落合信者以外の中日ファンには
評判の良くない高柳も落合森繁コネで中日に打撃コーチで牢名主の如く君臨してるがw
ダイエー時代にもコーチやスタッフで生き残ったのは
根本御大に気に入られてたからかな?
共に茨城出身の同郷だったのもあるから 肉離れで長期?離脱の五十嵐って、中山孝一の高校の後輩だったんだね
ホークス同様、校名は変わっている(千葉工商→敬愛学園)けど >>617
千葉は敬愛学園や横芝敬愛や東京学館浦安など
甲子園に出てないが予選ではベスト4ぐらいまで行ってる学校が多いな
今年は木更津総合か東海大市原望洋だろうな 今年はっていうか今年もな
人口多くてそれなりに盛んなので地元選手のみでまかなえどうしても分散しちまうもんだから
これまたそれなりに全体のレベルは高いが甲子園では勝てない
県の体質そのものともいえる
各産業がバランスよく発達していて独立してもやっていけないこともないがさすがにって点で 1983年のオールスター第1戦(神宮)で、門田が松岡から右へ特大弾、西本聖から左へライナーで放り込んだ時は嬉しかったな
もう一人山本浩もその試合で二本打ったのは余計だったが
しかも二本目を打たれたのは山内孝 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています