好成績なのに解雇された外国人選手 [無断転載禁止]©2ch.net
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好成績を残したのに高齢、長打力不足、守備難など様々な理由で解雇された外国人選手を語りましょう >>407
02年当時の他球団の助っ人打者の成績見てこい
論外だよ >>85
いつの昔だよ?
日本はそんなのいねえから。
80年代前半までだと、
金田、梶本、小野正一、江本、堂上ぐらいだっての。
他は大きくて182ぐらい。
江本や堂上を大投手と呼ぶのはどうかと思うがなw 南海にいたナイマンは成績だけを見れば残留でもおかしくなかったが、夏場はさっぱり打てず
終盤になってからようやく打ち出した帳尻ぶりを看破されてクビに アンソニーは対中日専用機だろw
野口の200球で野口を粉砕したのも確かこいつ >>412
アンソニーってフル出場なら40本くらい打ちそう ヤクルトのアンソニー、クラーク、ソフトバンクのブキャナン,横浜のポゾ、ロドリゲスあたりはあと1年見てみたかった。 ロドリゲスは切った後釜がT・ウッズなんだから大正解だろ
02年当時のボールで18HRじゃ無理無理 ポゾは素材型だから育成も兼ねて再契約すべきだった。
あそこで切るのは見切りが早すぎ 阪急のケージは2年連続31HRで解雇か
低打率だったし後釜がブーマーで良かったけど 大洋シーツ
打点王で守備もそこまで悪くなかったのに・・・ マイヤーとシーツって何だかごっちゃになる
てかマイヤーって曙の従兄弟だったのか、
有名な話なんだろうか。初めて知った ヤクルト時代のパリッシュなんできったんやって
意見多いけど
当時阪神ファンだった俺から見ると納得だけどな
確かに数字だけは良かったけど、大差で負けてる試合の終盤に
ソロホームランとか大量得点で勝ってる試合に打点多いとか
どうでもいい所でばかり打ってたぞ実際。
逆にいいピッチャーはさっぱり打てなかったし >>433
そのパリッシュをオタクが好きな阪神が取ったというw パリッシュが切られたのは広澤と池山の存在もあるだろ。
三振の多い右のパワーヒッターを3枚並べてもしょうがないという理由で。
で阪神が飛びついたのはフィルダーが1年で帰国してしまったからその後釜にという理由で。 >>432
右打者がマイヤー、左打者がシーツと覚えよう 広島・ヤクルト時代のラロッカ。怪我が多かったせいかな。
むしろオリックスはよく4年も雇ったと思う。しかも今オリのスカウトだし。
05広島080試合:18本塁打 56打点 .303(解雇)
06ヤク103試合:18本塁打 63打点 .285(解雇)
07オリ136試合:27本塁打 79打点 .286 ヤーナルはチームが貧打すぎて野手外人に枠を割くためにクビになった
今ならスペアで残してたろうな ヤーナルって99年・00年のヤンキースにいたから(当番は2年で7試合のみ)リング2つ持ってるの?
Evaluation: Average. >>62
清水はパワプロから守備が下手というイメージがあったけど実際は意外と上手かった >>440
ヤーナルが出た途端投手陣が崩壊したから再獲得して具と併用しろって声が出てた >>442
いや、下手すぎたろ。
清水が新人のとき、足が速いというだけでゲームでは守備が高評価だったが、現実に合わせて徐々に下がっていった それこそ、ホークスにしてみたら「ヤーナルが出てきたらイヤ〜なるわ」
ぐらいに思っていたんだろうな、冗談抜きでw そういえば当時の週刊ベースボールで「一番ストレートが速い投手」てのがあって
ただ一人ヤーナルを挙げていたのが福浦だった記憶が 好成績という程でもないが
ロッテのマックスは1年目と同じような数字を残したのに解雇された マックスは千葉マリン本拠という事情を考えてもホームランが少なかったわねえ 千葉マリン一年目の成績を反映した
野球ゲームのロッテ打線は絶望しかなかったな。
デフォルトでモトリーや島田がスタメンだったような。 上にあるように92年の成績を反映したロッテのゲームは悲惨そのもの
たぶんゲームに反映された中で貧打が一番悲惨だった
マックス・ベナブルが13HRで最高 対照的にその年の西武は9番打者の田辺が.302 13HRで、スーパーファミスタだったか、ゲームではなぜかHR3本に格下げされてた スーパーファミスタ2では逆に阪神・木戸の打率が
実際の.101から.357ぐらいにかさ上げされてたな。
後適当な成績で松井秀と郭李がいた。 >>456
俺は今でもそれは打率があまりに低すぎてカンストして一周回って高くなったと思ってる >>456
投手の打率が.150で投手より低いとかわいそうだから.157にしてあげようとしたら間違えて.357にしてしまったんだと思う むしろ阪神の控えが悲惨すぎたからじゃない?
立花、金森、真弓、岡田は皆打率.250未満
そこにそのままの成績の木戸が加わったらねえ エバンスを残さない理屈なくね?年俸3億でもしたんか
結果的翌年超打高になったしな
新ストライクゾーン適用が02
実際02で成績おとした打者もいたなか
エバンスは成績あげた エバンスはアリアス片岡と一三塁をがっつり補強したのに残留して
翌年(2002)のシーズン途中に橋本とトレードじゃないか
なにいってるんだ
後追いで覚えたての知識を披露したいのは結構なんだけど、
基本的なことくらい調べてから書けよ あ、ごめん02-03の話か
もともとマクレーンの補充で慌ててとってきたのをマクレーンが復帰したからじゃないの
単純に
野手 カブレラ マクレーン
投手 張 許
完全に枠が埋まってて5人目を一軍レベルで確保するかどうかなんか
もう編成の考え方一つじゃね >>467
マクレーンを残すというのを前提に置いたら
たしかに要らなくはなるのか…
他球団とればよかったのに エバンスは移籍直後は確かに大爆発してたが
しばらく経つとそんなに目立たなくなってたような印象がある 去年まで阪神に在籍したゴメス
チームはどこであれ、もう一年見たかった >>455
燃えプロ88で
落合が.331 28本→.331 32本
中畑が.321 6本→.321 10本にかさ上げされてたな
当時はゲームで打撃成績覚えてたから、セ一年目の落合が実際は30本行ってなかったと後で知って驚いた記憶がある >>474
それは88年の二人のHR数と一致しているけど、
シーズン後の発売だったということはないのかな。 >>476
意外なレスで驚いてるww確かに88年は落合が32本、中畑は10本打ってるもんなw
でも燃えプロ88のデータは87年の成績が反映されてて、発売も88年夏なんだわ
当時は落合と中畑は人気者だからメーカーがこの2人だけ数字を改ざんしたのかと思ってたが、まさか予言だったとはw >>418
亀レスだが若干パワー不足なのと
鈴木健とポジションが被ってたのが影響したものと思われる >>481
試合 121→101
打席 474→364
打率 .265→.244
本塁打 18→14
打点 67→46
全部前年割れ
2年契約が満了したのと、この年の途中からファームにバークレオを入れて
来年からは育成型で行く、と宣言していた。
そもそも87年に在籍していたのも2年契約だったから ブコビッチといえば日本シリーズでのファインプレーくらいしか印章にない >>478
ファミスタはその年の打率・本塁打数をそのまま反映させるのではなく実績を加味した数字になってたね。
ゲーセンのファミスタだと新人の長嶋一茂が.270 25本くらいになってたり。
初代ファミスタだと川藤が5本でも長打力あったりね >>484
その年の成績を忠実に反映するようになったスーファミ版でも
清原あたりはその年が低調な年は前年の成績との平均をとったりして
低調度を薄めていたな。 池山広沢の時代に25本の一茂がいたら優勝チーム級の中軸 >>467
亀だが、マクレーン、エバンスどちらを残すかは、球団が当時の監督の伊原に選択させた。
伊原は、より長打を見込めるマクレーンを選んだんだよ。 >>475
ロジャーが居たら翌年のヤクルト初優勝は無かったと思うわ 今みたいに日本経験がある外国人を使いまわし気味に再獲得する傾向が出てきたのって2000年代初めごろだろうか。
セギノールとか、20世紀だったらオリックス解雇で2度と日本球界復帰はなかっただろうな。
このスレで上がっている20世紀の助っ人外国人も、今の時代にいたら複数球団を渡り歩いていたかもな。 さっぱりだった阪神のクルーズを何故か中日が2年後ぐらいに取ったことあったな
中日でも阪神でもオープン戦では無双してた セギノール、ホセフェルナンデス、オーティズ、ペーニャ・・・
結局どこに在籍していたのかようわからん話になってるw レオン、バース、リーなんか引っ張りだこだったろうに。 契約がこじれて退団した外国人選手は当時みんな
任意引退の措置とられてたんじゃなかったっけ オリックスには四人すべて在籍していたことがあるが
セギノール以外はロッテ、オーティズ以外は楽天にもいたことがあるな レオンは実際3球団渡り歩いたが、枠の多い時代ならヤクルトの後あと3シーズンぐらいどこかでやってそう マクレーンは西武1年目.247 39本 87打点だったが
ひそかに三塁守備は結構上手くなかった? >>499
まさしく俺が書こうと思っていた選手であり、内容だ。
長打力があり守備も上手い。ただ打率が…。 西武にいたポール。
2軍では打率が3割5分を超えるなど格の違いを見せつけ、
2000年、2001年と2年連続イースタン・リーグ三冠王に輝いている(2000年:.353 21本 69打点、2001年:.352 27本 95打点)。
特に、2001年に記録した27本塁打は1992年の大森剛と並んで当時のイースタン・リーグ最多タイ記録(2009年に中田翔が30本塁打で更新)、95打点は2010年現在でも最多記録(2009年に同じく中田が95打点で最多タイを記録)である。
カブレラ等の影に隠れて一軍出場は少なく、不遇とも言える助っ人であった。 阪神が獲得を検討してたな >ポール
結局はアリアスを獲ったが >>501
今のルールなら3番ポール4番カブレラ5番マクレーン 2000年は貧打だったから3人目の外人打者として積極的に使われてただろう
2001年は中継ぎ投手のデルトロと4人目の枠を争う形か 01年までは外国人枠は4人にまで広がってたけど
投手:野手の割合が2:2に限定されてたはず 同僚にジョンとかリンゴが居たらポールももう少し使って貰えたろう 西武にいたヤング
当時としては珍しい150キロ投げられたから外国人枠が3以上なら活躍したな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています